偽り聖女に優しい恋を

美早卯花

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【26】偽り聖女と本物

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 彼女と、その子どもにも向けて挨拶をした。無害であることを伝えるように微笑むと、子どもの方は特に嬉しそうな笑みを見せてくれる。無邪気な仕草は可愛いらしく、和やかな空気を運んでくれた。

「あの、この家は空き家なのでしょうか」

「え、……ええ。村の方から伺った話では、三年ほど前から」

「この家に暮らしていた人たちがどこへ行ったのか、ご存じではありませんか!?」

 リエーベルはわずかに差した希望に手を伸ばす。しかし彼女は残念ながらと否定を示した。

「ただ、ご家族で都の方へ引っ越されたというお話は聞いています。私も三年ほど前からこの辺りに暮らし始めたばかりなので、面識はありませんが」

「そう、ですか……。ありがとうございます。あの、それではあなたはどうしてこちらに?」

 空き家であるとは言われても懐かしい思い出の残る我が家だ。この家に何かするつもりなら見過ごせない。
 しかしそこまで考えておきながらリエーベルは自らの格好を思い返して反省する。目深く被ったフードに素性を明かしていない自分の方がよほど不審だろう。子ども連れである彼女の方がよほどこの景色に溶け込んでいる。おそらくは晴れた日の散歩中、通りすがりに空き家の前に人影があれば訝しんでも可笑しくはない。しかし彼女の理由はリエーベルの想像とは異なるものだった。

「……花を手向けに」

「花? この家に、ですか」

「家、というより……この家に暮らしていた方に」

 この家は家族四人で暮らせるようにとリエーベルの父が建てたものだ。とっさに母の病が頭を過るも、面識はないと話していたことを思い出す。

「この家に暮らしていた方は、私のせいで消えてしまったのです」

「消えた?」

 亡くなったのではなく消えた。普通の人間であれば不思議な言い回しだと気に留めるだけで終えていただろう。しかし同じ事を思いながら日々を過ごしていたリエーベルはその意味に気づいてしまう。

「それは、あなたのせいで、なのですか?」

「はい」

「どうしてそう思われるのですか?」

「彼が、いえ……。ある人が教えてくれました」

 彼女はあくまで多くを語ろうとはしない。しかしリエーベルはすでにあり得ない可能性を導き出している。彼女はその可能性にすら気付いていないのだろう。この質問を単なる好奇心と捉えているはずだ。彼女にしてみればリエーベルがこの場にいることは、リエーベル以上に信じられないものである。

「……聖女様、ですか?」

 リエーベルが核心に触れると穏やかに佇む彼女から表情が欠落する。ほんの一瞬にして絶望が浮かんだ。

「どうして……」

 無邪気な子どもの声だけが響く。丘は静寂に呑まれ、この瞬間に真実は定まった。

「あ、ちっ、違います。何を言って、私は聖女などではありません。違う、違うの、本当に……!」

 リエーベルは慎重に、注意深く彼女の言葉に耳を傾けた。おそらくは聖女を逃がした何者かが、彼女にこの家の娘が偽物として差し出されたことを教えたのだ。
 本人に否定されてしまえば顔を知らないリエーベルに本物を見極める術はない。けれどリエーベルには彼女が本物であることが不思議と真実として受け止められた。彼女を演じていたから、だろうか。

「……私たち、どこかでお会いしたことがありましたか?」

「いいえ」

 否定するリエーベルに彼女はより困惑していた。知人でないのなら何故正体を知っているのからないのだろう。

「私はあなたに会うのは初めてです。ですから私はあなたを糾弾するつもりはありません。その権利もないのです」

「どういう意味ですか?」

「私は知りたいだけです。あなたが花を供えるというのなら、その理由を」

 荒れ果てた庭の一角には真新しい花が飾られていた。おそらくそれも彼女が手向けたという花だろう。
 リエーベルが問い詰めた瞳は彷徨いながら答えを探していた。深入りするべきではないという緊張が彼女の方からも伝わってくる。

「私のこの生活は、消えてしまったあの方の苦しみの上に成り立っているからです」

「罪滅ぼしですか」

 頷く彼女にとってもこの行為を言葉にすることは難しいのかもしれない。自分の中にある真実を探しているようにも見えた。

「わかっているんです。こんなことをしても意味はないと。ただ自分が満足していたいだけなのだと! それでも私は、あの方のために何かをしていたかった。私だけは忘れずにいるのだと!」

「それはあなたの身勝手ですね」

「はい」

 彼女は厳しい指摘も受け入れた。それは先ほどまで目にしていた母親の姿とはまるで違う。ただの村人が纏う空気にしてはあまりにも迫力を感じさせるものであり、聖女と呼ばれていたことを確信させていくものだった。
 けれどリエーベルは聖女もただの人間であることを知っている。誰かを愛し、愛され、大切なものを守りたいだけの、ありふれた人間なのだ。リエーベルも大切な人のために我が儘を通してしまった。彼女にはそれが許されないと糾弾するつもりはない。だからそのために一つだけ、知りたいことがある。

「あなたは幸せですか?」

「私、ですか?」

「本当の気持ちを聞かせて下さい。この世界には、……いえ。私が、あなたが幸せでいてくれないと困るのです!」

 リエーベルは無言でフードを脱ぎ去った。同じ色が舞い、彼女もまさかという可能性に気づいたようだ。

「あなた、まさか……でも、そんなこと……」

「いっしょ! いっしょ!」

 母親と、そして自分と同じ髪の色。子どもは同じだと言って喜んでいる。
 彼女の大きな瞳は驚きに見開かれ、信じられないと揺れていた。

「もう一度聞きます。あなたは幸せですか?」

「あ……ああっ……!」

 崩れ落ちた彼女を小さな娘は心配していた。悲しい感情は娘にも伝わったのだろう。必死に涙を拭おうとしていた。

「その子が、今のあなたの守りたいものですね?」

 リエーベルは告げる。あれほど恨んでいた相手が目の前にいながら、心は穏やかだった。
 彼女からもたらされる答えがどの様なものであろうと自分は受け入れることができるだろう。しかし叶うのなら、それが幸せなものであればいいと願えるほどに落ち着いている。

「私は、っ……幸せ、です。この子を守りたいです。あの人と、生きたいと望んでいます。すみません、本当にすみません! 何度謝っても足りない、でも私、この子を守りたい! 成長する姿を傍でみていたい。あの人の傍にいたい!」

「はい。それでいいのです」

「え……?」

 取り繕わずに肯定できるなんて、あの頃の自分には信じられなかった。それは彼女にとっても同じことであり、信じられないと泣き濡れた瞳が訴えている。

「きっと最初は恨んでいました。こんな目に合うのは全部あの人のせいだって」

 憎しみにも似た感情が渦巻き、話すことすら叶わないと思っていた。

「ですが、もういいのです」

 家族と離れたことは悲しかった。けれど寄り添おうとしてくれた人がいた。愛してくれる人がいた。偽りだらけの存在、偽りだらけの恋だったけれど、確かに彼と過ごした自分は幸せだったのだ。彼女にも大切な人がいるのなら、引き裂かれる辛さをリエーベルは知っている。

「あなたが明日も花を供えるというのなら、私はもう必要ないと答えましょう」
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