36 / 97
第六章 一男去ってまた一男
公国のプリンス4
しおりを挟む
目の前には香り高い紅茶と、タルトやマカロン、フィナンシェに似たたっぷりの焼き菓子。お妃教育というよりも、ただの休憩時間のような気がする。きつい口調の割に、皇妃はいつでも私に優しい。
「あの、皇妃様。これってただのお茶会では?」
「マナーの時間じゃ。皇国式の茶の楽しみ方を学べば良い」
けれど物事は、そう甘くはなかった。皇妃は人払いを命じると、重々しく口を開く。
「そなたに妃として、忠告しておくことがある」
私はカップを下に置き、背筋を伸ばした。並々ならぬ覚悟を持てとか、確固たる意志を貫けとか、そういう話をされるのだろうか? それとも、皇国の重要機密でも?
皇妃はコホンと軽く咳払いをすると、真面目な顔で私を見据える。
「あれは……ランドルフは我が息子ながら、父親に似てしつこいぞ。本当に良いのか?」
「……はい?」
予想と違っていたため、私は目を丸くした。
「まあ、今のところ父親ほどではないようじゃ。だが、油断はできぬ」
「あ、あの……それってどういう意味でしょうか?」
戸惑いおろおろしてしまう。
皇妃は何が言いたいのかしら?
「はっきり言って、皇国の男は独占欲が強い。四六時中つきまとわれるのはうんざりじゃ。そう思わないか?」
「いえ、私はそのう……」
さりげなく、すごいことを言われているような。ランディは違うけど、もしかして、皇帝陛下がそうなのかしら? 確かにものすごく重要機密だ。
「旅の間、レオナールに監視を頼んだのはそのためじゃ。報告によれば、危なかったそうじゃな?」
「え? ええっ!?」
レスタードから皇国に戻る途中、「せっかくの広い部屋だ。一緒に過ごそう」とランディに何度も誘われた覚えはある。でもあれは全部、冗談だったはず。彼はとても優しくて、祭りの最終日には、花束と木彫りの人形を私に贈ってくれた。その後のキスは甘くて……
そういえば、あの時もレオナール様が声をかけて下さったんだわ。もしかして、皇妃に言われていたから?
「あの、私……」
「心配せずとも、何もなかったと聞いておる。息子もよく耐えたものよ」
唇の端を上げる皇妃は、面白がっているようにも見える。
ランディには、キスをされたし抱き締められた。身体をちょこっと触られもしたけれど、それは今、ここで白状することではないと思う。私は答えに迷い、眉根を寄せる。
「ホホ、困った顔も可愛らしいな? しかし妃のための教育に、生半可な気持ちで臨むと後から苦労する。わらわがいい例じゃ」
「皇妃様が……ですか?」
彼女も皇国以外の出身だったから、結婚前は同じようにお妃教育を受けたはず。だけど、聡く堂々としている皇妃でさえ、手を焼くなんて。
紅茶のカップを皿に戻した皇妃が、しみじみ語り出す。
「こうして詳しく話すのは、初めてのことじゃ。わらわも結婚までは大変だった。特にユベールが……今の陛下が皇太子の頃、邪魔ばかりしおってな」
「こ、皇帝陛下が?」
「そうじゃ。彼はしつこ……いや、今でこそあんなに澄ましておるが、候補の時からわらわの部屋に忍んで来おったわ」
「そ……うでしたか」
ランディも同じように時々来るとは、とてもじゃないけど言い出せない。ここは一つ黙っておこう。
「その度に追い払うのが大変じゃった。正式に決まってもいないのに、変な噂を立てられてどうする? 身持ちが悪く皇太子を籠絡したと、責められるのはいつだって女性の方じゃ。身に覚えがなくとも、周りはそう取る」
今の皇帝は最初から、彼女を妃にすると決めていたのだろう。皇妃のこの美貌なら、お気持ちがわからないでもない。だからといって、無理強いは良くないけれど。
「実は『お妃候補を辞退したい』と申し出たのは、そなたが最初ではない。わらわの方が先じゃ」
「えっ!?」
「前回のお妃選びの最終審査は、人命救助。そなたが風邪を引いた池は課題のために作られたもので、今の皇帝――当時の皇太子がそこで溺れるフリをした。焦って飛び込んだのは、わらわだけじゃった」
皇妃は言いながら、懐かしそうに目を細めた。けれど思うところがあるようで、ムッとしたように口を引き結ぶ。
「こっちは心臓が止まる思いをしたというのに、助けた皇太子は嬉しそうに笑っておる。ただでさえ、わらわは彼を毎日部屋から追い出すのに忙しく、寝不足気味じゃ。頭に来て、気づけば叫んでいた。『こんなお妃選びは反対です。辞退します!』とな」
「まあ!」
毎日通っていたなんて、皇帝陛下は情熱的ね。皇妃が私と同じことを言っていたというのも、びっくりだ。
「周りに宥められ渋々残ったが、その後が問題じゃった。皇国にいいようにされたわらわは、ふて腐れ、お妃教育を真面目に受けなんだ」
「でも、あの……陛下のことは、お好きだったんですよね?」
思わず口を挟んでしまう。
そこだけはしっかり聞いておきたかったから。
「まあ、な。でなければ、味方のいないこの地に残るわけがなかろう? だが、全て向こうの思い通りとなるのも癪じゃ。わらわはユベール……当時の皇太子に誘われるまま、勉強よりも恋にうつつを抜かし、遊びほうけた」
交際中のお二人って、どんな感じだったのかしら? きっと、燃え上がるような恋をしたのよね?
「人間、楽な方に流れるのは簡単なこと。手を抜こうと思えば、いくらでも手を抜ける。元々望んでいた婚姻ではないと、またどんな君でも好きだという皇太子の言葉に、わらわは自分を甘やかしてしまった」
信じられないような話だけれど、皇妃の自嘲気味の口調を聞くと、嘘を言っているとも思えない。
「結果、なかなか婚姻には至らなんだ。婚約者として公務に同行しても、知識がないためバカにされる始末でな? そのうち陰で、相手が悪いと囁かれるようにもなったわ。わらわだけなら良いが、皇太子まで妃選びを間違えた愚か者だと叩かれる」
「想像もつきませんが……」
「事実じゃ。しかし、一方的に見下されるのも我慢がならぬ。皇国がそんなに偉いのか、偉いというなら何を成し遂げたのか? わらわはそこから死に物狂いで学び、同時にこの喋り方を身につけた」
「……え?」
さらっととんでもないことを聞かされて、私は思わず固まった。
「あの、皇妃様。これってただのお茶会では?」
「マナーの時間じゃ。皇国式の茶の楽しみ方を学べば良い」
けれど物事は、そう甘くはなかった。皇妃は人払いを命じると、重々しく口を開く。
「そなたに妃として、忠告しておくことがある」
私はカップを下に置き、背筋を伸ばした。並々ならぬ覚悟を持てとか、確固たる意志を貫けとか、そういう話をされるのだろうか? それとも、皇国の重要機密でも?
皇妃はコホンと軽く咳払いをすると、真面目な顔で私を見据える。
「あれは……ランドルフは我が息子ながら、父親に似てしつこいぞ。本当に良いのか?」
「……はい?」
予想と違っていたため、私は目を丸くした。
「まあ、今のところ父親ほどではないようじゃ。だが、油断はできぬ」
「あ、あの……それってどういう意味でしょうか?」
戸惑いおろおろしてしまう。
皇妃は何が言いたいのかしら?
「はっきり言って、皇国の男は独占欲が強い。四六時中つきまとわれるのはうんざりじゃ。そう思わないか?」
「いえ、私はそのう……」
さりげなく、すごいことを言われているような。ランディは違うけど、もしかして、皇帝陛下がそうなのかしら? 確かにものすごく重要機密だ。
「旅の間、レオナールに監視を頼んだのはそのためじゃ。報告によれば、危なかったそうじゃな?」
「え? ええっ!?」
レスタードから皇国に戻る途中、「せっかくの広い部屋だ。一緒に過ごそう」とランディに何度も誘われた覚えはある。でもあれは全部、冗談だったはず。彼はとても優しくて、祭りの最終日には、花束と木彫りの人形を私に贈ってくれた。その後のキスは甘くて……
そういえば、あの時もレオナール様が声をかけて下さったんだわ。もしかして、皇妃に言われていたから?
「あの、私……」
「心配せずとも、何もなかったと聞いておる。息子もよく耐えたものよ」
唇の端を上げる皇妃は、面白がっているようにも見える。
ランディには、キスをされたし抱き締められた。身体をちょこっと触られもしたけれど、それは今、ここで白状することではないと思う。私は答えに迷い、眉根を寄せる。
「ホホ、困った顔も可愛らしいな? しかし妃のための教育に、生半可な気持ちで臨むと後から苦労する。わらわがいい例じゃ」
「皇妃様が……ですか?」
彼女も皇国以外の出身だったから、結婚前は同じようにお妃教育を受けたはず。だけど、聡く堂々としている皇妃でさえ、手を焼くなんて。
紅茶のカップを皿に戻した皇妃が、しみじみ語り出す。
「こうして詳しく話すのは、初めてのことじゃ。わらわも結婚までは大変だった。特にユベールが……今の陛下が皇太子の頃、邪魔ばかりしおってな」
「こ、皇帝陛下が?」
「そうじゃ。彼はしつこ……いや、今でこそあんなに澄ましておるが、候補の時からわらわの部屋に忍んで来おったわ」
「そ……うでしたか」
ランディも同じように時々来るとは、とてもじゃないけど言い出せない。ここは一つ黙っておこう。
「その度に追い払うのが大変じゃった。正式に決まってもいないのに、変な噂を立てられてどうする? 身持ちが悪く皇太子を籠絡したと、責められるのはいつだって女性の方じゃ。身に覚えがなくとも、周りはそう取る」
今の皇帝は最初から、彼女を妃にすると決めていたのだろう。皇妃のこの美貌なら、お気持ちがわからないでもない。だからといって、無理強いは良くないけれど。
「実は『お妃候補を辞退したい』と申し出たのは、そなたが最初ではない。わらわの方が先じゃ」
「えっ!?」
「前回のお妃選びの最終審査は、人命救助。そなたが風邪を引いた池は課題のために作られたもので、今の皇帝――当時の皇太子がそこで溺れるフリをした。焦って飛び込んだのは、わらわだけじゃった」
皇妃は言いながら、懐かしそうに目を細めた。けれど思うところがあるようで、ムッとしたように口を引き結ぶ。
「こっちは心臓が止まる思いをしたというのに、助けた皇太子は嬉しそうに笑っておる。ただでさえ、わらわは彼を毎日部屋から追い出すのに忙しく、寝不足気味じゃ。頭に来て、気づけば叫んでいた。『こんなお妃選びは反対です。辞退します!』とな」
「まあ!」
毎日通っていたなんて、皇帝陛下は情熱的ね。皇妃が私と同じことを言っていたというのも、びっくりだ。
「周りに宥められ渋々残ったが、その後が問題じゃった。皇国にいいようにされたわらわは、ふて腐れ、お妃教育を真面目に受けなんだ」
「でも、あの……陛下のことは、お好きだったんですよね?」
思わず口を挟んでしまう。
そこだけはしっかり聞いておきたかったから。
「まあ、な。でなければ、味方のいないこの地に残るわけがなかろう? だが、全て向こうの思い通りとなるのも癪じゃ。わらわはユベール……当時の皇太子に誘われるまま、勉強よりも恋にうつつを抜かし、遊びほうけた」
交際中のお二人って、どんな感じだったのかしら? きっと、燃え上がるような恋をしたのよね?
「人間、楽な方に流れるのは簡単なこと。手を抜こうと思えば、いくらでも手を抜ける。元々望んでいた婚姻ではないと、またどんな君でも好きだという皇太子の言葉に、わらわは自分を甘やかしてしまった」
信じられないような話だけれど、皇妃の自嘲気味の口調を聞くと、嘘を言っているとも思えない。
「結果、なかなか婚姻には至らなんだ。婚約者として公務に同行しても、知識がないためバカにされる始末でな? そのうち陰で、相手が悪いと囁かれるようにもなったわ。わらわだけなら良いが、皇太子まで妃選びを間違えた愚か者だと叩かれる」
「想像もつきませんが……」
「事実じゃ。しかし、一方的に見下されるのも我慢がならぬ。皇国がそんなに偉いのか、偉いというなら何を成し遂げたのか? わらわはそこから死に物狂いで学び、同時にこの喋り方を身につけた」
「……え?」
さらっととんでもないことを聞かされて、私は思わず固まった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
私に姉など居ませんが?
山葵
恋愛
「ごめんよ、クリス。僕は君よりお姉さんの方が好きになってしまったんだ。だから婚約を解消して欲しい」
「婚約破棄という事で宜しいですか?では、構いませんよ」
「ありがとう」
私は婚約者スティーブと結婚破棄した。
書類にサインをし、慰謝料も請求した。
「ところでスティーブ様、私には姉はおりませんが、一体誰と婚約をするのですか?」
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
冷徹公爵の誤解された花嫁
柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。
冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。
一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。