24 / 41
【24】元婚約者
しおりを挟む
目覚めるなり、ディアナは自分がどこかに寝かされていることを知った。
見慣れぬ天井は白く、肌に触れる寝具は清潔だが、どこか薬品臭い。そもそも最後の記憶は自身に与えられた研究室のはずだ。
「気が付いたが」
傍で安堵の声が聞する。先ほどの女性と違って覚えのあるものだが、彼が学院にいるはずがないと耳を疑った。すると本人から直々に顔を覗かれる。
「レナード様?」
かつての婚約者、そして現在は親友の婚約者。この国の未来の皇帝陛下がそこにいた。
「どうしてレナード様が……」
学院時代は友人関係にあったとはいえ、自分たちは既に学院を卒業した身だ。研究員として学院に残ったのならともかく、目の前にレナードがいるはずはない。
「今日は付き添いでな。俺とて母校を訪問することもある。リゼリカからの手紙を渡そうと研究塔を訊ねたが、きみが倒れていて驚いたぞ。医務室まで運ばせてもらったが、勝手を知る学院で良かったと心から思わされた」
「そうだったのですか」
リゼリカはレナードへの手紙にディアナへの手紙を同封することがある。国を越えてのやり取りの場合、レナードを経由させる方が早く届くのだ。
来校予定のあったレナードはわざわざ手紙を渡すためにディアナを訊ねてくれたらしい。ところが研究室では過剰な反応を示した薬品が暴走し、誤って吸引したディアナが倒れていたというわけである。
状況を把握すればいつまでも横になっているのは失礼だ。ディアナはせめて身体を起こそうと腕をつく。
「無理をすることはない」
「平気です。まだ少しだるさは有りますが、自分の開発していた薬のことは誰より理解していますから。有毒なものではありませんし、もう大丈夫です」
それよりも身体より失敗に気付けなかったことへのダメージが大きい。
「お騒がせしてすみませんでした」
レナードはリゼリカの婚約者だ。あまり大袈裟に寝込んでいてはリゼリカにまで話が伝わってしまう。
「きみが無事で良かった。医師の判断では安静にしていれば問題は無いらしい。後は安静にするようにと言われた」
製作者としてレナードの言葉も医師の判断も正しいと思った。有毒物質を掛け合わせたものではないため少し休めば回復するだろう。その限界を見誤ったことが研究員としての失態だ。
「ありがとうございます。ところでレナード様」
「どうした」
「勝手ばかりで心苦しいのですが、リゼリカにはこのことを内緒にしてもらえますか? 余計な心配をかけたくないのです」
「彼女は余計だとは思わんぞ」
「それでもです。あの子は大変な時期なのですから、わたくしの不始末で邪魔をしたくはありません」
心の優しい親友だ。今回のことを知ったのなら、真っ先に自分の身を案じるだろう。そして教えなければ、露見した時に何故教えてくれなかったと責められる。自分がリゼリカの立場でも同じことを言うだろう。たとえ国は違えど、離れていてもお互いのことを想う親友だ。
それでも頑なに秘密を貫こうとするのは、彼女がどれほどの苦労に身を置いているかを知っているからだ。
リゼリカは祖国に戻り、レナードを支えるための勉強を重ねている。学院の勉強なら得意だというリゼリカも、慣れないことには苦労をしていると手紙には書かれていた。だからこそ自分の失態で不安を与えたくはない。
レナードを共犯者にすることは申し訳ないが、必死に頼みこめばわかってくれたらしい。
「俺にとってもきみは友人だ。それがきみの望みというのなら頷く他あるまい」
「ありがとうございます」
当たり前のように友と呼ばれることが嬉しい人だった。学院で過ごした日々にはリゼリカだけでなくレナードとの思い出も多い。お互いに元婚約者としての未練はなく、対等な友人として渡り合うことが出来ている。
「しかし兄上には連絡を入れさせてもらったぞ」
「ユアン様に?」
何故だと見つめれば、レナードは不思議そうにしていた。
「何がおかしい」
「何故ユアン様に知らせる必要が?」
「きみは兄上の恋人なのだろう?」
「え……」
身体が凍る。どうしてレナードが知っている? あのパーティーにレナードは出席していなかったはずだ。
「驚いたぞ。久しぶりに学院を訪れてみれば、馴染みの者に教えられてな」
勝手知ったる学院の弊害だ。卒業したとはいえ教師は顔馴染みばかりである。真面目なレナードが挨拶をしていないはずがない。
