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壊れた、大切なはずの一日
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その日は、私にとって一年に一度の、何よりも幸せな日になるはずだった。
私の十六歳の誕生日。そして、婚約者のクロード様が、一年前から「その日は二人だけで、湖畔の別邸で過ごそう」と約束してくれていた日だ。
私は朝から、今日という日を特別なものにするために、侍女に最高に美しく髪を整えてもらっていた。選んだのは、かつて彼が「似合う」と言ってくれたお気に入りのリボン。
だが、待てど暮らせどクロード様は現れない。一時間が過ぎ、二時間が過ぎ……冷たくなっていくお茶を前に、私は胸のざわつきを抑えきれずサロンへと足を向けた。
そこで私を待っていたのは、私の期待も、努力も、すべてが滑稽に思えるほど無慈悲で信じられない光景だった。
「ふふ、クロード様。このお菓子、とっても甘くて美味しいわ」
「それは良かった。カトリーヌ様の笑顔が見られるなら、遠い街まで買いに行かせた甲斐がありましたよ」
そこには、私との約束を忘れたかのように、カトリーヌお姉様に甲斐々しくお菓子を取り分けるクロード様の姿があった。
お姉様の膝の上には、私が誕生日のお祝いに父様から貰えるはずだった、新作の画集が広げられている。
「……クロード様。今日は、私と湖畔へ行く約束ではなかったのですか?」
震える声で問いかける私に、クロード様は面倒そうに視線を向けただけだった。
「ああ、そのことか。セリーヌ、君は本当に察しが悪いな。カトリーヌ様が今朝から、元婚約者の夢を見てうなされていたんだ。そんな彼女を置いて、遊び歩けるわけがないだろう」
「遊びでは……ありません。今日は、私の誕生日です……」
「......分かっている。だが君の誕生日は来年もあるが、今のカトリーヌ様の心の傷は、今この時に癒やさなければならないんだ。君は強いから、一人で祝うくらい平気だろう?」
――君は強いから。その言葉が、私の心に深く、冷たい楔を打ち込む。
強い人間には、誕生日を祝われる権利さえないというのか。
「あら、セリーヌ……。ごめんなさい、私ったらまた貴女の大切な時間を奪ってしまったのかしら」
カトリーヌ姉様が、わざとらしく口元を押さえて、潤んだ瞳で私を見上げた。
「でも、クロード様が仰るのよ。『セリーヌはしっかりしているから、僕がいなくても領地の勉強をして有意義に過ごせるはずだ』って。……ねえ、これ、お父様から頂いた画集だけど、貴女も一緒に見る? 半分くらい、見せてあげてもいいわよ」
「それは、私が……お父様に、ずっと欲しかったと伝えていたものです。お姉様は、絵なんて興味ないでしょう?」
「失礼ね。私、綺麗なものは大好きよ。セリーヌはいつも難しい顔をして仕事ばかりしているんだから、こういう華やかなものは私の方が似合うわ。お父様も、『お前のような可憐な花にこそふさわしい』って仰ってくださったの」
私が欲しかった画集。私が待っていた婚約者。
すべてが「可哀想なお姉様」という免罪符によって、彼女の元へ流れていく。
そこへ、騒ぎを聞きつけた両親が入ってきた。
「何を騒いでいるんだ、セリーヌ。はしたないぞ」
お父様の冷ややかな声が響く。
「お父様……。今日は私の誕生日です。この画集も、クロード様との時間も、どうして……」
「セリーヌ、あなたって、本当に嫉妬深いのね」
お母様が、あからさまな溜息をついた。
「いいですか、セリーヌ。カトリーヌは今、クレイグ侯爵家に捨てられたショックで、明日をも知れぬほど衰弱しているのよ。そんな姉を差し置いて、自分だけ楽しもうだなんて……。はあ、育て方を間違えたかしら」
「カトリーヌは傷ついているんだから、譲りなさい。それがアトリー家の次女として生まれたお前の務めだ」
父様の口から出た「次女」という言葉。それが、私のこれまでの努力に対する、家族からの最終回答だった。
私は、後継者として認められたわけではなかった。
ただ、姉が戻ってくるまでの間、家を腐らせないために手入れを任された「留守番」に過ぎなかったのだ。
姉が戻れば、その手入れの行き届いた部屋も、磨き上げられた椅子も、すべて「供物」として彼女に返さなければならない。
「……そうですか。よく、分かりました」
私は、頬を伝おうとする涙を、意志の力だけで止めた。
ここで泣けば、「やっぱりセリーヌは感情的で、カトリーヌのように繊細な美しさがない」と蔑まれるだけだ。
「お誕生日の画集、お姉様。……存分に、お楽しみください。私には、もう必要ありませんから」
「まあ! セリーヌ、物分かりが良くて助かるわ。やっぱり貴女は自慢の妹ね」
姉様は、私の宝物を抱きしめて無邪気に笑う。
その隣で、クロード様も満足げに頷いている。
私は静かにサロンを後にした。
背中越しに、「さあ、カトリーヌ様。次はあちらのテラスで、特製の紅茶を淹れましょう」というクロード様の甘い声が聞こえてきた。
