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CHAPTER4
3
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更に雨脚が酷くなり、慌てて地下街へ降りる。
――何で、覆面使わないんだろ。このおじさん?
可南子は、濡れた髪をハンカチで拭きながら小首を傾げ、細川を見る。
「次、行きましょうか係長?」
細川は満面の笑みを浮かべ、先を促した。
「次って……?」
「Y会系の弘○組の事務所です」
細川は平然と答えた。
二の足を踏むかのように、可南子はその場に立ち止まった。
階段へと急ぐ五十代半ばの男性と擦れ違い様、右肩がぶつかった。
「済みません」
可南子は会釈し、謝った。そして先を行く細川に背後から声を掛けた。
「特定危険指定暴力団の事務所……、ねえ、それって他所の縄張りを荒らすことにならない?」
可南子が怪訝しているのは、暴力団担当は刑事部ではなく組織犯罪対策部ではないのかという点である。
可南子の三歩前を行く細川は、一旦立ち止まり振り向き、
「富ヶ谷一丁目、あの辺りを仕切っているのは弘○組です。奴らに当たれば何か情報をくれる筈です」
と教えた。
「そういうことか、なるほど蛇の道は蛇ってことね」
「まあ、そういうことですわ」
細川は意味あり気に頷き、改札口に向かって再び歩き始めた。
可南子もその老刑事の後ろを追った。
二人は何回か地鉄を乗り換え、東京メトロ六千代田線代々木公園駅で降りると地上へ出た。裏通りを南へ向かって歩く。渋谷区神山町ラトビア大使館に近い雑居ビルの二階部分が、弘○組の事務所だ。
マッドブラックの重厚なドア。表札には弘○組ではなく、松茂興業株式会社の文字が記されていた。
生憎弘○組三代目は不在だったが、ナンバー2である若頭が二人を出迎えてくれた。ムスクの香りが可南子の鼻腔を擽る。室内には男性用の香水の匂いが充満していた。
「細川の旦那、何か情報が入りましたら、必ず連絡入れます」
若頭は、やくざ顔負けの傲慢な態度でソファの上に踏ん反り返る細川に告げると、
「おいっ、お前ら、わかったかぁ!?」
と事務所に残っている構成員たちへ指示を出した。
「へいっ!」
構成員は皆一様に頭を下げる。
「じゃあ帰りましょうか?」
可南子が腰を上げようとしたその時だった。
「お嬢さん、今、お飲み物をご用意いたしますので」
と若頭が引き止めた。
「えっ、飲み物……」
眉間に皺を寄せ、訝しげに首を捻る。
――やくざの事務所で出された飲み物なんて、普通飲めるわけないでしょ。何が入っているかわからないし、変な薬で入っていたらそれこそ洒落になんないわ。手籠めにされちゃったりして……。
暫らくすると、氷が浮かんだグラス三つが運ばれて来た。中の液体は褐色だ。
「ウーロン茶です。どうぞ」
十代後半の美少年が、まるでホストのような仕草で片膝をつき、テーブルの上にグラスを置いた。
可南子は顔を顰めたまま、躊躇っているようで、なかなかグラスを取ろうとはしない。
「お嬢さん、何も入っていませんよ。そんな怖い顔しなくも……」
若頭が苦笑した。
「おっ、悪いな」
細川は、何の疑いもなくグラスを手に取ると、一気にウーロン茶を飲み干した。
それを無言のまま見詰めていた可南子は、グラスに唇を付け、一口だけ飲んだ。
「……ご馳走様」
可南子は、まだ殆ど中身のウーロン茶が残っているグラスをテーブルの上に置き、立ち上がった。
「巡査長、行きましょうか……?」
早くここから逃げ出したい気分だ、と訴えるような眼差しを細川に注ぐ。
「自分は、こいつらとまだ話があるので……」
「でも、単独行動は……?」
「それじゃ、今日はこれで解散ってことで……」
細川にいわれ、可南子は少し困ったように顔を顰めた。
「わかったわ、どうしてもっていうんだったら、私も腹を括ってとことん付き合うわ」
可南子は遂に、覚悟を決めもう一度ソファに腰を下ろすと、グラスを手に取り、残りのウーロン茶を一気に喉の奥へ流し込んだ。
午後十時過ぎ、若頭以下構成員数人に見送られ組事務所を出た時、細川は顔面を真っ赤に染め、千鳥足だった。
――覆面を使わなかった理由がわかった……。
流石に比嘉は素面だった。捜査一課の係長が、やくざの事務所でアルコールを、しかも高級ブランディーをご馳走になる訳にはいかない。細川が飲んだくれている間、ずっとウーロン茶で我慢した。クーラーが効いていたため、トイレとソファを何回も往復する羽目になった。
――このオヤジ、いつもこんなこと、しているのかなぁ? 明らかに服務規程違反だ。監察にバレでもしたら懲罰ものね……。
泥酔し足許が覚束ない細川を支えつつ、可南子は顰め面で小首を傾げると、半ば馬鹿にするかのように、この老刑事の皺だらけの顔を凝と見た。
暫く東へ歩いて、井ノ頭通りへと出る。
可南子はここでタクシーを拾った。
泥酔状態の細川を、このまま捜査本部が設置された渋谷へ連れて帰る訳にはいかない。それこそ大問題だ。保科管理官や、あの嫌味な草彅管理官に何をいわれるかわからい。況してや、準キャリアとして警察庁に採用された身でありながら、警視庁へ出向した可南子を、捜査一課に引き抜いてくれた和田課長の顔に泥を塗ることにもなる。
このまま放置するわけにも行かず、また女子寮に連れて行くわけにも行かず、結局この夜は渋谷中央署近くの簡易カプセルホテルにこの酔っ払いを預けることにした。
渋谷駅近くのカプセルホテルで細川を降ろしたあと、可南子は渋谷中央署に戻った。
――何で、覆面使わないんだろ。このおじさん?
可南子は、濡れた髪をハンカチで拭きながら小首を傾げ、細川を見る。
「次、行きましょうか係長?」
細川は満面の笑みを浮かべ、先を促した。
「次って……?」
「Y会系の弘○組の事務所です」
細川は平然と答えた。
二の足を踏むかのように、可南子はその場に立ち止まった。
階段へと急ぐ五十代半ばの男性と擦れ違い様、右肩がぶつかった。
「済みません」
可南子は会釈し、謝った。そして先を行く細川に背後から声を掛けた。
「特定危険指定暴力団の事務所……、ねえ、それって他所の縄張りを荒らすことにならない?」
可南子が怪訝しているのは、暴力団担当は刑事部ではなく組織犯罪対策部ではないのかという点である。
可南子の三歩前を行く細川は、一旦立ち止まり振り向き、
「富ヶ谷一丁目、あの辺りを仕切っているのは弘○組です。奴らに当たれば何か情報をくれる筈です」
と教えた。
「そういうことか、なるほど蛇の道は蛇ってことね」
「まあ、そういうことですわ」
細川は意味あり気に頷き、改札口に向かって再び歩き始めた。
可南子もその老刑事の後ろを追った。
二人は何回か地鉄を乗り換え、東京メトロ六千代田線代々木公園駅で降りると地上へ出た。裏通りを南へ向かって歩く。渋谷区神山町ラトビア大使館に近い雑居ビルの二階部分が、弘○組の事務所だ。
マッドブラックの重厚なドア。表札には弘○組ではなく、松茂興業株式会社の文字が記されていた。
生憎弘○組三代目は不在だったが、ナンバー2である若頭が二人を出迎えてくれた。ムスクの香りが可南子の鼻腔を擽る。室内には男性用の香水の匂いが充満していた。
「細川の旦那、何か情報が入りましたら、必ず連絡入れます」
若頭は、やくざ顔負けの傲慢な態度でソファの上に踏ん反り返る細川に告げると、
「おいっ、お前ら、わかったかぁ!?」
と事務所に残っている構成員たちへ指示を出した。
「へいっ!」
構成員は皆一様に頭を下げる。
「じゃあ帰りましょうか?」
可南子が腰を上げようとしたその時だった。
「お嬢さん、今、お飲み物をご用意いたしますので」
と若頭が引き止めた。
「えっ、飲み物……」
眉間に皺を寄せ、訝しげに首を捻る。
――やくざの事務所で出された飲み物なんて、普通飲めるわけないでしょ。何が入っているかわからないし、変な薬で入っていたらそれこそ洒落になんないわ。手籠めにされちゃったりして……。
暫らくすると、氷が浮かんだグラス三つが運ばれて来た。中の液体は褐色だ。
「ウーロン茶です。どうぞ」
十代後半の美少年が、まるでホストのような仕草で片膝をつき、テーブルの上にグラスを置いた。
可南子は顔を顰めたまま、躊躇っているようで、なかなかグラスを取ろうとはしない。
「お嬢さん、何も入っていませんよ。そんな怖い顔しなくも……」
若頭が苦笑した。
「おっ、悪いな」
細川は、何の疑いもなくグラスを手に取ると、一気にウーロン茶を飲み干した。
それを無言のまま見詰めていた可南子は、グラスに唇を付け、一口だけ飲んだ。
「……ご馳走様」
可南子は、まだ殆ど中身のウーロン茶が残っているグラスをテーブルの上に置き、立ち上がった。
「巡査長、行きましょうか……?」
早くここから逃げ出したい気分だ、と訴えるような眼差しを細川に注ぐ。
「自分は、こいつらとまだ話があるので……」
「でも、単独行動は……?」
「それじゃ、今日はこれで解散ってことで……」
細川にいわれ、可南子は少し困ったように顔を顰めた。
「わかったわ、どうしてもっていうんだったら、私も腹を括ってとことん付き合うわ」
可南子は遂に、覚悟を決めもう一度ソファに腰を下ろすと、グラスを手に取り、残りのウーロン茶を一気に喉の奥へ流し込んだ。
午後十時過ぎ、若頭以下構成員数人に見送られ組事務所を出た時、細川は顔面を真っ赤に染め、千鳥足だった。
――覆面を使わなかった理由がわかった……。
流石に比嘉は素面だった。捜査一課の係長が、やくざの事務所でアルコールを、しかも高級ブランディーをご馳走になる訳にはいかない。細川が飲んだくれている間、ずっとウーロン茶で我慢した。クーラーが効いていたため、トイレとソファを何回も往復する羽目になった。
――このオヤジ、いつもこんなこと、しているのかなぁ? 明らかに服務規程違反だ。監察にバレでもしたら懲罰ものね……。
泥酔し足許が覚束ない細川を支えつつ、可南子は顰め面で小首を傾げると、半ば馬鹿にするかのように、この老刑事の皺だらけの顔を凝と見た。
暫く東へ歩いて、井ノ頭通りへと出る。
可南子はここでタクシーを拾った。
泥酔状態の細川を、このまま捜査本部が設置された渋谷へ連れて帰る訳にはいかない。それこそ大問題だ。保科管理官や、あの嫌味な草彅管理官に何をいわれるかわからい。況してや、準キャリアとして警察庁に採用された身でありながら、警視庁へ出向した可南子を、捜査一課に引き抜いてくれた和田課長の顔に泥を塗ることにもなる。
このまま放置するわけにも行かず、また女子寮に連れて行くわけにも行かず、結局この夜は渋谷中央署近くの簡易カプセルホテルにこの酔っ払いを預けることにした。
渋谷駅近くのカプセルホテルで細川を降ろしたあと、可南子は渋谷中央署に戻った。
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