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75お礼
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*アヴァロン王子視点です*
ひどく浮足立っていることは自覚していた。
羽が生えたように体が軽く、頬が緩むほどには。
「……とうとう頭がおかしくなった?」
――だが、この侮辱はいただけない。
ナイトライト侯爵邸宅。
足を運んだ俺を出迎えたエインの第一声に、思わず頬がひきつった――怒りに。
とっさに放ちかけた殺意は、けれどエインの目の下にくっきりと浮かんだクマを見て引っ込む。
「忙殺されているな」
「まあ、な。ただ、楽しくはあるのが救いだけど。……結婚ってのは、想像していた以上に大ごとだ」
ぼやきながら招き入れたエインは、どこか覚束ない足取りで応接室へと進んでいく。
その背中はまるで幽鬼のようで、今にも倒れそうだった。どこか狂気を感じたのはきっと、それだけ疲れた顔なのにも関わらず、目だけはぎらぎらと嫌に強く光っていたからなのだと思う。
結婚……か。本来は私もこれほど忙しくなっていたのだと思うと、やはり簡略で済ませて正解だったのだろう。
王子の結婚ともなれば普通は国を挙げての式典となる。だが、それをできない理由があった。
世界樹の紋章などという伝説を持つ女性との結婚だったという点が一つ。
そして、婚約期間無しにいきなり結婚したこと――あるいはこれは、口ばかりやかましい厄介者が関与しないようにするための方策だった。
一国の王子とはいえ、私の立場はまだ完全には固まっていない。
父の政務を幾分か受け持っているだけで、私が王位を継ぐと決まったわけではない。何よりも口うるさい―ーいや、耳障りな羽音を立てる虫が飛び回っているおかげで油断はできない。
ともすれば妃が死ぬ可能性だってあったのだ。何しろ、それが最も私の王位継承に致命的なダメージを与える方法だったから。
建国史に語られる紋章を宿した女を守れなかった無能――と。
それはさておき、疲れているながらにエインの背中には気力が充溢していた。
愛する女との晴れ舞台の準備となれば、忙殺されても本望なのだろう。
片手に持つ布袋を手にあがり、見慣れた応接室に入る。
ソファに座れば、体は深く座面に沈み、思わず吐息が漏れる。
自分で思っていた以上に、私も疲れているようだった。
おそらくは、精神面で。
「……珍しく気を抜いてるね?」
そう問いかけてくるエインもまた、ぐったりとソファに背中を預けている。
背もたれの後ろへと片手を投げ出し、背もたれ上部に首をひっかけるようにして天井を見上げる姿は、私など比ではないほどにだらしない。
「さすがに少しは気を遣ったらどうだ」
「オレたちの間に今更そんな取り繕いはいらないよな……いやまて、オレは家主のようなものなんだし、気を遣うのはオレじゃないはず」
「いや、私は王子だからな?」
気心の知れた仲だ。だからこそ、こんな風に気の置けにない掛け合いができる。
意味のない言葉の応酬。だが、不思議とそれが気持ちを落ち着ける。
「王子殿下は一人の女性の尻を追いかけまわして翻弄されることはないと思うんだけど……あぁ、そんな王子に仕えるのは嫌だな」
「…………それは、喝を入れてほしいという意味か」
「言ってることと動きが違うんだよなぁ」
こぶしを軽く握って見せれば、エインはぐったりとつぶやきながらとうとうもたれるのさえやめて座面に横たわる。
だらしがないことこの上ない。
「はぁ……うらやましい――なんて死んでも言う気はないけれど」
「今言っているだろう?」
「少しだけ、結婚式が簡単だった殿下に憎しみを覚えるな」
「憎しみ……戯言を聞き流すのは今日だけだからな」
怒りをぐっと抑えたのは、私が考えていた以上にエインが疲労困憊の様子だったから。
黒々としたクマを目の下に浮かべるその顔には死期が見えた気がした。
さすがにここで追撃をするほど私は子どもではない。
「……疲れた時には甘いものだ」
話題を切り出すタイミングはここだと、勢いに任せて動く。
「殿下が土産を持ってくるなんて、天変地異の前触れ?」
「親しき中にも礼儀あり、ということだ」
「いつもは何も持ってこないくせに」
横に置いていた布袋を手に取って、少しためらう。
こんな男にこれを食わせるのか、という疑問が心の中で膨れ上がる。
何しろ、これはスミレの乙女と共に作った菓子なのだから。
――いや、これまで一応は相談に乗ってもらった礼と思えば悪いことではない。
そう己に言い聞かせながら包みを開いた。
ひどく浮足立っていることは自覚していた。
羽が生えたように体が軽く、頬が緩むほどには。
「……とうとう頭がおかしくなった?」
――だが、この侮辱はいただけない。
ナイトライト侯爵邸宅。
足を運んだ俺を出迎えたエインの第一声に、思わず頬がひきつった――怒りに。
とっさに放ちかけた殺意は、けれどエインの目の下にくっきりと浮かんだクマを見て引っ込む。
「忙殺されているな」
「まあ、な。ただ、楽しくはあるのが救いだけど。……結婚ってのは、想像していた以上に大ごとだ」
ぼやきながら招き入れたエインは、どこか覚束ない足取りで応接室へと進んでいく。
その背中はまるで幽鬼のようで、今にも倒れそうだった。どこか狂気を感じたのはきっと、それだけ疲れた顔なのにも関わらず、目だけはぎらぎらと嫌に強く光っていたからなのだと思う。
結婚……か。本来は私もこれほど忙しくなっていたのだと思うと、やはり簡略で済ませて正解だったのだろう。
王子の結婚ともなれば普通は国を挙げての式典となる。だが、それをできない理由があった。
世界樹の紋章などという伝説を持つ女性との結婚だったという点が一つ。
そして、婚約期間無しにいきなり結婚したこと――あるいはこれは、口ばかりやかましい厄介者が関与しないようにするための方策だった。
一国の王子とはいえ、私の立場はまだ完全には固まっていない。
父の政務を幾分か受け持っているだけで、私が王位を継ぐと決まったわけではない。何よりも口うるさい―ーいや、耳障りな羽音を立てる虫が飛び回っているおかげで油断はできない。
ともすれば妃が死ぬ可能性だってあったのだ。何しろ、それが最も私の王位継承に致命的なダメージを与える方法だったから。
建国史に語られる紋章を宿した女を守れなかった無能――と。
それはさておき、疲れているながらにエインの背中には気力が充溢していた。
愛する女との晴れ舞台の準備となれば、忙殺されても本望なのだろう。
片手に持つ布袋を手にあがり、見慣れた応接室に入る。
ソファに座れば、体は深く座面に沈み、思わず吐息が漏れる。
自分で思っていた以上に、私も疲れているようだった。
おそらくは、精神面で。
「……珍しく気を抜いてるね?」
そう問いかけてくるエインもまた、ぐったりとソファに背中を預けている。
背もたれの後ろへと片手を投げ出し、背もたれ上部に首をひっかけるようにして天井を見上げる姿は、私など比ではないほどにだらしない。
「さすがに少しは気を遣ったらどうだ」
「オレたちの間に今更そんな取り繕いはいらないよな……いやまて、オレは家主のようなものなんだし、気を遣うのはオレじゃないはず」
「いや、私は王子だからな?」
気心の知れた仲だ。だからこそ、こんな風に気の置けにない掛け合いができる。
意味のない言葉の応酬。だが、不思議とそれが気持ちを落ち着ける。
「王子殿下は一人の女性の尻を追いかけまわして翻弄されることはないと思うんだけど……あぁ、そんな王子に仕えるのは嫌だな」
「…………それは、喝を入れてほしいという意味か」
「言ってることと動きが違うんだよなぁ」
こぶしを軽く握って見せれば、エインはぐったりとつぶやきながらとうとうもたれるのさえやめて座面に横たわる。
だらしがないことこの上ない。
「はぁ……うらやましい――なんて死んでも言う気はないけれど」
「今言っているだろう?」
「少しだけ、結婚式が簡単だった殿下に憎しみを覚えるな」
「憎しみ……戯言を聞き流すのは今日だけだからな」
怒りをぐっと抑えたのは、私が考えていた以上にエインが疲労困憊の様子だったから。
黒々としたクマを目の下に浮かべるその顔には死期が見えた気がした。
さすがにここで追撃をするほど私は子どもではない。
「……疲れた時には甘いものだ」
話題を切り出すタイミングはここだと、勢いに任せて動く。
「殿下が土産を持ってくるなんて、天変地異の前触れ?」
「親しき中にも礼儀あり、ということだ」
「いつもは何も持ってこないくせに」
横に置いていた布袋を手に取って、少しためらう。
こんな男にこれを食わせるのか、という疑問が心の中で膨れ上がる。
何しろ、これはスミレの乙女と共に作った菓子なのだから。
――いや、これまで一応は相談に乗ってもらった礼と思えば悪いことではない。
そう己に言い聞かせながら包みを開いた。
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