__________
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私の十六歳の誕生日。そして、婚約者のクロード様が、一年前から「その日は二人だけで、湖畔の別邸で過ごそう」と約束してくれていた日だ。
私は朝から、今日という日を特別なものにするために、侍女に最高に美しく髪を整えてもらっていた。選んだのは、かつて彼が「似合う」と言ってくれたお気に入りのリボン。
だが、待てど暮らせどクロード様は現れない。一時間が過ぎ、二時間が過ぎ……冷たくなっていくお茶を前に、私は胸のざわつきを抑えきれずサロンへと足を向けた。
そこで私を待っていたのは、私の期待も、努力も、すべてが滑稽に思えるほど無慈悲で信じられない光景だった。
「ふふ、クロード様。このお菓子、とっても甘くて美味しいわ」
「それは良かった。カトリーヌ様の笑顔が見られるなら、遠い街まで買いに行かせた甲斐がありましたよ」
そこには、私との約束を忘れたかのように、カトリーヌお姉様に甲斐々しくお菓子を取り分けるクロード様の姿があった。
お姉様の膝の上には、私が誕生日のお祝いに父様から貰えるはずだった、新作の画集が広げられている。
「……クロード様。今日は、私と湖畔へ行く約束ではなかったのですか?」
震える声で問いかける私に、クロード様は面倒そうに視線を向けただけだった。
「ああ、そのことか。セリーヌ、君は本当に察しが悪いな。カトリーヌ様が今朝から、元婚約者の夢を見てうなされていたんだ。そんな彼女を置いて、遊び歩けるわけがないだろう」
「遊びでは……ありません。今日は、私の誕生日です……」
「......分かっている。だが君の誕生日は来年もあるが、今のカトリーヌ様の心の傷は、今この時に癒やさなければならないんだ。君は強いから、一人で祝うくらい平気だろう?」
――君は強いから。その言葉が、私の心に深く、冷たい楔を打ち込む。
強い人間には、誕生日を祝われる権利さえないというのか。
「あら、セリーヌ……。ごめんなさい、私ったらまた貴女の大切な時間を奪ってしまったのかしら」
カトリーヌ姉様が、わざとらしく口元を押さえて、潤んだ瞳で私を見上げた。
「でも、クロード様が仰るのよ。『セリーヌはしっかりしているから、僕がいなくても領地の勉強をして有意義に過ごせるはずだ』って。……ねえ、これ、お父様から頂いた画集だけど、貴女も一緒に見る? 半分くらい、見せてあげてもいいわよ」
「それは、私が……お父様に、ずっと欲しかったと伝えていたものです。お姉様は、絵なんて興味ないでしょう?」
「失礼ね。私、綺麗なものは大好きよ。セリーヌはいつも難しい顔をして仕事ばかりしているんだから、こういう華やかなものは私の方が似合うわ。お父様も、『お前のような可憐な花にこそふさわしい』って仰ってくださったの」
私が欲しかった画集。私が待っていた婚約者。
すべてが「可哀想なお姉様」という免罪符によって、彼女の元へ流れていく。
そこへ、騒ぎを聞きつけた両親が入ってきた。
「何を騒いでいるんだ、セリーヌ。はしたないぞ」
お父様の冷ややかな声が響く。
「お父様……。今日は私の誕生日です。この画集も、クロード様との時間も、どうして……」
「セリーヌ、あなたって、本当に嫉妬深いのね」
お母様が、あからさまな溜息をついた。
「いいですか、セリーヌ。カトリーヌは今、クレイグ侯爵家に捨てられたショックで、明日をも知れぬほど衰弱しているのよ。そんな姉を差し置いて、自分だけ楽しもうだなんて……。はあ、育て方を間違えたかしら」
「カトリーヌは傷ついているんだから、譲りなさい。それがアトリー家の次女として生まれたお前の務めだ」
父様の口から出た「次女」という言葉。それが、私のこれまでの努力に対する、家族からの最終回答だった。
私は、後継者として認められたわけではなかった。
ただ、姉が戻ってくるまでの間、家を腐らせないために手入れを任された「留守番」に過ぎなかったのだ。
姉が戻れば、その手入れの行き届いた部屋も、磨き上げられた椅子も、すべて「供物」として彼女に返さなければならない。
「……そうですか。よく、分かりました」
私は、頬を伝おうとする涙を、意志の力だけで止めた。
ここで泣けば、「やっぱりセリーヌは感情的で、カトリーヌのように繊細な美しさがない」と蔑まれるだけだ。
「お誕生日の画集、お姉様。……存分に、お楽しみください。私には、もう必要ありませんから」
「まあ! セリーヌ、物分かりが良くて助かるわ。やっぱり貴女は自慢の妹ね」
姉様は、私の宝物を抱きしめて無邪気に笑う。
その隣で、クロード様も満足げに頷いている。
私は静かにサロンを後にした。
背中越しに、「さあ、カトリーヌ様。次はあちらのテラスで、特製の紅茶を淹れましょう」というクロード様の甘い声が聞こえてきた。
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