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RESTART──先輩と後輩──

言いかけたことは

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「俺は認めねえ!こんな、こんなの俺は絶対に認めねえぞッ!!」

 流れ、滴り、垂れて落ちる。赤くて赤い、真っ赤なそれは妙に鮮やかではっきりと見えた。

「覚えとけ……覚えとけよ!いつか必ず、俺がお前をぶちのめしてやるッ!」

 声は大きく喧しく。言葉は憎悪と怨恨に満ち満ちていて。目はひたすらに殺意で溢れていて。

「この借りは返す……絶対に、絶対にだッ!!」

 けれど、今はそれどころじゃなかった。止め処なく押し寄せては広がっていく、終わりのない哀しみにも似た喪失感のせいで。

 剣の柄を握る手は、まるで痺れているようで。心には何も失く、何処までも空で、虚しくて。伏せる目からは、今にでも涙が零れそうだった。

 だが、それでもお構いなしにと。声は続き、言葉を紡ぐ。

「わかったな!?──────クラハァッ!!!」

 瞬間、呆然とする意識の最中。ただ一つ、こう思う。





 違う。僕は、こんなことの為に──────────



















 最初、視界に映った色は真っ白だった。遅れて、それが天井なのだと僕は理解する。

「……ここ、は……?」

 今の今まで、どうやら僕は気を失っていたらしい。覚めたばかりの意識は不鮮明で、不透明で。何か考えようとしても、上手く考えることができない。

 背中に当たる感触と、身体に覆い被さる布らしき物体の重みで自分は寝台ベッドに横たわっているのだと気づいた。

 ここは一体どこなのか、それを把握しようと僕は身体を起こす──ことはできなかった。

「ぐ……ッ」

 ほんの僅かばかりだけ身体を動かした瞬間、腹部に響いた鈍痛に妨げられたせいで。

 ──……なるほど。

 微かに顔を顰めさせながらも、周囲に視線を配り僕は内心で頷く。ある程度の広さを確保しており、清潔にされている。このことからここがオールティアにある唯一無二の小さな病院で、そしてこの部屋はその病院の数少ない個人病室だとわかったからだ。

 ──ここの院長、苦手なんだよな……。

 職業柄、この病院には何度も世話になっている。だから当然この病院の医者とも、院長とも決して少なくない回数の交流もある。

 医者としては確かな腕を持つが、その人間性はおよそ褒められたものではない院長のことを思い出し、苦い表情になりながらも腹部を手で押さえながら、僕は慎重に上半身だけを起こす。窓を見やれば既に太陽は真上まで昇っていて、そのことから既に昨日から翌日の昼頃になっているのだと判断する。

「…………」

 窓を眺めながら、僕は昨日のことを呆然と思い返す。……いや、正確には意識を失う直前に聞いた、あの声を。



『待つのはお前だ』



 その声を、僕は忘れもしない。忘れることなど、できやしない────許されない。

 何故なら、僕はその声の主の──────





 ギィ──と、その時。不意に軋んだ音が立って。音がした方を咄嗟に見やれば、この病室の扉が開かれていて。そこには紙袋を片腕で抱えたまま立ち尽くす、ラグナ先輩の姿があった。

 僕と先輩、互いが互いの顔を静寂の中で見つめ合う。そしてそれは数秒の間続いて、先に破ったのは僕の方だった。

「せ、先輩……えっと、おはようございます」

 その様子を例えるなら、今まで止まっていた時間が動き出したようだった。真紅の双眸を驚愕で見開かせていた先輩は、抱えているその紙袋を床に落としてしまう。だがそれを気にも留めず、その場から一歩二歩と恐る恐る進んで────堪え切れなくなったように、先輩は駆け出した。










「良かった、本当に良かった……!クラハ、お前ずっと寝込んじまって、全然起きなくて……!」

 椅子に座ってそう言う先輩の顔は、凄まじいまでの心配で染まり切っていて。その声音もどうしようもない程の不安を孕んでいて。そしてその二つは、僕が全く知らないものであった。

 思わず動揺を覚えながらも、まず先輩を安心させようと僕は口を開こうとした────直前、不意に腹部に先程の鈍痛が走る。

 ──ッ……。

 僕は思わず顔を顰めそうになったが、寸前で何とか堪えて平常を装う。……もう、これ以上先輩に心配をさせる訳にはいかない。

 痛みを我慢しながら、僕は改めて口を開いた。

「すみません、先輩。一体何があったか……ちょっと色々話を聞かせてほしいんですけど、大丈夫ですか?」

 僕がそう訊ねると、先輩は少し複雑そうな表情になった。数秒の沈黙の後、躊躇うように。だけど、先輩は僕にこう言ってくれた。

「……おう、いいぞ。全部、聞かせてやる」

 その言葉の通り、先輩は全てを事細かく語ってくれた。僕を背後から殴りつけたのは他の誰でもない、ライザー=アシュヴァツグフであること。気を失った僕を彼が甚振ったこと。その場にメルネさんとロックスさんの二人が駆けつけ、助けてくれたこと。

 その後僕はこの病気へと運ばれ、昨日から今日の昼頃まで気を失ったままだったこと────その全てを、先輩は僕に話してくれたのだ。

「……」

 どうりで先程から腹部に鈍痛を感じる訳だと、先輩から話を聞いた僕は妙な納得を覚える。その傍らで、僕は呆然と思い出していた。

 ライザー=アシュヴァツグフ────彼に関する数々の記憶を。ライザーは『大翼の不死鳥フェニシオン』の冒険者ランカーで、彼は優秀な《S》ランクの冒険者で。確かな実績を多く持つ、本当に優秀な……冒険者だった。

 だが、ライザーは……僕の、せいで────

 ──…………。

 ここ最近、さらに詳しく語るのなら一年の間考えることのない────否、できるだけ考えないようにしていた男について考え込んでしまい、押し寄せる自責の念と罪悪感に苦い表情を浮かべてしまう。

 それを勘違いしたのだろう。依然不安と心配が入り混じる顔をして、先輩が訊いてくる。

「クラハ、腹は大丈夫か?やっぱりまだ痛かったりするのか?……あんなに、蹴られてたし」

 確かに先輩の指摘通り、腹部の鈍痛はまだ止んでいない。だけど、さっきもそうであったように……僕は先輩を心配させたくなかった。不安になってほしくなかった。

 だから僕は浮かべていた苦い表情を普段通りのものへと変えて、平気な風を装い答えた。

「いえ。時間もある程度経ちましたし、もう大丈夫ですよ」

 そう伝えると先輩は少しの間僕の顔を見つめて、それから安堵したようにその表情を和らげさせてくれた。

「なら、いいんだ。……流石は俺の後輩だな」

「え、ええ!伊達に後輩やってませんから」

 まるで──というかその通りなのだが、先輩を騙しているみたいで気が憚られてしまう。だが、先輩の心身に負担をかけてしまうくらいならば、この方がまだマシだ。

 と、そこで僕と先輩の会話が終わり。途端に、病室は静寂に包まれてしまう。ただでさえ昼下がりの病院というのは、物静かであるというのに。

 それが続くのが数十秒であればまだいいが、数分となれば流石に事情が変わってくる。気まずい雰囲気というのが生じ出す。

 しかし何か話そうにもこれといった話題もなく。ただただ、時間が過ぎていき────そして。

「……クラハ」

 今の今まで沈黙していた先輩が、その時口を開いた。顔を僅かに俯かせて、悔恨に塗れた声で、僕に言う。

「ごめん」

「え?」

 それは突然の謝罪で。何故急にそんなことを言い出すのか、僕が困惑の声を漏らす。しかしそれがまるで聞こえていないように、そして堰を切ったように先輩が続ける。

「俺、何もできなかった。目の前でお前が腹蹴られてんのに、お前が酷え目に遭ってんのに……俺見てることしかできなかった。助け、られなかった」

 その言葉を聞いて、そこに込められた感情を受け止めて────瞬間、僕はハッと理解した。

 それは、先輩が溜め込んでいたものだった。僕が気を失って────否、僕がライザーに痛めつけられている時から、今日まで。今の今まで、計り知れない苦悶の最中でずっと溜め込むしかなかったもの。吐き出そうにも、その肝心の相手は意識がなく。ただひたすらに、我慢する他なかった。

