眠らない世界で彼女は眠る

楠木 楓

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初めての学校生活

7.夢と友達

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 いくつかの質問に答え、授業も順調にこなしてやってきた昼休み。
 ホーリーが母の作ってくれたお弁当を食べていると、クラスメイトの一人が端末を片手に近づいてきた。

「なあ、夢ってこれのことか?」
「いーけないんだ、いけないんだ!
 ルール違反だぞ!」

 端末に表示されていた情報をホーリーの脳が認識するよりも早く、購買で買ったおにぎりを手にしたエミリオが野次を飛ばす。
 彼の席は離れた場所にあるのだが、ホーリーと共に食事をとろうとわざわざ椅子を運んできていた。

「雑談の一つ、ってことで、な?」

 端末を片手にした男子生徒は両手を顔の前であわせ、お願いのポーズを取る。
 ホーリーは関与していないため把握していないのだが、彼が質問する権利を得るのは後ろから数えたほうが早い位置にあった。

 公平に決めた順番であるのだから、彼はルールを遵守すべきだろう。
 だが、エミリオとて彼の気持ちがわからないわけではない。

 今朝、新たに発見された夢、という、自分達が知る言葉でありながら未知の使い方をされた言葉。それについて、深く追求しようという者は誰もいなかった。
 一時間目の休み時間に問われた内容は、眠くなるとどういう風になるのか。二時間目の休み時間は眠ることに対して恐怖はないのか。他も似たり寄ったりであり、最初に用意していた質問から逸脱していないのだろうことが伝わってくるものばかり。

 誰か一人くらい夢について聞いてもいいではないか。エミリオもずっとそう思っていた。

「ほら、オレ、ちゃんとちょっと調べたんだって」

 ルールはルールだ。
 ただの質問であるならば、順番を待つべきだろう。

 そこで、彼は考えた。
 質問ではなく、確認ならばどうだろうか。己で調べ、その正否を問うくらいならば許されるのではないか。

「んー?」

 ホーリーに差し出されたはずの端末をエミリオが横から奪う。
 お前なぁ、と呆れた声を上げる男子生徒だが、怒りを見せる様子はない。

 本格的な学校生活が始まって数時間。ホーリーはエミリオという男の性質がはっきり見えていていた。
 良くも悪くもクラスの中心であり、そう在れるように行動する。好奇心旺盛で、興味が惹かれるままに足を進めていく姿は雄々しくもあり、頼りがいがある。
 また、男女共に区別なく接し、笑う姿は愛嬌もあり、誰からも好かれるタイプの人間だ。
 彼が一人いるかいないかでクラスの雰囲気は大きく変わることだろう。

「何々?」

 ひょこりと顔を出してきたのはマリユスだ。
 自分の席で昼食を取っていたはずの彼だが、ホーリーを中心にまた何か面白そうなことが起きていると察して近づいてきたらしい。
 牛乳パックから伸びたストローを口に入れつつ、彼はエミリオの持つ端末へ目をやった。

 表示されているのは生物学の教科書だ。
 かなり大きな数字がページ数として示されており、生物の起源やその他諸々の基礎、人間の身体という単元をさらに越えた、オマケのようなページ。

 そこにひっそりと睡眠、という単語が書かれている。
 長くない文章を読み進めれば、そこには夢という言葉もあり、簡単にではあるが説明も記されていた。

「眠りが浅いときに見る幻覚?」
「お前、毎日幻覚見てんの?」
「夢と幻覚を一緒にはされたくないなぁ……」

 マリユスとは逆方向から、いつの間にかやってきていたシオンがデータを音読すれば、エミリオは何の配慮もなく直球を投げかけてきる。
 眠らぬ人間からすれば、夢も幻覚も大差ないのかもしれないが、ホーリーとしては頷き難い。

「じゃあ何なんだ?」
「そう言われると困るんだけど……」

 彼女は気まずげに頬を掻いた。
 現実には起こりえない、存在していないモノが脳の作用によって見えてしまっている。起きていれば幻覚となり、眠っていれば夢となる。
 専門的な知識を有しているわけではないホーリーにとって、二つの違いを明確に語ることはできない。

 けれども、確かに違うのだ。
 目を閉じ、意識が沈み込んだ先で見る夢とは、恐ろしくもあり楽しくもある。暖かで、冷たくて、少しだけ眠るのが楽しみになってしまうような、良き隣人のような存在だ。
 人の精神を侵し、狂わせてしまうようなものではけっしてない。

「おおよそ意味のない内容を見る、って書かれてるけど」
「どんな夢を見るんだ?」
「えっと、えっと」

 次から次へと質問が舞い込んでくる。
 データとして示されたたった数行の解説など、何の役にも立たない。人の好奇心を刺激するだけのものだ。
 夢とは何か。一つについて考えようとした矢先に四方から飛び込んでくる声達。どうにか答えようとするのだが、思考速度は徐々に低下し、舌がもつれ始める。

「おーっとそこまでー。
 それ以上の質問は事務所であるエミリオ様を通してくださいねー」

 ホーリーが目を回す直前、エミリオが彼女と友人達の間に割って入ってきた。
 昨日の様子を覚えていたのか、これ以上の質問は無意味どころが害にしかならぬと察してくれたらしい。

「特にマリユスよぉ。
 昨日はお前が止めたんだから、しっかりしろよな」
「いやはや、面目ない」

 エミリオの指摘にマリユスは視線を下げる。便乗するような形であったとはいえ、自らが提案したルールを破ってしまった。紳士的であろうとしている彼にとって、これは失態である。

