眠らない世界で彼女は眠る

楠木 楓

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初めての学校生活

6.問いが呼ぶ謎

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「近い、のかな……。
 もっと柔らかいイメージなんだけど」

 暖かくて、柔らかく、優しく身を包み込んでくれる。
 彼女にとって、睡眠とはそういったイメージが付与されたものだ。

 ベッドの温もりによる連想かもしれないが、心身が休まるあの穏やかな感情と、すっきりとした寝起きを思えば水と同一視できるものではない。

「っていうかよぉ」

 のし、とホーリーの机にエミリオがのしかかる。
 彼女の顔を覗き込むようにして彼は言う。

「オレが聞きたいのは、寝る前じゃなくて寝てる最中のことなんだけど」

 緑と青が交差し、ホーリーはえ、という音を小さな口から零す。
 周囲からは複数の質問に当たる、ルール違反だ、という声も上がっているが、彼女の耳には届かない。

 眠る直前ではなく、最中。
 それについて彼女は深く考えたことがなかったし、医者も学者もそれについての問いかけをしてくることはなかった。

 彼らは過去の文献から、眠っている最中というのは意識がない状態であることを知っていた。夢とは、脳が記憶を整理するための働きによる作用にすぎず、そこにホーリーの意思は存在していないことも。
 眠っている最中について知りたいのであれば、脳波や脈、眼球の動きなどを観察すればよい、という考え方だ。

 しかし、基礎知識のない一般人であるエミリオや他のクラスメイト達は、眠っていることと意識の喪失がイコールで結ばれていない。
 何も知らないからこそ出せる新たな見解である。

「……眠っているときに夢を見ることはあるけど、感覚とか意識とかはないかな」

 エミリオからの問いかけに対する答えというよりは、自身の中に現れた新たな疑問への自答。
 誰に向けられたでもない言葉であったが、彼女の声を聞き逃した者はいない。

「ゆめ?」

 最初に疑問符を浮かべたのは誰だったか。

 この場にいる誰一人として、ホーリーの言う夢を知らない。
 彼らの知る夢とは、未来に託した希望であり、無意識下で生み出される映像や音ではないのだ。

「眠ると夢を見るの?」
「未来についてたくさん考えるってこと?」
「何で夢を見るんだ?」

 周囲から上がる疑問は尽きることがない。
 眠るという未知の現象から飛び出した、自分達も抱いたことのある夢という単語。二つを繋ぎ合わせる術を持たぬ彼らが大混乱に陥るのは至極当然のことであった。

「質問が質問を呼んでどうする。
 順番を決めた意味がなくなるじゃないか」

 そこかしこから上がる声に、シオンが席を立って声を張り上げる。
 ホーリーの負担やクラスメイトの平等を考えて制定されたルールを無視していい理由はない。エミリオが二重に質問をしてしまったことについては、元々の意図が違っていたということで目を瞑ってやれるところもあるが、夢に対する追加質問は看過できない。

 どうしても聞きたいというのであれば、次の休み時間に質問する権利を有している者へ頼めばそれで済むことだ。
 ルール違反をしてまで聞く必要はない。

「確かにルールはルールだ。
 でも、夢を見るって気になるよ」

 マリユスが肩をすくめる。
 自分の非を認めないわけではないけれど、声を荒げるほどのことでもない、と言いたげな様子だ。シオンは切れ長の目を持つ美人であるがゆえに、怒りを含んだ表情は恐ろしいものがあり、数人のクラスメイトは顔を青ざめさせていた。

 そうだそうだ! と、マリユスに便乗して声を上げるエミリオは、背後から迫っている影に一切気づかない。
 足音のない存在は彼の真後ろで動きを止め、口を開く。

「なら真面目に授業を受けましょうね」

 パコ、と軽い音。
 ライノの持つ教師用端末が極々軽くエミリオの頭を叩いた音だ。

 わいわいと騒いでいる間に時は過ぎていたようで、教室の前方に表示されている時刻は朝礼の開始時刻間近を告げている。
 別のクラスの生徒達は蜘蛛の子を散らすようにして左右に分かれて走り去り、残されたは静まり返った教室とクラスメイト達だけだ。

「先生は担当じゃないので詳しくは知りませんが、歴史や生物の授業で睡眠については取り扱います。
 本人から直接聞いてみたいという気持ちもわかりますし、その知的好奇心は大切です。しかし、基礎をしっかりしておくことも、学びの上では重要なことです」

 睡眠に関する史料は依然として少なく、教科書を通して学べることはそう多くない。
 そんな時、ホーリーという存在と彼女に対する質問というのは有意義な意味を持つ。

 好奇心のみを糧とし、下地の整備を怠った状態での問いかけを全くの無駄と断ずることはしないが、多くの場合、要領を得ない謎を生み出すだけに終わるのも事実。
 理解と発展のためには基礎を蔑ろにすることは許されない。

「わかりましたか?」

 念を押すようにして問われた言葉に、生徒達は肯定の言葉を返す。
 つい今しがたまでの光景を見てもなお、彼の言葉を疑問視する阿呆はいない。

「よろしい。
 では、今日から本格的な授業が始まります」

 教壇に立ち、生徒が全員席についていることを確認しつつ、手元の端末をいじる。一瞬で出欠を取ることができるのは便利だが、教室にいたとしてもきちんと座っていなければ出席にならないところが機械の面倒な点だ。
 朝礼の時間に立っている方が悪いのだ、というのは正論であるが、ライノとしてはそこまで厳格にするつもりもない。
 一度の注意で従うのであればそれで良し。彼らはまだ小学生の殻を抜け出したばかりの子供達だ。長い目で見てやればいいだろう。

「次は私が質問する番ね」
「オレの質問タイムあれで終わり?
 なーんか納得いかねぇ……」

 一人の女子生徒が瞳をキラキラと輝かせながら隣の席へと囁く。
 近くの席に座っているエミリオは机の影響を軽くタップしつつ唇を尖らせていた。

 彼の予定では、否定も追随する疑問も何もない、単純明快な答えが一つ寄越されるはずだった。まさか、一問に対する一答により、新たな謎が出現するなど、砂粒ほどの可能性も考えておらず、結果として胸の内側にすっきりとしない思いを抱えるはめになってしまった。

「まあ誰かが聞くだろうし、二巡目があるよ」
「一つ聞いて一つ疑問が出てくるんだぜ?
 こりゃ何周するハメになるんだか」

 小声で宥めるマリユスと違い、エミリオの方は堂々とした様子だ。

「エミリオ君。静かに」

 一日の流れについて説明していたライノからの注意を受け、彼はようやく口を閉ざす。
 だが瞳はきょろきょろと右往左往してはホーリーに戻り、うずうずとした感情が隠しきれていなかった。
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