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INTERLUDE 4
INTERLUDE4
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溝添康一が警視庁に採用されて、今年で三十年が経つ。茨城県常総市長助町で生まれ育った溝添は、高校三年の時、茨木県警の採用試験を受けた。結果は不合格だった。一度は警察官になる夢を諦め、高校卒業と同時に、地元で数店舗営業する地域密着型のスーパーに就職した。
二年後、一度は諦めた警察官になりたいという夢が、再び彼の中で火がついた。二度目は、警視庁を受験することにした。猛勉強した結果、見事合格し、二十一歳の春に溝添の警察官としての人生が始まった。
警察官になって三年目の夏だった。新宿中央署地域課百人町交番勤務の時代、百人町二丁目○‐○○で発生した殺人事件の現場に駆け付けたことがあった。これが初めて目の当たりにした殺人事件の現場だった。賃貸マンションの九階の一室九〇四号室に暮らす当時三十一歳の独身女性が、不倫相手の男性に殺害されたのだ。扼殺だった。
二度目の殺人事件は、十三年前、三鷹中央署刑事課強行犯係にいた時だ。被害者は、三鷹市上連雀四丁目在住の資産家七十代の老夫婦。加害者はその孫。当時はまだニートと言う言葉自体なかったが、加害者は定職に就かず、自宅二階の自分の部屋に引き籠っていた。老夫婦はそんな孫を世間様に対し見ともないと詰った。カッとなった孫は、父親のゴルフクラブを持ち出し、祖父母の頭を殴ったのだ。溝添が臨場した時、横たわる老夫婦の頭は柘榴のようにぱっくりと割れ、脳漿が飛び散っていた。その光景は今でもはっきりと脳裏に焼き付いている。
三度目が、五年前に起こったJR池袋駅西口公園通り魔殺傷事件だ。当時池袋中央署刑事課強行犯係に在籍していた溝添は、四人が負傷し、三人が死亡したその現場に、一所轄署員として駆け付けた。三人の犠牲者は何れも失血死だった。
溝添が殺人現場を見るのは、今回で四度目となる。しかし、今回の現場は、過去の三つとは比べ物にならないほど凄惨な状況だった。
本庁からやってきたという糞生意気な小娘に顎で使われ、後輩刑事と一緒に裏口へ回った定年間近の老刑事が目の当りにした光景は、まさにこの世のものとは思えないほど凄惨だった。
裏に回った溝添は、まず勝手口脇に置かれた観葉植物に目をやった。十号鉢に植えられたエバーフレッシュだ。手を伸ばし、土の表面が乾いているか確かめてみる。乾いていた。つまり半日以上この観葉植物に水を与えていない。朝も水をやっていないことになる。
その間、安永は勝手口のドアをノックしていた。正面玄関同様、無反応だった。
「やはり、いませんね」
かぶりを振り、二人は諦めて表に回ることにした。
行きとは違い、帰りは隣の家との間を通ることにした。勝手口から西へ数歩進み、隣の家のブロック塀との細い隙間に入った。
エアコンの室外機が作動している。溝添はおやっと思い小首を傾げた。
その時だった。
背後に立つ後輩の安永が、
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーっ」
などと、刑事らしからぬ叫び声をあげたのだ。
「うん。どうした?」
溝添は安永の顔を見あげた。
若い刑事は、まるで化け物でも見たかのように顔面蒼白となり、
「あっ、あ、あ、あれ……。み、溝さん、あ、あれ」
と小窓を指差した。その指が小刻みに震えている。
「何だ。一体どうしたって……」
安永の指差す先を目で追った溝添は、ここで言葉が詰まってしまった。
頭の中が真っ白になり、完全に思考が停止した。
アリだよな、あれは……?
数百匹のアリが、ベージュ色に塗装された壁を、列を成して攀じのぼって行く。目的地は、小窓だ。半分開いている。列の先頭のアリは既に、窓枠に置かれた鮮血が滴る肉の塊に群がっていた。どうやらレバーのようだ。しかしそれは、鶏や豚などスーパーで販売されている食用のものではなく、明らかに人間のものだった。
溝添がそれを人間のものだと認識できた理由は、そのどす黒い肉の塊の持ち主だった男性が、腹を切り裂かれた状態で、ダイニングキッチンの天井から吊りさげられていたからだ。
「小林さん……?」
天井から吊りさげられている死体と、目と目が合った気がして、溝添は思わずその名前を口にした。
側溝に左足を取られてはじめて、自分でも気付かないうちに後退りしていたことを知った。
二年後、一度は諦めた警察官になりたいという夢が、再び彼の中で火がついた。二度目は、警視庁を受験することにした。猛勉強した結果、見事合格し、二十一歳の春に溝添の警察官としての人生が始まった。
警察官になって三年目の夏だった。新宿中央署地域課百人町交番勤務の時代、百人町二丁目○‐○○で発生した殺人事件の現場に駆け付けたことがあった。これが初めて目の当たりにした殺人事件の現場だった。賃貸マンションの九階の一室九〇四号室に暮らす当時三十一歳の独身女性が、不倫相手の男性に殺害されたのだ。扼殺だった。
二度目の殺人事件は、十三年前、三鷹中央署刑事課強行犯係にいた時だ。被害者は、三鷹市上連雀四丁目在住の資産家七十代の老夫婦。加害者はその孫。当時はまだニートと言う言葉自体なかったが、加害者は定職に就かず、自宅二階の自分の部屋に引き籠っていた。老夫婦はそんな孫を世間様に対し見ともないと詰った。カッとなった孫は、父親のゴルフクラブを持ち出し、祖父母の頭を殴ったのだ。溝添が臨場した時、横たわる老夫婦の頭は柘榴のようにぱっくりと割れ、脳漿が飛び散っていた。その光景は今でもはっきりと脳裏に焼き付いている。
三度目が、五年前に起こったJR池袋駅西口公園通り魔殺傷事件だ。当時池袋中央署刑事課強行犯係に在籍していた溝添は、四人が負傷し、三人が死亡したその現場に、一所轄署員として駆け付けた。三人の犠牲者は何れも失血死だった。
溝添が殺人現場を見るのは、今回で四度目となる。しかし、今回の現場は、過去の三つとは比べ物にならないほど凄惨な状況だった。
本庁からやってきたという糞生意気な小娘に顎で使われ、後輩刑事と一緒に裏口へ回った定年間近の老刑事が目の当りにした光景は、まさにこの世のものとは思えないほど凄惨だった。
裏に回った溝添は、まず勝手口脇に置かれた観葉植物に目をやった。十号鉢に植えられたエバーフレッシュだ。手を伸ばし、土の表面が乾いているか確かめてみる。乾いていた。つまり半日以上この観葉植物に水を与えていない。朝も水をやっていないことになる。
その間、安永は勝手口のドアをノックしていた。正面玄関同様、無反応だった。
「やはり、いませんね」
かぶりを振り、二人は諦めて表に回ることにした。
行きとは違い、帰りは隣の家との間を通ることにした。勝手口から西へ数歩進み、隣の家のブロック塀との細い隙間に入った。
エアコンの室外機が作動している。溝添はおやっと思い小首を傾げた。
その時だった。
背後に立つ後輩の安永が、
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーっ」
などと、刑事らしからぬ叫び声をあげたのだ。
「うん。どうした?」
溝添は安永の顔を見あげた。
若い刑事は、まるで化け物でも見たかのように顔面蒼白となり、
「あっ、あ、あ、あれ……。み、溝さん、あ、あれ」
と小窓を指差した。その指が小刻みに震えている。
「何だ。一体どうしたって……」
安永の指差す先を目で追った溝添は、ここで言葉が詰まってしまった。
頭の中が真っ白になり、完全に思考が停止した。
アリだよな、あれは……?
数百匹のアリが、ベージュ色に塗装された壁を、列を成して攀じのぼって行く。目的地は、小窓だ。半分開いている。列の先頭のアリは既に、窓枠に置かれた鮮血が滴る肉の塊に群がっていた。どうやらレバーのようだ。しかしそれは、鶏や豚などスーパーで販売されている食用のものではなく、明らかに人間のものだった。
溝添がそれを人間のものだと認識できた理由は、そのどす黒い肉の塊の持ち主だった男性が、腹を切り裂かれた状態で、ダイニングキッチンの天井から吊りさげられていたからだ。
「小林さん……?」
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