 その小さな身体で。その不安定な心で。……僕は、なんて酷なことを、よりもよって今のこの人にさせてしまったのか。

「本当に……ごめん」

「だ、大丈夫ですって先輩!僕はこの通り意識も戻りましたし、先輩が助けを呼んだから、大事にも至りませんでしたし!ですから、もうそこまで気にすることなんてないですよ!」

 とんでもないことをしでかしてしまったと、僕が悔いる間にも先輩は謝る。反射的に、慌てて僕はできる限りの笑顔でそう言っていた。

 ……しかし、俯いた先輩の表情は晴れず。辛そうに、言葉を絞り出す。

「俺はお前の先輩なんだよ。なのに、なのに……っ」

 その言葉には、もはや言い表しようのない辛苦の意がありありと込められていて。僕はもう、何も言えなくなってしまった。

 また、病室に静寂が訪れて。だがそれは先程よりも長くは続かず、そして今度先に破ったのは────先輩だった。

「クラハ。俺さ、昨日からずっと────



 ギシ──だがその時、まるで先輩の言葉を遮るように床の軋む音が、存外大きく響き渡った。



 ────ッ!?」

 その音に対して、先輩は椅子から落ちるのではないかと危惧する程に全身を跳ねさせ、音がした方へ振り向く。過剰とも思えるその反応に多少面喰らいつつも、僕も視線をそちらに向ける。

 開かれたままだった扉の向こうに、かけた眼鏡が知的な印象を醸し出す、汚れ一つとない白衣姿の長身の女性が立っていた。

 その女性は扉と同じく床に落とされたままであった紙袋を拾い上げ、そして平然とした様子でその口を開かせる。

「お邪魔しちゃったかしら」

 その言葉だけ受け取れば、申し訳なく悪れていたように聞こえていたのだろうが、実際にそんなことはなく。全くと言っていい程に女性は申し訳なさそうにもしていなければ、欠片程も悪怯れている様子もなかった。

 ──これだから、ここの院長は……。

 相も変わらないその人柄に辟易としてしまうが、この病室の扉を開けたままにしていたのはこちらだし、この人にしては珍しいことに他人の落とし物も拾ってくれている。そんな態度を非難するのは、流石にお門違いというものか。

 嘆息一つ吐いてから、僕が口を開こうとした────直前。

「わ、悪い。俺急用思い出した」

 と、先に。それも似合わない早口でそう言うや否や、先輩は椅子から立ち上がり、踵を返してそそくさとこの場を去ろうとしてしまう。

「えっ?ちょ、先輩っ?」

 そんな先輩を僕は慌てて呼び止めようとする。だって、先程先輩は────



『クラハ。俺さ、昨日からずっと────』



 ────何か、僕に言いかけていた。その声音は真剣で、何処か思い詰めているように感じ取れた。

 一体先輩は僕に何を言おうとしていたのか。それが、何故だか無性に気になってしまって。

「……」

 しかし、先輩は僕に背中を向けたまま。立ち止まり振り返ることなどなく、そのまま白衣の女性の側を駆け抜け、病室から去ってしまった。

「……なんか、悪かったわね」

 先輩と入れ替わりに、ゆっくりと寝台ベッドの近くにまで歩み寄り、拾い上げた紙袋を備え付けの机に乗せて。今度はほんの少し悪怯れたように女性が僕に言う。……だが、僕は何も返せなかった。

 ──……先輩は、僕に何を言おうとしてたんだろう。

 その一心で、それどころではなかったから。
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