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青空に描く、私だけの未来
数年の月日が流れた。
隣国ルナリアの王都は、抜けるような青空と、新しく整備された運河を渡る涼やかな風に包まれていた。
その運河沿いの大通りを、一組の夫婦が歩いている。
かつて「図書室の賢者」と呼ばれた少女は、今やルナリア侯爵夫人として、そして国王が最も信頼を寄せる「国家経済顧問」として、その名を大陸中に轟かせていた。
メリッサの纏うドレスは、機能美を追求しながらも、最高級の織りが彼女の気品を際立たせている。その隣で、彼女の手を優しく、かつ誇らしげに引くのは、フレデリックだ。
「メリッサ、昨日の予算会議は実に見事だった。保守的な重臣たちが、君の数字の前にぐうの音も出なくなっていたよ」
「ふふ、彼らには少し刺激が強すぎたかもしれませんわね、フレデリック様。でも、これで特区の子供たちの教育費が確保できましたわ」
微笑み合う二人の姿には、かつてのような「取引」の空気はない。互いを対等なパートナーとして、そして最愛の伴侶として敬う、真の幸福がそこにはあった。
一方、国境を隔てた先にあるドリオン伯爵邸――。
かつての栄華は見る影もなく、庭園は雑草に覆われ、屋敷の壁は剥がれ落ちたまま放置されていた。
王室への未納増税、不適切な領地管理、そして度重なる不備。それらのツケとして、ドリオン家は爵位の降格を余儀なくされ、今や没落寸前の貧乏貴族へと成り下がっていた。
「……あぁ、頭が痛いわ……。シモン様、お父様……。私、またあの『白睡病』が再発したみたい……。誰か、お医者様を呼んでちょうだい……」
薄暗い部屋で、フローディアが震える声で訴える。かつては魔法の呪文のように、すべての人を平伏させたその言葉。
しかし、返ってきたのは、慈悲の欠片もない冷淡な罵倒だった。
「……またその話か! もう聞き飽きたよ、フローディア!」
シモンが、酒の匂いを漂わせながら怒鳴り声を上げた。かつての端正な顔立ちは、借金取りに追われるストレスと酒浸りの生活で見る影もなく、醜く歪んでいる。
「お前がそうやって『病気』を言い訳に実務を放り出し、メリッサに押し付けていたから、僕たちはあの子を失ったんだ! 今のこの惨めな暮らしは、全部お前のせいだ!」
「なんですって……!? あなただって、あの子を第二夫人にしようなんて卑怯なことを言ったじゃない! 私が病気なのは本当よ、本当に苦しいのよ……!」
「黙れ、フローディア! お前が『優秀な妹』を追い出した元凶だろうが!」
父も母も、もはやフローディアを抱きしめることはなかった。かつての「奇跡の娘」は、今や一族を破滅させた「忌むべき無能」として、家族の中で責任を押し付け合うための標的でしかなかった。
誰も彼女の言葉を信じない。本当に病が再発していたとしても、それを確かめる金も、診ようとする医者も、この家には残っていなかった。
ルナリアの穏やかな陽光の下。
メリッサは、ふと足を止めて空を仰いだ。
「……どうしたんだい、メリッサ?」
「いいえ、少しだけ、昔のことを思い出しましたの」
かつて、自分は誰かのための「歯車」だった。
姉の命を繋ぐための、家の繁栄を守るための、誰かの身代わりとしての、名もなき歯車。
けれど、今は違う。
私がペンを動かすのは、この国の民の生活を豊かにするため。
私が歩くのは、隣にいる愛する人と、新しい景色を見るため。
「私は、私のために生きる。……そう決めたあの日から、世界はこんなにも美しかったのですね」
メリッサの瞳には、もう過去への恨みも、家族への未練も残っていない。
彼らが今、どのような地獄の中にいようと、それは彼女が関与すべきことではなかった。因果応報。彼女が削り、捧げていた五年間という「犠牲」の上に乗っていただけの彼らが、その土台を失って崩れ去るのは、ただの物理法則に過ぎないのだから。
「行こう、メリッサ。僕たちの新しい冒険が、また明日から始まる」
「ええ、喜んで。フレデリック様」
二人はしっかりと手を繋ぎ、輝くような光の中へと歩き出していった。
彼女の背中には、もう何者も縛ることのできない、自由という名の確かな翼が輝いていた。
ハッピーエンド
____________
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隣国ルナリアの王都は、抜けるような青空と、新しく整備された運河を渡る涼やかな風に包まれていた。
その運河沿いの大通りを、一組の夫婦が歩いている。
かつて「図書室の賢者」と呼ばれた少女は、今やルナリア侯爵夫人として、そして国王が最も信頼を寄せる「国家経済顧問」として、その名を大陸中に轟かせていた。
メリッサの纏うドレスは、機能美を追求しながらも、最高級の織りが彼女の気品を際立たせている。その隣で、彼女の手を優しく、かつ誇らしげに引くのは、フレデリックだ。
「メリッサ、昨日の予算会議は実に見事だった。保守的な重臣たちが、君の数字の前にぐうの音も出なくなっていたよ」
「ふふ、彼らには少し刺激が強すぎたかもしれませんわね、フレデリック様。でも、これで特区の子供たちの教育費が確保できましたわ」
微笑み合う二人の姿には、かつてのような「取引」の空気はない。互いを対等なパートナーとして、そして最愛の伴侶として敬う、真の幸福がそこにはあった。
一方、国境を隔てた先にあるドリオン伯爵邸――。
かつての栄華は見る影もなく、庭園は雑草に覆われ、屋敷の壁は剥がれ落ちたまま放置されていた。
王室への未納増税、不適切な領地管理、そして度重なる不備。それらのツケとして、ドリオン家は爵位の降格を余儀なくされ、今や没落寸前の貧乏貴族へと成り下がっていた。
「……あぁ、頭が痛いわ……。シモン様、お父様……。私、またあの『白睡病』が再発したみたい……。誰か、お医者様を呼んでちょうだい……」
薄暗い部屋で、フローディアが震える声で訴える。かつては魔法の呪文のように、すべての人を平伏させたその言葉。
しかし、返ってきたのは、慈悲の欠片もない冷淡な罵倒だった。
「……またその話か! もう聞き飽きたよ、フローディア!」
シモンが、酒の匂いを漂わせながら怒鳴り声を上げた。かつての端正な顔立ちは、借金取りに追われるストレスと酒浸りの生活で見る影もなく、醜く歪んでいる。
「お前がそうやって『病気』を言い訳に実務を放り出し、メリッサに押し付けていたから、僕たちはあの子を失ったんだ! 今のこの惨めな暮らしは、全部お前のせいだ!」
「なんですって……!? あなただって、あの子を第二夫人にしようなんて卑怯なことを言ったじゃない! 私が病気なのは本当よ、本当に苦しいのよ……!」
「黙れ、フローディア! お前が『優秀な妹』を追い出した元凶だろうが!」
父も母も、もはやフローディアを抱きしめることはなかった。かつての「奇跡の娘」は、今や一族を破滅させた「忌むべき無能」として、家族の中で責任を押し付け合うための標的でしかなかった。
誰も彼女の言葉を信じない。本当に病が再発していたとしても、それを確かめる金も、診ようとする医者も、この家には残っていなかった。
ルナリアの穏やかな陽光の下。
メリッサは、ふと足を止めて空を仰いだ。
「……どうしたんだい、メリッサ?」
「いいえ、少しだけ、昔のことを思い出しましたの」
かつて、自分は誰かのための「歯車」だった。
姉の命を繋ぐための、家の繁栄を守るための、誰かの身代わりとしての、名もなき歯車。
けれど、今は違う。
私がペンを動かすのは、この国の民の生活を豊かにするため。
私が歩くのは、隣にいる愛する人と、新しい景色を見るため。
「私は、私のために生きる。……そう決めたあの日から、世界はこんなにも美しかったのですね」
メリッサの瞳には、もう過去への恨みも、家族への未練も残っていない。
彼らが今、どのような地獄の中にいようと、それは彼女が関与すべきことではなかった。因果応報。彼女が削り、捧げていた五年間という「犠牲」の上に乗っていただけの彼らが、その土台を失って崩れ去るのは、ただの物理法則に過ぎないのだから。
「行こう、メリッサ。僕たちの新しい冒険が、また明日から始まる」
「ええ、喜んで。フレデリック様」
二人はしっかりと手を繋ぎ、輝くような光の中へと歩き出していった。
彼女の背中には、もう何者も縛ることのできない、自由という名の確かな翼が輝いていた。
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