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「――答えてください。あなたは握手の意味も知らなかったというんですか?」
興奮した様子で、それでいて先ほどまでとは明らかに他人行儀な口調で、名前も知らない恩人は怒りを露わにした。助けてもらった身分で、僕はやらかしてしまったらしい。
だけど、仕方ないだろう。だって僕はまだこの世界に来てから数日しか経っていない。細かい所作なんて知りようもないんだから。
「ご、ごめんなさい」
僕はあわてて土下座する。
だけどどうやら土下座の意味は彼女には伝わらなかったらしく、その怒りは収まりそうにもない。まったく、僕としたことが郷に入っては郷に従えという事が出来ていなかったようだ。
そもそも、彼女は僕が異世界人であるということを知らない。話す必要もないし、話すつもりもないが、その分、文化の違いを理解してもらいづらくもなるだろう。
「謝ってすむことじゃないけど、まあいいわ。想い人がいるわけでもないし」
「悪かったとは思うけど、誰も見てないし……なかったことに出来ないのか?」
「本当に何も知らないのね……この世界では、婚約の儀式は絶対だっていうのに」
呆れた表情で彼女は大きくため息を吐く。
婚約の儀式は絶対。わずかな日数をこの世界で過ごして何となくわかったことだが、この世界には魔法というものが存在しているらしい。
『らしい』とつけたのは、街中での許可なしの魔法発動が禁止されているらしく、直接見たことはないからだ。現代社会に育った僕にとって、魔法というものは魅力的だが、その反面恐ろしくもある。
ともかく、その儀式とやらに魔法的な何かがあるんだとすれば、彼女の言う事も何となくわかる。たぶん魔法契約的な、そんなものだろう。
となると、僕がやらかした失態はかなりまずい。
「それはどうにもならないのか?」
「絶対だからね。なるようにしかならないわ」
「なるように……」
段々と彼女の怒りは収まりつつあるようだ。
だけどやらかした側の僕としては胃が痛い。どれだけ彼女が落ち着きを取り戻しても、やってしまったことは取り消せない。この世界の常識を学ぶまではもう少しだけ慎重に行動しよう。
僕は何度もお詫びの言葉を口にして、ようやく話が進む。
「まあ、婚約のことはおいおい考えるとして……これで尚のこと私の会社に来てもらうしかなくなったわね」
「本当にごめん」
「もういいわよ。それに、この世界のどこかには婚約を解消する魔法もあるとかないとか……あんまりあてには出来ないけど、人生っていうのは結局どうにかなるものなのよ」
落ち着きを取り戻した彼女は、かなりの楽観主義者なようだ。
まあ僕みたいな放浪者に仕事の話を持ちかけてくるぐらいだから、元来彼女はそういう性格なのだろう。
それからしばらく歩いて彼女の会社らしき建物の前までやって来た。先ほどの施設は会社の一部らしく、こっちが本社的な扱いらしい。
「もしかして……ここ?」
彼女が立ち止まったから、おそらくここで間違いないのだろう。だけどそれにしても僕の勘違いであってほしいと思えるほどにボロ屋だ。誘ってもらっておいてなんだが、この先のことがどうにも不安で仕方ない。
唖然とする僕の様子を見て彼女は不服そうに顔をしかめる。
「そうここよ。何か文句ある?」
有無を言わせぬ力強い言葉に僕はなにも言い返せず、ただ「ない」とだけ口にする。
「だったら、早いところ中に入りましょう。面接……なんて堅苦しいことをするつもりはないけど、一応は簡単な質問をいくつかさせてもらうから」と、彼女は建物のカギを開けて中に入るように促した。
ちらりとしか見えなかったが、彼女が使ったカギはかなり古めかしい物で、きっと何十年も前から使われてきた物に違いない。そうなるとこの建物も相当古いのだろう。
