身ごもりましたが、あなたには告げない 〜「守ってやりたい年上の未亡人」を選んだ大好きだった夫 〜

恋せよ恋

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膨らむ執着

 翌朝。帰路につく馬車の中、オリビエは窓の外の景色を眺めながら、キャトリーヌへの別れの切り出し方を考えていた。

 一方、その隣でキャトリーヌは、オリビエの腕に頭を預けながら、夢見心地で微笑んでいた。
(オリビエ様は、私の弱さに惹かれている。あの方が満足するまで、私はいくらでも弱く、哀れな女を演じましょう。……ステファニー様には、この人の『仄暗い陰の部分』を愛することはできない。あの方の世界は美しすぎて、泥の中の悦びを知らないのだから)

 キャトリーヌの指先が、オリビエの服のボタンを愛おしそうに撫でる。彼女の中で、欲望はすでに「愛」という名の執着に変質していた。
( もしかしたら、オリビエ様を奪えるかもしれない。あの完璧な侯爵令嬢から、この方を私のものにできるかもしれない)
 そんな分不相応な野心が、流されるままに生きてきた彼女の瞳の奥で、毒々しい花を咲かせていた。

 オリビエは、自分の隣に座っているのが、自分が救い出した「薄幸な女性」ではなく、自分の人生を食い荒らそうとする「毒婦」であることに、まだ気づいていなかった。
 二人の乗った馬車が、フォックス伯爵家の領地に入り、見慣れたミモザの並木道が見えてきた時、オリビエは安堵の溜息を漏らした。

「やっと着いた。……フィーに、お土産を渡すのが楽しみだ」
 オリビエは、隣国の絹織物で作った美しいストールを指差して、無邪気に言った。

 キャトリーヌは、そのストールを一瞥し、内心で冷笑した。
そのストールが、奥様の首を絞めることになればいいのに)

 馬車が屋敷の正門をくぐった。
 そこには、いつもなら出迎えてくれるはずのステファニーの姿はなく、ただ鉄のように冷たい沈黙と、並び立つ憲兵たちの威圧感だけが待ち構えていた。

 オリビエは、その異様な光景に目を見開く。
「……何だ? 視察の成功を祝うにしては、物々しいな」
 彼が馬車を降り、屋敷の玄関ホールに足を踏み入れた瞬間。彼の世界は、音を立てて崩壊することになる。

 そこには、豪華な椅子に深く腰掛け、書類に目を通すステファニーがいた。彼女はリヴィの帰宅に気づいても、すぐには顔を上げなかった。
 ただ、静かに、一枚の書類をテーブルに置いた。
「お帰りなさい、リヴィ。……それと、キャトリーヌさん」

 ステファニーの目が、リヴィを射抜く。そこには、学園時代からの絆も、新婚夫婦の情熱も、ひとかけらも残っていなかった。あるのは、裏切り者を処分する、冷徹な執行者の光だけだ。
「フィー……? どうしたんだい、その格好は。憲兵まで……」

「貴方の荷物は、すべて別棟へ移しました。……いいえ、正確には『フォックス家』が貴方の身柄を引き取りに来るまで、貴方はこの屋敷の立ち入りを禁じます」
 ステファニーの言葉が、オリビエの鼓膜を震わせる。だが、彼は、その言葉の意味が理解できず、呆然と立ち尽くした。

 その横で、キャトリーヌだけが、直感的に悟った。ステファニーの背後に立つ、フレデリック侯爵の、殺意に近い怒りの視線を。

「……フィー、冗談だろう? 何を怒っているんだ。話せば分かる……」
「話すことなど、何一つありません。……オリビエ・フォックス。貴方は今日、この瞬間を以て、ミモザ商会の代表権を失い、私の夫としての特権をすべて剥奪されました。……詳細については、そこにいる弁護士からお聞きなさい」
 ステファニーは立ち上がり、オリビエを一度も振り返ることなく、奥の部屋へと消えていった。

 オリビエがその場に崩れ落ちた時、キャトリーヌは必死に彼の腕に縋り付こうとした。だが、その手は憲兵によって無慈悲に引き剥がされる。
「離してください! 私はオリビエ様を支えなければならないのよ!」
 叫ぶキャトリーヌを、フレデリック侯爵が冷たく一瞥した。
「……下賤な女が。貴様の行き先は、すでに決まっている。二度と、私の娘の視界に入るな」

 オリビエは、床に這いつくばったまま、ただ呆然と、遠ざかっていくステファニーの足音を聞いていた。その耳には、もう二度と「リヴィ」という甘い呼び声が響くことはない。

 彼が「遊び」だと侮っていた、『弱さを売りにした年上女』との不貞――そのあまりに重すぎる代償は、彼の築き上げたすべてを、一瞬にして灰へと変えた。
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