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図書室の異邦人
学園生活が始まってから、季節は足早に過ぎ去った。
私は現在、十五歳。飛び級で入学してから二年の月日が流れ、最高学年である三年生となっていた。
この二年間、私は一度も実家へは戻っていない。
父からの送金はついに途絶えたが、私の生活はかつてないほど充実していた。教師たちの信頼を勝ち取り、今や図書室の管理は事実上、私が任されている。放課後の静寂の中、古いインクと紙の匂いに囲まれて、誰にも邪魔されずに知識を吸収する時間は、何物にも代えがたい「自由」そのものだった。
「……やはり、この領域の関税理論は、実地と乖離しているわね」
私は、窓際の席で一冊の分厚い古書を開いていた。隣国ルナリアの『魔導経済原論』。極めて難解な魔導式と経済指数が組み合わさった、三年生でも手に取る者は稀な専門書だ。
没頭していた私の前に、不意に影が落ちた。
「その一二八ページの数式、第三係数に誤植があるんだ。気づいたかい?」
低く、どこか涼やかな声。
顔を上げると、そこには見慣れない制服に身を包んだ男子学生が立っていた。
私より一学年下の二年生が着用する、青いネクタイ。けれど、その仕立ては驚くほど上質で、胸元には隣国ルナリア侯爵家の家紋が刻まれた銀のブローチが輝いている。
フレデリック・ルバン。
今期、隣国からやってきた「特使」を兼ねる留学生であることは、学園中の噂で知っていた。十六歳という若さでありながら、隣国の王室とも太いパイプを持つと言われる侯爵令息。
「……仰る通りです。おそらく、魔力の伝導率を固定値として計算しているのでしょう。実際の交易路では、標高による魔力密度の変化を考慮しなければなりませんが」
私が淡々と答えると、フレデリック様は驚いたように目を見開いた。そして、吸い込まれるような深い蒼の瞳に、知的な好奇心の色を宿して微笑んだ。
「驚いたな。この学園の三年生に、ルナリアの古典経済を実務レベルで理解している者がいるとは。君が、噂の『図書室の賢者』……メリッサ・ドリオン嬢だね?」
「……お恥ずかしい限りです。ただの司書補助ですよ」
「謙遜を。君が作成したという学園の備品調達の予算管理表、教職員の間で絶賛されていたよ。無駄のない項目、精緻な予測。あれは、ただの生徒に書けるものではない」
フレデリック様は、私の隣の席に無造作に腰を下ろした。
普通、高貴な留学生が、平民のように働く「訳あり」の令嬢にこれほど親しく接することはない。周囲の視線が刺さるのを感じたが、彼は気にする素振りも見せなかった。
「メリッサ嬢、一つ訊いてもいいかな。君のような有能な女性が、なぜ自分の才能を隠すように、この閉ざされた図書室に籠もっているんだい?」
「隠しているつもりはありません。私は、自分一人で生きていくための力を蓄えているだけです」
「『一人で』、か……。それは、随分と寂しい答えだね。……あるいは、あまりにも強い自立心だ」
彼は本を閉じようとする私の手を、優しく、けれど拒ませない強さで制した。
「実は、僕も困っていたんだ。ルナリアの特使として、この国の物流網を調査しているのだけれど、公式の書類はどれも粉飾されていて使い物にならない。君のような『真実の数字』が見える人の助けが必要なんだ」
「私は、ドリオン家の人間です。他国の、それも公的な調査に協力するわけには……」
「君の家は、君を捨てたのだろう? ならば、君も家を捨てていいはずだ」
フレデリック様は、悪戯っぽく、けれど残酷なほど見透かしたような笑みを浮かべた。
「君の瞳は、未来を見ている。……僕の隣で、もっと広い世界を計算してみる気はないかい?」
その瞬間、図書室を吹き抜けた風が、私の心の奥に溜まっていた埃を払ったような気がした。
初めて、自分を「機能」ではなく「一人の人間」として、その価値を正当に見極めようとする瞳に出会ったのだ。
遠くで、学園の鐘が鳴る。
その音は、かつて私を縛り付けていた伯爵邸の鐘とは、全く違う響きをしていた。
「……フレデリック様。私の対価は、高いですよ?」
私が少しだけ挑戦的に微笑むと、彼は声を上げて笑った。
「望むところだ。君の価値に釣り合うだけの未来を、用意させてもらうよ」
窓の外では、シモン様が相変わらずFクラスで泣き言を言う姉を慰めている姿が見えた。
けれど、今の私には、彼らの姿はもう、色褪せた古い絵画の一部にしか見えなかった。
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私は現在、十五歳。飛び級で入学してから二年の月日が流れ、最高学年である三年生となっていた。
この二年間、私は一度も実家へは戻っていない。
父からの送金はついに途絶えたが、私の生活はかつてないほど充実していた。教師たちの信頼を勝ち取り、今や図書室の管理は事実上、私が任されている。放課後の静寂の中、古いインクと紙の匂いに囲まれて、誰にも邪魔されずに知識を吸収する時間は、何物にも代えがたい「自由」そのものだった。
「……やはり、この領域の関税理論は、実地と乖離しているわね」
私は、窓際の席で一冊の分厚い古書を開いていた。隣国ルナリアの『魔導経済原論』。極めて難解な魔導式と経済指数が組み合わさった、三年生でも手に取る者は稀な専門書だ。
没頭していた私の前に、不意に影が落ちた。
「その一二八ページの数式、第三係数に誤植があるんだ。気づいたかい?」
低く、どこか涼やかな声。
顔を上げると、そこには見慣れない制服に身を包んだ男子学生が立っていた。
私より一学年下の二年生が着用する、青いネクタイ。けれど、その仕立ては驚くほど上質で、胸元には隣国ルナリア侯爵家の家紋が刻まれた銀のブローチが輝いている。
フレデリック・ルバン。
今期、隣国からやってきた「特使」を兼ねる留学生であることは、学園中の噂で知っていた。十六歳という若さでありながら、隣国の王室とも太いパイプを持つと言われる侯爵令息。
「……仰る通りです。おそらく、魔力の伝導率を固定値として計算しているのでしょう。実際の交易路では、標高による魔力密度の変化を考慮しなければなりませんが」
私が淡々と答えると、フレデリック様は驚いたように目を見開いた。そして、吸い込まれるような深い蒼の瞳に、知的な好奇心の色を宿して微笑んだ。
「驚いたな。この学園の三年生に、ルナリアの古典経済を実務レベルで理解している者がいるとは。君が、噂の『図書室の賢者』……メリッサ・ドリオン嬢だね?」
「……お恥ずかしい限りです。ただの司書補助ですよ」
「謙遜を。君が作成したという学園の備品調達の予算管理表、教職員の間で絶賛されていたよ。無駄のない項目、精緻な予測。あれは、ただの生徒に書けるものではない」
フレデリック様は、私の隣の席に無造作に腰を下ろした。
普通、高貴な留学生が、平民のように働く「訳あり」の令嬢にこれほど親しく接することはない。周囲の視線が刺さるのを感じたが、彼は気にする素振りも見せなかった。
「メリッサ嬢、一つ訊いてもいいかな。君のような有能な女性が、なぜ自分の才能を隠すように、この閉ざされた図書室に籠もっているんだい?」
「隠しているつもりはありません。私は、自分一人で生きていくための力を蓄えているだけです」
「『一人で』、か……。それは、随分と寂しい答えだね。……あるいは、あまりにも強い自立心だ」
彼は本を閉じようとする私の手を、優しく、けれど拒ませない強さで制した。
「実は、僕も困っていたんだ。ルナリアの特使として、この国の物流網を調査しているのだけれど、公式の書類はどれも粉飾されていて使い物にならない。君のような『真実の数字』が見える人の助けが必要なんだ」
「私は、ドリオン家の人間です。他国の、それも公的な調査に協力するわけには……」
「君の家は、君を捨てたのだろう? ならば、君も家を捨てていいはずだ」
フレデリック様は、悪戯っぽく、けれど残酷なほど見透かしたような笑みを浮かべた。
「君の瞳は、未来を見ている。……僕の隣で、もっと広い世界を計算してみる気はないかい?」
その瞬間、図書室を吹き抜けた風が、私の心の奥に溜まっていた埃を払ったような気がした。
初めて、自分を「機能」ではなく「一人の人間」として、その価値を正当に見極めようとする瞳に出会ったのだ。
遠くで、学園の鐘が鳴る。
その音は、かつて私を縛り付けていた伯爵邸の鐘とは、全く違う響きをしていた。
「……フレデリック様。私の対価は、高いですよ?」
私が少しだけ挑戦的に微笑むと、彼は声を上げて笑った。
「望むところだ。君の価値に釣り合うだけの未来を、用意させてもらうよ」
窓の外では、シモン様が相変わらずFクラスで泣き言を言う姉を慰めている姿が見えた。
けれど、今の私には、彼らの姿はもう、色褪せた古い絵画の一部にしか見えなかった。
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