33 / 56
眠る少女も恋をする
6.水族館
しおりを挟むやってきた日曜日は雲一つない快晴を見せており、外へ出かけるのにぴったりの気候であった。水族館に行く予定を前もって立てていなければ、二人で近場の丘にでもピクニックへ行っていたかもしれない。
「これが水族館か」
住宅や店が並ぶ区画から少し外れた場所に無骨な白い建物がある。窓や扉はあれど、その他の装飾や色使いはなく、出入り口に設置されているミナモ水族館、という表札だけがここがどういった場所であるかを教えてくれていた。
普段は研究施設として活用されているため、無駄を省いた結果なのだろうけれど、デート先としては少し寂しいものがある。
「さっ! 入ろ!」
「おいおい、そう焦んなくても逃げやしねぇって」
心にかげった不安を打ち払うべく、ホーリーはとびきりの笑顔を作りエミリオの手を引く。
彼は水族館の概観にも、周囲に人の姿が見えないことにも思うところは無かったらしく、普段と変わらぬ様子で笑みを浮かべていた。
「こんにちは。当水族館へようこそ」
施錠も何もされていない入り口から中に入れば、受付代わりに置かれている長机と職員の姿が目に入る。
通常業務の傍ら、受付係りをしているらしい彼は、作業着に身を包んでおり、ほのかに生臭い香りがした。
「見学ですか?」
「はい、二人で」
「そうですか。こちらにお名前をご記入いただけましたら、本日の午後十一時半までご自由にご覧いただけます」
机の上にあるノートを示され、ホーリーはペンを手に取った。入場料金はかからないらしく、お小遣いの少ない中学生には嬉しい仕様であった。
ページの半分以上が空白で埋まっているノートに名を書き、ペンをエミリオへ渡す。
「よろしければこちらもどうぞ」
手渡されたのは薄い冊子だ。
イラストも写真も使われていない表紙をぱらりとめくれば、水族館の案内図とエサやりやショーの時間が記載されている。建物自体は単純な構造をしているが、専門家だからこそわかる細かな区分けまで詳細に書かれているのはありがたい。
「ありがとうございます」
「いいえ。興味を持っていただけることは嬉しいことですから」
ホーリーとエミリオは職員に見送られ、水族館の奥へと足を進めていく。
入り口近くはただの通路となっているため、生き物どころか水槽もない。しかし、魚達のいる部屋へ繋がる通路である以上、光の強さには気を配っているらしく、全体として薄暗い雰囲気があった。
壁も奥の扉もしっかりと見える程度の暗さではあるのだが、静けさや年季の入った床や壁による相乗効果によってホーリーの足取りは重い。
「何だ。ビビってんのか?」
「そ、そんなことないよ!」
素直に認めるのが癪で言葉を返してみるものの、その声は明らかに震えていた。
「別にいいじゃん。
お前が暗いとこ嫌いなのは知ってるし」
「足元が見えないのが嫌なだけなの!」
「学校の廊下ですらビビってたろ。
あんな何もない場所でさ」
冬場、日の入りが早い時期に学校で居残りをしたことがあった。
無駄に電気を使わぬように、と一定の時間を過ぎると人の動きを感知して明かりが灯るよう設定されていた電気は、廊下の奥を彼らの目に映そうとしてくれなかった。自分達がいる場所こそ明るくとも、進む先は暗闇。
ホーリーは大そう怯え、エミリオとシオンの服を握って離さなかった。
「もー! 私、先に行くから!」
怯えていたことは事実であるし、反論の余地はない。
だからこそ、ホーリーは頬を膨らませ、薄暗い道を先へ先へと突き進む。足を踏み出すことへの不安が拭われたわけではないが、口を閉ざしたままエミリオの隣を歩き続けるというのも釈然としないものがある。
「おいおい。
図星さされたからって怒んなよなー」
慌てて追いかけてくる音が聞こえるが、そう簡単に許してやるわけにもいかない。
ホーリーは早足で前を行き、重苦しい鉄の扉を押し開ける。
「――わあ」
途端、彼女は怒りも恐怖も全て忘れてしまった。
巨大な水槽を満たす美しいブルー。空よりも透明で、鮮やかな色合いはこの世のものとは思えぬ美しさを彼女に見せ付けてくる。
内部に置かれた岩や海草は青を惹きたて、青に惹きたてられており、小さな世界に構築されている美を最大限に高めていた。しかし、そんな中、ただただその美しさを知らしめ、全てを用いて己が魅力を見せ付けている存在があった。
悠然と水を行く魚達。
大きさ、色、形。統一されていない彼らは、互いを損なうことなく調和し合っている。
鮮やかな赤や黄色の尾が揺れ、七色の鱗はわずかな光を反射してきらめく。大きな魚は堂々とした様子で水槽を行き来し、小さな魚達は細々と集まっては離れ、また一つの群れと成っていく。
それは室内の薄暗さなど、どうでもよくなってしまう美しさだった、人工で作られた星より、写真で見た海よりも、目の前にある景色は素晴らしく、ホーリーの体から瞬きさえ奪ってしまう。
「あそこに魚の説明が載ってるみたいだぞ」
「え、どこ?」
エミリオに言われて視線を彷徨わせれば、部屋の中央に設置された椅子の上にわずかな厚みのある本が置かれている。椅子の背に張られた紙によれば、この場にいる魚や海草に関する説明が記載されているらしい。
0
あなたにおすすめの小説
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
【大賞・完結】地味スキル《お片付け》は最強です!社畜OL、異世界でうっかり国を改革しちゃったら、騎士団長と皇帝陛下に溺愛されてるんですが!?
旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞で大賞をいただきました】→【規約変更で書籍化&コミカライズ「確約」は取り消しになりました。】
佐藤美佳子(サトウ・ミカコ)、享年28歳。死因は、過労。連日の徹夜と休日出勤の果てに、ブラック企業のオフィスで静かに息を引き取った彼女が次に目覚めたのは、剣と魔法のファンタジー世界だった。
新たな生を受けたのは、田舎のしがない貧乏貴族の娘、ミカ・アシュフィールド、16歳。神様がくれた転生特典は、なんと《完璧なる整理整頓》という、とんでもなく地味なスキルだった。
「せめて回復魔法とかが良かった……」
戦闘にも生産にも役立たないスキルに落胆し、今度こそは静かに、穏やかに生きたいと願うミカ。しかし、そんな彼女のささやかな望みは、王家からの突然の徴収命令によって打ち砕かれる。
「特殊技能持ちは、王宮へ出仕せよ」
家族を守るため、どうせ役立たずと追い返されるだろうと高をくくって王都へ向かったミカに与えられた任務は、あまりにも無謀なものだった。
「この『開かずの倉庫』を、整理せよ」
そこは、数百年分の備品や資材が山と積まれ、あまりの混沌ぶりに探検隊が遭難したとまで噂される、王家最大の禁足地。
絶望的な光景を前に、ミカが覚悟を決めてスキルを発動した瞬間――世界は、彼女の「お片付け」が持つ真の力に震撼することになる。
これは、地味スキルでうっかり国のすべてを最適化してしまった元社畜令嬢が、カタブツな騎士団長や有能すぎる皇帝陛下にその価値を見出され、なぜか過保護に甘やかされてしまう、お仕事改革ファンタジー。
【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました
いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。
子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。
「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」
冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。
しかし、マリエールには秘密があった。
――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。
未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。
「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。
物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立!
数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。
さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。
一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて――
「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」
これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、
ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー!
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる