捜査一課 猟奇殺人犯捜査官 比嘉可南子 

繁村錦

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CHAPTER2

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 私は濡れた髪をハンカチで拭き取りながら、アディダスのスニーカーを脱ぐと廊下へあがった。立花君が後に続く。

「どうやら先を越されちゃったみたいね」

 桐畑さんの興奮した表情から察した私は、ぼそりと呟くように言った。

「今、鑑識を呼ぼうと思っていたところだ」

 桐畑さんは、保原香澄名義の預金通帳を、これ見よがしにちらつかせる。

「通帳だ。預金額は、五千八百万ほどだ。あの観葉植物の下に隠してあったのを藍原が発見した。それと寝室の壁に飾られていた版画の裏に、恐らく害者の血で書かれた文字を俺が発見した。ええーと何だっ気かな?」

 桐畑さんは首だけで振り向き、後ろに立つ藍原さんに肩越しで訊ねた。
 藍原さんは、私に一礼すると口を開いた。

「REBORNです」

「REBORN?」

 私は鸚鵡返しに言った。

「生まれ変わるって一体、何から何へ生まれ変わるつもりなのかしら」

 私は口を曲げ、釈然としないというような表情を作った。

「という訳で鑑識を呼ぶ」

 桐畑さんがドヤ顔でいった。

「ところで桐畑さん。あなた確か地取り二区の担当だった筈のね? 二区の受け持ちは江東区青海全域でしょ。どうして現場に居る訳。抜け駆けのつもり」

 私はやや険しい表情を作り、早口で捲し立てた。

「煩いなぁっ、そういうお前こそ、敷鑑担当だろ。何でここにきたんだ」

 桐畑さんは語尾を荒げた。

「私は、マル害の部屋に交友関係を探る手掛かりが残っていないかと思って訪ねただけよ。それが何か問題でもある?」

「お前、俺に手柄先越されて嫉妬しているのか? 三十路女の嫉妬は見っともないぜ」

 桐畑さんは嘲笑うようにいった。

「何ですってぇっ」

 ついかっとなり、私は自分よりも身長が高い桐畑さんの胸倉を掴もうと手を伸ばした。

「何だ、お前やるのか?」

 桐畑さんが上から私の目を睨みつける。私も負けじと睨み返す。私たち二人はいつもいがみ合っている犬猿の仲だった。

「お二人とも落ち着いて下さい」

 立花君が仲裁に入った。

「そうですよ、兎に角落ち着きましょう」

 藍原さんも興奮気味の私たちを宥めた。

「そうね、私たちが言い争っている場合じゃなかった」

 私は落ち着きを取り戻し、深呼吸した。話を続ける。

「版画の裏の血文字の件は、取り敢えずあなたの手柄ってことでいいわ。それより、藍原さんだっけ、この子が見つけたという通帳、見せてくれない」

「ほらよ」

 桐畑さんは私のお願いを承諾し、意外とすんなりと預金通帳を渡した。

 手袋を嵌め、通帳を確認する。

「へえ、預金額は五千八百六十二万七千五百二十三円か」

 私は一円単位の細かい数字まで口にした。

「最後に振り込まれたのが、先週の金曜日、八日の午後二時十九分か。金額は十万円、ATMを使って入金してある。彼女も几帳面な性格みたいね、ちゃんと記帳しているってことは」

「相手わかりますか?」

 私の背後に立って通帳を覗き込んでいた立花君が声を掛けた。

「いいえ、駄目」

 私は首を振った。

「恐らく男から受け取った金を、この保原香澄本人が入金したんだと思う」

 私たちが通帳の中身を確かめている間に、桐畑さんは捜査本部に電話を掛け、鑑識を要請した。

「ちぇっ、沖警部のおやじにお前と同じことをいわれ、怒鳴られた」

 桐畑さんは不貞腐れながらいうと、バツ悪そうに鼻の頭を掻いた。
 暫くすると鑑識の人間が到着した。桐畑さんと藍原さんは、血文字と通帳発見時の状況を説明した。藍原さんがいうには、観葉植物の受け皿の下のフローリングが、ほんの少し汚れていて、何かで引っ掻いたような傷があったらしい。
 鑑識作業の邪魔にならないようにリビングルームの隅で、私と立花は静かに様子を見守った。鑑識係員たちは、部屋中に掛けられている絵画や、床に置かれている観葉植物の類を全部除けてみたが、新たな証拠品の発見には至らなかった。
 鑑識作業が終了すると、私たち四人の捜査員は本来やらなくてはならないそれぞれの任務に戻ることにした。

「やっぱり、保原香澄さんを殺害した犯人は、彼女から結婚詐欺の被害を受けた男性でしょうか?」

 四人も乗った狭苦しいエレベーターの中で、不意に立花君が訊ねてきた。

「それはない」

 私と桐畑さんは、二人同時に手と首を横に振った。

「どうしていい切れるんですか?」

 これまで黙って話を聞いていた藍原さんが、質問してきた。
 私が答えようとした瞬間、一階に到着し、ドアが開いた。
 エレベーター待ちをしていた住人が二人立っていた。目と目が合い、軽く会釈する。答えるタイミングを逸した私は口を噤んだまま、エレベーターから降りた。後ろに立花君が続く。正面玄関の自動ドアへ向かって歩き出す。その途中で私は正面を向いたまま先ほどの質問に答えた。

「少なくとも、彼女から詐欺被害を受けたと訴えている石黒孝雄と吉川敏樹には、完璧なアリバイがある。確認済みよ。石黒は三日前から大阪の方へ出張しているし、神奈川県庁に勤務する吉川は、マル害が殺害されたとされる十二日午後九時三十分頃、庁舎に残って残業していたことが確認されているわ」

「そうですか……」

 藍原さんは残念そうに頷いた。

「二人の他に、彼女から詐欺被害を受けていた間抜けな男がいたとすれば、話は変わって来るけどね」

 私は意味あり気な笑みを浮かべた。

「藍原、結婚詐欺の件は捜査二課の連中に任せておけばいい。俺たちは、害者の腹を引き裂くという残忍な手口で殺害した変態野郎を追うのが任務だ」

「変態野郎か、確かに」

 桐畑さんの話を聞いていた立花君は、納得したような素振りを見せ頷いた。
 マンションの外へ出ると、土砂降りだった雨はもう既に止んでいた。しかし、アスファルトに視線を落とすと、所々水溜りができていた。その水溜りを避けながら私たち四人は駐車場へ歩いて行く。
 ステンレスの柵の前には、平沢さんがずぶ濡れの状態のまま突っ立っている。その中年男性警察が私に気付いた。

「おう、終わったのか比嘉さん。さっき、鑑識の連中がやってきて血相変えここを通り過ぎて行ったが、上で何か見つかったのか?」

 私はどうしたものかと思い、桐畑さんの顔を見る。桐畑さんが、教えてやれ、という具合に頷いた。
 私は平沢さんの方へ歩み寄り、二十九階のあの部屋を見あげながら、

「壁に掛けられていたラッセンの版画の裏から、血文字が見つかったの、それとマル害名義の預金通帳も」

 と伝えた。

「比嘉さん、お前さんが見つけたのか?」

「いいえ。私じゃありません。桐畑さんです。預金通帳は、あの子です」

 私は、少し離れたところで並んで立つ藍原さんを指差した。

「確かうちの署の刑組課のお嬢さんだったな。名前は何っていったけかな」

「藍原環奈巡査です」

「そうそうその藍原君だ」

「彼女、いい刑事になると思いますよ」

 私は、フローリングのほんの僅かな傷から預金通帳を見つけ出した彼女の慧眼に感服していた。
 先行くぞという素振りを見せると、桐畑さんたち三人は私の許を離れ、駐車中の覆面パトカーへ向かって歩き出した。その後ろ姿を目で追っていた私は、再び正面の平沢さんの方に顔を向けた。

「どうした、浮かない顔して。後輩に手柄先越されて焦っているのか?」

「いいえ違います。そんなんじゃありません。版画の裏に血文字でREBORNって書かれていたんです。直訳すると生まれ変わるっていう意味です。どういうことでしょうか? それに、平沢さんさんも既にご存知かと思いますが、保原香澄を殺害した犯人、マル害の腹を切り裂いて胃や十二指腸や子宮に膣などの性器、そして左乳房を持ち去っているんですよ。その目的が私にはどうしてもわかりません」

 私に問われた平沢さんは、うーん、と低い声を発して、目を閉じた。暫くして瞼を開けると、眼前に立つ私を凝視した。

「比嘉さん、胃や腸は何のために我々人間の身体に備わっている」

「……食べ物を消化するためです」

 平沢さんは少しいやらしい目付きで、私の下半身に目をやった。

「お前さんのあそこは、何のためにある」

 とセクハラ発言をした。

「もう、変なこといわないでください、平沢さんさん……あっ、そうかっ!」

 私は重要な点に気ついた。

「わかりました平沢さん、こういうことですね。胃や小腸などの消化器官を持ち去ったのは、その中の内容物を探られては犯人にとって都合が悪いためです。女性器も同じです。つまり、保原香澄が殺害された日に、犯人はマル害と逢っていた。もっと具体的にいえば、その日、食事を楽しみ、そのあと枕を共にした人物ってことですね」

「理解したようだな比嘉さん、必ず被疑者を逮捕しろよ。お前さんの手で」

「ありがとうございます」

 私は平沢さんに一礼すると、踵を返して立花君たちの許へ戻った。
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