「ホーリーさん、ごめんなさい。
 ボクとしたことが……」
「ごめんね」
「いいの、いいの」

 深々と下げられた頭を見てホーリーは首を横に振った。
 混乱しかけてはいたが、そこまで強い謝罪をされるほどではない。元より無知な自分が悪いのだ、と彼女が否定の言葉をさらに続けようと口を開く。
 だが、それは音として発せられることはなかった。

「お前もちゃんと口に出して色々伝えねぇと。
 やめてとか、待ってとか。言わなきゃわかんねぇぞ」
「……そうだね」

 憮然とした表情でエミリオが言う。
 彼なりにホーリーのことを心配してくれているようだ。

「ありがとう。これからは気をつける」

 嫌なことは嫌と言う。
 当たり前のようで、とても難しいことだ。

 正直な気持ちというのは荒波をたてやすいものである。ただでさえ、眠るという人とは違う体質を持っているホーリーとしては、自分の行動一つで周囲から受け入れてもらえるのであれば多少の我慢はするべきだろうという思いがあった。
 誰かに強要されたわけでも、そうする方が生きやすいとアドバイスを貰ったわけでもない。

 本を読み、知識を学び、自分の目で周囲を見てきた結果、そうするべきだろうと結論をつけていた。
 なのに、エミリオは簡単に言ってしまうのだ。素直に言えと。相手に自分の気持ちを伝えることは必要なことであり、我慢するような事柄ではないのだと。
 きっと、彼からしてみれば、当然のことを言っただけであり、何か深い考えがあったわけでもないのだろう。それでも、ホーリーの中にあった小さなくすみが取り除かれたのは確かなのだ。

「どういたしまして。精々頑張れよ」

 言い終わるや否や、口角を上げて歯をむき出しにしていたエミリオはホーリーの頭に手を伸ばし、細く美しい金の髪をぐちゃぐちゃに撫で回す。
 キレイにセットされていた髪は見事にほつれ、爆発後のような髪型となってしまった。

「あー!」
「うおっ。何だよ、でっかい声だして」
「髪! 私の!」
「んなことで騒ぐなよ。
 細かい奴だなぁ」

 エミリオは目をすがめ、眉を寄せるがそんなことで怯んではいられない。
 今日も朝早くから起きてセットした髪が、見るも無残な姿にされてしまった。怒りを覚えるのは真っ当な感情の流れだろう。

「細かくない!」
「ちょいちょいって梳けばいいじゃねーか」
「もう! エミリオ君の馬鹿! バーカ!」
「あっ、お前そーいうこと言う?
 馬鹿っつった方が馬鹿なんだぞ、バーカ!」
「バーカ!」
「ちょっとちょっと、小学校中学年まででそういう喧嘩は卒業してもらっていいかな?」

 席を立ち、エミリオから離れ、髪を押さえながらホーリーは怒りを発信していく。我慢などしてやるものか、と言わんばかりの様子だ。
 机を挟んで言い争う二人の姿は小学校を卒業してここに登校してきているとは信じたくないもので、実に馬鹿馬鹿しく、低レベルな争いであった。

「マリユス君はわかってくれるよね!」
「えっ!」

 勢いよく顔を向けられたマリユスは思わず一歩後ろへ下がる。
 火の粉が自身へ向かって飛んでくるとは思わなかったのだ。彼は注目の的となっている騒動を治めることができればそれで良かったのだというのに。

 青い目に射抜かれ、マリユスの目がわずかに揺らぐ。
 本心を言えば、ホーリーの気持ちは微塵もわからなかった。髪の毛などいくらでも整えなおせばそれで終わる話であり、強い感情の波を持つようなことではない。

 しかし、彼は賢明であった。
 感情的になっている人間を相手にする場合、無理に言葉で治めようとするのではなく、同意と譲歩を提示する方が早く、そして丸く事態は収束する。

「……わかるよ」

 微笑を浮かべ、同意を示してやればホーリーはへの字に歪んでいた口元をパッと和らげた。
 味方を得ることができなかったエミリオは不満げであったが、彼の場合はそれだけで終わっている。文句を言うわけでもなく、喧嘩の続行を望んでいるわけでもない。
 単純な脳の構造をしている彼のことだ。抱いている不満も、次の休み時間にはすっかり消え去っていることだろう。

「だよね!
 さっすがマリユス君!
 ほらほら、エミリオ君も見習ってよね」
「へーへー」

 ホーリーは腰に手をあて、我が意を得たりとしたり顔をし、エミリオはそんな彼女の視線から目をそらし、窓の外を眺めていた。
 不毛な喧嘩は終わりを迎え、教室には生徒達の穏やかなざわめきが戻ってくる。

「櫛はあるか?
 私ので良ければ貸せるが」
「あ、大丈夫。ちゃんと持ってきてるよ!」

 机の横にぶら下げていた鞄を探れば、折りたたみ式の櫛があった。
 長髪仲間のシオンも同じものを持っていたらしく、おそろいだな、と美しい顔に笑みを乗せている。

「綺麗な髪だ」
「シオンちゃんこそ」

 エミリオの口喧嘩をしていた際の剣幕はどこへやら。ホーリーとシオンの間にある空気は穏やかで暖かい。感情の荒波などあるはずもなく、そよ風でも吹いていそうな雰囲気であった。
 彼女達と一メートルも離れていない距離にいるはずのエミリオとマリユスは、何故かその空気感に入ることが許されておらず、ただ黙して髪に触れ合う彼女達を眺めていた。
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