契約妃は隠れた魔法使い

雨足怜

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69気遣いはどこへ

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 ちまちまとスプーンでクリームを丸く伸ばした生地の上に掬い取っては眺め、一ミリグラムのずれも許さないとばかりに調整を進める王子殿下。
 顔を近づけ、真剣に、わずかなミスも見逃さないとばかりに作業を進めるのは……まあいい。

「あの、スプーンが欲しいのですが」

 取り込んでしまって返却されないスプーンを求めれば、ジト目が突き刺さる。

「量を調節しろと言ったりさっさと終わらせろと言ったり、どっちだ」
「両方ですよ。第一、そんなに精密にサイズを考える必要はありませんよ。お見舞いの品はサイズのそろったものを持っていくので」

 ちらと視線が向いた先、大小さまざまな完成品が目に付く。その半分ほど、汚らしく中身が飛び出てしまっているのが殿下の作品だ。あと、大きいものと小さいものも。こうしてみると殿下の不器用さがはっきりと見える。
 まあ、王子殿下たるもの、自分で料理をすることなど少ないだろうし、こんなものなのだろう。

「……そうか。ところで、お見舞いというのは?」
「ぎっくり腰らしいですね」
「ふむ、それは災難だな。若くしてすでに腰に来ているとは、なかなかに大変な肉体労働にいそしんでいるのか」

 この殿下はとうとう頭がおかしくなったのだろうか。

「……なんだ、その目は」
「いえ、普通ぎっくり腰と聞けばご高齢の方を想像しませんか?」
「いや、お前の友人なのだろう?……友人という話だったよな?」

 ああ、なるほど。王城にいるわたしが、城内にいる知人に渡そうとしているとでも思ったのだろうか。
 まあ、単に友人と聞けばふつうは同世代の人物を思い浮かべるものかもしれない。ハンナとわたしの関係を友人と呼んでいいかはさておき。

「知人のおばあさんですね。まだ一度した会ったことのない」
「それは知人と呼んでいいのか……?」

 納得がいかないといった顔をした殿下の手が止まったところでスプーンをひったくって料理を進める。

 そうして完成したフレッシュ・ボールは、本来は生地が乾くまで放置するのだけれど、今回は軽く焼くことにする。

 焼くときに気を付けるのは、生地の分量、特に水分量を考えること。
 乾燥させる場合と同じ分量のものを焼くとコラーゲンスライムが多すぎてガチガチのカプセルになってしまう。さくほろと崩れるお菓子らしいカプセルにするには、特に焼く場合にはスライムゲルを少なくしておくのだ。あと、程よくバターを加えるのもポイント。
 加えすぎると日持ちしなくなってしまうからほどほどで。

 手際よくフライパンの上に並べたフレッシュ・ボールをフィナンが加熱する。
 あっという間に表面がパリッとして、すぐに上げてあとは余熱。

 紙を乗せた皿の上に並べられた完成品は、程よくきつね色に焼け、かすかに甘い湯気を立ち昇らせていた。

「……完成ですね」

 早速一つ口に運べば、さくりと生地が崩れ、奥から熱々の砂糖漬けがあふれ出す。
 うん、成功と言っていいだろう。

「何を勝手に食べている?」
「…………味見は必要でしょう?」
「せっかくなのだから紅茶も一緒にすればいいだろうが。それに、手づかみなど行儀が悪いにもほどがある」

 全く、とぶつくさ言いながら殿下はお湯を沸かし始める。
 使用人のフィナンがいるのに率先して動くそのあり方は、やっぱり王子様からは程通い。

「第一王子殿下?」
「なんだ、いきなり」
「……いえ、何でもありません」

 目の前にいるのは実はアヴァロン殿下ではない替え玉、あるいはまだ幼い第二王子殿下かと思ったけれど、さすがにそんなことはないらしい。
 正気か? と疑うような視線を逆に向けられて、なんだか腹が立ったので紅茶の準備は殿下に任せることにした。

 紅茶の入ったポットを手に、調理場の端にあるテーブルに腰を落ち着ける。
 食事をするにはやや台が高いけれど、調理用のものだから仕方がない。

 慣れた動きで紅茶を注ぐ殿下は三人の前にそれぞれカップを置いて。

「……私の椅子はどこだ」
「はっ! すみません殿下!」

 慌てて立ち上がったフィナンが、自分の椅子を譲るべく王子殿下のほうへと押しやる。

「いや、気にしなくていい。気づいていて何も言わず、何もしないそこの……性悪が悪い」

 性悪が悪いって、なんか言葉がおかしい気がする……そもそも、アヴァロン王子殿下に性悪などと言われるのは許しがたい。

 フィナンを押しとどめた殿下は、少し遠くにある椅子を運ぶために歩き去っていく。
 その背中をじっと眺めていたフィナンが、テーブルに身を乗り出してわたしに耳を貸すようにアイコンタクトしてくる。

 何かあったのかと、紅茶をこぼさないように、けれど殿下に聞かれずに済むくらい顔が近づくように身を乗り出して。

「……まさか、奥様が誰か、気づいていないということはありませんよね?」

 声を潜めて、フィナンは王子殿下とわたしに関する確信をついてきた。

「そのまさかよ」

 フィナンの予想の通り、王子殿下はわたしが殿下の妃クローディアであることに気づいていない。
 ポンコツというか、無能というか、畜生とでも言っておけばいいだろうか。

 驚愕に目を見開いたフィナンはしばらく氷像のように動きを止めた。

「どうした。紅茶が冷めるぞ」

 背後から聞こえてきた声は、内緒話を聞きとがめたそれではない。どうやら椅子を運ぶ音のおかげで、わたしたちのささやき声は聞こえなかったらしい。

「殿下は…………いえ、何でもありません」
「揃って途中で言葉を止めるのか。似た者同士だな」

 フィナンが問うのをやめたのはきっと、わたしの視線のせい。

 憮然とした様子で腰を落ち着けた殿下がフレッシュ・ボールの一つを食べ始めたのを見届けてから、わたしもまた、動きを止めたままのフィナンから顔をそらすようにして皿に手を伸ばす。

 驚愕に、怒りを買い混ぜたフィナンに、視線でそれ以上何も言うなとこっそり言いつけてから。

 口に運んだフレッシュ・ボールはおいしく、紅茶も美味で、けれどなぜだかひどく味が薄いように感じた。

 無言の時間はどこか痛々しく、不揃いのフレッシュ・ボールを囲むお茶会は早くに切り上げられた。

「見舞いに向かうのだろう?」

 ――そんな、殿下の気遣いの言葉とともに。

 どうしてその気遣いを、妻に発揮できないのか。
 問いは、けれど言葉にはならず、ただわたしの心の中で響くばかりだった。
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