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【23】後悔
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その日のディアナは朝から機嫌が良かった。何故ならユアンへのちょっとしたプレゼントを思いついたからだ。授業を終え、教科書と一緒に抱えた袋には彼へのプレゼントを忍ばせている。
聞いた話によれば、ユアンは院長室で水しか飲まないらしい。なんでも淹れるのが面倒らしく、ディアナが訪れなければカップの中身は常に水だという。
ディアナは考えた。極度の面倒くさがりであるユアンが気軽にお茶を楽しめる方法を。
そこでディアナが編み出した解決策がティーパックである。予め透過性のある袋に一杯分の茶葉を詰めておく。それを直接カップに投入すればポットを使わずに紅茶が淹れられるという仕組みだ。
閃いてしまえば完成は早かった。生憎今日はユアンと会う約束をしていないが、早く美味しい紅茶を飲んでほしいと、昼休みに院長室へ寄ることにしたのだ。
院長室の前まで来ると、閉め忘れなのか僅かに扉が開いている。ディアナは声を掛けようとするが、とっさに来客中であることを知り踏み止まった。
「まったく、酷いわ!」
聞いたことのない女性の声がする。
ユアンはこちらに背を向けており、女性はユアンの腕にぴったりと身体を押し付けていた。一目見て親しい関係であることを感じさせる。
「こんなところまで来るなんて、きみは何がそんなに気に入らないんだい?」
ユアンは顔色を窺うような態度を見せた。相手は皇子でもあるユアンが機嫌を損ねてはいけないほどの人物らしい。
「決まっているわ。私という者がありながら、先日別の女性とあのカフェに行ったそうじゃない。店の者から聞いたのよ」
「ああ、そのことか」
立ち聞きをしてはいけないとわかっているのに、その場から足が動かない。
拗ねたような女性の声に対して、ユアンのものも気まずそうに聞こえる。
「その方というのはもしかして、先日のパーティーで一緒にいたと噂の?」
「そうだよ」
「まあ! やっぱり噂は本当だったのね」
明らかに機嫌を悪くした女性は頬をふくらませてユアンから顔を背ける。そのせいでディアナと目が合ってしまったのは災難だった。
垣間見た女性は同じ年頃に感じたが、ディアナと違って愛らしさを感じる容姿をしていた。
確かに目が合い驚いた表情を見せたものの、すぐにユアンに向き直ってしまう。その際ディアナに意地悪く微笑むことも忘れてはいなかった。
「私ではなく別の女性を隣に立たせるなんて、よほどその方のことが好きなのかしら?」
嫌な予感がした。
彼女はディアナが話題の人物だと知った上で問いかけている。そして彼女にはユアンの答えがわかっているのだ。立ち去らなかったことをディアナは後悔していた。
「まさか……好きになんてなりたくないよ」
ディアナはプレゼントを握りしめ、静かにその場を立ち去った。
一人ではしゃいで、喜んでもらえると思っていた自分が恥ずかしい。
研究塔に戻ったディアナは与えられていた研究室に引きこもる。他の研究員たちはまだ昼食を食べているため静かなものだ。こぽこぽと蒸留されていく魔法薬の音がやけに響いていた。
行き場を失くしたプレゼントは無造作に放り出されている。
「わたくし以外にもいたの」
カフェに興味のなさそうなユアンがあの店を知っていたのは彼女のためだった。一緒にカフェに行く相手がいるのなら、わざわざ自分を連れて行かないでほしい。
「わたくし、何を期待していたの……」
いつから自分だけだと思い上がっていたのだろう。もう期待しないと決めていたはずが、いつの間にかユアンに期待を寄せてしまった。
このままで良いと思っていたはずなのに、彼の特別になれたと勘違いしていた。そうでなければこんなにも胸が苦しくなるはずはない。
「馬鹿ね」
ぽろぽろと涙が零れていく。
ユアンには最初からそんなつもりはなかったのに。
プレゼント選びに誘われたのはリゼリカの親友だから。カフェに連れて行ってくれたのは労い。ワルツの練習は恥をかかないため。キスをしてまで守ろうとしてくれたのは、純粋なユアンという人の優しさだった。
所詮偽りでしかな自分が何を思い上がっていたのだろう。いつしかユアンへの想いが育っていたことを知ってしまった。
「わたくしはいつから……」
ユアンとの時間を心地良いと感じていたのだろう。
きっと明確な区切りはない。ユアンの優しさを知りながら、少しずつ心は育っていた。
けれどユアンには自分以外にも傍にいてくれる女性がいる。それでも恋人としてディアナを頼ったという事は、身分が釣り合わないのだろうか。
「やっぱりわたくしには何もないのね」
自分は誰かの代わりだった。パーティー会場では何を言われても平然としていられたのに、現実を見せつけられたとたん自分が惨めな存在に思えた。
抑えの効かない感情は涙として頬を伝う。止めようとしても、いつまでも頬を濡らしていく。
「研究を、続けないと」
何もない自分が唯一認められたのが研究だ。きっとユアンだって、研究員としてのディアナに期待をしている。これしかないのなら、結果を残さなければならない。
広がるガラスの機材には泣き濡れた女が映っている。情けない姿はユアンの隣にいた可愛い女性とはかけ離れたものだ。幼く見える様な顔立ではあるが、彼女は自分の魅力を知っていた。挑発交じりの笑みにはそう感じさせる自信があった。何より驚かされたのはユアンが彼女との距離を受け入れていたことだ。
『好きになんてなりたくないよ』
知っている。
知っていた。
ユアンの言葉が頭から離れない。
「もうこれ以上、わたくしを乱さないで」
ユアンにとってディアナは変わらず好きになりたくはない相手だったという簡単な話だ。
この関係の終わりはディアナが思うより早く訪れるのだろう。
いっそ終わりを告げてほしいと思う。そうすれば楽になれるのだから。
「ユアン様……」
室内には変わらず無機質な研究音だけが響いていた。
普段のディアナであれば異変にも気付けただろう。しかしユアンへの想いが視野を狭め、打ちひしがれた心が思考を鈍らせていた。
深く悩むディアナは最後まで、目の前の薬品が過剰な反応を見せていることに気付けなかった。こんなことでは唯一残された研究員としての道も失格だ。
聞いた話によれば、ユアンは院長室で水しか飲まないらしい。なんでも淹れるのが面倒らしく、ディアナが訪れなければカップの中身は常に水だという。
ディアナは考えた。極度の面倒くさがりであるユアンが気軽にお茶を楽しめる方法を。
そこでディアナが編み出した解決策がティーパックである。予め透過性のある袋に一杯分の茶葉を詰めておく。それを直接カップに投入すればポットを使わずに紅茶が淹れられるという仕組みだ。
閃いてしまえば完成は早かった。生憎今日はユアンと会う約束をしていないが、早く美味しい紅茶を飲んでほしいと、昼休みに院長室へ寄ることにしたのだ。
院長室の前まで来ると、閉め忘れなのか僅かに扉が開いている。ディアナは声を掛けようとするが、とっさに来客中であることを知り踏み止まった。
「まったく、酷いわ!」
聞いたことのない女性の声がする。
ユアンはこちらに背を向けており、女性はユアンの腕にぴったりと身体を押し付けていた。一目見て親しい関係であることを感じさせる。
「こんなところまで来るなんて、きみは何がそんなに気に入らないんだい?」
ユアンは顔色を窺うような態度を見せた。相手は皇子でもあるユアンが機嫌を損ねてはいけないほどの人物らしい。
「決まっているわ。私という者がありながら、先日別の女性とあのカフェに行ったそうじゃない。店の者から聞いたのよ」
「ああ、そのことか」
立ち聞きをしてはいけないとわかっているのに、その場から足が動かない。
拗ねたような女性の声に対して、ユアンのものも気まずそうに聞こえる。
「その方というのはもしかして、先日のパーティーで一緒にいたと噂の?」
「そうだよ」
「まあ! やっぱり噂は本当だったのね」
明らかに機嫌を悪くした女性は頬をふくらませてユアンから顔を背ける。そのせいでディアナと目が合ってしまったのは災難だった。
垣間見た女性は同じ年頃に感じたが、ディアナと違って愛らしさを感じる容姿をしていた。
確かに目が合い驚いた表情を見せたものの、すぐにユアンに向き直ってしまう。その際ディアナに意地悪く微笑むことも忘れてはいなかった。
「私ではなく別の女性を隣に立たせるなんて、よほどその方のことが好きなのかしら?」
嫌な予感がした。
彼女はディアナが話題の人物だと知った上で問いかけている。そして彼女にはユアンの答えがわかっているのだ。立ち去らなかったことをディアナは後悔していた。
「まさか……好きになんてなりたくないよ」
ディアナはプレゼントを握りしめ、静かにその場を立ち去った。
一人ではしゃいで、喜んでもらえると思っていた自分が恥ずかしい。
研究塔に戻ったディアナは与えられていた研究室に引きこもる。他の研究員たちはまだ昼食を食べているため静かなものだ。こぽこぽと蒸留されていく魔法薬の音がやけに響いていた。
行き場を失くしたプレゼントは無造作に放り出されている。
「わたくし以外にもいたの」
カフェに興味のなさそうなユアンがあの店を知っていたのは彼女のためだった。一緒にカフェに行く相手がいるのなら、わざわざ自分を連れて行かないでほしい。
「わたくし、何を期待していたの……」
いつから自分だけだと思い上がっていたのだろう。もう期待しないと決めていたはずが、いつの間にかユアンに期待を寄せてしまった。
このままで良いと思っていたはずなのに、彼の特別になれたと勘違いしていた。そうでなければこんなにも胸が苦しくなるはずはない。
「馬鹿ね」
ぽろぽろと涙が零れていく。
ユアンには最初からそんなつもりはなかったのに。
プレゼント選びに誘われたのはリゼリカの親友だから。カフェに連れて行ってくれたのは労い。ワルツの練習は恥をかかないため。キスをしてまで守ろうとしてくれたのは、純粋なユアンという人の優しさだった。
所詮偽りでしかな自分が何を思い上がっていたのだろう。いつしかユアンへの想いが育っていたことを知ってしまった。
「わたくしはいつから……」
ユアンとの時間を心地良いと感じていたのだろう。
きっと明確な区切りはない。ユアンの優しさを知りながら、少しずつ心は育っていた。
けれどユアンには自分以外にも傍にいてくれる女性がいる。それでも恋人としてディアナを頼ったという事は、身分が釣り合わないのだろうか。
「やっぱりわたくしには何もないのね」
自分は誰かの代わりだった。パーティー会場では何を言われても平然としていられたのに、現実を見せつけられたとたん自分が惨めな存在に思えた。
抑えの効かない感情は涙として頬を伝う。止めようとしても、いつまでも頬を濡らしていく。
「研究を、続けないと」
何もない自分が唯一認められたのが研究だ。きっとユアンだって、研究員としてのディアナに期待をしている。これしかないのなら、結果を残さなければならない。
広がるガラスの機材には泣き濡れた女が映っている。情けない姿はユアンの隣にいた可愛い女性とはかけ離れたものだ。幼く見える様な顔立ではあるが、彼女は自分の魅力を知っていた。挑発交じりの笑みにはそう感じさせる自信があった。何より驚かされたのはユアンが彼女との距離を受け入れていたことだ。
『好きになんてなりたくないよ』
知っている。
知っていた。
ユアンの言葉が頭から離れない。
「もうこれ以上、わたくしを乱さないで」
ユアンにとってディアナは変わらず好きになりたくはない相手だったという簡単な話だ。
この関係の終わりはディアナが思うより早く訪れるのだろう。
いっそ終わりを告げてほしいと思う。そうすれば楽になれるのだから。
「ユアン様……」
室内には変わらず無機質な研究音だけが響いていた。
普段のディアナであれば異変にも気付けただろう。しかしユアンへの想いが視野を狭め、打ちひしがれた心が思考を鈍らせていた。
深く悩むディアナは最後まで、目の前の薬品が過剰な反応を見せていることに気付けなかった。こんなことでは唯一残された研究員としての道も失格だ。
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