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【36】答え合わせ
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見つめられると視線が逸らせない。
触れたい。触れてほしいと感じるのは心を通わせた証なのだろう。けれどユアンは困ったように笑った。
「さすがにこのままパーティーから消えるわけにはいかないからね。僕は一度戻るよ。ここできみに触れてしまったら、もう放せそうにない」
それはどういう意味だろう。聞きたいと望んでしまうのは、自分も同じ期待をしているからか……
その腕に抱かれたいと――
「で、ではわたくしも!」
ディアナは女性が抱くにはふしだらな想像をしてしまったことを恥じた。邪念を振り払うように姿勢を正すが、ユアンは引き止めるように声を掛ける。
「きみはここにいて」
「ですが、グレース様にもお礼を」
「だからここにいてほしいんだ。妹はきみのことを独り占めにしてしまうから。それに、会場には弟もいる。きみのことは信じているけれど、それでも嫉妬してしまう時があるんだ。特に、今日のきみは魅力的だからね」
触れまいとしていたユアンだが、不意にディアナの首筋へ顔を寄せる。ユアンの唇が当てられると、ちくりとした痛みが走った。
「きみの肌は白いからね」
見なくてもわかる。満足そうなユアンの声に、痕を残されたことを知った。
「これでもう外へはいけないね?」
無理やり予定を決められたことには不満もあるが、その答えは自分の出したものと同じだった。
「遅くなってしまうから今日は泊まっていくといいよ。きみの家には僕から連絡を入れておくから心配しないで。だから、戻ったらもう一度、ちゃんと話そう」
「はい」
「着替えの手配しておくから、待たせてしまう分、のんびり寛いでいてよ。遅くなった時は遠慮せずに寝ていてね」
「ユアン様をおいて休むわけにはいきません。わたくしのことは気にせずに」
「違うよ。これは全部僕のため」
「え?」
「ああ……」
失態に気付いたのだろう。ユアンは決まりが悪そうに頬を掻く。どうやらユアンにも失敗を恥じる心があるらしい。
「僕はまた、順序を間違えてしまったね。どうか僕の本当の恋人になってほしい。許してくれるのなら、この部屋で待っていて。そのドレスを脱いで――」
「そ、れは……」
ドレスを脱いでおけというのは、戻ったら抱くつもりだという宣言にも取れる。確かめた訳でもないのにユアンの欲を感じてディアナは頬を染めてしまった。
「僕が戻るまでに覚悟を決めて? でないともう、逃がしてあげられないよ。きみが嫌がってもこの手を放せない。きっと抱き潰してしまう。でもそれじゃあ前と同じだ。今度はちゃんと、きみの心がほしい。だから怖いのなら」
「ユアン様」
その先を聞く必要はない。
「たとえ朝になろうと待っています」
「名残惜しいな」
「安心して下さい。いつまでもお待ちしています。あなただけを、ずっと」
ユアンは額にキスを落として部屋を出た。唇に触れてしまえば最後、取り返しがつかなくなると知っての配慮だ。
しばらくするとユアンに指示されたという侍女たちが湯あみの手配をしてくれた。
重いドレスから解放されたディアナだが、何故か浴室でメイドたちに囲まれている。普段はグレース付きの侍女だという女性を筆頭に、香りの良い石鹸で入念に肌を磨かれた。解かれた髪も丁寧に洗われ、仕上げにグレースのおすすめだという香りを纏わされる。
まるでお姫様のような扱いにディアナも遠慮をしていたが、主であるグレースとユアンの指示だと言われてしまえば仕事を奪うわけにもいかない。
これもグレースから手配されたというネグリジェは肌触りの良いものだった。しかし袖がなく、胸元もいささか開いているように感じる。生地は良いが薄く、明かりの下では透けてしまうのではと不安にもなった。肩紐を解けば簡単に床に落ちてしまう構造は、屋敷で愛用しているものに比べて明らかに心許ないが、用意してもらった身で文句を言うわけにもいかなかい。心優しいグレースの顔に泥を塗るのは避けたかった。
ユアンを待つ間、何度時計を見ただろう。入浴している時間は目まぐるしく過ぎたというのに、ちっとも針が進んでいない気がする。
ユアンは寝ていてもいいと言うが、ディアナは起きて待っていたかった。戻った時、彼のことを出迎えられたらと思ったのだ。
しかし時計の針が何度回ろうと扉が開くことはなく、椅子に身体を預けるうちに少しずつ意識が霞んでいく。ぼんやりと重たくなる頭を何度も振りながら、眠気を覚ますために室内を歩き回って過ごした。
