57 / 85
近くて遠い人
文化祭の練習1
しおりを挟む
――誰かが私の髪をかき上げて、左耳の上にある傷跡にキスをする。すごく優しく、大切な物を扱うように。
私は思わず微笑んだ。
夢だとわかっているけれど、温かい気持ちになってしまう。
私も……
同じ想いを返したい。
だって貴方が好きだから――
すぐ側で誰かが身じろぎするような音がしたので、慌てて目を開ける。けれどぼんやりしていたから、二、三度瞼をパチパチした。ゆっくり目を開くと、驚いた顔で覗き込む紅と目が合った。
「え? ……ええっと、あれ?」
まさか今の妄想、バレてないよね?
「紅! ど、どどどーしてここに?」
「うん? 部屋に戻ったら、お前が気持ちよさそうに寝てたから」
「えと、今何か聞いた? っていうか私、寝言なんて言ってないよね?」
尋ねると、紅はおかしそうにニヤリと笑った。
「『私も』とか、『もっと』ってやつ?」
「言ってない!」
あ、いえ「私も」は言ったかもしれない。でも、「もっと」は絶対に言っていないはずだ。
髪をかき上げた紅が喉の奥で笑っている。その姿を見ただけで、胸の奥が熱くなるのはどうしてだろう。
「で、何か用事?」
ごまかすために、わざと素っ気なく聞いてみた。桃華のことを好きな紅が、わざわざ私に構うわけがない。
「ああ。紫にちょっと頼みたいことがあって」
「頼みたいこと?」
私は思わず身構えた。
桃華との結婚式のブライズメイドとかだったらどうしよう。婚約もしていないのに、まさかいきなり? 緊張しながら答えを待つ。けれど、紅の答えは予想とは違っていた。
「……で、何で私が姫の役?」
「この時間部屋にいるってことは空いてるんだろ? 寝てたくらいだし」
「そりゃあそうだけど。今日はたまたま材料が届かなかったからで……。でもそれなら紅は? 本人と練習すればいいじゃない」
「あっちも色々忙しいみたいだ。寮も別だしつき合わせるのは悪いだろ」
「あーのーね~」
頼みというのは、セリフの練習だった。一人だと気分が出ないから、私に付き合ってほしいのだと言う。だったら桃華本人と練習すればいいのに。いきなり台本を渡されて、しかも姫の役だなんて自信がない。
「無理だよ。私、大道具だし」
「知ってる。でも、練習だからいいだろ? 他のクラスの奴には頼めない」
「それもそうだけど……。でも、物覚えが悪い方でもないのに変なの」
「演じるからには真剣にやらないと。どのクラスも手を抜かないはずだ」
「人気投票がかかっているから?」
「それもある。俺だって好きな子と踊りたい」
どう思う? という風に目で問いかけられた。けれど私は視線を逸らす。桃華への想いなんて聞きたくないから。
私は男性パートだし、後夜祭ではどうあがいても彼とは踊れない。ただでさえ、紅は桃華を選んでいる。ファーストダンスに限らず次もその次も、私は紅とは踊れない。きっともう一緒に踊る機会は来ないのだと思うと、悲しくなった。
「どうした?」
「ううん、何でもない。でも、それなら頑張らなきゃね。優勝しないと誰かに奪われちゃうし」
「そうだな、それは言える」
言いながら紅が目を細めた。
今までよくわからなかったけれど、好きな人のことを想う時、紅は少しだけ切ないような表情をする。見ているだけで、なぜか心が痛む。
「で、どこから練習すればいいの?」
そんな思いを打ち消したくて、私は渡された台本に目を落とした。大道具用の台本は、ここまで細かく書かれていない。横で聞いてたことならあるけれど、セリフに目を通すのは実は初めてだ。
「ん? この辺かな」
「そんな適当な。優勝しなきゃダメなんでしょう?」
「まあ、お前がそう言うなら」
「そうだよ! かっこいい姿を印象付けなくちゃ。応援するから」
桃華と紅、二人のことを応援するって決めたんだもの。あと少し、それなら何とか耐えられそうだ。
紅が適当に開いたページを確認してみる。
でも、そこは。
「ええっと、本当にここでいいの? 練習しなきゃダメ?」
「何だ、付き合ってくれるんだろう?」
「まあね。でも、こっ恥ずかしいんだけど……」
私が照れるのには訳がある。
紅が指定してきたのは、王子が姫を起こす場面。これでもかってほど、恥ずかしいセリフが続いている。
ためらう私に紅は笑うと、不意に真剣な表情をした。
『我が愛しの姫君よ、どうして目覚めない。私の想いを受け取れないとおっしゃるのか』
ありゃ、始めちゃったよ。
『疑うのか、この想いを。君のために空を駆け、竜まで退治してきたというのに。どうすればいい? どうすれば君は、私のものになる?』
こっちがどうしようだよ?
