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王都を離れて
アリィの油断
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「さ、ここが国内最後の町で、明日には国境を越えてリンデルに入るよ。みんなきちんと仕度をしてね」
昼過ぎに今日の宿に着くと、開口一番レイモンド様がおっしゃった。最後の町、ブルーグは山に囲まれた田舎の町だ。その分のんびりしているから、人も優しい気がする。お店はまばらだったので、買い出しには時間がかかりそう。後から食料調達に行ってみよう。食べ物さえ充実していれば、旅は楽しい。
宿は酒場付きの豪華なものではなくて、民宿のようなアットホームな感じだった。だから旅一座の幌馬車も外に停めてあるし、厩も我々の馬だけでいっぱいになっている。
ここで手伝う事は特になさそうだ。
みんなも長旅で疲れていることだろう。買い物に行きたいけれど、わざわざ付き添ってもらうのもどうかと思う。私は宿の人に伝言を残すと、散策がてら食料調達のため出かけることにした。
歩いてしばらく行った農場で、卵とハチミツを買った。麦の粉はまだあったから、これでパンケーキが焼ける。親切な老夫婦は、山の近くに行けばブルリの実――ブルーベリーのような甘い実の群生地があると教えてくれた。
ここからそう遠くないと言うから、夕方までかからずに宿に戻れるだろう。私は買った荷物を預けると、ブルリの実を摘みに行くためカゴを借りた。
「今、鶏の燻製を作っているんだよ。帰るまでに仕上げて、少し分けてあげようかね」
おばあさんが優しく声をかけてくれる。さっきから燻した木のいい匂いがしていると思ったら、それか! 燻製は保存がきくし美味しいのでとっても楽しみだ。
「ありがとうございます」
素早くお礼を言った私。
ちょっと笑われてしまったような気がする。
農場を出て、教えられた通りの道を歩く。天気も良くて気持ちのいい午後だ。
『ブルリの実を多めに摘んで、お礼代わりに置いていったら喜んでくれるかな? 出来立ての燻製は温かくて美味しいでしょうね』
道中そんなことを考えながら、私はくすくす笑っていた。
一時間ほど歩くと、山のふもとに藪のような所が見えてきた。きっとここだ!
「ブルリの実は入って直ぐの所にあるから。奥に行かないように気をつけるんだよ」
老夫婦の言葉通り、ブルリの実はすぐに見つかった。でも、藪の所にあるものよりも、奥の方が大粒だ。私は美味しそうな実を摘むためにどんどん先へ進んで行く。
ふと気がつけば、森の中。相当奥まで入ってしまったようだ。
「ええっと、さっきはどっちから来たんだっけ?」
帰る方向がわからずに、一瞬パニックに陥りかける。
宿に伝言は残して来た。
でも、「買い物に行く」とだけしか言っていない。ここで迷うと、戻れなくなる可能性がある。焦れば焦るほど、元来た道がわからない。
――山で迷子になるなんて、小学校の遠足の時以来だ。あの時はイジメられていたから、わざとグループから外されて、一番後ろを歩いていたっけ。最後尾は保健の先生だったけど、けが人が出たためその子に付き添い、先に戻ってしまった。その後、慣れない山で道を間違えた私は、到着が遅れて怒られてしまった――
迷って心細かった当時の気持ちが蘇る。あの時は誰が迎えに来てくれたんだっけ? 遠い記憶でよく思い出せない。
それより、今はこの場をどう切り抜けるか考えなくっちゃ。切り株があれば方位がわかるけど、あいにくそんな気の利いたものは、一切無いみたい。
日がどんどん暮れていく。
夕方になって、そのうち真っ暗になったらどうしよう? ここって野犬とか熊とか出るのかな。狼なんかもいるのかしら? 募る恐怖とは裏腹に、余計に迷っていくようだ。
ガサガサ、と近くで音がした。
鳥? それとも動物?
振り向こうとした途端、後ろから口を塞がれて喉に光るモノが押し当てられる。
「おとなしくしろ。金と食い物さえ寄越せば、悪いようにゃーしねぇ」
ガラガラに掠れた声だった。
臭いがするから、何日も山を彷徨っていた人なのかもしれない。
男は、私の顎を掴むと顔を無理やり自分の方に向けた。ボサボサの髪で頬には昔の切り傷が目立つ。歯も欠けているし髭も伸び、いかにも悪人といった顔立ちだ。
「何だ、ガキか。エラく綺麗な面だが、この国はみんなこんななのか? だとしたら、楽しめそうだ」
男はそう言ってニヤリと笑う。
怖い……
今になって初めて、私は自分の軽率な行動を呪った。そういえば、ここは国境近くの町だった。犯罪者が国境を越えるため、山を抜けたとしてもおかしくない。それなのに迂闊にも自ら危険に飛び込んだのだ。
私は黙ってかごを差し出した。中身がさっき摘んだブルリの実だけだとわかると、男は途端に不機嫌になる。
「こんなもんは食べ飽きてんだよ!」
吐き捨てたように言いながらカゴを叩き落とすと、今度は私のポケットの中を勝手に探りだす。
あ、そういえば! 懐には護身用の短剣が入っている。
思い出して取り出そうとした時――男のナイフが再び首すじに当てられた。
「おっと、変な気を起こすんじゃねーよ。何だ、お前。震えているのか? これだけの上玉を傷付ける気なんてねぇよ。ただちょっとだけ、確認させてもらおうか?」
男は私の襟に手をかけるやいなや、一気にシャツを引き裂く!
懐から短剣が転がり落ちた。
「――!」
男と私、どちらがより驚いたのかはわからない。けれど、男の子の格好をしているとはいえ、私のサラシを巻いた胸は明らかに女性のものだ。男は下卑た笑いを浮かべると、後ろにさがって上から下までジロジロ眺めた。
「ほーお、これはこれは」
ニヤニヤ笑いが気持ち悪い。
だけど、動くなら今しかない!
くるりと向きを変え走り出した私は、必死に逃げる。
「なっ、待てこのヤロ」
男に捕まらないようジグザグに走った私は、いくらも行かないうちに何かと衝突してしまった。
この感触は、人?
まさか……仲間!?
男に仲間がいる可能性に思い至った途端、私は絶望で、目の前が真っ暗になった気がした。
昼過ぎに今日の宿に着くと、開口一番レイモンド様がおっしゃった。最後の町、ブルーグは山に囲まれた田舎の町だ。その分のんびりしているから、人も優しい気がする。お店はまばらだったので、買い出しには時間がかかりそう。後から食料調達に行ってみよう。食べ物さえ充実していれば、旅は楽しい。
宿は酒場付きの豪華なものではなくて、民宿のようなアットホームな感じだった。だから旅一座の幌馬車も外に停めてあるし、厩も我々の馬だけでいっぱいになっている。
ここで手伝う事は特になさそうだ。
みんなも長旅で疲れていることだろう。買い物に行きたいけれど、わざわざ付き添ってもらうのもどうかと思う。私は宿の人に伝言を残すと、散策がてら食料調達のため出かけることにした。
歩いてしばらく行った農場で、卵とハチミツを買った。麦の粉はまだあったから、これでパンケーキが焼ける。親切な老夫婦は、山の近くに行けばブルリの実――ブルーベリーのような甘い実の群生地があると教えてくれた。
ここからそう遠くないと言うから、夕方までかからずに宿に戻れるだろう。私は買った荷物を預けると、ブルリの実を摘みに行くためカゴを借りた。
「今、鶏の燻製を作っているんだよ。帰るまでに仕上げて、少し分けてあげようかね」
おばあさんが優しく声をかけてくれる。さっきから燻した木のいい匂いがしていると思ったら、それか! 燻製は保存がきくし美味しいのでとっても楽しみだ。
「ありがとうございます」
素早くお礼を言った私。
ちょっと笑われてしまったような気がする。
農場を出て、教えられた通りの道を歩く。天気も良くて気持ちのいい午後だ。
『ブルリの実を多めに摘んで、お礼代わりに置いていったら喜んでくれるかな? 出来立ての燻製は温かくて美味しいでしょうね』
道中そんなことを考えながら、私はくすくす笑っていた。
一時間ほど歩くと、山のふもとに藪のような所が見えてきた。きっとここだ!