けれどいつしか身体は椅子へと沈み、意識を手放していた。
――ただいま。
ぼんやりと誰かの声が聞こえる。
「……う、ん……?」
「起こしちゃったかな」
傍にある温もりに身を寄せる。すがり付くように腕を伸ばせば、それは優しくディアナを包んでくれた。
「……ゆあんさま?」
夢心地で訊ねる。
「身体を痛めそうだから運ぼうと思ったんだけど、起こしてしまったね」
ふわふわとしている意識はまだ夢を見ているようだ。
そんなディアナを現実に引き戻したのはユアンのキスだった。今度こそ唇に、温かいものが触れる。
「わ、わたくし、眠って!」
覚醒したディアナは慌てて押し付けていた身体を離そうとする。しかし身体に回されたユアンの腕が阻むのだ。
「せっかく自由になれるチャンスだったのにね。時間切れだよ。きみはもう、僕のものだ」
その言葉が真実であるように、椅子に寝ていたはずのディアナはユアンの胸に抱かれていた。どこへも行くなと言われるように抱きしめられると逃げ出せない。
「わたくしは自分で選んだのです。ずっと、あなたの目に映りたいと、あなたに認められたいと思っていたのですから、こんなに嬉しいことはありません」
「僕も。ずっときみのことを見ていたよ」
父から聞かされた話だが、ユアンの口からも語られるとは思わなかった。
「あの日、城できみと初めて会った日から、ずっとね」
ユアンはディアナの顔を覗きながら話始める。反応を見られているようでとても恥ずかしいのに腕の力は強い。
「弟のことを愛してもいないのに婚約者になった女の子。弟を任せるのだから、良い子じゃないといけないよね。どんな子か知るために、その子の父親に近付いた」
「わたくしはユアン様の目には叶いませんでしたね」
「あの頃のきみはね。初めて会った時、確かに僕はきみのことを好きにはなれそうにないと言った。けどきみは、僕が見ている前でどんどん変わっていった」
始めは弟の婚約者。
そして弟の元婚約者。
同情するつもりはないが、惨めだなと思っていた。
けれど視界に映るディアナはいつも前を向いていた。華やかに着飾りパーティーを渡り歩く姿は蝶のようだった。
けれどいつしか蝶は社交の場から姿を消していた。
「学院に入学してからのことは弟に聞いたよ」
ユアンにとってディアナという人物は常に興味の対象だったという。
触れたい。触れてほしいと感じるのは心を通わせた証なのだろう。けれどユアンは困ったように笑った。
「さすがにこのままパーティーから消えるわけにはいかないからね。僕は一度戻るよ。ここできみに触れてしまったら、もう放せそうにない」
それはどういう意味だろう。聞きたいと望んでしまうのは、自分も同じ期待をしているからか……
その腕に抱かれたいと――
「で、ではわたくしも!」
ディアナは女性が抱くにはふしだらな想像をしてしまったことを恥じた。邪念を振り払うように姿勢を正すが、ユアンは引き止めるように声を掛ける。
「きみはここにいて」
「ですが、グレース様にもお礼を」
「だからここにいてほしいんだ。妹はきみのことを独り占めにしてしまうから。それに、会場には弟もいる。きみのことは信じているけれど、それでも嫉妬してしまう時があるんだ。特に、今日のきみは魅力的だからね」
触れまいとしていたユアンだが、不意にディアナの首筋へ顔を寄せる。ユアンの唇が当てられると、ちくりとした痛みが走った。
「きみの肌は白いからね」
見なくてもわかる。満足そうなユアンの声に、痕を残されたことを知った。
「これでもう外へはいけないね?」
無理やり予定を決められたことには不満もあるが、その答えは自分の出したものと同じだった。
「遅くなってしまうから今日は泊まっていくといいよ。きみの家には僕から連絡を入れておくから心配しないで。だから、戻ったらもう一度、ちゃんと話そう」
「はい」
「着替えの手配しておくから、待たせてしまう分、のんびり寛いでいてよ。遅くなった時は遠慮せずに寝ていてね」
「ユアン様をおいて休むわけにはいきません。わたくしのことは気にせずに」
「違うよ。これは全部僕のため」
「え?」
「ああ……」
失態に気付いたのだろう。ユアンは決まりが悪そうに頬を掻く。どうやらユアンにも失敗を恥じる心があるらしい。
「僕はまた、順序を間違えてしまったね。どうか僕の本当の恋人になってほしい。許してくれるのなら、この部屋で待っていて。そのドレスを脱いで――」
「そ、れは……」
ドレスを脱いでおけというのは、戻ったら抱くつもりだという宣言にも取れる。確かめた訳でもないのにユアンの欲を感じてディアナは頬を染めてしまった。
