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85大切
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胸の前で固く握られた手は、ひどく震えている。その拳が、決意と不安を表していた。
フィナンは、その目で、その顔で、わたしに訴える。わたしに問う。
今日自分を助けたのは、味方を失わないためか、あるいは――と。
それはまるで神に救いを求めるようで、だからだろうか、石を飲み込んだように、胸の下あたりが重く感じられるのは。
ごくりと、喉が鳴る。体から嫌な汗が噴き出すのを感じつつ、気持ちを引き締めるべく深く息を吸い、長く細く吐き出す。
真摯に、心の中の奥底に眠る本音を掬い上げるために。
「……友人を、守るためよ」
親友と、そう呼んでいいのかもしれない。けれどきっとフィナンは、親友だなんて表現すれば謙遜してしまうから。
そうしたらきっと、わたしが伝えたい言葉が、フィナンに上手く届かない気がするから。
だから静かに言葉を重ねる。心の奥底から現れて出でた言葉を吟味し、けれど脚色することなく、真なる表出を目指す。
「フィナンは知らないでしょう? わたしが、どれほどフィナンの存在に助けられているか」
フィナンが居なければ――何度、そんなたらればを重ねただろう。
フィナンが居ない日常。隣に誰もいない空白の日々。
それは耐え難く、想像するだけで心臓が握りつぶされたように痛む。
けれど、フィナンでなくてもいいというわけではない。
わたしたちは、まるでパズルのピースがかみ合うように、今この時まで歩いてこられたのだ。
他でもないフィナンだったからこそ、孤立無援の王城生活で、わたしは心を壊すことなく「わたし」でいられたのだ。
「私なんて、そんな」
照れたからか、もじもじと指を突き合わせては離す。そのいじらしい姿に、けれど今は顔をほころばせることはしない。
まっすぐに、伝えるために。フィナンに、自分の価値を知ってもらうために。
――わたしが選んだあなたは、確かに素晴らしい人なのだと、そう胸を張ってほしいから。恐怖なんてたやすく吹き飛ばしてほしいから。
「卑下するのはわたしが許さない。フィナンの存在は大きいの。今でこそ表立った敵はいないものの、使用人たちに心を許せるわけじゃない。ある日突然暗殺者が送り込まれるかもしれないし、ありもしない罪をでっち上げられるかもしれない。……罪の証拠をわたしの部屋に紛れ込ませるみたいに、ね」
彼女たちは骨身にしみている。
わたしと敵対すればどうなるのか、を。
だが、彼女たちは、わたしの使用人である以前に王城に務める使用人であり、そして何より、家に縛られた存在だ。
例えば本当の主人である国王陛下が黒だと言えば、わたしを黒にするために動く。実家からの要請があれば、そのように動く。
わたしへの恐怖も、わたしとの仲も、彼女たちの足かせにはならない。
でも。
「フィナンだけは違う。例え始まりが最悪の形であっても、罪悪感と恩の押し付けから始まる関係であっても、今のフィナンは信用できる。信頼できる。いいえ、こう言いかえた方がいいかもしれない――フィナンになら、裏切られても許せる」
王城で独りだったわたしに安息をくれた。孤独から救ってくれた。
時にポンコツな姿を見せてわたしを和ませ、時に暴走馬車のようにわたしを引っ張ってくれた。
わたしが孤独の殻の中に閉じ籠ることを許さなかった。外とつないでくれた。
そんなフィナンに裏切られるのなら、仕方が無いと許せる。
――けれど、そんなわたしの言葉は、フィナンの怒りに塗りつぶされる。
「私は、絶対に裏切りませんから!」
固く胸の前で握られたこぶしは、力を入れすぎて肌が白くなっていて、震えていて。
ただ、それでも届けずにはいられないと、叫ばずにはいられないと、フィナンは言葉を重ねる。
「たとえ何があろうと、家族や国王陛下から命令されようと、私は奥様の……クローディア様の味方ですから!!」
クローディア――音が、心に染み入る。
名前を呼ばれた。ただ、それだけの事。
けれど、それだけ、なんて表現は決してふさわしくないほどに、わたしの心にはぬくもりが満ちていた。
怒涛のようにあふれる感動、熱は血潮となってわたしの全身に広がっていく。
いつの間にか、寒さはどこかに吹き飛んでいた。
吹き抜ける風はむしろ心地よいくらいで、火照った頬の熱を冷ましてくれる。
それでも興奮冷めやらぬ心のまま、一歩、わたしは大切な彼女のもとへと踏み込む。
「ありがとう」
「っ!」
強く、強くフィナンを抱きしめる。
感謝を、感動を伝えるために――他に、方法は取れそうになかった。
最初こそ嫌々と身じろぎしていたフィナンだけれど、そのうちに動くことは無くなり、わたしの抱擁を黙って受け入れてくれた。
きっと、今のフィナンは気づいている。
わたしの体が、震えていることに。
わたしの目から、とめどなく涙があふれていることに。
精霊の宿り木の光が千々に乱れる。それはまるで無数の星のようで、瞬きすれば揺らぐ光は、満天の星空が飾る流星群のよう。
震える腕で、決して離さないように。
その手の中に感じる確かな熱を強く確かめるように、目を閉じて、彼女の首のあたりに顔をうずめる。
「う、ぁあ……っ」
もらい泣きしたのか、気づけばフィナンの体も震えていた。
漏れる嗚咽に宿るのは安堵なのか、喜びなのか、感謝なのか。
ただ心の中で渦巻く感情のままに、わたしたちは互いの体を抱きしめて、夜の王都の街角で声を押し殺して泣いた。
特別な人のために流す涙は、ひどく温かくて。