言われるがまま、中に入った僕の目にまず入るのは床に敷かれた高そうな絨毯だ。まるで貴族の館にでも迷い込んでしまったかのような、そんな雰囲気を感じさせる内装だ。だが、残念ながら目に映るすべての物はほこりにまみれている。きっと誰も清掃をしていないのだろう。場所によってはカビすら生えている。
「かなり古い建物だけど、大昔にお父様が使っていた建物だから使い勝手は悪くないわよ」
まるで自分に言い聞かせるように彼女はそんなことを口にして、さらに奥の部屋へと僕を誘導する。
この世界に来て初めて人の家に招かれた僕なのだけど、どこの家もこんな感じなのだろうか……それとも彼女がかなりの金持ちなのだろうか。よく思い出してみれば、外装もボロくはあったものの、造りはかなり堅牢だったような気もしなくない。もしかすると本当に彼女は金持ち……貴族の類なのかもしれない。といっても、この世界のことをあまり知らない僕には想像の域を出ないことだ。
「座って……」
案内された部屋に入ると、そこには軽く清掃されたであろうソファーが二組あった。彼女はその一方に座ると、反対側に座るように僕に促す。
僕はちらりと部屋を横目で確認する。貴族が暮らしている屋敷としてはどうなのかはわからないが、ほこりまみれだった入口に比べる幾分か掃除されているのが分かる。屋敷の中に僕たち以外の気配を感じないことから察するに彼女自身が掃除したのだろう。
「会社ね……」
余計なこととは分かっているが、ソファに腰かける寸前で僕の口からそんな言葉が零れ落ちる。
自分でも自分の性格が悪いことぐらいは分かっている。だが口から出てしまったのだから仕方がない。
「正確に言えば、まだ会社という体をなしていないわね」
痛いところを突かれたというふうに彼女は苦々しい顔をした。
「会社を作ろうとしているってこと?」
それで僕を最初の従業員として雇い入れようとしたという事か……僕の様な浮浪者を雇おうとするぐらいだから変な会社なんだろうとは覚悟していたが、そもそもまさか創業前だとは思いもしなかった。
「昨日こっちに来たばかりだからね」
「昨日……それでか」
そう言えば彼女はどこか別の国から来たと言っていた。つまり彼女はこの国の実情も知らず、新規に冒険者を雇おうと思ったというところだろう。
この街で、ベンチャーの冒険者会社に入ろうとする冒険者はいないだろう。怪我をしたり、死亡する可能性が高い職業であるがゆえに、保証がしっかりとした会社に就職したいと考えるのは当然だ。新規の会社に保証などあるかどうかも怪しい。
そこで僕にお鉢が回って来たというわけだ。
とはいえ、彼女は最初に『私の国にもフロンティアスピリッツを持ち合わせているような殊勝な人間は少ないのよ』と言っていたはずだ。しかし、蓋を開けてみれば、彼女の街からこの街を開拓するためについて来た人員すら皆無だったということだ。気の毒な話だ。
「まさか、私の国とこの国で冒険者の概念が違うなんて思わなかったもの。でもあなたに声をかけたのは仕方なくってわけじゃないのよ」
「いや、気を使ってもらう必要はないよ。最初に言った通り、仕事をもらえるだけ感謝している」
僕の言葉に彼女は少しだけ呆れた表情をして、小さくため息をこぼした。
「気を使っているわけじゃないけど……まあいいわ。私の見立てではあなたは冒険者向きの才能を持っているとは思うけど、冒険者には色んなタイプがいるわ。たぶんあなたは先頭に立って引っ張っていくタイプじゃないと思うけど――」
「――全くもってその通りだ。人を率いるなんてごめんだ!」
僕に人を率いる度胸なんてあるはずもない。自慢じゃないが僕ほどの無能はきっと探す方が難しい。
「人の会話を遮って自分の意見を言うのはやめた方がいいわよ……特に貴族相手には絶対しちゃダメだからね。こんなご時世だからかなり衰退しているけど、それでも人ひとりの命を奪えるぐらいには権力を持っているんだからね」
