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本編 逆襲の幕開け
三日前の目覚め
「……エメラルダ嬢、どうかしたのかい? そんなに怖い顔をして」
鼓膜を震わせたのは、記憶にあるよりもずっと若々しく、そして虫唾が走るほど聞き慣れた男の声だった。
エメラルダはゆっくりと瞬きをする。視界を覆っていた白銀の地獄も、胸を貫いた鉛のような衝撃も消えていた。代わりに目に飛び込んできたのは、春の柔らかな陽光が差し込む、実家であるグラント伯爵邸の豪奢な応接室だ。
目の前には、レオナルド・ワーグナーが座っている。
まだ「公爵夫人殺し」の汚名に手を染める前、精悍で、どこか憂いを含んだ瞳で女性たちを虜にしていた頃の彼だ。
(ああ、生きている。……戻ってきたのね、あの忌々しい三日前に)
エメラルダの心臓が、ドクドクと力強く脈打つ。それは歓喜ではなく、どす黒い復讐の熱量だった。
以前の自分なら、彼のその瞳に見つめられるだけで頬を染め、俯いていただろう。だが今のエメラルダの視界に映る彼は、ただの「薄汚れた肉塊」に過ぎない。
「……いいえ、レオナルド様。何でもありませんわ」
エメラルダは唇の両端をわずかに上げ、完璧な淑女の微笑を浮かべた。
だが、その瞳は笑っていない。
レオナルドが、ふと訝しげに眉を寄せた。
「何か、あったのかな? 今一瞬、雰囲気が変わった気がしたんだが」
「まあ、そうですの? マリッジブルーかしら? 結婚式を三日後に控えて、少し気が立っているのかもしれませんわ」
コロコロと鈴を転がすような声で笑い飛ばすが、内心では( 雰囲気?違うわよ、お前をどう切り刻もうか考えていた悪鬼の目よ)と毒を吐く。
「……そうか。式の準備で疲れているのだね。今日は早めに失礼するよ。また明日、お邪魔するよ」
レオナルドが立ち上がり、礼儀正しくエメラルダの手を取って甲に唇を落とした。
以前なら、その感触に生涯の愛を誓ったものだ。だが今は、彼が去った瞬間にその手袋を暖炉に投げ捨てたい衝動に駆られる。
鳥肌が腕にびっしりと立った。
「ええ、楽しみにしておりますわ。……心から」
レオナルドが部屋を出ていく。その背中を見送った瞬間、エメラルダの表情から一切の温度が消えた。
彼女は無言で立ち上がると、サイドボードに置かれた銀の呼び鈴を、叩き壊さんばかりの勢いで鳴らした。
「お呼びでしょうか、エメラルダお嬢様」
「鏡を持ってきて。それから、私のクローゼットにある『清楚で大人しい』ドレスを全部、今すぐ庭で焼き捨てなさい」
「えっ……? し、しかし、お気に入りだったはずでは……」
「耳が腐っているの? 焼き捨てろと言ったのよ。あんなゴミ、二度と肌に触れさせたくないわ」
震え上がる侍女を冷たく一瞥し、エメラルダは届けられた手鏡を覗き込む。
そこには、まだ裏切りの影を知らない、瑞々しくも高貴な十八歳の美貌があった。
「ふふ……ふふふっ」
笑いが込み上げてくる。
「いい子」でいるのは、もうやめた。
以前の人生では、彼に嫌われないよう、自分を殺して淑やかな人形を演じてきた。だが、その結果が雪原での死だ。
(我慢なんて、二度とするものですか。これからは、あなたたちにたっぷりと味わわせてあげるわ)
その時、ノックもなしに部屋の扉が開いた。
「お義姉様! レオナルド様がお帰りになったって聞いたわ。ひどい、私にも挨拶させてくれればよかったのに!」
現れたのは、シャルロットだ。
淡いピンクのドレスに身を包み、愛くるしい笑顔を浮かべている。だがエメラルダには、その背後に透けて見えるドロドロとした欲望が見えていた。
「あら、シャルロット。随分と行儀が悪いのね。姉の部屋に無断で入るなんて」
「えっ……お、お姉様? どうしたの、そんな怖い顔をして……」
シャルロットが、いつもの「か弱き妹」の演技で、瞳を潤ませて一歩後退る。
以前なら、エメラルダは慌てて彼女を抱き寄せ、「ごめんなさい、少し疲れているだけなの」と謝っていただろう。
だが、今、エメラルダの手は勝手に動いていた。
ガッシャーン!!!
エメラルダの手から放たれた手鏡が、シャルロットの足元で派手に砕け散った。
「きゃああああ!」
悲鳴を上げて飛び退くシャルロット。
「何を驚いているの? 私の手が滑っただけよ。それより、あなたのその顔」
エメラルダは、砕けた鏡の破片を踏みつけながら、ゆっくりと義妹に歩み寄った。
「レオナルド様は私の夫になる方。これからは、あなたの汚い手で彼に触れることなんて、万に一つも許さないから」
「お、お義姉様……何を言って……っ、私、そんなこと……!」
シャルロットが泣きそうな顔で否定しようとする。その演技に、エメラルダの怒りがさらに一段階跳ね上がった。
「その涙、私も一緒に流しましょうか? シャルロット。……あなたがこれから味わう絶望は、そんな軽いものじゃないのだから」
エメラルダは震えるシャルロットの頬を、薄氷のような冷たさで撫でた。
恐怖に目を見開く義妹を見下ろし、エメラルダは今度こそ、心からの微笑みを浮かべた。
地獄の三日間が始まる。ただし、今度の地獄を司るのは、この私。
「さあ、お茶にしましょうか。最高に美味しいお茶をね」
__________
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鼓膜を震わせたのは、記憶にあるよりもずっと若々しく、そして虫唾が走るほど聞き慣れた男の声だった。
エメラルダはゆっくりと瞬きをする。視界を覆っていた白銀の地獄も、胸を貫いた鉛のような衝撃も消えていた。代わりに目に飛び込んできたのは、春の柔らかな陽光が差し込む、実家であるグラント伯爵邸の豪奢な応接室だ。
目の前には、レオナルド・ワーグナーが座っている。
まだ「公爵夫人殺し」の汚名に手を染める前、精悍で、どこか憂いを含んだ瞳で女性たちを虜にしていた頃の彼だ。
(ああ、生きている。……戻ってきたのね、あの忌々しい三日前に)
エメラルダの心臓が、ドクドクと力強く脈打つ。それは歓喜ではなく、どす黒い復讐の熱量だった。
以前の自分なら、彼のその瞳に見つめられるだけで頬を染め、俯いていただろう。だが今のエメラルダの視界に映る彼は、ただの「薄汚れた肉塊」に過ぎない。
「……いいえ、レオナルド様。何でもありませんわ」
エメラルダは唇の両端をわずかに上げ、完璧な淑女の微笑を浮かべた。
だが、その瞳は笑っていない。
レオナルドが、ふと訝しげに眉を寄せた。
「何か、あったのかな? 今一瞬、雰囲気が変わった気がしたんだが」
「まあ、そうですの? マリッジブルーかしら? 結婚式を三日後に控えて、少し気が立っているのかもしれませんわ」
コロコロと鈴を転がすような声で笑い飛ばすが、内心では( 雰囲気?違うわよ、お前をどう切り刻もうか考えていた悪鬼の目よ)と毒を吐く。
「……そうか。式の準備で疲れているのだね。今日は早めに失礼するよ。また明日、お邪魔するよ」
レオナルドが立ち上がり、礼儀正しくエメラルダの手を取って甲に唇を落とした。
以前なら、その感触に生涯の愛を誓ったものだ。だが今は、彼が去った瞬間にその手袋を暖炉に投げ捨てたい衝動に駆られる。
鳥肌が腕にびっしりと立った。
「ええ、楽しみにしておりますわ。……心から」
レオナルドが部屋を出ていく。その背中を見送った瞬間、エメラルダの表情から一切の温度が消えた。
彼女は無言で立ち上がると、サイドボードに置かれた銀の呼び鈴を、叩き壊さんばかりの勢いで鳴らした。
「お呼びでしょうか、エメラルダお嬢様」
「鏡を持ってきて。それから、私のクローゼットにある『清楚で大人しい』ドレスを全部、今すぐ庭で焼き捨てなさい」
「えっ……? し、しかし、お気に入りだったはずでは……」
「耳が腐っているの? 焼き捨てろと言ったのよ。あんなゴミ、二度と肌に触れさせたくないわ」
震え上がる侍女を冷たく一瞥し、エメラルダは届けられた手鏡を覗き込む。
そこには、まだ裏切りの影を知らない、瑞々しくも高貴な十八歳の美貌があった。
「ふふ……ふふふっ」
笑いが込み上げてくる。
「いい子」でいるのは、もうやめた。
以前の人生では、彼に嫌われないよう、自分を殺して淑やかな人形を演じてきた。だが、その結果が雪原での死だ。
(我慢なんて、二度とするものですか。これからは、あなたたちにたっぷりと味わわせてあげるわ)
その時、ノックもなしに部屋の扉が開いた。
「お義姉様! レオナルド様がお帰りになったって聞いたわ。ひどい、私にも挨拶させてくれればよかったのに!」
現れたのは、シャルロットだ。
淡いピンクのドレスに身を包み、愛くるしい笑顔を浮かべている。だがエメラルダには、その背後に透けて見えるドロドロとした欲望が見えていた。
「あら、シャルロット。随分と行儀が悪いのね。姉の部屋に無断で入るなんて」
「えっ……お、お姉様? どうしたの、そんな怖い顔をして……」
シャルロットが、いつもの「か弱き妹」の演技で、瞳を潤ませて一歩後退る。
以前なら、エメラルダは慌てて彼女を抱き寄せ、「ごめんなさい、少し疲れているだけなの」と謝っていただろう。
だが、今、エメラルダの手は勝手に動いていた。
ガッシャーン!!!
エメラルダの手から放たれた手鏡が、シャルロットの足元で派手に砕け散った。
「きゃああああ!」
悲鳴を上げて飛び退くシャルロット。
「何を驚いているの? 私の手が滑っただけよ。それより、あなたのその顔」
エメラルダは、砕けた鏡の破片を踏みつけながら、ゆっくりと義妹に歩み寄った。
「レオナルド様は私の夫になる方。これからは、あなたの汚い手で彼に触れることなんて、万に一つも許さないから」
「お、お義姉様……何を言って……っ、私、そんなこと……!」
シャルロットが泣きそうな顔で否定しようとする。その演技に、エメラルダの怒りがさらに一段階跳ね上がった。
「その涙、私も一緒に流しましょうか? シャルロット。……あなたがこれから味わう絶望は、そんな軽いものじゃないのだから」
エメラルダは震えるシャルロットの頬を、薄氷のような冷たさで撫でた。
恐怖に目を見開く義妹を見下ろし、エメラルダは今度こそ、心からの微笑みを浮かべた。
地獄の三日間が始まる。ただし、今度の地獄を司るのは、この私。
「さあ、お茶にしましょうか。最高に美味しいお茶をね」
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