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【26】望み
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強引なユアンに押し切られる形でディアナの帰宅は決まった。一人で帰ると主張したところでユアンが認めるはずもなく、身体を支えるように腰を抱かれている。
ディアナの身体を気遣い、歩く速さは緩やかだ。腰を抱かれている事さえディアナにとっては不満だが、両腕で抱き上げられることに比べればまだましである。断固拒否した結果だ。
寮に着くなりユアンは自らも内側へと入り込む。どうやらディアナが休むのを見届けてから帰るつもりらしい。よほど信頼がないのだろうか。
「いい? 今日はゆっくり休むんだよ」
玄関から動こうとしないディアナにユアンが促す。子どものような扱いをされていだ。
自分の気持ちがちっともユアンに伝わっていないことが苛立たしい。
「わざわざありがとうございます。ユアン様も、早くお戻りになって下さい」
まるで突き放すような言葉だ。付き添ってくれたユアンに失礼な態度を取ってしまった。自分の感情が制御出来ない。
けれどユアンは機嫌を損ねることなく、変わらず傍にいてくれる。それどころかディアナの世話を焼いた。
「一人で平気? 何かして欲しい事はない?」
「何もありません。わたくしは大丈夫です」
いつもと立場が逆転していた。
子どもではない。本当の恋人でもない。それなのにどうして世話をやこうとする? 院長室には待たせている人がいるはずだ。
早く一人にならなりたい。そうしなければまた、ユアンに心無い言葉をぶつけてしまいそうだった。
「遠慮しないで。きみは恋人だからね。僕に甘えていいんだよ」
「また……」
「ん?」
また恋人と言われた。
ユアンは今日に限って執拗なまでに恋人であることを繰り返す。その度にディアナは惨めな気持ちになった。誰に何を言われても気にならないと思っていたのに、ユアンに言われるとどうしても冷静でいられない。
もう聞きたくない。
聞きたくない!
ユアンは言った。
して欲しいことはないかと。
して欲しいこと……
望みは一つだけある。
こんなにも苦しいのなら、もう終わりにすればい。きっとそれがお互いの為になる。
契約の終わりは明言されていなかった。でもいつかは、けじめは必要だ。
穏やかな時間の心地良さに、今日まで終わりを願うことはなかった。でも今は、早く終わらせたいと望むばかりだ。
一度湧き上がった感情は膨らんでいく。良い切っ掛けだったのかもしれない。最初から、いつかは終わる関係だった――
ここで言ってしまえばいい。
「終わりにしませんか」
俯き顔も見ずに告げる。
「ディアナ?」
もう一度告げた時、ユアンはどんな顔をするだろう。
見ない方が良い。彼の眼差しを目にしてなお、強く在れる自信がなかった。
「この関係を終わりにしたいと言ったのです」
ユアンが想定していた『なんでも』とはかけ離れていると思う。けれどユアンに望むのなら、これ以外には考えられない。
少しの間を開けてから、ユアンはどうしてと言った。
どうして? 可笑しなことを訊く。
「もうわたくしに振り回されることもないのですよ。こんな風に寮まで送る必要もない。恋人と会う時間をわたくしに邪魔されることもないのです!」
「可笑しなことを言うんだね。僕の恋人はきみだろう」
「ユアン様!」
これはユアンにとって有益な提案だ。なのにどうして頷いてくれない?
もう聞きたくないのに、どうして?
この関係がこんなにも苦しくなるとは思わなかった。これ以上、惨めな思いをさせないでほしい。
「わたくしは過剰なまでの演技を求めていません。恋人が倒れたのです、駆けつけなければならないのもわかります。ですが、それだけで構わないのです。周囲への義務はもう果たされているのですから」
「義務って?」
「またわたくしが惨めな思いをしないように来てくれたのでしょう? 恋人で在り続けるのなら、今後も好きでもないわたくしのために振り回されることになるのですよ!」
感情のまま叫んでも、ユアンの声は優しい。ディアナの激しい気性さえ慈しむようだ。
「僕はきみが好きだよ」
いくら優しさを向けられても偽りを疑ってしまう。何より好かれる理由がない。好きになりたくはないと何度も言われているのだから。
「嘘……」
「僕が嘘を嫌うのはきみも知っていると思うけど」
その通りだ。痛いほどに知っている。
ユアンが顔色を窺い、世辞に長けた人間であれば、出会ったばかりのディアナが泣かされる事はなかった。被害者であるディアナは誰よりも知っているはずだ。
「ですが、わたくしは……」
好きになりたくなかったのでしょう?
それを言葉にしてしまえば今度こそ涙が溢れてしまう。避ける様にディアナは誤魔化していた。
「好かれるはずがないのです」
「偽りという関係から始まったことがきみの心を苦しめているの? それとも幼い僕がきみを拒絶したから?」
このような状況にありながら、ユアンが二人の出会いを憶えていてくれたことを嬉しく感じた。過去に囚われていたのが自分一人ではないと知れて、少しだけ救われた気がした。
けれど認めてしまうことは怖ろしい。あの日の自分を思い出すのも、それをユアンにさらけ出すことも怖いのだ。
「僕は心からきみを愛したよ。ねえ、偽の時間は終わりにしよう? 僕の本当の恋人になってよ」
ユアンは真摯に告げている。
なのに頷けないのは自分が弱いせいだ。
好きになりたくはないと言ったくせに。それなのに愛を囁くの?
恋人契約を結ぶうち、ユアンと近付いた距離は確かに彼への心を育てていたのだろう。そうでなければ他の女性といる姿を見て動揺することはなかった。逃げ出したのは自分の心を否定したいと望む弱さからだ。
「それでもわたくしは……信じることが出来ないのです」
弱いからユアンの言葉を信じられない。たとえ彼の言葉に偽りがないとしても手を取れない。もう選ばれないのは嫌だから。
「わたくしは大丈夫です。ですからどうか出て行って。この部屋を出たのなら、もとの関係に戻りましょう。それがお互いのためです」
「お互いのため?」
初めてユアンの声が変わる。冷ややかな響きに顔を上げたディアナの目には感情を無くしたユアンが映っていた。
「それはきみのための間違いだろう」
「そんなつもりは!」
間違ったつもりはない。元に戻ればユアンは自分から解放されるのだから。
「だとしたら尚更、僕は帰るわけにはいかないな」
不穏な響きとともにユアンが迫る。
ユアンのためを装って、結局は自分が傷つくことを何より怖れている。とっくに見透かされていた。
けれどもう、幼い頃と同じ思いはしたくない。同じ人の手で止めを刺されては心が悲鳴を上げてしまう。
ディアナの身体を気遣い、歩く速さは緩やかだ。腰を抱かれている事さえディアナにとっては不満だが、両腕で抱き上げられることに比べればまだましである。断固拒否した結果だ。
寮に着くなりユアンは自らも内側へと入り込む。どうやらディアナが休むのを見届けてから帰るつもりらしい。よほど信頼がないのだろうか。
「いい? 今日はゆっくり休むんだよ」
玄関から動こうとしないディアナにユアンが促す。子どものような扱いをされていだ。
自分の気持ちがちっともユアンに伝わっていないことが苛立たしい。
「わざわざありがとうございます。ユアン様も、早くお戻りになって下さい」
まるで突き放すような言葉だ。付き添ってくれたユアンに失礼な態度を取ってしまった。自分の感情が制御出来ない。
けれどユアンは機嫌を損ねることなく、変わらず傍にいてくれる。それどころかディアナの世話を焼いた。
「一人で平気? 何かして欲しい事はない?」
「何もありません。わたくしは大丈夫です」
いつもと立場が逆転していた。
子どもではない。本当の恋人でもない。それなのにどうして世話をやこうとする? 院長室には待たせている人がいるはずだ。
早く一人にならなりたい。そうしなければまた、ユアンに心無い言葉をぶつけてしまいそうだった。
「遠慮しないで。きみは恋人だからね。僕に甘えていいんだよ」
「また……」
「ん?」
また恋人と言われた。
ユアンは今日に限って執拗なまでに恋人であることを繰り返す。その度にディアナは惨めな気持ちになった。誰に何を言われても気にならないと思っていたのに、ユアンに言われるとどうしても冷静でいられない。
もう聞きたくない。
聞きたくない!