「こんなご時世?」
と言われても、数日の間を浮浪者として過ごしてきた僕はこの国の情勢に疎い。婚約の儀とやらすら知らない僕が、貴族がどんな状況になるのかを知っているわけもない。
そんな僕に彼女は呆れた様子で、「自分がいる国のことぐらい知っておきなさいよ」と嫌みを口にした。
彼女が僕のことをこの国で暮らしている人間だと勘違いするのは当然だ。だけど僕はほんの数日、浮浪者として過ごしただけの国に過ぎない。ろくに話し相手すらいない国で得られる情報はかなり少ないのだ。
「あいにく、貴族になんて興味ないからね」
「図太い性格してるわね……でもこれからの時代は情報がモノをいうのよ。私の会社で働くなら、きちんと情報は仕入れるようにしておいてね」
「社長が言うならそうするほかないな」
どこの世界でも情報は武器になるという事か。情報を持たないものは戦えないなんて、なんて世知辛い世の中だ。もっと情報弱者にやさしくあってもらいたいものだ。
「社長……なんか変な感じね。私は経営者って柄じゃないもの。出来ることなら一冒険者として前線に行き、そして前線で生涯を終えたいわ」
「僕とは正反対だな……いや、そうでもないか。僕は経営者になりたいわけでもないし」
「夢がないのね? 無気力なのがいいこともあるけど、ほとんどの場合無気力というのは悪よ?」
再び大きなため息を彼女は吐いた。
もちろん僕にだって、彼女の言うことが分からないわけじゃない。だけど無気力なのは性格の問題で、すでに形成されてしまった性格を治すのはかなり困難を極めるだろう。自分で言うのだから間違いない。
「性格を治すのは無理だけど、仕事をもらう上で最低限の仕事はこなすつもりだ。当たり前のことかもしれないけど……だけどたぶん君の思っているような向上心を僕に求めても時間の無駄だ。向上心がなきゃダメだというのなら他を当たってくれ」
仕事をこなす上でも向上心というものが大切だという事は知っている。だけど無理に向上心を抱いたところでそれはあくまで無理やりでしかなく、結局のところ最後にはすべてのやる気を失ってしまう。特に仕方なくついた仕事ならなおさらそうだろう。
「声をかける前ならそれも出来たかもしれないけど、不本意とはいえあなたは私の婚約者なのよ?」
「それはすまないと思っている。でも元はと言えば君が騙したからだろう」
「騙したって……冒険者のこと? 確かに私の調査が甘かったという事はあるかもしれないけど、私は冒険者という仕事に誇りを持っているわ。他人に紹介しても後悔しないほどにわね。それに強制するつもりはないって言ったでしょ? 婚約者になってしまったからには、私の会社で働いてもらうしかないけれど、どうしても嫌だというのなら裏方の仕事に回ってもらっても構わないわ!」
しまった。また余計なことを口にして彼女を怒らせてしまったようだ。
長い間に染み付いてしまった癖というのはいつまでたっても取り除けないものだ。もう少しだけ考えてから話す様にしなくちゃな。
「そういうつもりで言ったわけじゃない……仕事をもらえることに感謝はしているし、知らないこととはいえ婚約については申し訳ないとは思ってる。ただ、婚約については僕も不本意だってことが言いたかったんだよ」
「わかってるわよ……でも魔法契約というのはそう簡単に破棄することが出来ないのよ。古に伝わりし契約解除の魔法を見つけられれば話は別だけどね」
「契約解除の魔法?」
なんだ。婚約の破棄が全く不可能な話というわけではないのか。それなら、その魔法とやらを探せば何とかなるかもしれないな。
そんな風に楽観的に考える僕の思考を見透かしてか、彼女は大きく息をついて僕の目をしっかりと見据える。
「簡単なことじゃないわよ。歴史書に載ってはいるけど、今の世の中でその存在を確認した人物は誰ひとりもいない。契約魔法がオーパーツだとするなら、契約解除の魔法はロストテクノロジー……失われた技術とでも言えばいいのかしら」
「ロストテクノロジー……というかオーパーツって、仕組みもわからずに使っているってことか!? よくもまあ、そんなよくわからない物を使う気になれるものだな」
特に婚約の儀式なんて、その内容が簡単な割にはかなりきつい縛りだ。その容易さから悪用されることだって多いだろう。そんなものを国家レベルで使っているなんてとんでもない国だ。
「別に使っているわけじゃないわよ。法に基づいた契約魔法の1つとして、大昔からあるのが婚約の儀……今の世の中に生きる私たちにとっては時代遅れも甚だしいけど、どうすることも出来ないものなのよ」
「そういうものなのか」
なんというか、面倒な世界だな。この世界にはまだまだ僕なんかが理解できない理があるのだろう。異世界というのは非常に厄介だ。
だけどそれでも目的の一つはこれで決まった。
僕の中の確信と同じものを持っているらしい彼女が僕の笑みに同調するかのようにふふっと笑う。
「そう。私たちの最終目標は、そんな時代遅れの契約魔法を何とかすること……この世界に自由を取り戻すという事よ! そのついでに、婚約も解消してしまえばいい。簡単な話よ」
あくまでもずっと冷静を保ってきた彼女が両手を机に付いて勢いよく立ち上がる。
彼女にとってそれほどに『自由』という言葉が大切なのだろう。だけどその気持ちは何となく僕にもわかる。
僕はずっと考えてきた。発達し過ぎた世界には自由はない……法で縛られ、常識に縛られ、契約に縛られ、自分に縛られる。僕たちはずっとそんな生活を繰り返してきた。縛りの中では自由だと自らに言い聞かせながらも、その自由にさえ縛られて、本当の自由とはほど遠いところに僕たちはいた。
「浮浪者だった僕はある意味では自由だったよ。少なくとも契約に縛られることはなかった……」
「それは無気力なだけでしょ!」
なんて彼女が笑うのを見て、僕はこの世界に来て初めて本当に笑えた。
興奮した様子で、それでいて先ほどまでとは明らかに他人行儀な口調で、名前も知らない恩人は怒りを露わにした。助けてもらった身分で、僕はやらかしてしまったらしい。
だけど、仕方ないだろう。だって僕はまだこの世界に来てから数日しか経っていない。細かい所作なんて知りようもないんだから。
「ご、ごめんなさい」
僕はあわてて土下座する。
だけどどうやら土下座の意味は彼女には伝わらなかったらしく、その怒りは収まりそうにもない。まったく、僕としたことが郷に入っては郷に従えという事が出来ていなかったようだ。
そもそも、彼女は僕が異世界人であるということを知らない。話す必要もないし、話すつもりもないが、その分、文化の違いを理解してもらいづらくもなるだろう。
「謝ってすむことじゃないけど、まあいいわ。想い人がいるわけでもないし」
「悪かったとは思うけど、誰も見てないし……なかったことに出来ないのか?」
「本当に何も知らないのね……この世界では、婚約の儀式は絶対だっていうのに」
呆れた表情で彼女は大きくため息を吐く。
婚約の儀式は絶対。わずかな日数をこの世界で過ごして何となくわかったことだが、この世界には魔法というものが存在しているらしい。
『らしい』とつけたのは、街中での許可なしの魔法発動が禁止されているらしく、直接見たことはないからだ。現代社会に育った僕にとって、魔法というものは魅力的だが、その反面恐ろしくもある。
ともかく、その儀式とやらに魔法的な何かがあるんだとすれば、彼女の言う事も何となくわかる。たぶん魔法契約的な、そんなものだろう。
となると、僕がやらかした失態はかなりまずい。
「それはどうにもならないのか?」
「絶対だからね。なるようにしかならないわ」
「なるように……」
段々と彼女の怒りは収まりつつあるようだ。
だけどやらかした側の僕としては胃が痛い。どれだけ彼女が落ち着きを取り戻しても、やってしまったことは取り消せない。この世界の常識を学ぶまではもう少しだけ慎重に行動しよう。
僕は何度もお詫びの言葉を口にして、ようやく話が進む。
「まあ、婚約のことはおいおい考えるとして……これで尚のこと私の会社に来てもらうしかなくなったわね」
「本当にごめん」
「もういいわよ。それに、この世界のどこかには婚約を解消する魔法もあるとかないとか……あんまりあてには出来ないけど、人生っていうのは結局どうにかなるものなのよ」
落ち着きを取り戻した彼女は、かなりの楽観主義者なようだ。
まあ僕みたいな放浪者に仕事の話を持ちかけてくるぐらいだから、元来彼女はそういう性格なのだろう。
それからしばらく歩いて彼女の会社らしき建物の前までやって来た。先ほどの施設は会社の一部らしく、こっちが本社的な扱いらしい。
「もしかして……ここ?」
彼女が立ち止まったから、おそらくここで間違いないのだろう。だけどそれにしても僕の勘違いであってほしいと思えるほどにボロ屋だ。誘ってもらっておいてなんだが、この先のことがどうにも不安で仕方ない。
唖然とする僕の様子を見て彼女は不服そうに顔をしかめる。
「そうここよ。何か文句ある?」
有無を言わせぬ力強い言葉に僕はなにも言い返せず、ただ「ない」とだけ口にする。
「だったら、早いところ中に入りましょう。面接……なんて堅苦しいことをするつもりはないけど、一応は簡単な質問をいくつかさせてもらうから」と、彼女は建物のカギを開けて中に入るように促した。
ちらりとしか見えなかったが、彼女が使ったカギはかなり古めかしい物で、きっと何十年も前から使われてきた物に違いない。そうなるとこの建物も相当古いのだろう。
言われるがまま、中に入った僕の目にまず入るのは床に敷かれた高そうな絨毯だ。まるで貴族の館にでも迷い込んでしまったかのような、そんな雰囲気を感じさせる内装だ。だが、残念ながら目に映るすべての物はほこりにまみれている。きっと誰も清掃をしていないのだろう。場所によってはカビすら生えている。
「かなり古い建物だけど、大昔にお父様が使っていた建物だから使い勝手は悪くないわよ」
まるで自分に言い聞かせるように彼女はそんなことを口にして、さらに奥の部屋へと僕を誘導する。
この世界に来て初めて人の家に招かれた僕なのだけど、どこの家もこんな感じなのだろうか……それとも彼女がかなりの金持ちなのだろうか。よく思い出してみれば、外装もボロくはあったものの、造りはかなり堅牢だったような気もしなくない。もしかすると本当に彼女は金持ち……貴族の類なのかもしれない。といっても、この世界のことをあまり知らない僕には想像の域を出ないことだ。
「座って……」
案内された部屋に入ると、そこには軽く清掃されたであろうソファーが二組あった。彼女はその一方に座ると、反対側に座るように僕に促す。
僕はちらりと部屋を横目で確認する。貴族が暮らしている屋敷としてはどうなのかはわからないが、ほこりまみれだった入口に比べる幾分か掃除されているのが分かる。屋敷の中に僕たち以外の気配を感じないことから察するに彼女自身が掃除したのだろう。
「会社ね……」
余計なこととは分かっているが、ソファに腰かける寸前で僕の口からそんな言葉が零れ落ちる。
自分でも自分の性格が悪いことぐらいは分かっている。だが口から出てしまったのだから仕方がない。
「正確に言えば、まだ会社という体をなしていないわね」
痛いところを突かれたというふうに彼女は苦々しい顔をした。
「会社を作ろうとしているってこと?」
それで僕を最初の従業員として雇い入れようとしたという事か……僕の様な浮浪者を雇おうとするぐらいだから変な会社なんだろうとは覚悟していたが、そもそもまさか創業前だとは思いもしなかった。
「昨日こっちに来たばかりだからね」
「昨日……それでか」
そう言えば彼女はどこか別の国から来たと言っていた。つまり彼女はこの国の実情も知らず、新規に冒険者を雇おうと思ったというところだろう。
この街で、ベンチャーの冒険者会社に入ろうとする冒険者はいないだろう。怪我をしたり、死亡する可能性が高い職業であるがゆえに、保証がしっかりとした会社に就職したいと考えるのは当然だ。新規の会社に保証などあるかどうかも怪しい。
そこで僕にお鉢が回って来たというわけだ。
とはいえ、彼女は最初に『私の国にもフロンティアスピリッツを持ち合わせているような殊勝な人間は少ないのよ』と言っていたはずだ。しかし、蓋を開けてみれば、彼女の街からこの街を開拓するためについて来た人員すら皆無だったということだ。気の毒な話だ。
「まさか、私の国とこの国で冒険者の概念が違うなんて思わなかったもの。でもあなたに声をかけたのは仕方なくってわけじゃないのよ」
「いや、気を使ってもらう必要はないよ。最初に言った通り、仕事をもらえるだけ感謝している」
僕の言葉に彼女は少しだけ呆れた表情をして、小さくため息をこぼした。
「気を使っているわけじゃないけど……まあいいわ。私の見立てではあなたは冒険者向きの才能を持っているとは思うけど、冒険者には色んなタイプがいるわ。たぶんあなたは先頭に立って引っ張っていくタイプじゃないと思うけど――」
「――全くもってその通りだ。人を率いるなんてごめんだ!」
僕に人を率いる度胸なんてあるはずもない。自慢じゃないが僕ほどの無能はきっと探す方が難しい。
「人の会話を遮って自分の意見を言うのはやめた方がいいわよ……特に貴族相手には絶対しちゃダメだからね。こんなご時世だからかなり衰退しているけど、それでも人ひとりの命を奪えるぐらいには権力を持っているんだからね」
「こんなご時世?」
と言われても、数日の間を浮浪者として過ごしてきた僕はこの国の情勢に疎い。婚約の儀とやらすら知らない僕が、貴族がどんな状況になるのかを知っているわけもない。
そんな僕に彼女は呆れた様子で、「自分がいる国のことぐらい知っておきなさいよ」と嫌みを口にした。
彼女が僕のことをこの国で暮らしている人間だと勘違いするのは当然だ。だけど僕はほんの数日、浮浪者として過ごしただけの国に過ぎない。ろくに話し相手すらいない国で得られる情報はかなり少ないのだ。
「あいにく、貴族になんて興味ないからね」
「図太い性格してるわね……でもこれからの時代は情報がモノをいうのよ。私の会社で働くなら、きちんと情報は仕入れるようにしておいてね」
「社長が言うならそうするほかないな」
どこの世界でも情報は武器になるという事か。情報を持たないものは戦えないなんて、なんて世知辛い世の中だ。もっと情報弱者にやさしくあってもらいたいものだ。
「社長……なんか変な感じね。私は経営者って柄じゃないもの。出来ることなら一冒険者として前線に行き、そして前線で生涯を終えたいわ」
「僕とは正反対だな……いや、そうでもないか。僕は経営者になりたいわけでもないし」
「夢がないのね? 無気力なのがいいこともあるけど、ほとんどの場合無気力というのは悪よ?」
再び大きなため息を彼女は吐いた。
もちろん僕にだって、彼女の言うことが分からないわけじゃない。だけど無気力なのは性格の問題で、すでに形成されてしまった性格を治すのはかなり困難を極めるだろう。自分で言うのだから間違いない。
「性格を治すのは無理だけど、仕事をもらう上で最低限の仕事はこなすつもりだ。当たり前のことかもしれないけど……だけどたぶん君の思っているような向上心を僕に求めても時間の無駄だ。向上心がなきゃダメだというのなら他を当たってくれ」