「ブルリの実は入って直ぐの所にあるから。奥に行かないように気をつけるんだよ」
老夫婦の言葉通り、ブルリの実はすぐに見つかった。でも、藪の所にあるものよりも、奥の方が大粒だ。私は美味しそうな実を摘むためにどんどん先へ進んで行く。
ふと気がつけば、森の中。相当奥まで入ってしまったようだ。
「ええっと、さっきはどっちから来たんだっけ?」
帰る方向がわからずに、一瞬パニックに陥りかける。
宿に伝言は残して来た。
でも、「買い物に行く」とだけしか言っていない。ここで迷うと、戻れなくなる可能性がある。焦れば焦るほど、元来た道がわからない。
――山で迷子になるなんて、小学校の遠足の時以来だ。あの時はイジメられていたから、わざとグループから外されて、一番後ろを歩いていたっけ。最後尾は保健の先生だったけど、けが人が出たためその子に付き添い、先に戻ってしまった。その後、慣れない山で道を間違えた私は、到着が遅れて怒られてしまった――
迷って心細かった当時の気持ちが蘇る。あの時は誰が迎えに来てくれたんだっけ? 遠い記憶でよく思い出せない。
それより、今はこの場をどう切り抜けるか考えなくっちゃ。切り株があれば方位がわかるけど、あいにくそんな気の利いたものは、一切無いみたい。
日がどんどん暮れていく。
夕方になって、そのうち真っ暗になったらどうしよう? ここって野犬とか熊とか出るのかな。狼なんかもいるのかしら? 募る恐怖とは裏腹に、余計に迷っていくようだ。
ガサガサ、と近くで音がした。
鳥? それとも動物?
振り向こうとした途端、後ろから口を塞がれて喉に光るモノが押し当てられる。
「おとなしくしろ。金と食い物さえ寄越せば、悪いようにゃーしねぇ」
ガラガラに掠れた声だった。
臭いがするから、何日も山を彷徨っていた人なのかもしれない。
男は、私の顎を掴むと顔を無理やり自分の方に向けた。ボサボサの髪で頬には昔の切り傷が目立つ。歯も欠けているし髭も伸び、いかにも悪人といった顔立ちだ。
「何だ、ガキか。エラく綺麗な面だが、この国はみんなこんななのか? だとしたら、楽しめそうだ」
男はそう言ってニヤリと笑う。
怖い……
今になって初めて、私は自分の軽率な行動を呪った。そういえば、ここは国境近くの町だった。犯罪者が国境を越えるため、山を抜けたとしてもおかしくない。それなのに迂闊にも自ら危険に飛び込んだのだ。
私は黙ってかごを差し出した。中身がさっき摘んだブルリの実だけだとわかると、男は途端に不機嫌になる。
「こんなもんは食べ飽きてんだよ!」
吐き捨てたように言いながらカゴを叩き落とすと、今度は私のポケットの中を勝手に探りだす。
あ、そういえば! 懐には護身用の短剣が入っている。
思い出して取り出そうとした時――男のナイフが再び首すじに当てられた。
「おっと、変な気を起こすんじゃねーよ。何だ、お前。震えているのか? これだけの上玉を傷付ける気なんてねぇよ。ただちょっとだけ、確認させてもらおうか?」
男は私の襟に手をかけるやいなや、一気にシャツを引き裂く!
懐から短剣が転がり落ちた。
「――!」
男と私、どちらがより驚いたのかはわからない。けれど、男の子の格好をしているとはいえ、私のサラシを巻いた胸は明らかに女性のものだ。男は下卑た笑いを浮かべると、後ろにさがって上から下までジロジロ眺めた。
「ほーお、これはこれは」
ニヤニヤ笑いが気持ち悪い。
だけど、動くなら今しかない!
くるりと向きを変え走り出した私は、必死に逃げる。
「なっ、待てこのヤロ」
男に捕まらないようジグザグに走った私は、いくらも行かないうちに何かと衝突してしまった。
この感触は、人?
まさか……仲間!?
男に仲間がいる可能性に思い至った途端、私は絶望で、目の前が真っ暗になった気がした。
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