次第に冷えていく空気に身が震えだすまで、わたしたちを長く、体の芯から温め続けた。
フィナンは、その目で、その顔で、わたしに訴える。わたしに問う。
今日自分を助けたのは、味方を失わないためか、あるいは――と。
それはまるで神に救いを求めるようで、だからだろうか、石を飲み込んだように、胸の下あたりが重く感じられるのは。
ごくりと、喉が鳴る。体から嫌な汗が噴き出すのを感じつつ、気持ちを引き締めるべく深く息を吸い、長く細く吐き出す。
真摯に、心の中の奥底に眠る本音を掬い上げるために。
「……友人を、守るためよ」
親友と、そう呼んでいいのかもしれない。けれどきっとフィナンは、親友だなんて表現すれば謙遜してしまうから。
そうしたらきっと、わたしが伝えたい言葉が、フィナンに上手く届かない気がするから。
だから静かに言葉を重ねる。心の奥底から現れて出でた言葉を吟味し、けれど脚色することなく、真なる表出を目指す。
「フィナンは知らないでしょう? わたしが、どれほどフィナンの存在に助けられているか」
フィナンが居なければ――何度、そんなたらればを重ねただろう。
フィナンが居ない日常。隣に誰もいない空白の日々。
それは耐え難く、想像するだけで心臓が握りつぶされたように痛む。
けれど、フィナンでなくてもいいというわけではない。
わたしたちは、まるでパズルのピースがかみ合うように、今この時まで歩いてこられたのだ。
他でもないフィナンだったからこそ、孤立無援の王城生活で、わたしは心を壊すことなく「わたし」でいられたのだ。
「私なんて、そんな」
照れたからか、もじもじと指を突き合わせては離す。そのいじらしい姿に、けれど今は顔をほころばせることはしない。
まっすぐに、伝えるために。フィナンに、自分の価値を知ってもらうために。
――わたしが選んだあなたは、確かに素晴らしい人なのだと、そう胸を張ってほしいから。恐怖なんてたやすく吹き飛ばしてほしいから。
「卑下するのはわたしが許さない。フィナンの存在は大きいの。今でこそ表立った敵はいないものの、使用人たちに心を許せるわけじゃない。ある日突然暗殺者が送り込まれるかもしれないし、ありもしない罪をでっち上げられるかもしれない。……罪の証拠をわたしの部屋に紛れ込ませるみたいに、ね」
彼女たちは骨身にしみている。
わたしと敵対すればどうなるのか、を。
だが、彼女たちは、わたしの使用人である以前に王城に務める使用人であり、そして何より、家に縛られた存在だ。
例えば本当の主人である国王陛下が黒だと言えば、わたしを黒にするために動く。実家からの要請があれば、そのように動く。
わたしへの恐怖も、わたしとの仲も、彼女たちの足かせにはならない。
でも。
「フィナンだけは違う。例え始まりが最悪の形であっても、罪悪感と恩の押し付けから始まる関係であっても、今のフィナンは信用できる。信頼できる。いいえ、こう言いかえた方がいいかもしれない――フィナンになら、裏切られても許せる」
王城で独りだったわたしに安息をくれた。孤独から救ってくれた。
時にポンコツな姿を見せてわたしを和ませ、時に暴走馬車のようにわたしを引っ張ってくれた。
わたしが孤独の殻の中に閉じ籠ることを許さなかった。外とつないでくれた。
そんなフィナンに裏切られるのなら、仕方が無いと許せる。
――けれど、そんなわたしの言葉は、フィナンの怒りに塗りつぶされる。
「私は、絶対に裏切りませんから!」
固く胸の前で握られたこぶしは、力を入れすぎて肌が白くなっていて、震えていて。
ただ、それでも届けずにはいられないと、叫ばずにはいられないと、フィナンは言葉を重ねる。
「たとえ何があろうと、家族や国王陛下から命令されようと、私は奥様の……クローディア様の味方ですから!!」
クローディア――音が、心に染み入る。
名前を呼ばれた。ただ、それだけの事。
けれど、それだけ、なんて表現は決してふさわしくないほどに、わたしの心にはぬくもりが満ちていた。
怒涛のようにあふれる感動、熱は血潮となってわたしの全身に広がっていく。
いつの間にか、寒さはどこかに吹き飛んでいた。
吹き抜ける風はむしろ心地よいくらいで、火照った頬の熱を冷ましてくれる。
それでも興奮冷めやらぬ心のまま、一歩、わたしは大切な彼女のもとへと踏み込む。
「ありがとう」
「っ!」
強く、強くフィナンを抱きしめる。
感謝を、感動を伝えるために――他に、方法は取れそうになかった。
最初こそ嫌々と身じろぎしていたフィナンだけれど、そのうちに動くことは無くなり、わたしの抱擁を黙って受け入れてくれた。
きっと、今のフィナンは気づいている。
わたしの体が、震えていることに。
わたしの目から、とめどなく涙があふれていることに。
精霊の宿り木の光が千々に乱れる。それはまるで無数の星のようで、瞬きすれば揺らぐ光は、満天の星空が飾る流星群のよう。
震える腕で、決して離さないように。
その手の中に感じる確かな熱を強く確かめるように、目を閉じて、彼女の首のあたりに顔をうずめる。
「う、ぁあ……っ」
もらい泣きしたのか、気づけばフィナンの体も震えていた。
漏れる嗚咽に宿るのは安堵なのか、喜びなのか、感謝なのか。
ただ心の中で渦巻く感情のままに、わたしたちは互いの体を抱きしめて、夜の王都の街角で声を押し殺して泣いた。
特別な人のために流す涙は、ひどく温かくて。
次第に冷えていく空気に身が震えだすまで、わたしたちを長く、体の芯から温め続けた。
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