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第八章 愛も積もれば山となる
狼の本気9
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羞恥のあまり、じわりと涙が滲む。ランディはそんな私を見たせいか、頭を撫でると額にキスし、解放してくれた。
「ごめん、困らせるつもりはなかったんだ。無理強いをするつもりはないよ? 妖精さんがあまりにも愛らしかったから」
私は目を開き、アイスブルーの瞳を見上げる。好きな人にそんなことを言われたら、怒るに怒れない。そもそも、怒りたかったのかどうかもわからないし。
「クリスタにとって、大変な一日だったよね? それなのに私は……」
「いえ、あの。別に」
それほどでも、というのは違う気がする。そうかといって「すごく嫌な思いをした」と正直に申告すれば、ランディをさらに心配させてしまう。頼りすぎてもいけないので、言葉を濁すことにした。
「疲れただろう? 片付けは指示しておくから、すぐに休むといい」
ランディが私の頬を軽く撫で、優しく口にする。私が頷くのを見た彼は、目を細めて微笑むと、出口に向かって歩き出す。
でも待って? ランディだって相当疲れているはずよね? 執務で忙殺されているのに、カラザークへの根回しや私達の救出、残った兵への配慮まで……休む暇がないわ。
一緒に夕食をとったのは、私を気遣ってのことだろう。寂しい思いを汲み取って、変わりはないかと案じてくれて。今もまた、彼は自分のことは後回しで、私の体調を第一に考えている。ランディの優しさが嬉しい。
私は立ち上がり、後を追いかけた。扉に手をかけ振り向く彼……その反対側の腕を取り、自分の方へ引き寄せてしっかり抱き締める。考えてみれば私はまだ、お礼を言っていないもの。
「ランディ、あの……助けてくれてありがとう。来て下さって嬉しかったわ! 忙しいし無理はしてほしくない。でも私、貴方を信じていたの」
ランディが私の顔を見て、困ったように笑う。
「どういたしまして。妖精さんを見つけることができて、本当に良かった。だけどそんなに積極的だと、やっぱり離したくなくなるな」
「ふえっ!?」
しまった。こ、この体勢は……
とっさに掴んだ彼の腕を、私は自分の胸に押し当てている!
「ち、違うわ。感謝の気持ちを伝えようとしただけで、決してそんな意味ではないの」
勢いよく両手を外し、慌てて後ずさる。ランディは面白そうに笑うけど、その表情は少しだけ疲れているようだ。彼は私に頷くと、そのまま部屋を出た。
扉が閉まった途端、言いようのない寂しさが私を襲う。
「結婚して夫婦になったら、ランディをこうして見送らなくてもいいのよね? きっと一緒に休むはずだから……。で、でで、でも! その場合、あれよりもっとすごいことを? しかも毎日!? む、無理かもしれないわ。色香に当てられて、私の心臓が保たないかもしれない……」
ぶつぶつ呟き一人で照れて、顔が熱くなる。私は頬に手を添えて、熱さを冷ます。
「変なことを考えるなんて、私、思った以上に疲れているみたいね。彼の言う通り、早く寝ましょう」
首を横に振り余計な考えを閉め出すと、寝室にまっすぐ向かった。大好きなふかふかのオフトゥンが、私を癒やしてくれるだろう。
*****
ぼんやりした目を開けると、ひび割れた漆喰の壁と蜘蛛の巣が見えた。首を動かし確認したところ、手足が縄で拘束されている。
「ど、どうして? 私は助かったはずでしょう?」
驚いて周囲を見回す。
正面には木の扉、狭い部屋の窓の近くにベッドが置かれ、私はその上に一人きりで転がされていた。室内は埃っぽく、空気も淀んでいるような。
「そんな、嘘よ! こんなはずじゃあ……」
嫌な予感がせり上がり、胸も重苦しい。
恐怖に負けてはいけないわ。私はしっかりしなきゃと自分を励まし、現状を把握するため目を凝らす。
突然、何もない空間から何本もの黒い手がこちらに向かって伸びてきた。なんとか身をよじって逃げようとするけれど、その手に捕らえられてしまう。黒い手は、私の身体を掴むとベッドの上に引き倒し、そのまま喉をギリギリ絞め上げる。
「く、苦しい……」
もうダメだと思った時、急に喉の痛みがなくなった。私は解放されたことを知り、安心して身体を起こす。だけど黒い手が、今度は胸元にかかって一気にドレスを引き裂いた。手を縛られているため、ドレスを押さえることもできない。私は泣きながら首を振り、必死に声を出そうとする。
『嫌、やめてーーー!』
しかし黒い手が、私の口を塞ぐ。恐怖のあまり喉が貼りつき、どちらにしろ、声が出せない。こんな状態では、助けも呼べないわ!
絶望に駆られていると、不意に手足が自由になった。けれど走っても走っても、黒い手は私を追いかけてくる。見れば手は、いつの間にかナイフや円月刀などの武器を握っていた。怖さで足がすくんであっさり捕らえられた私は、髪を掴まれ引っ張られ、口に布を当てられて。逃れようともがいても、なぜか身体が動かない。
――お願い、誰か助けて!
苦しい思いはまだ続く。
泣きじゃくる私は、別の場所にいた。湯船の中で一人、必死に身体を洗っている。けれど、首や肩、腕にこびりついた黒い汚れが、洗っても洗っても一向に落ちない。泣きながらこすっているのに、黒い手で触られた箇所がどんどん変色し、黒に浸食されていく。
「どうして? どうして私がこんな目に遭うの? お願い、止まってよ!」
気持ちが悪くて吐きそうだ。強くあろうとしたけれど、本当の私は強くなんてないの! ただ大好きな人に恋をして、彼の隣にいたいと望むだけ。
私は汚れた。こんな姿では、彼にだって軽蔑されてしまう――
見下ろせば、全身真っ黒に。肌の白さはどこにもなく、闇より深い黒。人の形も保っておらず、もうどこに身体があるのかすらわからなかった。
これだと、彼に会っても見つけてもらえない。一緒になることなど、夢のまた夢。襲いかかる恐怖が、全身を余すところなく支配する。自分でも意識しないうちに、悲鳴が零れ出た。
「いやぁーーーー!!!!」
「ごめん、困らせるつもりはなかったんだ。無理強いをするつもりはないよ? 妖精さんがあまりにも愛らしかったから」
私は目を開き、アイスブルーの瞳を見上げる。好きな人にそんなことを言われたら、怒るに怒れない。そもそも、怒りたかったのかどうかもわからないし。
「クリスタにとって、大変な一日だったよね? それなのに私は……」
「いえ、あの。別に」
それほどでも、というのは違う気がする。そうかといって「すごく嫌な思いをした」と正直に申告すれば、ランディをさらに心配させてしまう。頼りすぎてもいけないので、言葉を濁すことにした。
「疲れただろう? 片付けは指示しておくから、すぐに休むといい」
ランディが私の頬を軽く撫で、優しく口にする。私が頷くのを見た彼は、目を細めて微笑むと、出口に向かって歩き出す。
でも待って? ランディだって相当疲れているはずよね? 執務で忙殺されているのに、カラザークへの根回しや私達の救出、残った兵への配慮まで……休む暇がないわ。
一緒に夕食をとったのは、私を気遣ってのことだろう。寂しい思いを汲み取って、変わりはないかと案じてくれて。今もまた、彼は自分のことは後回しで、私の体調を第一に考えている。ランディの優しさが嬉しい。
私は立ち上がり、後を追いかけた。扉に手をかけ振り向く彼……その反対側の腕を取り、自分の方へ引き寄せてしっかり抱き締める。考えてみれば私はまだ、お礼を言っていないもの。
「ランディ、あの……助けてくれてありがとう。来て下さって嬉しかったわ! 忙しいし無理はしてほしくない。でも私、貴方を信じていたの」
ランディが私の顔を見て、困ったように笑う。
「どういたしまして。妖精さんを見つけることができて、本当に良かった。だけどそんなに積極的だと、やっぱり離したくなくなるな」
「ふえっ!?」
しまった。こ、この体勢は……
とっさに掴んだ彼の腕を、私は自分の胸に押し当てている!