いつかはレナードの耳にも届くだろうと思っていた。しかしこんなに早いとは想定外である。それも本人から、面と向かって指摘されるとは予期していなかった。せめてレナードには偽りの関係だと真実を話しておくべきだったのかもしれない。
「兄上は立派な方ではあるが、何分正直過ぎる傾向がある。そのせいか誤解されることも多くてな。どのような女性と付き合うのか、そのような日が訪れるのかと危惧していたが、成程。きみならば納得がいく。どうか兄上をよろしく頼みたい」
「れ、レナード様!」
かつての婚約者がその兄を頼みたいと自分に頭を下げている。その光景はあまりにも目に毒で、ディアナは罪悪感に苛まれた。
「レナード様、違うのです!」
あの人は自分のことなんて好きではない。
頼まれたところで無理なのだ。
「あの方はわたくしのことなんて……」
好きにはなりたくないと言っていた。
「あの方は……」
わたくしのことなんて好きじゃない。
思い出すだけで制御できないほど心が揺さぶられる。声にならず、言葉が出ない。じわじわと涙ばかりが溢れていく。
見慣れぬ天井は白く、肌に触れる寝具は清潔だが、どこか薬品臭い。そもそも最後の記憶は自身に与えられた研究室のはずだ。
「気が付いたが」
傍で安堵の声が聞する。先ほどの女性と違って覚えのあるものだが、彼が学院にいるはずがないと耳を疑った。すると本人から直々に顔を覗かれる。
「レナード様?」
かつての婚約者、そして現在は親友の婚約者。この国の未来の皇帝陛下がそこにいた。
「どうしてレナード様が……」
学院時代は友人関係にあったとはいえ、自分たちは既に学院を卒業した身だ。研究員として学院に残ったのならともかく、目の前にレナードがいるはずはない。
「今日は付き添いでな。俺とて母校を訪問することもある。リゼリカからの手紙を渡そうと研究塔を訊ねたが、きみが倒れていて驚いたぞ。医務室まで運ばせてもらったが、勝手を知る学院で良かったと心から思わされた」
「そうだったのですか」
リゼリカはレナードへの手紙にディアナへの手紙を同封することがある。国を越えてのやり取りの場合、レナードを経由させる方が早く届くのだ。
来校予定のあったレナードはわざわざ手紙を渡すためにディアナを訊ねてくれたらしい。ところが研究室では過剰な反応を示した薬品が暴走し、誤って吸引したディアナが倒れていたというわけである。
状況を把握すればいつまでも横になっているのは失礼だ。ディアナはせめて身体を起こそうと腕をつく。
「無理をすることはない」
「平気です。まだ少しだるさは有りますが、自分の開発していた薬のことは誰より理解していますから。有毒なものではありませんし、もう大丈夫です」
それよりも身体より失敗に気付けなかったことへのダメージが大きい。
「お騒がせしてすみませんでした」
レナードはリゼリカの婚約者だ。あまり大袈裟に寝込んでいてはリゼリカにまで話が伝わってしまう。
「きみが無事で良かった。医師の判断では安静にしていれば問題は無いらしい。後は安静にするようにと言われた」
製作者としてレナードの言葉も医師の判断も正しいと思った。有毒物質を掛け合わせたものではないため少し休めば回復するだろう。その限界を見誤ったことが研究員としての失態だ。
「ありがとうございます。ところでレナード様」
「どうした」
「勝手ばかりで心苦しいのですが、リゼリカにはこのことを内緒にしてもらえますか? 余計な心配をかけたくないのです」
「彼女は余計だとは思わんぞ」
「それでもです。あの子は大変な時期なのですから、わたくしの不始末で邪魔をしたくはありません」
心の優しい親友だ。今回のことを知ったのなら、真っ先に自分の身を案じるだろう。そして教えなければ、露見した時に何故教えてくれなかったと責められる。自分がリゼリカの立場でも同じことを言うだろう。たとえ国は違えど、離れていてもお互いのことを想う親友だ。
それでも頑なに秘密を貫こうとするのは、彼女がどれほどの苦労に身を置いているかを知っているからだ。
リゼリカは祖国に戻り、レナードを支えるための勉強を重ねている。学院の勉強なら得意だというリゼリカも、慣れないことには苦労をしていると手紙には書かれていた。だからこそ自分の失態で不安を与えたくはない。
レナードを共犯者にすることは申し訳ないが、必死に頼みこめばわかってくれたらしい。
「俺にとってもきみは友人だ。それがきみの望みというのなら頷く他あるまい」
「ありがとうございます」
当たり前のように友と呼ばれることが嬉しい人だった。学院で過ごした日々にはリゼリカだけでなくレナードとの思い出も多い。お互いに元婚約者としての未練はなく、対等な友人として渡り合うことが出来ている。
「しかし兄上には連絡を入れさせてもらったぞ」
「ユアン様に?」
何故だと見つめれば、レナードは不思議そうにしていた。
「何がおかしい」
「何故ユアン様に知らせる必要が?」
「きみは兄上の恋人なのだろう?」
「え……」
身体が凍る。どうしてレナードが知っている? あのパーティーにレナードは出席していなかったはずだ。
「驚いたぞ。久しぶりに学院を訪れてみれば、馴染みの者に教えられてな」
勝手知ったる学院の弊害だ。卒業したとはいえ教師は顔馴染みばかりである。真面目なレナードが挨拶をしていないはずがない。
いつかはレナードの耳にも届くだろうと思っていた。しかしこんなに早いとは想定外である。それも本人から、面と向かって指摘されるとは予期していなかった。せめてレナードには偽りの関係だと真実を話しておくべきだったのかもしれない。
「兄上は立派な方ではあるが、何分正直過ぎる傾向がある。そのせいか誤解されることも多くてな。どのような女性と付き合うのか、そのような日が訪れるのかと危惧していたが、成程。きみならば納得がいく。どうか兄上をよろしく頼みたい」
「れ、レナード様!」
かつての婚約者がその兄を頼みたいと自分に頭を下げている。その光景はあまりにも目に毒で、ディアナは罪悪感に苛まれた。
「レナード様、違うのです!」
あの人は自分のことなんて好きではない。
頼まれたところで無理なのだ。
「あの方はわたくしのことなんて……」
好きにはなりたくないと言っていた。
「あの方は……」
わたくしのことなんて好きじゃない。
思い出すだけで制御できないほど心が揺さぶられる。声にならず、言葉が出ない。じわじわと涙ばかりが溢れていく。
1
あなたにおすすめの小説
一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました
しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、
「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。
――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。
試験会場を間違え、隣の建物で行われていた
特級厨師試験に合格してしまったのだ。
気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの
“超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。
一方、学院首席で一級魔法使いとなった
ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに――
「なんで料理で一番になってるのよ!?
あの女、魔法より料理の方が強くない!?」
すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、
天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。
そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、
少しずつ距離を縮めていく。
魔法で国を守る最強魔術師。
料理で国を救う特級厨師。
――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、
ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。
すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚!
笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。
悪役令嬢と氷の騎士兄弟
飴爽かに
恋愛
この国には国民の人気を2分する騎士兄弟がいる。
彼らはその美しい容姿から氷の騎士兄弟と呼ばれていた。
クォーツ帝国。水晶の名にちなんだ綺麗な国で織り成される物語。
悪役令嬢ココ・レイルウェイズとして転生したが美しい物語を守るために彼らと助け合って導いていく。
悪役令嬢、記憶をなくして辺境でカフェを開きます〜お忍びで通ってくる元婚約者の王子様、私はあなたのことなど知りません〜
咲月ねむと
恋愛
王子の婚約者だった公爵令嬢セレスティーナは、断罪イベントの最中、興奮のあまり階段から転げ落ち、頭を打ってしまう。目覚めた彼女は、なんと「悪役令嬢として生きてきた数年間」の記憶をすっぽりと失い、動物を愛する心優しくおっとりした本来の性格に戻っていた。
もはや王宮に居場所はないと、自ら婚約破棄を申し出て辺境の領地へ。そこで動物たちに異常に好かれる体質を活かし、もふもふの聖獣たちが集まるカフェを開店し、穏やかな日々を送り始める。
一方、セレスティーナの豹変ぶりが気になって仕方ない元婚約者の王子・アルフレッドは、身分を隠してお忍びでカフェを訪れる。別人になったかのような彼女に戸惑いながらも、次第に本当の彼女に惹かれていくが、セレスティーナは彼のことを全く覚えておらず…?
※これはかなり人を選ぶ作品です。
感想欄にもある通り、私自身も再度読み返してみて、皆様のおっしゃる通りもう少しプロットをしっかりしてればと。
それでも大丈夫って方は、ぜひ。
王太子妃専属侍女の結婚事情
蒼あかり
恋愛
伯爵家の令嬢シンシアは、ラドフォード王国 王太子妃の専属侍女だ。
未だ婚約者のいない彼女のために、王太子と王太子妃の命で見合いをすることに。
相手は王太子の側近セドリック。
ところが、幼い見た目とは裏腹に令嬢らしからぬはっきりとした物言いのキツイ性格のシンシアは、それが元でお見合いをこじらせてしまうことに。
そんな二人の行く末は......。
☆恋愛色は薄めです。
☆完結、予約投稿済み。
新年一作目は頑張ってハッピーエンドにしてみました。
ふたりの喧嘩のような言い合いを楽しんでいただければと思います。
そこまで激しくはないですが、そういうのが苦手な方はご遠慮ください。
よろしくお願いいたします。
大人になったオフェーリア。
ぽんぽこ狸
恋愛
婚約者のジラルドのそばには王女であるベアトリーチェがおり、彼女は慈愛に満ちた表情で下腹部を撫でている。
生まれてくる子供の為にも婚約解消をとオフェーリアは言われるが、納得がいかない。
けれどもそれどころではないだろう、こうなってしまった以上は、婚約解消はやむなしだ。
それ以上に重要なことは、ジラルドの実家であるレピード公爵家とオフェーリアの実家はたくさんの共同事業を行っていて、今それがおじゃんになれば、オフェーリアには補えないほどの損失を生むことになる。
その点についてすぐに確認すると、そういう所がジラルドに見離される原因になったのだとベアトリーチェは怒鳴りだしてオフェーリアに掴みかかってきた。
その尋常では無い様子に泣き寝入りすることになったオフェーリアだったが、父と母が設定したお見合いで彼女の騎士をしていたヴァレントと出会い、とある復讐の方法を思いついたのだった。
届かぬ温もり
HARUKA
恋愛
夫には忘れられない人がいた。それを知りながら、私は彼のそばにいたかった。愛することで自分を捨て、夫の隣にいることを選んだ私。だけど、その恋に答えはなかった。すべてを失いかけた私が選んだのは、彼から離れ、自分自身の人生を取り戻す道だった·····
◆◇◆◇◆◇◆
読んでくださり感謝いたします。
すべてフィクションです。不快に思われた方は読むのを止めて下さい。
ゆっくり更新していきます。
誤字脱字も見つけ次第直していきます。
よろしくお願いします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる