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CHAPTER2
3
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本日、午後一時過ぎから 相棒の立花君と共に、六本木の『ナカムラプロダクション』を皮切りにして、数件の組事務所を回ったが、全て空振りだった。
保原香澄と嘗て交際していた素行の悪い連中は皆、アリバイを主張した。一つ一つ裏取りを行い、赤坂のS会系の組事務所を出た時には、日付が変わる数分前だった。ダッシュボードのデジタル時計の表示は23:53だ。
「今日はこの辺で勘弁してください」
運転席に座る立花君が弱音を吐いた。
「後もう一軒。この先の銀座八丁目の『マリアンヌ』へ行く。今日はこれで最後よ」
私は平然と吐き捨てた。
私たちは先ほどまで、港区赤坂○‐○‐○に本部がある指定暴力団S会系の二次団体に出向いた。そこで、数年前まで保原香澄の男だった木之下正男が、一昨日十二日の夜は、兄貴分の柳原清治と一緒に銀座の高級クラブ『マリアンヌ』で飲んでいたと証言したため、裏を取りに行くのだ。
数分で銀座八丁目に着いた。
「左に寄せハザードを出して停車して、私一人で確かめてくる。あんたはそこで仮眠でも取ってなさい」
立花君は小さく頷く。
私が覆面から降りようとして、ドアノブに手を掛けたその時だった。車の後方から数人の男が近寄ってきた。
何れも黒服だ。この界隈の高級クラブで働くボーイではない。私は咄嗟に身構えた。運転席では立花君がシートを倒し、もう既に寝息を立てていた。
「起きて」
といって、私は立花君の身体を揺さぶった。だが反応がない。
男たちは三人だ。こっちは二人だ。しかも一人は爆睡中だ。身体を揺さぶっても起きない。
さあどうする? 私は自問自答する。
男の一人、一番背の高い奴が、助手席側のドアをノックした。私はパワーウインドウを下げた。三人の男たちからは同業者の匂いがした。
長身の男が、にやりと不敵な笑みを浮かべた。
「警護課四係だ」
と不遜な態度で告げ、警察手帳を提示する。
所謂SPだ。ナンバーから覆面パトカーであるということも理解しているようだ。しかし相手は巡査部長だ。階級の上では私の方が偉い。
「本庁捜一殺人班四係の比嘉です」
私も警察手帳を見せた。
男たちは私の階級を知ると驚きの表情を見せた。この瞬間が堪らなく心地良い。努力して勉強した甲斐があったと心から喜べる。
「公務ですか?」
長身の男が訊ねる。
私は首肯した。
「例の有明の猟奇殺人の被疑者を追っている。運転席で寝ている坊やは、今年東京湾岸中央署に配属されたキャリアよ。確かこの子の父親は、岩手県警本部長の立花君警視長だった筈」
そこまでいうと、男たち三人は完全に引いてしまった。お互いの顔を見合わせ頷いている。
「それで、そっちは?」
私が訊ねると、長身の男が、
「政府要人が、この先のクラブにきています。我々はその警護で」
と答えた。
私は頷くと、
「私もこの先の『マリアンヌ』っていうクラブに用事があるの」
と告げ、車から降りた。
SPたちと別れた私は、数メートル歩き、煌びやかなネオンが輝く『マリアンヌ』の前で立ち止まった。
店先では、今夜、この店に遊びにきた客たちを、ママとホステスたちが見送りに出ていた。
何っ、化粧気のない地味な顔をした小便臭い田舎者の女は? といった表情で、ママらしき中年女性が私を睨みつける。
「済みません。ちょっと宜しいでしょうか?」
臆せず私は告げた。
「はあぁ?」
ママが怪訝そうに首を傾げる。
「私、こういう者です」
私は警察手帳を提示する。
「警察の方……?」
急にママの顔に翳りの色が見えた。叩けば埃が出そうだが、これは自分の仕事ではない。捜査二課か、生活安全部の仕事だと自分にいい聞かせ、私は本来の目的を口にした。
咳払いして、
「一昨日十二日の夜、S会系の柳原清治さんとその弟分の木之下正男さんが、こちらのお店で飲んでいらっしゃったと証言がありまして、その裏を取りに」
と、ここまで口にするとママは、たった今、客を見送ったばかりのホステスの方を見た。
「芳江ちゃん。ちょっと」
ママは、瓜実顔の和風美人を手招いた。
「何、ママ?」
「こちらの刑事さんが、一昨日の晩のことであなたにお話があるそうよ」
「警視庁捜査一課の比嘉です。一昨日、午後八時過ぎからこのお店が閉店するまでの間、柳原清治さんと木之下正男さんのお二人が、こちらで飲んでいたというのは本当でしょうか?」
「はい、間違いありません。私ともう一人、幾重ちゃんがお相手したからよく覚えています」
「幾重さん……?」
「今日はお休みです」
芳江さんは答えた。
「済みません、因みに、失礼ですがあなたの本名は?」
芳江さんは少し躊躇いの色を浮かべた。
「ヤマダハナヨです」
「ヤマダハナヨさんですか。どんな字を?」
と訊ね、私はボールペンとメモ用紙を手渡した。
「ついでにお電話番号とご住所の方も、お願いします」
「はい」
芳江さんは頷くと、渡されたメモ用紙にペンを走らせ、自分の本名と住所と電話番号を書き込んだ。因みに本名は山田花代と書く。
確認を取ると、私は深々と一礼し、ハザードを点滅させながら後方で駐車中の三菱ランサーへ戻った。これで本日の裏取りは全て終了だ。殺された保原香澄が、過去に付き合った暴力団関係者七人、全てシロだった。
明日は、捜査対象範囲を広げ、猟奇殺人ものを扱ったDVDに興味のある人間を中心に当たってみることにしよう、と思いつつ、私はドアノブに手を掛けた。
保原香澄と嘗て交際していた素行の悪い連中は皆、アリバイを主張した。一つ一つ裏取りを行い、赤坂のS会系の組事務所を出た時には、日付が変わる数分前だった。ダッシュボードのデジタル時計の表示は23:53だ。
「今日はこの辺で勘弁してください」
運転席に座る立花君が弱音を吐いた。
「後もう一軒。この先の銀座八丁目の『マリアンヌ』へ行く。今日はこれで最後よ」
私は平然と吐き捨てた。
私たちは先ほどまで、港区赤坂○‐○‐○に本部がある指定暴力団S会系の二次団体に出向いた。そこで、数年前まで保原香澄の男だった木之下正男が、一昨日十二日の夜は、兄貴分の柳原清治と一緒に銀座の高級クラブ『マリアンヌ』で飲んでいたと証言したため、裏を取りに行くのだ。
数分で銀座八丁目に着いた。
「左に寄せハザードを出して停車して、私一人で確かめてくる。あんたはそこで仮眠でも取ってなさい」
立花君は小さく頷く。
私が覆面から降りようとして、ドアノブに手を掛けたその時だった。車の後方から数人の男が近寄ってきた。
何れも黒服だ。この界隈の高級クラブで働くボーイではない。私は咄嗟に身構えた。運転席では立花君がシートを倒し、もう既に寝息を立てていた。
「起きて」
といって、私は立花君の身体を揺さぶった。だが反応がない。
男たちは三人だ。こっちは二人だ。しかも一人は爆睡中だ。身体を揺さぶっても起きない。
さあどうする? 私は自問自答する。
男の一人、一番背の高い奴が、助手席側のドアをノックした。私はパワーウインドウを下げた。三人の男たちからは同業者の匂いがした。
長身の男が、にやりと不敵な笑みを浮かべた。
「警護課四係だ」
と不遜な態度で告げ、警察手帳を提示する。
所謂SPだ。ナンバーから覆面パトカーであるということも理解しているようだ。しかし相手は巡査部長だ。階級の上では私の方が偉い。
「本庁捜一殺人班四係の比嘉です」
私も警察手帳を見せた。
男たちは私の階級を知ると驚きの表情を見せた。この瞬間が堪らなく心地良い。努力して勉強した甲斐があったと心から喜べる。
「公務ですか?」
長身の男が訊ねる。
私は首肯した。
「例の有明の猟奇殺人の被疑者を追っている。運転席で寝ている坊やは、今年東京湾岸中央署に配属されたキャリアよ。確かこの子の父親は、岩手県警本部長の立花君警視長だった筈」
そこまでいうと、男たち三人は完全に引いてしまった。お互いの顔を見合わせ頷いている。
「それで、そっちは?」
私が訊ねると、長身の男が、
「政府要人が、この先のクラブにきています。我々はその警護で」
と答えた。
私は頷くと、
「私もこの先の『マリアンヌ』っていうクラブに用事があるの」
と告げ、車から降りた。
SPたちと別れた私は、数メートル歩き、煌びやかなネオンが輝く『マリアンヌ』の前で立ち止まった。
店先では、今夜、この店に遊びにきた客たちを、ママとホステスたちが見送りに出ていた。
何っ、化粧気のない地味な顔をした小便臭い田舎者の女は? といった表情で、ママらしき中年女性が私を睨みつける。
「済みません。ちょっと宜しいでしょうか?」
臆せず私は告げた。
「はあぁ?」
ママが怪訝そうに首を傾げる。
「私、こういう者です」
私は警察手帳を提示する。
「警察の方……?」
急にママの顔に翳りの色が見えた。叩けば埃が出そうだが、これは自分の仕事ではない。捜査二課か、生活安全部の仕事だと自分にいい聞かせ、私は本来の目的を口にした。
咳払いして、
「一昨日十二日の夜、S会系の柳原清治さんとその弟分の木之下正男さんが、こちらのお店で飲んでいらっしゃったと証言がありまして、その裏を取りに」
と、ここまで口にするとママは、たった今、客を見送ったばかりのホステスの方を見た。
「芳江ちゃん。ちょっと」
ママは、瓜実顔の和風美人を手招いた。
「何、ママ?」
「こちらの刑事さんが、一昨日の晩のことであなたにお話があるそうよ」
「警視庁捜査一課の比嘉です。一昨日、午後八時過ぎからこのお店が閉店するまでの間、柳原清治さんと木之下正男さんのお二人が、こちらで飲んでいたというのは本当でしょうか?」
「はい、間違いありません。私ともう一人、幾重ちゃんがお相手したからよく覚えています」
「幾重さん……?」
「今日はお休みです」
芳江さんは答えた。
「済みません、因みに、失礼ですがあなたの本名は?」
芳江さんは少し躊躇いの色を浮かべた。
「ヤマダハナヨです」
「ヤマダハナヨさんですか。どんな字を?」
と訊ね、私はボールペンとメモ用紙を手渡した。
「ついでにお電話番号とご住所の方も、お願いします」
「はい」
芳江さんは頷くと、渡されたメモ用紙にペンを走らせ、自分の本名と住所と電話番号を書き込んだ。因みに本名は山田花代と書く。
確認を取ると、私は深々と一礼し、ハザードを点滅させながら後方で駐車中の三菱ランサーへ戻った。これで本日の裏取りは全て終了だ。殺された保原香澄が、過去に付き合った暴力団関係者七人、全てシロだった。
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