86 / 89
86帰宅
しおりを挟む
――フィナンを捕まえていたのは、酔った男たちだった。
運悪く奥まった酒場の方へと近づいてしまい、そこで赤ら顔の男たちに見つかり、手籠めにされそうになっていたという。大通りではそうした酔っ払いもあまり現れることは無いだろうけれど、夜になっても開いている店が少なくないこの辺りであればさもありなん。
まあ、そんな場所に迷い込んだフィナンは、不幸という一言では表現しきれないほどに悪運に愛されているのだろう。
不運とは言い切れないのは、私が間に合ったから。
今更ながらに安堵が全身に広がり、その場に崩れ落ちてしまいそうになって、フィナンを支えにしてこらえる。
突然体重をかけられたフィナンは目を白黒させ、必死にわたしを支えようと体に力を入れてプルプルと震えていた。
男たちももうどこかへ行ってしまって、周囲にはただ静寂だけが広がっていた。
少し前まで聞こえてきた、近くの酒場で盛り上がる声も今は届かない。
それはまるで、極寒の季節の中、住処に引きこもって丸まって寒さを耐え忍ぶ、大自然の中の獣たちのよう。
死を運ぶ気配を前に息をひそめた町の一角はあまりにも冷たく、あまりにも排他的だった。
いつまでも、こんな場所に留まっているわけにはいかない。
安全性もそうだし、何より、見回りの騎士に見つかって怪しまれるかもしれない。今更かもしれないけれど、わたしたちがここにいることがばれるとまずいし、騎士たちがわたしたちを――特にわたしを、一方的に見知っている可能性は決して低くないのだから。
それに何よりも、寒い。
冬も半ば。日中はまだ暖かい日もあるけれど、日が暮れるとめっきり冷え込む。
走り回った汗がひき始めているからか、フィナンは恐怖とは別の意味でガタガタと震え始めていた。
「……あっ」
まあ、膝が笑っているし、腰も抜けがちだから、まだ恐怖から回復しきっていないというのもあるとは思うけれど。
支えにしていたフィナンが倒れこみ、当然、フィナンに体重を預けていたわたしもまた冷たい石畳の上に投げ出された。
そういうわけで、わたしたちは互いに肩を貸して――腰を抜かしたフィナンに肩を貸して、王城へと帰還した。
こっそりと城に戻る最中、幸いというべきか、誰にもバレることは無かった。
王城内の見回りの騎士も、いつもより少なく、タイミングが乱れている。すっかり脱走に慣れてしまったから、そういうこともわかってしまう。
それはたぶん、すでにアヴァロン王子殿下が襲撃に遭った一件が騎士たちの間で共有されているからだろう。
おそらくは当番だった騎士も応援に駆り出され、状況調査などに追われているのだと思う。
一国の未来の王候補が襲われたとあってはそのような大事になっても仕方がない。
そして、大事になった以上、わたしたちは怪しまれないようにする必要がある。
例えば、王城を抜け出していたことがばれないようにすること。
抜け出したとばれようものなら、真っ先に疑われるに違いない。
何しろわたしには、殿下を害する動機があるのだから。
ただ、隠れ潜んで部屋に戻っても、わたしたちが王城に留まっていたと証言してくれる確かな相手が居ないから、アリバイが無い。
一応は部屋にこもっている扱いになっているけれど、何をしていたか不審がられては面倒で、そもそも使用人の証言なんて実際には何の当てもないもの。
わたしは使用人の証言を丸め込めるような立場なのだから――見る目が無い人間からというか、事実だけを見れば、という限定であって実際にはわたしに彼女たちを完全に掌握することなんてできやしないのだけれど。
つまりは、泣きはらしておかしな顔をしているなんて、そんな明らかに不審なことはあってはいけないのだ。
「帰りましょうか」
「はい! 帰りましょう!」
帰る――あの場所はちゃんとわたしの「居場所」になっているのだと。
考え、そして、肩を貸しているフィナンを思う。
フィナンがいてくれるからこそ、きっとあそこは、わたしの居るべき、心を落ち着けられる場所になっているのだと。
ありがとう、フィナン――言葉はやっぱり、恥ずかしくて口をついて出ることはなかった。
さっきは、もっとずっと恥ずかしいことを言っていた気がするのに。
運悪く奥まった酒場の方へと近づいてしまい、そこで赤ら顔の男たちに見つかり、手籠めにされそうになっていたという。大通りではそうした酔っ払いもあまり現れることは無いだろうけれど、夜になっても開いている店が少なくないこの辺りであればさもありなん。
まあ、そんな場所に迷い込んだフィナンは、不幸という一言では表現しきれないほどに悪運に愛されているのだろう。
不運とは言い切れないのは、私が間に合ったから。
今更ながらに安堵が全身に広がり、その場に崩れ落ちてしまいそうになって、フィナンを支えにしてこらえる。
突然体重をかけられたフィナンは目を白黒させ、必死にわたしを支えようと体に力を入れてプルプルと震えていた。
男たちももうどこかへ行ってしまって、周囲にはただ静寂だけが広がっていた。
少し前まで聞こえてきた、近くの酒場で盛り上がる声も今は届かない。
それはまるで、極寒の季節の中、住処に引きこもって丸まって寒さを耐え忍ぶ、大自然の中の獣たちのよう。
死を運ぶ気配を前に息をひそめた町の一角はあまりにも冷たく、あまりにも排他的だった。
いつまでも、こんな場所に留まっているわけにはいかない。
安全性もそうだし、何より、見回りの騎士に見つかって怪しまれるかもしれない。今更かもしれないけれど、わたしたちがここにいることがばれるとまずいし、騎士たちがわたしたちを――特にわたしを、一方的に見知っている可能性は決して低くないのだから。
それに何よりも、寒い。
冬も半ば。日中はまだ暖かい日もあるけれど、日が暮れるとめっきり冷え込む。
走り回った汗がひき始めているからか、フィナンは恐怖とは別の意味でガタガタと震え始めていた。
「……あっ」
まあ、膝が笑っているし、腰も抜けがちだから、まだ恐怖から回復しきっていないというのもあるとは思うけれど。
支えにしていたフィナンが倒れこみ、当然、フィナンに体重を預けていたわたしもまた冷たい石畳の上に投げ出された。
そういうわけで、わたしたちは互いに肩を貸して――腰を抜かしたフィナンに肩を貸して、王城へと帰還した。
こっそりと城に戻る最中、幸いというべきか、誰にもバレることは無かった。
王城内の見回りの騎士も、いつもより少なく、タイミングが乱れている。すっかり脱走に慣れてしまったから、そういうこともわかってしまう。
それはたぶん、すでにアヴァロン王子殿下が襲撃に遭った一件が騎士たちの間で共有されているからだろう。
おそらくは当番だった騎士も応援に駆り出され、状況調査などに追われているのだと思う。
一国の未来の王候補が襲われたとあってはそのような大事になっても仕方がない。
そして、大事になった以上、わたしたちは怪しまれないようにする必要がある。
例えば、王城を抜け出していたことがばれないようにすること。
抜け出したとばれようものなら、真っ先に疑われるに違いない。
何しろわたしには、殿下を害する動機があるのだから。
ただ、隠れ潜んで部屋に戻っても、わたしたちが王城に留まっていたと証言してくれる確かな相手が居ないから、アリバイが無い。
一応は部屋にこもっている扱いになっているけれど、何をしていたか不審がられては面倒で、そもそも使用人の証言なんて実際には何の当てもないもの。
わたしは使用人の証言を丸め込めるような立場なのだから――見る目が無い人間からというか、事実だけを見れば、という限定であって実際にはわたしに彼女たちを完全に掌握することなんてできやしないのだけれど。
つまりは、泣きはらしておかしな顔をしているなんて、そんな明らかに不審なことはあってはいけないのだ。
「帰りましょうか」
「はい! 帰りましょう!」
帰る――あの場所はちゃんとわたしの「居場所」になっているのだと。
考え、そして、肩を貸しているフィナンを思う。
フィナンがいてくれるからこそ、きっとあそこは、わたしの居るべき、心を落ち着けられる場所になっているのだと。
ありがとう、フィナン――言葉はやっぱり、恥ずかしくて口をついて出ることはなかった。
さっきは、もっとずっと恥ずかしいことを言っていた気がするのに。
7
あなたにおすすめの小説
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
最愛の番に殺された獣王妃
望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。
彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。
手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。
聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。
哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて――
突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……?
「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」
謎の人物の言葉に、私が選択したのは――
ストーカー婚約者でしたが、転生者だったので経歴を身綺麗にしておく
犬野きらり
恋愛
リディア・ガルドニ(14)、本日誕生日で転生者として気付きました。私がつい先程までやっていた行動…それは、自分の婚約者に対して重い愛ではなく、ストーカー行為。
「絶対駄目ーー」
と前世の私が気づかせてくれ、そもそも何故こんな男にこだわっていたのかと目が覚めました。
何の物語かも乙女ゲームの中の人になったのかもわかりませんが、私の黒歴史は証拠隠滅、慰謝料ガッポリ、新たな出会い新たな人生に進みます。
募集 婿入り希望者
対象外は、嫡男、後継者、王族
目指せハッピーエンド(?)!!
全23話で完結です。
この作品を気に留めて下さりありがとうございます。感謝を込めて、その後(直後)2話追加しました。25話になりました。
王宮に薬を届けに行ったなら
佐倉ミズキ
恋愛
王宮で薬師をしているラナは、上司の言いつけに従い王子殿下のカザヤに薬を届けに行った。
カザヤは生まれつき体が弱く、臥せっていることが多い。
この日もいつも通り、カザヤに薬を届けに行ったラナだが仕事終わりに届け忘れがあったことに気が付いた。
慌ててカザヤの部屋へ行くと、そこで目にしたものは……。
弱々しく臥せっているカザヤがベッドから起き上がり、元気に動き回っていたのだ。
「俺の秘密を知ったのだから部屋から出すわけにはいかない」
驚くラナに、カザヤは不敵な笑みを浮かべた。
「今日、国王が崩御する。だからお前を部屋から出すわけにはいかない」
※ベリーズカフェにも掲載中です。そちらではラナの設定が変わっています。(貴族→庶民)それにより、内容も少し変更しておりますのであわせてお楽しみください。
冷徹公爵の誤解された花嫁
柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。
冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。
一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。
私は彼に選ばれなかった令嬢。なら、自分の思う通りに生きますわ
みゅー
恋愛
私の名前はアレクサンドラ・デュカス。
婚約者の座は得たのに、愛されたのは別の令嬢。社交界の噂に翻弄され、命の危険にさらされ絶望の淵で私は前世の記憶を思い出した。
これは、誰かに決められた物語。ならば私は、自分の手で運命を変える。
愛も権力も裏切りも、すべて巻き込み、私は私の道を生きてみせる。
毎日20時30分に投稿
【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領
たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26)
ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。
そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。
そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。
だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。
仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!?
そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく……
※お待たせしました。
※他サイト様にも掲載中
次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢
さら
恋愛
名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。
しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。
王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。
戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。
一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる