『結婚前に恋がしたいんだ』、婚約者は妹を選び私を捨てた

恋せよ恋

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義兄の告白

  嵐のような夜会が終わり、王都の喧騒が遠のいたギルバートの私邸。
 テラスからは、断罪の舞台となった学園の灯りが小さく見えていた。イザベルはミッドナイトブルーのドレスのまま、夜風に吹かれて一人立っていた。

「寒くないか、イザベル」

 背後から、聞き慣れた低い声と共に、温かなマントが肩にかけられた。ギルバートだ。彼は隣に並ぶと、私と同じ夜空を見つめた。

「終わりましたわね、お義兄様。……何もかも」

「ああ。君を傷つけた者たちは、自らが蒔いた不実の毒に溺れていく。もう、君を煩わせる者は誰もいない」

 イザベルはふっと自嘲気味に笑った。
 復讐を果たせば心が晴れると思っていた。しかし、胸に残ったのは、冷たい静寂だけだった。

「お義兄様……私は、これからどうすれば良いのでしょう。修道院へ戻ることも、あの伯爵邸に帰ることも、もうできませんわ。私は、行き場を失った幽霊のようなものです」

 その言葉が終わる前に、ギルバートはイザベルの体を強く引き寄せ、抱きしめた。

「幽霊などではない。……君は、僕がこの手で救い出した、唯一の光だ」

 ギルバートの心臓の鼓動が、衣服越しに力強く伝わってくる。

「言ったはずだ、イザベル。僕は十年前から、君のことだけを見ていた。君がリチャードのために笑い、彼のために涙を流すたび、僕の心はどれほど千々に乱れたか。……それでも君が幸せならと、兄という仮面を被って耐え続けてきたんだ」

 彼はイザベルの肩を掴み、真っ直ぐにその瞳を見据えた。眼鏡の奥に宿る瞳は、もう「兄」のものではなかった。

「リチャードは君の価値を知らず、愛を履き違えた。だが僕は違う。君の賢さも、脆さも、強さも、そのすべてを愛している。……イザベル、僕の妻になってくれないか」

「お……義兄、様……」

「君を二度と、あんな冷たい石の壁の中へは行かせない。誰にも渡さない。……残りの人生のすべてを賭けて、僕が君を慈しみ、守り抜くことを誓う」

 イザベルの頬を、一筋の涙が伝った。
 それは、修道院で流した絶望の涙でも、復讐のために凍らせた冷たい涙でもない。
 十年もの間、自分のために「完璧な壁」であり続けた男の、無骨なまでの献身に触れた、安堵の涙だった。

 イザベルは震える手で、ギルバートの背中に腕を回した。

「……身勝手な私でも、よろしいのですか? 愛することを忘れてしまったかもしれない、私でも」

「君が愛を思い出すまで、何年でも、何十年でも待つよ。……僕には、その準備ができている」

 夜の静寂の中で、二人は静かに唇を重ねた。
 それは、不確かな情熱などではない。長い時間をかけて積み上げられた、岩のように揺るぎない契約であり、純粋な愛の誓いだった。


 それから、一年が過ぎた。
 かつてのベルレイユ伯爵家は、ギルバートの手によって劇的な刷新を遂げた。不祥事を起こした前伯爵夫妻は、王都を離れた領地の片隅で静かに隠居し、今や社交界でその名を聞くことはない。リチャードとメラニアがその後どこへ消えたのか、それを知る者は王都にはもういない。

 新緑が眩しい季節。
 新当主となったギルバートが治めるベルレイユ伯爵邸の庭園で、イザベルは一輪の白い薔薇を眺めていた。

「奥様、ギルバート様がお戻りです」

 侍女の声に顔を上げると、馬車から降りたギルバートが、真っ直ぐにこちらへ歩いてくるのが見えた。彼は公務の疲れも見せず、イザベルの姿を見つけるなり、柔らかに目を細めた。

「ただいま、イザベル。……今日は顔色が良いね」

「おかえりなさいませ、貴方。庭の花々があまりに美しかったものですから」

 ギルバートは彼女の隣に立つと、当然のようにその腰を引き寄せた。
 
 今のイザベルには、かつての「完璧な令嬢」としての緊張感はない。けれど、その表情には、内側から滲み出るような穏やかな幸福が宿っていた。
 
 かつて彼女を苦しめた「お茶会」は、もう拷問の場ではない。
 午後の穏やかな陽だまりの中で、互いの今日あった出来事を語り合い、静かに微笑みを交わす。

 刺激的な情熱などなくても、ただ隣に誰かがいてくれるという確信。それが、どれほど魂を救うものか、彼女は今、本当の意味で理解していた。

「……ねえ、ギルバート。私、今とても幸せですわ」

 イザベルがギルバートの肩に頭を預けると、彼は愛おしげに彼女の髪に触れた。

「ああ。僕もだよ。……春は、これから何度でも巡ってくる。ずっと、一緒だ」

 遠くで小鳥のさえずりが聞こえる。
 冬は終わり、氷は解けた。
 
 かつて婚約者の我儘な恋愛に振り回された彼女の物語は、今、愛する人の隣で、温かな陽光に包まれた真実の春へと辿り着いたのだ。

 ハッピーエンド
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