「ち、違うわ。感謝の気持ちを伝えようとしただけで、決してそんな意味ではないの」
勢いよく両手を外し、慌てて後ずさる。ランディは面白そうに笑うけど、その表情は少しだけ疲れているようだ。彼は私に頷くと、そのまま部屋を出た。
扉が閉まった途端、言いようのない寂しさが私を襲う。
「結婚して夫婦になったら、ランディをこうして見送らなくてもいいのよね? きっと一緒に休むはずだから……。で、でで、でも! その場合、あれよりもっとすごいことを? しかも毎日!? む、無理かもしれないわ。色香に当てられて、私の心臓が保たないかもしれない……」
ぶつぶつ呟き一人で照れて、顔が熱くなる。私は頬に手を添えて、熱さを冷ます。
「変なことを考えるなんて、私、思った以上に疲れているみたいね。彼の言う通り、早く寝ましょう」
首を横に振り余計な考えを閉め出すと、寝室にまっすぐ向かった。大好きなふかふかのオフトゥンが、私を癒やしてくれるだろう。
*****
ぼんやりした目を開けると、ひび割れた漆喰の壁と蜘蛛の巣が見えた。首を動かし確認したところ、手足が縄で拘束されている。
「ど、どうして? 私は助かったはずでしょう?」
驚いて周囲を見回す。
正面には木の扉、狭い部屋の窓の近くにベッドが置かれ、私はその上に一人きりで転がされていた。室内は埃っぽく、空気も淀んでいるような。
「そんな、嘘よ! こんなはずじゃあ……」
嫌な予感がせり上がり、胸も重苦しい。
恐怖に負けてはいけないわ。私はしっかりしなきゃと自分を励まし、現状を把握するため目を凝らす。
突然、何もない空間から何本もの黒い手がこちらに向かって伸びてきた。なんとか身をよじって逃げようとするけれど、その手に捕らえられてしまう。黒い手は、私の身体を掴むとベッドの上に引き倒し、そのまま喉をギリギリ絞め上げる。
「く、苦しい……」
もうダメだと思った時、急に喉の痛みがなくなった。私は解放されたことを知り、安心して身体を起こす。だけど黒い手が、今度は胸元にかかって一気にドレスを引き裂いた。手を縛られているため、ドレスを押さえることもできない。私は泣きながら首を振り、必死に声を出そうとする。
『嫌、やめてーーー!』
しかし黒い手が、私の口を塞ぐ。恐怖のあまり喉が貼りつき、どちらにしろ、声が出せない。こんな状態では、助けも呼べないわ!
絶望に駆られていると、不意に手足が自由になった。けれど走っても走っても、黒い手は私を追いかけてくる。見れば手は、いつの間にかナイフや円月刀などの武器を握っていた。怖さで足がすくんであっさり捕らえられた私は、髪を掴まれ引っ張られ、口に布を当てられて。逃れようともがいても、なぜか身体が動かない。
――お願い、誰か助けて!
苦しい思いはまだ続く。
泣きじゃくる私は、別の場所にいた。湯船の中で一人、必死に身体を洗っている。けれど、首や肩、腕にこびりついた黒い汚れが、洗っても洗っても一向に落ちない。泣きながらこすっているのに、黒い手で触られた箇所がどんどん変色し、黒に浸食されていく。
「どうして? どうして私がこんな目に遭うの? お願い、止まってよ!」
気持ちが悪くて吐きそうだ。強くあろうとしたけれど、本当の私は強くなんてないの! ただ大好きな人に恋をして、彼の隣にいたいと望むだけ。
私は汚れた。こんな姿では、彼にだって軽蔑されてしまう――
見下ろせば、全身真っ黒に。肌の白さはどこにもなく、闇より深い黒。人の形も保っておらず、もうどこに身体があるのかすらわからなかった。
これだと、彼に会っても見つけてもらえない。一緒になることなど、夢のまた夢。襲いかかる恐怖が、全身を余すところなく支配する。自分でも意識しないうちに、悲鳴が零れ出た。
「いやぁーーーー!!!!」
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