「僕が戻るまでに覚悟を決めて? でないともう、逃がしてあげられないよ。きみが嫌がってもこの手を放せない。きっと抱き潰してしまう。でもそれじゃあ前と同じだ。今度はちゃんと、きみの心がほしい。だから怖いのなら」
「ユアン様」
その先を聞く必要はない。
「たとえ朝になろうと待っています」
「名残惜しいな」
「安心して下さい。いつまでもお待ちしています。あなただけを、ずっと」
ユアンは額にキスを落として部屋を出た。唇に触れてしまえば最後、取り返しがつかなくなると知っての配慮だ。
しばらくするとユアンに指示されたという侍女たちが湯あみの手配をしてくれた。
重いドレスから解放されたディアナだが、何故か浴室でメイドたちに囲まれている。普段はグレース付きの侍女だという女性を筆頭に、香りの良い石鹸で入念に肌を磨かれた。解かれた髪も丁寧に洗われ、仕上げにグレースのおすすめだという香りを纏わされる。
まるでお姫様のような扱いにディアナも遠慮をしていたが、主であるグレースとユアンの指示だと言われてしまえば仕事を奪うわけにもいかない。
これもグレースから手配されたというネグリジェは肌触りの良いものだった。しかし袖がなく、胸元もいささか開いているように感じる。生地は良いが薄く、明かりの下では透けてしまうのではと不安にもなった。肩紐を解けば簡単に床に落ちてしまう構造は、屋敷で愛用しているものに比べて明らかに心許ないが、用意してもらった身で文句を言うわけにもいかなかい。心優しいグレースの顔に泥を塗るのは避けたかった。
ユアンを待つ間、何度時計を見ただろう。入浴している時間は目まぐるしく過ぎたというのに、ちっとも針が進んでいない気がする。
ユアンは寝ていてもいいと言うが、ディアナは起きて待っていたかった。戻った時、彼のことを出迎えられたらと思ったのだ。
しかし時計の針が何度回ろうと扉が開くことはなく、椅子に身体を預けるうちに少しずつ意識が霞んでいく。ぼんやりと重たくなる頭を何度も振りながら、眠気を覚ますために室内を歩き回って過ごした。
けれどいつしか身体は椅子へと沈み、意識を手放していた。
――ただいま。
ぼんやりと誰かの声が聞こえる。
「……う、ん……?」
「起こしちゃったかな」
傍にある温もりに身を寄せる。すがり付くように腕を伸ばせば、それは優しくディアナを包んでくれた。
「……ゆあんさま?」
夢心地で訊ねる。
「身体を痛めそうだから運ぼうと思ったんだけど、起こしてしまったね」
ふわふわとしている意識はまだ夢を見ているようだ。
そんなディアナを現実に引き戻したのはユアンのキスだった。今度こそ唇に、温かいものが触れる。
「わ、わたくし、眠って!」
覚醒したディアナは慌てて押し付けていた身体を離そうとする。しかし身体に回されたユアンの腕が阻むのだ。
「せっかく自由になれるチャンスだったのにね。時間切れだよ。きみはもう、僕のものだ」
その言葉が真実であるように、椅子に寝ていたはずのディアナはユアンの胸に抱かれていた。どこへも行くなと言われるように抱きしめられると逃げ出せない。
「わたくしは自分で選んだのです。ずっと、あなたの目に映りたいと、あなたに認められたいと思っていたのですから、こんなに嬉しいことはありません」
「僕も。ずっときみのことを見ていたよ」
父から聞かされた話だが、ユアンの口からも語られるとは思わなかった。
「あの日、城できみと初めて会った日から、ずっとね」
ユアンはディアナの顔を覗きながら話始める。反応を見られているようでとても恥ずかしいのに腕の力は強い。
「弟のことを愛してもいないのに婚約者になった女の子。弟を任せるのだから、良い子じゃないといけないよね。どんな子か知るために、その子の父親に近付いた」
「わたくしはユアン様の目には叶いませんでしたね」
「あの頃のきみはね。初めて会った時、確かに僕はきみのことを好きにはなれそうにないと言った。けどきみは、僕が見ている前でどんどん変わっていった」
始めは弟の婚約者。
そして弟の元婚約者。
同情するつもりはないが、惨めだなと思っていた。
けれど視界に映るディアナはいつも前を向いていた。華やかに着飾りパーティーを渡り歩く姿は蝶のようだった。
けれどいつしか蝶は社交の場から姿を消していた。
「学院に入学してからのことは弟に聞いたよ」
ユアンにとってディアナという人物は常に興味の対象だったという。
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