ユアンは言った。
して欲しいことはないかと。
して欲しいこと……
望みは一つだけある。
こんなにも苦しいのなら、もう終わりにすればい。きっとそれがお互いの為になる。
契約の終わりは明言されていなかった。でもいつかは、けじめは必要だ。
穏やかな時間の心地良さに、今日まで終わりを願うことはなかった。でも今は、早く終わらせたいと望むばかりだ。
一度湧き上がった感情は膨らんでいく。良い切っ掛けだったのかもしれない。最初から、いつかは終わる関係だった――
ここで言ってしまえばいい。
「終わりにしませんか」
俯き顔も見ずに告げる。
「ディアナ?」
もう一度告げた時、ユアンはどんな顔をするだろう。
見ない方が良い。彼の眼差しを目にしてなお、強く在れる自信がなかった。
「この関係を終わりにしたいと言ったのです」
ユアンが想定していた『なんでも』とはかけ離れていると思う。けれどユアンに望むのなら、これ以外には考えられない。
少しの間を開けてから、ユアンはどうしてと言った。
どうして? 可笑しなことを訊く。
「もうわたくしに振り回されることもないのですよ。こんな風に寮まで送る必要もない。恋人と会う時間をわたくしに邪魔されることもないのです!」
「可笑しなことを言うんだね。僕の恋人はきみだろう」
「ユアン様!」
これはユアンにとって有益な提案だ。なのにどうして頷いてくれない?
もう聞きたくないのに、どうして?
この関係がこんなにも苦しくなるとは思わなかった。これ以上、惨めな思いをさせないでほしい。
「わたくしは過剰なまでの演技を求めていません。恋人が倒れたのです、駆けつけなければならないのもわかります。ですが、それだけで構わないのです。周囲への義務はもう果たされているのですから」
「義務って?」
「またわたくしが惨めな思いをしないように来てくれたのでしょう? 恋人で在り続けるのなら、今後も好きでもないわたくしのために振り回されることになるのですよ!」
感情のまま叫んでも、ユアンの声は優しい。ディアナの激しい気性さえ慈しむようだ。
「僕はきみが好きだよ」
いくら優しさを向けられても偽りを疑ってしまう。何より好かれる理由がない。好きになりたくはないと何度も言われているのだから。
「嘘……」
「僕が嘘を嫌うのはきみも知っていると思うけど」
その通りだ。痛いほどに知っている。
ユアンが顔色を窺い、世辞に長けた人間であれば、出会ったばかりのディアナが泣かされる事はなかった。被害者であるディアナは誰よりも知っているはずだ。
「ですが、わたくしは……」
好きになりたくなかったのでしょう?
それを言葉にしてしまえば今度こそ涙が溢れてしまう。避ける様にディアナは誤魔化していた。
「好かれるはずがないのです」
「偽りという関係から始まったことがきみの心を苦しめているの? それとも幼い僕がきみを拒絶したから?」
このような状況にありながら、ユアンが二人の出会いを憶えていてくれたことを嬉しく感じた。過去に囚われていたのが自分一人ではないと知れて、少しだけ救われた気がした。
けれど認めてしまうことは怖ろしい。あの日の自分を思い出すのも、それをユアンにさらけ出すことも怖いのだ。
「僕は心からきみを愛したよ。ねえ、偽の時間は終わりにしよう? 僕の本当の恋人になってよ」
ユアンは真摯に告げている。
なのに頷けないのは自分が弱いせいだ。
好きになりたくはないと言ったくせに。それなのに愛を囁くの?
恋人契約を結ぶうち、ユアンと近付いた距離は確かに彼への心を育てていたのだろう。そうでなければ他の女性といる姿を見て動揺することはなかった。逃げ出したのは自分の心を否定したいと望む弱さからだ。
「それでもわたくしは……信じることが出来ないのです」
弱いからユアンの言葉を信じられない。たとえ彼の言葉に偽りがないとしても手を取れない。もう選ばれないのは嫌だから。
「わたくしは大丈夫です。ですからどうか出て行って。この部屋を出たのなら、もとの関係に戻りましょう。それがお互いのためです」
「お互いのため?」
初めてユアンの声が変わる。冷ややかな響きに顔を上げたディアナの目には感情を無くしたユアンが映っていた。
「それはきみのための間違いだろう」
「そんなつもりは!」
間違ったつもりはない。元に戻ればユアンは自分から解放されるのだから。
「だとしたら尚更、僕は帰るわけにはいかないな」
不穏な響きとともにユアンが迫る。
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