練習したいと言っておきながら、紅のセリフは完璧だ。それに、この先セリフというより演技が多い。はっきり言って私、要らなかったんじゃあ……
『姫よ、この熱い想いをどうか受け取ってほしい』
言うなり紅が迫ってきた。
綺麗な顔を近づけてくるから、避けようとした私はそのままソファに背中から倒れ込んだ。
『姫――』
掠れた声も色気たっぷりの仕草も、練習の必要はないと思う。
だからお願い、ちょっと待って……
「ねぇ、近づき過ぎだと思うんだけど」
ソファの背を持ち覆い被さってきた紅。
その肩を押し返しながら抵抗すると、突然ニヤッと笑われた。
「だってここ、キスシーンだぞ?」
「はい?」
何ですと?
私は慌てて台本を確認する。
「ほら」
彼が指差したのは、セリフの下の小さな字。ここで近づく、とか想いを込めて、などの指示が書かれている。そこに『キスをする。できれば思いっきり』と、確かに書いてあった。でも、思いっきりって何?
「で、どうする?」
「へ? どうって……」
言われている意味がわからなかった。けれど、紅の淡い茶色の瞳は、食い入るように私を見ている。
すごくドキドキしてしまう。これはただの練習で、私は桃華の代わりなのに。そのまま固まっていたら、紅の顔が更に近付いてきた。
「は? え? ダ、ダメだから!」
慌てて台本を間に挟む。
それを見た紅は、私のおでこに自分のおでこをコツンと当てた。
まさか途中まで、本気だった?
保健室の時は不意打ちだったし、ほんとに軽いキスだった。でもこれは、違う気がする。恋人同士の本物のキスは、冗談では済まされない。そんなのを練習でしていいわけないでしょう?
「何だ残念。で、セリフは?」
整った顔を離した紅が、手にした自分の台本を見ながら言う。
「は……え?」
何だって何だ。
そんなサラッと言うなんて。
桃華に悪いとは思わないの?
私は思わず微笑んだ。
夢だとわかっているけれど、温かい気持ちになってしまう。
私も……
同じ想いを返したい。
だって貴方が好きだから――
すぐ側で誰かが身じろぎするような音がしたので、慌てて目を開ける。けれどぼんやりしていたから、二、三度瞼をパチパチした。ゆっくり目を開くと、驚いた顔で覗き込む紅と目が合った。
「え? ……ええっと、あれ?」
まさか今の妄想、バレてないよね?
「紅! ど、どどどーしてここに?」
「うん? 部屋に戻ったら、お前が気持ちよさそうに寝てたから」
「えと、今何か聞いた? っていうか私、寝言なんて言ってないよね?」
尋ねると、紅はおかしそうにニヤリと笑った。
「『私も』とか、『もっと』ってやつ?」
「言ってない!」
あ、いえ「私も」は言ったかもしれない。でも、「もっと」は絶対に言っていないはずだ。
髪をかき上げた紅が喉の奥で笑っている。その姿を見ただけで、胸の奥が熱くなるのはどうしてだろう。
「で、何か用事?」
ごまかすために、わざと素っ気なく聞いてみた。桃華のことを好きな紅が、わざわざ私に構うわけがない。
「ああ。紫にちょっと頼みたいことがあって」
「頼みたいこと?」
私は思わず身構えた。
桃華との結婚式のブライズメイドとかだったらどうしよう。婚約もしていないのに、まさかいきなり? 緊張しながら答えを待つ。けれど、紅の答えは予想とは違っていた。
「……で、何で私が姫の役?」
「この時間部屋にいるってことは空いてるんだろ? 寝てたくらいだし」
「そりゃあそうだけど。今日はたまたま材料が届かなかったからで……。でもそれなら紅は? 本人と練習すればいいじゃない」
「あっちも色々忙しいみたいだ。寮も別だしつき合わせるのは悪いだろ」
「あーのーね~」
頼みというのは、セリフの練習だった。一人だと気分が出ないから、私に付き合ってほしいのだと言う。だったら桃華本人と練習すればいいのに。いきなり台本を渡されて、しかも姫の役だなんて自信がない。
「無理だよ。私、大道具だし」
「知ってる。でも、練習だからいいだろ? 他のクラスの奴には頼めない」
「それもそうだけど……。でも、物覚えが悪い方でもないのに変なの」
「演じるからには真剣にやらないと。どのクラスも手を抜かないはずだ」
「人気投票がかかっているから?」
「それもある。俺だって好きな子と踊りたい」
どう思う? という風に目で問いかけられた。けれど私は視線を逸らす。桃華への想いなんて聞きたくないから。
私は男性パートだし、後夜祭ではどうあがいても彼とは踊れない。ただでさえ、紅は桃華を選んでいる。ファーストダンスに限らず次もその次も、私は紅とは踊れない。きっともう一緒に踊る機会は来ないのだと思うと、悲しくなった。
「どうした?」
「ううん、何でもない。でも、それなら頑張らなきゃね。優勝しないと誰かに奪われちゃうし」
「そうだな、それは言える」
言いながら紅が目を細めた。
今までよくわからなかったけれど、好きな人のことを想う時、紅は少しだけ切ないような表情をする。見ているだけで、なぜか心が痛む。
「で、どこから練習すればいいの?」
そんな思いを打ち消したくて、私は渡された台本に目を落とした。大道具用の台本は、ここまで細かく書かれていない。横で聞いてたことならあるけれど、セリフに目を通すのは実は初めてだ。
「ん? この辺かな」
「そんな適当な。優勝しなきゃダメなんでしょう?」
「まあ、お前がそう言うなら」
「そうだよ! かっこいい姿を印象付けなくちゃ。応援するから」
桃華と紅、二人のことを応援するって決めたんだもの。あと少し、それなら何とか耐えられそうだ。
紅が適当に開いたページを確認してみる。
でも、そこは。
「ええっと、本当にここでいいの? 練習しなきゃダメ?」
「何だ、付き合ってくれるんだろう?」
「まあね。でも、こっ恥ずかしいんだけど……」
私が照れるのには訳がある。
紅が指定してきたのは、王子が姫を起こす場面。これでもかってほど、恥ずかしいセリフが続いている。
ためらう私に紅は笑うと、不意に真剣な表情をした。
『我が愛しの姫君よ、どうして目覚めない。私の想いを受け取れないとおっしゃるのか』
ありゃ、始めちゃったよ。
『疑うのか、この想いを。君のために空を駆け、竜まで退治してきたというのに。どうすればいい? どうすれば君は、私のものになる?』
こっちがどうしようだよ?
練習したいと言っておきながら、紅のセリフは完璧だ。それに、この先セリフというより演技が多い。はっきり言って私、要らなかったんじゃあ……
『姫よ、この熱い想いをどうか受け取ってほしい』
言うなり紅が迫ってきた。
綺麗な顔を近づけてくるから、避けようとした私はそのままソファに背中から倒れ込んだ。
『姫――』
掠れた声も色気たっぷりの仕草も、練習の必要はないと思う。
だからお願い、ちょっと待って……
「ねぇ、近づき過ぎだと思うんだけど」
ソファの背を持ち覆い被さってきた紅。
その肩を押し返しながら抵抗すると、突然ニヤッと笑われた。
「だってここ、キスシーンだぞ?」
「はい?」
何ですと?