仕事をこなす上でも向上心というものが大切だという事は知っている。だけど無理に向上心を抱いたところでそれはあくまで無理やりでしかなく、結局のところ最後にはすべてのやる気を失ってしまう。特に仕方なくついた仕事ならなおさらそうだろう。
「声をかける前ならそれも出来たかもしれないけど、不本意とはいえあなたは私の婚約者なのよ?」
「それはすまないと思っている。でも元はと言えば君が騙したからだろう」
「騙したって……冒険者のこと? 確かに私の調査が甘かったという事はあるかもしれないけど、私は冒険者という仕事に誇りを持っているわ。他人に紹介しても後悔しないほどにわね。それに強制するつもりはないって言ったでしょ? 婚約者になってしまったからには、私の会社で働いてもらうしかないけれど、どうしても嫌だというのなら裏方の仕事に回ってもらっても構わないわ!」
しまった。また余計なことを口にして彼女を怒らせてしまったようだ。
長い間に染み付いてしまった癖というのはいつまでたっても取り除けないものだ。もう少しだけ考えてから話す様にしなくちゃな。
「そういうつもりで言ったわけじゃない……仕事をもらえることに感謝はしているし、知らないこととはいえ婚約については申し訳ないとは思ってる。ただ、婚約については僕も不本意だってことが言いたかったんだよ」
「わかってるわよ……でも魔法契約というのはそう簡単に破棄することが出来ないのよ。古に伝わりし契約解除の魔法を見つけられれば話は別だけどね」
「契約解除の魔法?」
なんだ。婚約の破棄が全く不可能な話というわけではないのか。それなら、その魔法とやらを探せば何とかなるかもしれないな。
そんな風に楽観的に考える僕の思考を見透かしてか、彼女は大きく息をついて僕の目をしっかりと見据える。
「簡単なことじゃないわよ。歴史書に載ってはいるけど、今の世の中でその存在を確認した人物は誰ひとりもいない。契約魔法がオーパーツだとするなら、契約解除の魔法はロストテクノロジー……失われた技術とでも言えばいいのかしら」
「ロストテクノロジー……というかオーパーツって、仕組みもわからずに使っているってことか!? よくもまあ、そんなよくわからない物を使う気になれるものだな」
特に婚約の儀式なんて、その内容が簡単な割にはかなりきつい縛りだ。その容易さから悪用されることだって多いだろう。そんなものを国家レベルで使っているなんてとんでもない国だ。
「別に使っているわけじゃないわよ。法に基づいた契約魔法の1つとして、大昔からあるのが婚約の儀……今の世の中に生きる私たちにとっては時代遅れも甚だしいけど、どうすることも出来ないものなのよ」
「そういうものなのか」
なんというか、面倒な世界だな。この世界にはまだまだ僕なんかが理解できない理があるのだろう。異世界というのは非常に厄介だ。
だけどそれでも目的の一つはこれで決まった。
僕の中の確信と同じものを持っているらしい彼女が僕の笑みに同調するかのようにふふっと笑う。
「そう。私たちの最終目標は、そんな時代遅れの契約魔法を何とかすること……この世界に自由を取り戻すという事よ! そのついでに、婚約も解消してしまえばいい。簡単な話よ」
あくまでもずっと冷静を保ってきた彼女が両手を机に付いて勢いよく立ち上がる。
彼女にとってそれほどに『自由』という言葉が大切なのだろう。だけどその気持ちは何となく僕にもわかる。
僕はずっと考えてきた。発達し過ぎた世界には自由はない……法で縛られ、常識に縛られ、契約に縛られ、自分に縛られる。僕たちはずっとそんな生活を繰り返してきた。縛りの中では自由だと自らに言い聞かせながらも、その自由にさえ縛られて、本当の自由とはほど遠いところに僕たちはいた。
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