愛がなければ生きていけない

ニノ

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  毎朝目覚めて直ぐ瞳に映るのは、光沢のある生地が幾重にも重なった豪奢な天蓋。
 そして温もりを感じる左側に顔を向ければ、そこには僕の愛しい恋人がぐっすりと眠る姿があった。
 僕は彼を起こさないように、そっと上半身だけを起こし、その端整な寝顔を眺める……。
 彼が目覚めるまでの僅かな時間、誰にも邪魔されずにそうして過ごすのが、このところの習慣となっていた。
 いつでもきっちりと撫で付けられている豊かな金色の髪は、今は下ろされ、その一房が目にかかっている。それを払いのけていると不意に僕の手首が大きな手に掴まれた。
 起こさないように慎重に触れたつもりだったけれど気配に敏感なジュークが目を覚ますには充分だったのだろう…、せっかく良く眠れていたのに悪いことをしてしまった。

「おはよう、また寝顔を見てたのか?起こしてくれればいいのに。」

 ジュークはそう言って冷たい印象を与える美貌に優しげな表情を乗せると、僕の額に唇を落としてきた。

「だって…、最近帰りが遅いし…。仕事が忙しくて疲れてるでしょう?」

 そう言いながら額を隠す…。彼の恋人になってから半年は過ぎたのに僕は未だにこういう行為に慣れることができない、額どころか唇にも…いや、彼にキスされていない場所なんてない程なのに……。

 いつまで経っても慣れない様子の僕に苦笑しながらジュークは身体を起こした。
 後15分もすればこの屋敷の執事が彼を起こしに来てしまう。
 そうすれば彼と二人きりの時間は今日の夜まではお預けだ。

「いや、仕事はいつもと変わりない。けどこのところ神子様からのお声掛けが多くてな、ありがたいことだ。」

 神子と言う言葉にどきりとする。
 あれから…、僕らがこの世界に来た日から吉野君とは会っていない。でも噂だけは聞いていた。

 神子様のおかげでこの国には魔物が現れなくなった。

 神子様のおかげで実り豊かな国になった。

 神子様のおかげで流行り病がたち消えた。

 吉野君の評判は上々のようだ。当然だろう…、存在するだけで国を、国民を守り豊かにするのだ。生き神様のように崇めたくもなるだろう。

 彼は僕が追い出されたお城で大切にされているらしい、それこそ学園で生徒会の人達から大事にされていたように…。













 あの日…、罪人のように牢屋に入れられそうになった僕を助けてくれたジューク、彼は僕を自分の屋敷に連れ帰り、客人として丁重に扱ってくれた。
 この国の騎士団の団長であり、有力貴族の次男である彼の屋敷は大変立派な物だった。
 てっきりそこで使用人として雇われるか、どこかに働き手として預けられるのだろうと思っていた僕に、彼は君は被害者だと頭を下げ、整えられた部屋を与えこの世界に馴染むまでいつまでもここに居て良いとさえ言ってくれたのだ。
 君は何も悪くないのだと、辛い想いをさせてすまないと謝ってくれる彼にここに来て初めて自分という存在が認められた気がした。

 彼の優しさは、この世界に絶望した僕が彼に傾倒するには十分なものだった。
 それからの僕は彼の恩に報いるよう、必死でこの世界に馴染む努力をした。
 この世界の常識を学び、生活するうちに彼以外の人とも仲良くなれるのではないかという期待もそこにはあったが、決してそうはならなかった。
 どうやら僕の悪い評判は国中に広まっていたらしい…。
 異世界から無理矢理神子についてきた役立たずが、図々しくもジュークの屋敷に居座っていると誰かが吹聴したらしい。
 その結果、見事に僕は屋敷の人から嫌われジュークが着けてくれた家庭教師には物覚えが悪いとなじられ、屋敷の使用人からは嫌がらせを受けていた…、決してジュークにはばれないように。

 それでもジュークだけは僕に対する態度を変えたりはしなかった。相変わらず優しく接してくれたし、毎夜どんなに疲れて帰って来ても必ず僕の部屋に足を運び、今日はどんな事があったか話し、僕はどう過ごしていたのかを聞いてくれた。

 そんな彼に恋心を抱くようになるには、そう時間はかからなかった。

 男性に恋をすることは初めてだったが、戸惑うことは少しもなかった。
 幸いこの世界は同性愛は当たり前の事だったし同性同士の結婚も許されていたからだ。
 それにこんな自分に…、皆の言うとおり何の役にも立たない僕を大事にしてくれるジュークを好きになることはとても自然なことだと僕には思えた。

 日に日に彼のことが愛しくなる。あの手に触れられたい、優しく抱き締めて欲しい……。
 そう思いながらも彼にこの気持ちを伝えることはできないでいた。
 彼のに拒絶されたら?不埒な想いを抱いていたのかと嫌われてしまったら?

 僕はこの世界で唯一の比護を失ってしまう。その恐怖から彼に気持ちを伝えることができないでいた。
 彼を永遠に失うくらいなら気持ちは伝えなくても良い、ただいつまでも側に置いてくれるのなら十分だ。そう思い自分の気持ちには蓋を閉め続けていた。


  騎士団は、月に何度か魔物の討伐の為、僻地へと遠征に赴く。
 隊長であるジュークも例外ではなく、遠征時期は何日も屋敷には帰らない…。
 そんな時、僕は決まって屋敷のメイド達からひどい嫌がらせを受けていた。

「役立たずがいつまでこの屋敷にいるつもりなの?図々しい。」

「ジューク様の優しさに甘えるなんて恥知らずだこと。なんで私たちがあんたの世話なんかしなきゃならないのよ。」

 そんな風に罵られるのは当たり前で、薪割や屋敷中の掃除をさせられたりと、様々な雑用を押しつけられた。       柔な僕の手は慣れない水仕事ですぐに荒れ、追い討ちをかけるように薪割りで手のひらはボロボロになってしまった。
 するとメイド達は、これでは僕に対する仕打ちがジュークにばれてしまうと気付き、嫌がらせの方法をより陰湿なものへと変えていった。

 この頃はジュークが遠征に出発した途端、僕は小さな離れの小屋に追いやられている…。

 ベッドも椅子も…、灯りさえもない、そんな場所に追いやり、不自由な思いを僕にさせる事で溜飲を下げているようだ。
 僕が使わない間、客間を掃除する手間が省けて一石二鳥になるのだとも言われた。

 でも、僕はこの小屋に入れられることが嫌ではなかった。むしろ救いにすら感じていた。

 僕に嫌がらせをするのは何もメイドだけじゃない。下男からは旦那様を誘惑しているのだろうと唾を吐かれ、信仰心の厚い執事からは神子さまに無理矢理ついてきた恥知らずだと罵倒される……。
 そんな彼らと離れられるこの小屋は、ジュークが側にいない時の唯一の安心できる場所だった。
 幸いにも粗末な食事だけは日に二回程届けられたから、僕は飢えることもなくこの小屋で毎日ジュークの無事を祈りながら彼の帰りを待ち続けることができた。


「あんたみたいな恥知らずにはこの小屋で十分、分かってるわよね、絶対に旦那様に告げ口するんじゃないわよ。」

 メイド達はそう言うと、何時ものように小屋の扉に鍵をかけてその場を去っていった。

 彼女らの足音が去って行くと、思わず安堵のため息が溢れる…。硬い床にぺたりと座り込み壁に凭れてると肩の力が抜け、漸くきちんと呼吸ができたような気がした。氷のように冷たい石造りの壁と床も換気の為だけにある通気孔の様な窓も、今は少しも気にならない…。

 僕は姿勢をきちんと整えると、いつものようにお祈りを始める。

(この世界の神様、どうかジュークをお守りください…。)

 元の世界では僕は全然信心深くなんてなかった…。
でも、この世界には確実に神様が存在している。
 僕たちを……ううん、吉野君をこの世界に連れてきた神様が。
 だから僕は暇さえあればずっと祈り続けていた。僕を守ってくれる大切な人を、どうかお守りくださいと…。

 ジュークが纏める騎士団の第一部隊は優秀なようで、彼が大きな怪我を負って帰ってきたことなんか今までなかったけど、それでも僕は心配だった。
 できれば少しも怪我なんかしてほしくないし、魔物という得体の知れない存在がどんなものか、僕には全く想像もつかないから余計に不安に刈られる。

『セツは心配症だな、安心しろ…、直ぐに帰ってきて一番にセツに会いに行くから』

 そう言ってくしゃりと髪を撫でてくれた優しい手を思い出すと胸が熱くなる…。

(あなたが無事に帰って来るまで、元気な顔を見るまでは安心なんてできない。)

 周囲に冷たく当たられる度に、ジュークに優しくされる度に僕の恋心は加速していった。

 この気持ちを伝えたって彼を戸惑わせるだけだ。だから気持ちを伝えるつもりはないけれど、いつか僕がこの世界で生きる術を身につけたら、これまでの恩返しに、彼のそばで彼の役に立つ仕事がしたかった。
…そうすればずっと彼の側にいられるし…。

 でも、まだ僕はこの世界で生きて行く術を身につけていない、皆の言うとおりの身の程知らずの役立たずだ。
 だからせめて無事を祈ることは許してほしい、今の僕にはこれしか彼にしてあげられることがないのだから……。













 自分の何倍の大きさもある魔獣が倒れ込み、激しい砂ぼこりが巻き起こる。

「皆怪我はないか!!報告しろ!!」
「はい!第一部隊15名、誰も負傷しておりません!」

 粉塵を吸わないように口元をマントで覆いながら、部下達に指示を出すと、間髪入れず副隊長からの報告があがった。

「そうか、皆良くやった。今日の討伐はこれまでにしよう、砦に戻るぞ!!」

 俺がそういうと部下たちは一斉に、帰路に着く準備に取り掛かる。
 戦闘を終えても気を抜かず、きびきびと動く部下達を見ながら自分も馬に荷を括り付け、帰路に着く準備を始める。すると、すでに準備を終えた副隊長が俺の側に寄ってきた。

「お疲れ様です。隊長、お手伝いしましょうか?」

「いや良い、もう終わる。手が空いたなら少し休んでおけ。」

 労うつもりで吐いた言葉に、副隊長は肩を竦めてみせた。

「休む程疲れていませんよ、あっという間の討伐でしたからね。」

「確かに、呆気ないほどに早く片付いたな。この分なら王都に戻る日も早そうだ。」

 王都にはセツが待っている。彼を早く安心させる為にも早く帰れるに越したことはない。

「魔物の力が弱まってきているのを感じますね、それに何だか調子が良い気がするんですよ、なんだか、自分の持っている実力以上の力が湧いてくるような…。」

 不思議そうに首を傾げる副隊長の言葉には俺も心当たりがあった。

「実は俺も同じように感じていた。俺だけじゃなくこの第一部隊全体の戦闘力が上がっているような気がする。」

「やっぱり神子様のお力ってやつじゃないですかね?俺たちの為に祈ってくれているのでしょう。やはり噂のとおり慈悲深いお方だ。…隊長はもったいない事をしましたね、もう少しで神子様の専属騎士になれたかもしれないのに、役立たずの異世界人を保護してチャンスを不意にするなんて…。」

 まるでセツを悪者のように言う副隊長に苦笑する。彼は悪い人間ではないと何度反論しても、何故だか誰も信用しないのだ。
 神子の座を奪おうと無理矢理この世界について来たとか、自分は被害者だから面倒を見ろと俺に詰め寄ったとか、ありもしない噂が広まっているせいだ。
 ここまで悪い噂ばかりだと誰かが彼の悪い噂を流しているとしか思えない。


 (今頃寂しがってるだろうな…。) 

 ここにはいない彼の事を思い浮かべる。噂とは違い、本当の彼はとても素直ないい子だ。
 だが、噂を信じる回りの人間のせいで誰にも心を開けないでいる。そう、俺以外には……。

 それを可哀想に思うが、このところはそれで良い気がしてきた。盲目に俺のみを慕う彼はとても愛らしい。

 人の目を気にして一日中部屋にとじ込もっている彼は、俺が帰宅すると部屋のドアの前に立ち、扉が開くのを今か今かと待ち構えている。
 そして扉が開くと花のように顔を綻ばせるのだ、嬉しくて仕方がないとでもいうふうに。

 俺だけに見せる笑顔、俺だけに見せる態度が可愛くて可愛くて仕方がない。
 他のやつにこんな彼を見せる必要なんてないとさえ思い、俺は彼に対する悪い噂を訂正しなくなった。そのせいで周囲の彼に対する評判は地に落ちたままだ。

 酷いことをしている自覚はある…。だが、いざ彼への誤解を解こうとすると、独占欲が頭をもたげて邪魔をするのだ…騎士道が聞いて呆れる。

(いや、彼も俺意外は必要ないと思っている。だからあんなにも俺だけを慕うんだ。)



 おかえりなさい、と幸せそうに微笑む彼が脳裏浮かぶと自分のその考えがとても正しい事のように思えた。




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