身ごもりましたが、あなたには告げない 〜「守ってやりたい年上の未亡人」を選んだ大好きだった夫 〜

恋せよ恋

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不実な夫の帰宅

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 隣国への出張から三週間。オリビエが無事に帰還したその日、屋敷はいつも通りの静謐を保っていた。
「フィー、ただいま! 会いたかったよ」
 玄関ホールに響くオリビエの声は、以前のように明るく、弾んでいた。

 私は階段を下り、夫を出迎える。オリビエは私を見るなり、嬉しそうに両腕を広げた。
「お帰りなさい、リヴィ。予定より早かったのね」

 私は微笑み、彼の胸に飛び込むふりをして、その肩に顔を寄せた。
 瞬間、鼻を突いたのはオリビエの香りサンダルウッドの香りではない。安価な薔薇の油と、知らない女の肌の匂い。

 私は反射的に吐き気を覚えたが、それを愛おしそうな溜息に変えて、彼から身を引いた。
「……お疲れのようね。少し痩せたかしら?」

「ああ、交渉が大変でね。でも、キャトリーヌがよく気がついてくれて助かったよ。彼女、海を見て子供みたいに喜ぶんだ。フィーにも見せてあげたかったな、あの光景」
 オリビエは無邪気に語る。私を「フィー」と呼ぶその口で、別の女との思い出を楽しそうに披露する彼の無神経さに、胸の奥が冷えていく。

 彼は、私が嫉妬することを恐れていない。なぜなら「フィーは僕を信じているし、僕たちは特別な絆で結ばれている」と、慢心しているからだ。

「そう、彼女が役に立ったなら良かったわ。……でも今夜はごめんなさい、リヴィ。ルミナスから届いた真珠の検品が山積みで、食事は書斎で摂るわね」
「えっ? せっかく帰ったのに。……フィー、最近、仕事に根を詰めすぎじゃないかい? 僕との時間も大切にしてほしいな」

 オリビエが寂しそうに私の手を取る。かつてなら、私はその手に甘えて仕事を放り出していた。けれど今は、その指先がキャトリーヌのどこに触れたかを想像すると、肌に粟が生じる。

「分かっているわ。でも、この取引はリヴィと私の夢でしょう? 貴方が外で頑張ってくれた分、私もここを守りたいの」
「……。ああ、そうだね。君は本当にしっかりしているな。誇りに思うよ」
 オリビエは満足げに頷き、私の額に軽いキスを落として自室へ向かった。

 彼が「寂しさ」を埋めるために、また明日、事務室でキャトリーヌを呼ぶことを、私は確信していた。

 深夜。書斎で私は一人、両親への手紙を書き始めた。
 それは、オリビエが計上した「出張中の私用経費」――高級な宝飾品や、女連れでなければ泊まらないような宿の領収書の写しを添えた、絶縁への布石だ。

『お父様、お母様。私は、オリビエとの関係を清算する決意をしました』
 文字が滲まないよう、震える手を押さえつける。

 私は、夫に悟られないよう、これからのスケジュールを構築した。
 つわりが本格化する時期には、別居。お腹が目立ち始める頃には、ゆったりとしたドレープの新作ドレスでカモフラージュする。

(……ごめんなさい、可愛い赤ちゃん)
 お腹に触れる。
 オリビエはきっと、子供が生まれれば「愛しているのは君だけだ、魔が差したんだ」と泣いて縋るだろう。
 けれど、その「愛」は、私を、そしてこの子を裏切った事実を消し去ることはできない。

 
 翌朝。商会の事務室に現れたキャトリーヌの首筋には、隠しきれない薄れた痕があった。
「おはようございます、フィー様。……あ、いえ、ステファニー様。昨夜はオリビエ様と素敵なお時間を過ごされましたか?」
 彼女は、リヴィが私を呼ぶ愛称をわざと口にし、勝ち誇ったように微笑んだ。

 私はその醜悪なまでの優越感を見つめ、静かに紅茶を啜った。
「ええ、リヴィはとても疲れていたみたい。あんなに熱心に働いてくれるなんて、貴方のサポートのおかげね。これからも、彼を支えてあげてちょうだい」

 キャトリーヌは一瞬、戸惑ったように目を見開いたが、すぐに満足げに口角を上げた。
(そうよ、私が彼を支えているの。貴方みたいな冷たい女に、彼は勿体ないわ……)
 まるで、彼女の心の声が聞こえるようだった。

 『滑稽だわ』、と私は思った。彼女が奪おうとしているのは、すでに芯が腐り、倒れるのを待つだけの巨木だというのに。

 オリビエ、そしてキャトリーヌ。貴方たち二人が「不貞」という甘い蜜に酔いしれている間に、私は出口を塞ぎ、彼らを迷宮ごと焼き払う準備を整える。
 窓の外では、ミモザの花びらが、オリビエの歩く道に降り積もっていた。

 それはかつての私たちが誓った愛の残骸のように、ただ静かに、踏みつけられていく。
_________

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