私は慌てて台本を確認する。
「ほら」
彼が指差したのは、セリフの下の小さな字。ここで近づく、とか想いを込めて、などの指示が書かれている。そこに『キスをする。できれば思いっきり』と、確かに書いてあった。でも、思いっきりって何?
「で、どうする?」
「へ? どうって……」
言われている意味がわからなかった。けれど、紅の淡い茶色の瞳は、食い入るように私を見ている。
すごくドキドキしてしまう。これはただの練習で、私は桃華の代わりなのに。そのまま固まっていたら、紅の顔が更に近付いてきた。
「は? え? ダ、ダメだから!」
慌てて台本を間に挟む。
それを見た紅は、私のおでこに自分のおでこをコツンと当てた。
まさか途中まで、本気だった?
保健室の時は不意打ちだったし、ほんとに軽いキスだった。でもこれは、違う気がする。恋人同士の本物のキスは、冗談では済まされない。そんなのを練習でしていいわけないでしょう?
「何だ残念。で、セリフは?」
整った顔を離した紅が、手にした自分の台本を見ながら言う。
「は……え?」
何だって何だ。
そんなサラッと言うなんて。
桃華に悪いとは思わないの?
0
あなたにおすすめの小説
家から出ない女優の幼馴染を連れ出したら、いつの間にか伝説になっていた件。
Memu(メム)
恋愛
学校に行かない引きこもりの国民的女優――水宮小鞠。
女の子に間違われる地味男子――白雲凪。
俺に与えられた役目はひとつ。
彼女を、学校へ連れて行くこと。
騒動になれば退学。
体育祭までに通わせられなくても退学。
成功率ほぼゼロの無理ゲーだ。
距離は近い。
でも、心は遠い。
甘えてくるくせに、本音は隠す幼馴染。
それでも――
俺は彼女の手を引く。
退学リミット付き登校ミッションから始まる、
国民的スター幼馴染とのドタバタ青春ラブコメ、ここに開幕。
冷遇された聖女の結末
菜花
恋愛
異世界を救う聖女だと冷遇された毛利ラナ。けれど魔力慣らしの旅に出た途端に豹変する同行者達。彼らは同行者の一人のセレスティアを称えラナを貶める。知り合いもいない世界で心がすり減っていくラナ。彼女の迎える結末は――。
本編にプラスしていくつかのifルートがある長編。
カクヨムにも同じ作品を投稿しています。
【R18】幼馴染がイケメン過ぎる
ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。
幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。
幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。
関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。
小さい頃「お嫁さんになる!」と妹系の幼馴染みに言われて、彼女は今もその気でいる!
竜ヶ崎彰
恋愛
「いい加減大人の階段上ってくれ!!」
俺、天道涼太には1つ年下の可愛い幼馴染みがいる。
彼女の名前は下野ルカ。
幼少の頃から俺にベッタリでかつては将来"俺のお嫁さんになる!"なんて事も言っていた。
俺ももう高校生になったと同時にルカは中学3年生。
だけど、ルカはまだ俺のお嫁さんになる!と言っている!
堅物真面目少年と妹系ゆるふわ天然少女による拗らせ系ラブコメ開幕!!
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わんこ系婚約者の大誤算
甘寧
恋愛
女にだらしないワンコ系婚約者と、そんな婚約者を傍で優しく見守る主人公のディアナ。
そんなある日…
「婚約破棄して他の男と婚約!?」
そんな噂が飛び交い、優男の婚約者が豹変。冷たい眼差しで愛する人を見つめ、嫉妬し執着する。
その姿にディアナはゾクゾクしながら頬を染める。
小型犬から猛犬へ矯正完了!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる