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新婚生活に差す影
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不運な境遇、失われた居場所、そして唯一頼れる兄のような存在。
エメリア・ダグラス男爵令嬢がこのフロントナック侯爵邸に持ち込んだのは、あまりにも完璧な「悲劇」の台本だった。
彼女は、将来的に亡き父の爵位であるダグラス男爵位を継承することが決まっているという。だが、成人まではまだ数年ある。それまでの後見人として、彼女は従兄である私の夫、ロマリオを指名したのだ。侯爵家当主の義父ではなく、ロマリオをだ……。
エメリアが屋敷に来てから一週間。私の新婚生活は、劇的に作り替えられていた。
「……あ、お義姉様。ごめんなさい。また、お兄様をお借りしてしまって」
昼下がりのティーサロン。私が用意した上質な茶葉の香りが漂う中で、エメリアは申し訳なさそうに、けれどしっかりとロマリオの腕に寄り添っていた。
彼女はまだ十七歳。学園の最終学年に在籍しているが、ショックで通学もままならないという理由で、今は屋敷で休養している。それも、義両親の暮らす本邸ではなく、私たち新婚夫婦の暮らす別邸で。
「いいのよ、エメリアさん。あなたはまだ体調が優れないのだから」
「ありがとうございます。……お兄様、お義姉様って本当にお優しいわ。私のような、家も親も失った惨めな居候を、こんなに温かく迎えてくださるなんて」
エメリアが長い睫毛を伏せ、瞳に薄く涙を浮かべる。すると、ロマリオの表情が痛ましげに歪んだ。
「エメリア、そんな風に自分を卑下しちゃいけない。ここは君の家も同然なんだ。……そうだね、ジュリエット」
「……ええ。もちろん、そう思っているわ、ロマリオ様」
私は精一杯の微笑みを返したが、胸の奥では冷たい風が吹き抜けていた。
この一週間、ロマリオと二人きりで食事をした記憶がない。朝食には必ずエメリアが同席し、夜になれば彼女の「悪夢」や「動悸」を理由に、ロマリオは彼女の部屋へ呼び出される。
昨夜もそうだった。せっかく用意した新しいナイトドレス。少しでも彼に喜んでもらいたくて、髪も念入りに整えて待っていた。けれど、部屋の扉を叩いたのはロマリオではなく、慌てふためいた侍女だった。
『旦那様は、エメリア様が呼吸困難を起こされたとのことで、あちらの部屋へ……今夜は付き添われるそうです』
広い主寝室に一人残された私は、冷えていくシーツを抱きしめて夜を明かした。
そんな私の孤独を知ってか知らずか、エメリアは今、ロマリオの袖を握りしめながら愛らしく首を傾げている。
「お兄様、お義姉様。実は……ダグラス家の遺言状のことで、少しご相談があるんです。お兄様と二人きりでお話ししてもよろしいでしょうか? 亡き父の……少し、暗いお話になるので、お義姉様を悲しませたくなくて」
エメリアのその言葉に、ロマリオはすぐさま頷いた。
「ああ、分かった。ジュリエット、少し席を外してもらえるかな? エメリアをこれ以上不安にさせたくないんだ」
――えっ!嘘でしょう?
ここは私の家で、彼は私の夫。そしてこれは、新婚夫婦が寛ぐためのティータイムのはず。
それなのに、私は「優しさ」という名の檻に閉じ込められ、自分の居場所から追い出されようとしている。
「……ええ、承知いたしましたわ。エメリアさん、あまり根を詰めないでね」
私はティーカップを置き、静かに立ち上がった。背後で「ありがとう、お兄様。大好きよ」というエメリアの甘えた声が聞こえた気がして、心臓が早鐘を打った。
サロンを出て廊下を歩いていると、不意に強い力で腕を引かれた。
「ジュリエット! やっぱり、あの女がでしゃばってきたのね」
驚いて顔を上げると、そこには眉根を寄せたイザベル様が立っていた。フロントナック侯爵家の長女であり、今はゴードン公爵夫人として社交界に君臨する、ロマリオの自慢の姉。
「イザベル様……」
「ジュリエット、顔色が最悪よ。あの子、エメリアは何をしたの? まだ『不運な少女』の振りをしてロマリオに縋り付いているのかしら」
イザベル様の声には、隠しきれない嫌悪感が滲んでいた。
「……エメリアさんは、ご両親を亡くされて憔悴しているのです。ロマリオ様も、彼女を妹のように思って……」
「妹? 笑わせないで。あの子は昔からそうなの。誰かが幸せそうにしていると、それを壊さずにはいられない毒婦よ。……信じられないかもしれないけれど、私の旦那様、ゴードン公爵にさえ、あの子は色目を使い、私たちの仲を裂こうとしたのよ」
イザベル様の告白に、私は息を呑んだ。
「まさか……でも、彼女は今でも まだ十七歳で……」
「年齢なんて関係ないわ。あの子は『守ってあげたい』と思わせる天才なの。男という生き物は、目の前で泣いている女がいれば、それが毒蛇であっても気づかずに抱きしめてしまう。ジュリエット、気をつけなさい。このままでは、あなたの居場所はあの子に食い尽くされるわよ」
イザベル様の警告は、私の不安を具現化したような恐ろしさを持っていた。
その時、階上からエメリアの黄色い悲鳴が響いた。
「お兄様! いや、行かないで! 怖い……お父様とお母様が迎えに来る夢を見たの!」
すぐさまロマリオの怒鳴るような声が続く。
「エメリア! しっかりしろ! おい、医者を呼べ! 早く!」
廊下を走っていくロマリオの足音。彼は、隣に立っている私に視線すら向けず、エメリアの元へと駆け上がっていった。
その必死な横顔には、新婚初夜に私に見せたものとは違う、焦燥と陶酔が混じったような気配があった。
私は、自分の指先が氷のように冷たくなっていることに気づいた。
イザベル様が私の肩を抱き寄せ、低く、呪文のように呟いた。
「……あの女は、わざとやっているわ。ロマリオを『ヒーロー』に仕立て上げることで、彼を支配しているのよ。ジュリエット、あなたは一人じゃない。私がついているけれど……戦う覚悟を決めなさい」
嵐の予感。窓の外では、さっきまで晴れていた空が急速に曇り、激しい雨が降り始めていた。まるで、私の未来を暗示するかのように。
「ひどい……こんなの、新婚生活じゃないわ……」
私は誰にも聞こえない声で、そっと零した。
幸せだったはずのロマリオと結婚生活が、今は重い枷のように感じられてならなかった。
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エメリア・ダグラス男爵令嬢がこのフロントナック侯爵邸に持ち込んだのは、あまりにも完璧な「悲劇」の台本だった。
彼女は、将来的に亡き父の爵位であるダグラス男爵位を継承することが決まっているという。だが、成人まではまだ数年ある。それまでの後見人として、彼女は従兄である私の夫、ロマリオを指名したのだ。侯爵家当主の義父ではなく、ロマリオをだ……。
エメリアが屋敷に来てから一週間。私の新婚生活は、劇的に作り替えられていた。
「……あ、お義姉様。ごめんなさい。また、お兄様をお借りしてしまって」
昼下がりのティーサロン。私が用意した上質な茶葉の香りが漂う中で、エメリアは申し訳なさそうに、けれどしっかりとロマリオの腕に寄り添っていた。
彼女はまだ十七歳。学園の最終学年に在籍しているが、ショックで通学もままならないという理由で、今は屋敷で休養している。それも、義両親の暮らす本邸ではなく、私たち新婚夫婦の暮らす別邸で。
「いいのよ、エメリアさん。あなたはまだ体調が優れないのだから」
「ありがとうございます。……お兄様、お義姉様って本当にお優しいわ。私のような、家も親も失った惨めな居候を、こんなに温かく迎えてくださるなんて」
エメリアが長い睫毛を伏せ、瞳に薄く涙を浮かべる。すると、ロマリオの表情が痛ましげに歪んだ。
「エメリア、そんな風に自分を卑下しちゃいけない。ここは君の家も同然なんだ。……そうだね、ジュリエット」
「……ええ。もちろん、そう思っているわ、ロマリオ様」
私は精一杯の微笑みを返したが、胸の奥では冷たい風が吹き抜けていた。
この一週間、ロマリオと二人きりで食事をした記憶がない。朝食には必ずエメリアが同席し、夜になれば彼女の「悪夢」や「動悸」を理由に、ロマリオは彼女の部屋へ呼び出される。
昨夜もそうだった。せっかく用意した新しいナイトドレス。少しでも彼に喜んでもらいたくて、髪も念入りに整えて待っていた。けれど、部屋の扉を叩いたのはロマリオではなく、慌てふためいた侍女だった。
『旦那様は、エメリア様が呼吸困難を起こされたとのことで、あちらの部屋へ……今夜は付き添われるそうです』
広い主寝室に一人残された私は、冷えていくシーツを抱きしめて夜を明かした。
そんな私の孤独を知ってか知らずか、エメリアは今、ロマリオの袖を握りしめながら愛らしく首を傾げている。
「お兄様、お義姉様。実は……ダグラス家の遺言状のことで、少しご相談があるんです。お兄様と二人きりでお話ししてもよろしいでしょうか? 亡き父の……少し、暗いお話になるので、お義姉様を悲しませたくなくて」
エメリアのその言葉に、ロマリオはすぐさま頷いた。
「ああ、分かった。ジュリエット、少し席を外してもらえるかな? エメリアをこれ以上不安にさせたくないんだ」
――えっ!嘘でしょう?
ここは私の家で、彼は私の夫。そしてこれは、新婚夫婦が寛ぐためのティータイムのはず。
それなのに、私は「優しさ」という名の檻に閉じ込められ、自分の居場所から追い出されようとしている。
「……ええ、承知いたしましたわ。エメリアさん、あまり根を詰めないでね」
私はティーカップを置き、静かに立ち上がった。背後で「ありがとう、お兄様。大好きよ」というエメリアの甘えた声が聞こえた気がして、心臓が早鐘を打った。
サロンを出て廊下を歩いていると、不意に強い力で腕を引かれた。
「ジュリエット! やっぱり、あの女がでしゃばってきたのね」
驚いて顔を上げると、そこには眉根を寄せたイザベル様が立っていた。フロントナック侯爵家の長女であり、今はゴードン公爵夫人として社交界に君臨する、ロマリオの自慢の姉。
「イザベル様……」
「ジュリエット、顔色が最悪よ。あの子、エメリアは何をしたの? まだ『不運な少女』の振りをしてロマリオに縋り付いているのかしら」
イザベル様の声には、隠しきれない嫌悪感が滲んでいた。
「……エメリアさんは、ご両親を亡くされて憔悴しているのです。ロマリオ様も、彼女を妹のように思って……」
「妹? 笑わせないで。あの子は昔からそうなの。誰かが幸せそうにしていると、それを壊さずにはいられない毒婦よ。……信じられないかもしれないけれど、私の旦那様、ゴードン公爵にさえ、あの子は色目を使い、私たちの仲を裂こうとしたのよ」
イザベル様の告白に、私は息を呑んだ。
「まさか……でも、彼女は今でも まだ十七歳で……」
「年齢なんて関係ないわ。あの子は『守ってあげたい』と思わせる天才なの。男という生き物は、目の前で泣いている女がいれば、それが毒蛇であっても気づかずに抱きしめてしまう。ジュリエット、気をつけなさい。このままでは、あなたの居場所はあの子に食い尽くされるわよ」
イザベル様の警告は、私の不安を具現化したような恐ろしさを持っていた。
その時、階上からエメリアの黄色い悲鳴が響いた。
「お兄様! いや、行かないで! 怖い……お父様とお母様が迎えに来る夢を見たの!」
すぐさまロマリオの怒鳴るような声が続く。
「エメリア! しっかりしろ! おい、医者を呼べ! 早く!」
廊下を走っていくロマリオの足音。彼は、隣に立っている私に視線すら向けず、エメリアの元へと駆け上がっていった。
その必死な横顔には、新婚初夜に私に見せたものとは違う、焦燥と陶酔が混じったような気配があった。
私は、自分の指先が氷のように冷たくなっていることに気づいた。
イザベル様が私の肩を抱き寄せ、低く、呪文のように呟いた。
「……あの女は、わざとやっているわ。ロマリオを『ヒーロー』に仕立て上げることで、彼を支配しているのよ。ジュリエット、あなたは一人じゃない。私がついているけれど……戦う覚悟を決めなさい」
嵐の予感。窓の外では、さっきまで晴れていた空が急速に曇り、激しい雨が降り始めていた。まるで、私の未来を暗示するかのように。
「ひどい……こんなの、新婚生活じゃないわ……」
私は誰にも聞こえない声で、そっと零した。
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