【完結】愛しているから、触れないで

恋せよ恋

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真珠の涙と、鉄の鎖

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 寝室を分けた最初の夜、ローゼリアは広すぎるベッドの真ん中で、震える自分を抱きしめていた。

 寝具からは、まだオリビエの香りがする。あんなに大好きだったサンダルウッドの香りが、今は吐き気を催すほどに「彼が他の女を抱いた背徳」を連想させた。

(あんなに冷たく突き放したのに……どうして私は、まだ彼を求めているの?)

 涙が止まらない。かつて友人たちに「別れなさい」と説いていた自分の頬を打ちつけてやりたかった。美しすぎる正論は、自分が当事者でない時にだけ使える「安っぽい武器」でしかなかったのだ。

 一方、扉一枚を隔てた隣の客間で、オリビエもまた絶望に沈んでいた。

 彼はローゼリアを愛していた。それは嘘ではない。彼女は彼にとって、汚してはならぬ、完璧に清らかな最愛の女性だった。だからこそ、その花を抱く自分の内に巣食う獣の衝動を、彼女に向けることは決してできなかった。ベルナール男爵夫人との関係は、彼にとってただの欲の相手――享楽のためだけの存在に過ぎなかった。

「ローゼリア……開けてくれ……。君がいないと、僕は息が止まってしまいそうだ……」
 扉越しに漏れ聞こえるオリビエの掠れた声。その弱々しさが、ローゼリアの本能を、無意識に刺激した。

 数日が過ぎた。ローゼリアは、憔悴しきった姿をあえて隠さず、最低限の化粧だけで社交界に姿を現した。
 いつもの、凛とした美しさはない。だが、その「今にも折れそうな、守ってあげたくなる痛々しさ」は、皮肉にも彼女の美貌を新たな次元へ引き上げていた。

 お茶会で再び顔を合わせたエメラルダが、扇を鳴らして近づいてくる。
「まあ、ローゼリア。ひどいお顔。まだ離縁の手続きが終わっていないなんて、あんなに威勢の良かった『正論のローゼリア』はどこへ行ってしまわれたのかしら?」

 周囲の嘲笑。しかし、今のローゼリアは、真っ向から反論しなかった。彼女は、潤んだ瞳を伏せ、白く細い指先で自身の腕を抱きしめた。

「ええ……エメラルダのおっしゃる通りよ。私、あんなに偉そうなことを言っておきながら……自分がこんなに愚かな女だったなんて、気づかなかったの。彼なしでは、夜も眠れないほど……自分が惨めだわ」
 ポロリと一粒、真珠のような涙が頬を伝う。

 その姿には、かつての傲慢さは微塵もない。あるのは、男を狂わせる「弱さ」という名の毒だった。ざわついていた周囲の令嬢たちが、一瞬、毒気を抜かれたように沈黙した。あまりにも美しい絶望は、時に攻撃を躊躇わせる。

 早々に夜会から邸宅へ戻り、着替えを済ませたローゼリアは、寝台に腰かけて外を眺めていた。
 そこへ、酒の匂いをさせたオリビエが入ってきた。
「ローゼリア! もう限界だ。君に拒絶されるくらいなら、いっそ殺してくれ」

 オリビエは床に崩れ落ち、彼女の寝衣の裾に顔を埋めた。いつも完璧な彼が、髪を振り乱し、子供のように泣きじゃくっている。ローゼリアの冷え切った心が、奇妙な高揚感に包まれた。
 彼女は、彼を拒む身体の震えを、意志の力でねじ伏せた。そして、床に跪く夫の顎をそっと持ち上げ、かつての強い眼差しで彼を見つめた。

「泣かないで、オリビエ。お願いよ。もう二度と、私の許可なく二人きりで女性と会わないで。
他の女性を抱かないで……抱きたいなら、私を抱いて。その代わり……」

 ローゼリアは、オリビエの耳元に唇を寄せ、甘く、呪いのような言葉を囁いた。
「もし次があれば、私はあなたの命より大切なものを、一つずつ、丁寧に、自分の手で壊してあげる」

 オリビエは、その恐怖と背中合わせの愛に、激しい情動を覚えた。彼はローゼリアを力任せに押し倒し、むさぼるように唇を重ねた。

 ローゼリアの心は、依然として冷え切ったままだ。夫への不信感も、浮気相手への憎悪も、消えたわけではない。

(「浮気は治らない。別れるべきよ」。ええ、そうね、正論は正しいわ、エメラルダ。……でも、私はこの『裏切り者』を、私だけのものにする道を選んだの)

 二人の寝室に、狂おしいほどの愛と絶望が充満していく。それは、かつて彼女が最も軽蔑していた、浮気されても許す――愛を失うことを恐れる女へと堕ちていく始まりだった。

 彼女はいつの間にか、裏切りにすがる女になっていた。
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