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別れ
3.引きずる心
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翌朝、一人きりの通学路をホーリーが歩いていると、後ろから軽く肩を叩かれた。
驚きに肩を揺らしつつ振り返れば、どこか神妙な面持ちのシオンと目が合う。
「目が真っ赤だ」
涙を零し続け、とうとう体力の限界を迎えて眠ってしまったホーリーの目は赤くなり、わずかに腫れていた。余程鈍い者が見ても気づくであろうその異変にシオンが気づかぬはずもなく、彼女の顔に暗い影が落ちる。
「そう、かな?」
見え透いたシラをきろうとするホーリーにシオンはわかりやすくため息をつく。
深く詮索しないで欲しい、という思いを言外に感じるが、彼女も馬鹿ではない。ホーリーとエミリオを交えて四人で何度も遊んでいるのだ。彼の方から話を聞いたこともあれば、零距離にすら感じられていた二人の距離が数ミリずつではあるが開いていくのを間近で見ていたのだ。大よそのことは理解している。
あるいは、それすらわかっていながらもホーリーはシオンに不介入を告げているのかもしれない。
「一つだけ、聞かせてほしい」
ホーリーの隣に並び、二人、同じ歩調で歩き始める。
「なぁに?」
「私はあの馬鹿を殴ってもいいのか?」
互いに目は合わせず、遠くに見えている学校を見ていた。
地面を靴が叩き、足音が鳴る。生徒達のおはよう、という声や雑談が混じる風景は昨日ともそれ以前とも変わらぬ日常の風景だ。
「…………ダメ」
「そうか」
長い沈黙の末に出された否定の言葉にシオンは是を返す。
ホーリーが望まないのであれば拳を振りかざすわけにはいかない。
件の男がそれを渇望したとしても、彼女は手を握り締めることすらなく冷たい視線を送るに留まるだろう。
「なら今日はパーッと遊びに行くか?」
「うーん。それは魅力的だけど、まだちょっと辛いかな」
「気が向いたらいつでも言ってくれ。
私はいつでも準備できている」
「ありがと!」
昨日までと何も変わらないものが傍らにある。
ホーリーはシオンから向けられる友情に感謝し、空元気の中にわずかな本物を流し込んで学校へと向かう。別れたばかりの彼と同じ屋根の下にいるというのは何とも緊張感の走るものであるが、幸か不幸か同じクラスでも隣り合うクラスでもないため、意識しなければ顔を合わせることもないだろう。
事実、ホーリーはその日一日、エミリオと会うことなく下校することとなる。
腫れた目をした彼女を気づかう声や、異変に気づいているのかいないのか平素と変わらぬままにかけられる言葉。時折、茶化すように背中を叩く者もいたが、どれも悪意はなく普段通りの暖かさだけがあった。
「ただいま」
「おかえり」
寄り道も居残りもせず真っ直ぐ家に帰ったホーリーは玄関扉を閉めると同時に深いため息をつく。
思ったほど深い追求はなく、授業を一つまた一つと受けているうちにざわついていた心にも安息が訪れつつあった。こうして何事もなかったかのように日常へ帰っていくのだろうと思うと、嬉しいような少し寂しいような、彼女としては複雑な気持ちである。
「お母さん」
「はーい?」
「ちょっと、疲れたかも」
「あら。それなら、こっちへいらっしゃい」
リビングにいる母の元へふらふらとした足取りを持って近づいていく。
「大丈夫よ。時が解決してくれるもの」
「うん。でも、私は、それをちょっと嫌だな、って思ってて」
引きずっていたいわけではないのだが、このままではエミリオと恋人であったことすら無かったことになってしまうのではないか、と考えてしまうのだ。
過去を消し去ることなどできやしないはずなのに、ホーリーの心は不安に呻き声を上げる。
終わりが来てしまった関係ではあるけれど、幸福だった時間もあったのだ。何より、異性としてではなく、人間としても好きなエミリオとの繋がりが全て消えてしまうことは耐えられない。
叶うことならば、エミリオと友人に戻りたい。
恋人としては上手くやっていくことができなかった二人だが、友人としてならばもっと上手くやれる気がしていた。出会い、告白されるまでの間のように、四人で楽しく過ごすのだ。
「友達に戻るって、わがままかな」
「そんなことないわ。
エミリオ君、素敵な人だったもの」
母の否定を聞き、ホーリーはか細い息を落とす。
欠片の安堵はあれど、まだ不安の方がずっと大きい。
いくらマリーが友人関係を肯定してくれたところで、当の本人たるエミリオが拒絶すればそれで終わりなのだ。
優しい彼がホーリーの全てを否定するとは思えないが、今はまだ心の整理ができていない、とやんわり断られる可能性は十二分に存在していた。
「……私も怖いの」
会いに行くことは簡単だ。同じ学校に通っているのだから。
しかし、顔を合わせ、もう一度友達になろうと告げるには勇気が足りない。
ホーリー自身、心の整理をし終えたわけではないのだ。まだ恋人につま先を入れたままにしてしまっている。そんな心持ちで何が言えよう。
「ただいま」
「あなたお帰り」
どれだけの時間を母の傍らで過ごしていたのだろうか。
気がつけば空は暗く染まり、仕事に出ていたボリスが帰宅する頃合となっていた。
リビングへやってきた彼は妻に寄り添う娘の姿を見つけ、眉間に深くしわを寄せる。
「あー、その、何だ」
父と母でホーリーを挟むように腰を下ろしたボリスは、視線を宙に彷徨わせながら頬を掻く。失恋によって落ち込んでいる娘を励ましてやりたい気持ちはあれど、気の利いた言葉が思い浮かばない。
親しい人間の体温は安心感を与える効果があるとは聞くが、隣に座っているだけというは親としてあまりにも無力ではないか。ボリスは何かしてやりたい、言葉をかけてやりたいという一心で脳を回転させる。
俯いたままのホーリーと彼女に寄り添い、夫を慈愛の目で見つめているマリー。手と目を彷徨わせるボリス。彼らの意識へ割り込むようにして甲高い音が耳へに届いた。
玄関に設置されているチャイムの音だ。
「誰だ。こんな時に」
驚きに肩を揺らしつつ振り返れば、どこか神妙な面持ちのシオンと目が合う。
「目が真っ赤だ」
涙を零し続け、とうとう体力の限界を迎えて眠ってしまったホーリーの目は赤くなり、わずかに腫れていた。余程鈍い者が見ても気づくであろうその異変にシオンが気づかぬはずもなく、彼女の顔に暗い影が落ちる。
「そう、かな?」
見え透いたシラをきろうとするホーリーにシオンはわかりやすくため息をつく。
深く詮索しないで欲しい、という思いを言外に感じるが、彼女も馬鹿ではない。ホーリーとエミリオを交えて四人で何度も遊んでいるのだ。彼の方から話を聞いたこともあれば、零距離にすら感じられていた二人の距離が数ミリずつではあるが開いていくのを間近で見ていたのだ。大よそのことは理解している。
あるいは、それすらわかっていながらもホーリーはシオンに不介入を告げているのかもしれない。
「一つだけ、聞かせてほしい」
ホーリーの隣に並び、二人、同じ歩調で歩き始める。
「なぁに?」
「私はあの馬鹿を殴ってもいいのか?」
互いに目は合わせず、遠くに見えている学校を見ていた。
地面を靴が叩き、足音が鳴る。生徒達のおはよう、という声や雑談が混じる風景は昨日ともそれ以前とも変わらぬ日常の風景だ。
「…………ダメ」
「そうか」
長い沈黙の末に出された否定の言葉にシオンは是を返す。
ホーリーが望まないのであれば拳を振りかざすわけにはいかない。
件の男がそれを渇望したとしても、彼女は手を握り締めることすらなく冷たい視線を送るに留まるだろう。
「なら今日はパーッと遊びに行くか?」
「うーん。それは魅力的だけど、まだちょっと辛いかな」
「気が向いたらいつでも言ってくれ。
私はいつでも準備できている」
「ありがと!」
昨日までと何も変わらないものが傍らにある。
ホーリーはシオンから向けられる友情に感謝し、空元気の中にわずかな本物を流し込んで学校へと向かう。別れたばかりの彼と同じ屋根の下にいるというのは何とも緊張感の走るものであるが、幸か不幸か同じクラスでも隣り合うクラスでもないため、意識しなければ顔を合わせることもないだろう。
事実、ホーリーはその日一日、エミリオと会うことなく下校することとなる。
腫れた目をした彼女を気づかう声や、異変に気づいているのかいないのか平素と変わらぬままにかけられる言葉。時折、茶化すように背中を叩く者もいたが、どれも悪意はなく普段通りの暖かさだけがあった。
「ただいま」
「おかえり」
寄り道も居残りもせず真っ直ぐ家に帰ったホーリーは玄関扉を閉めると同時に深いため息をつく。
思ったほど深い追求はなく、授業を一つまた一つと受けているうちにざわついていた心にも安息が訪れつつあった。こうして何事もなかったかのように日常へ帰っていくのだろうと思うと、嬉しいような少し寂しいような、彼女としては複雑な気持ちである。
「お母さん」
「はーい?」
「ちょっと、疲れたかも」
「あら。それなら、こっちへいらっしゃい」
リビングにいる母の元へふらふらとした足取りを持って近づいていく。
「大丈夫よ。時が解決してくれるもの」
「うん。でも、私は、それをちょっと嫌だな、って思ってて」
引きずっていたいわけではないのだが、このままではエミリオと恋人であったことすら無かったことになってしまうのではないか、と考えてしまうのだ。
過去を消し去ることなどできやしないはずなのに、ホーリーの心は不安に呻き声を上げる。
終わりが来てしまった関係ではあるけれど、幸福だった時間もあったのだ。何より、異性としてではなく、人間としても好きなエミリオとの繋がりが全て消えてしまうことは耐えられない。
叶うことならば、エミリオと友人に戻りたい。
恋人としては上手くやっていくことができなかった二人だが、友人としてならばもっと上手くやれる気がしていた。出会い、告白されるまでの間のように、四人で楽しく過ごすのだ。
「友達に戻るって、わがままかな」
「そんなことないわ。
エミリオ君、素敵な人だったもの」
母の否定を聞き、ホーリーはか細い息を落とす。
欠片の安堵はあれど、まだ不安の方がずっと大きい。
いくらマリーが友人関係を肯定してくれたところで、当の本人たるエミリオが拒絶すればそれで終わりなのだ。
優しい彼がホーリーの全てを否定するとは思えないが、今はまだ心の整理ができていない、とやんわり断られる可能性は十二分に存在していた。
「……私も怖いの」
会いに行くことは簡単だ。同じ学校に通っているのだから。
しかし、顔を合わせ、もう一度友達になろうと告げるには勇気が足りない。
ホーリー自身、心の整理をし終えたわけではないのだ。まだ恋人につま先を入れたままにしてしまっている。そんな心持ちで何が言えよう。
「ただいま」
「あなたお帰り」
どれだけの時間を母の傍らで過ごしていたのだろうか。
気がつけば空は暗く染まり、仕事に出ていたボリスが帰宅する頃合となっていた。
リビングへやってきた彼は妻に寄り添う娘の姿を見つけ、眉間に深くしわを寄せる。
「あー、その、何だ」
父と母でホーリーを挟むように腰を下ろしたボリスは、視線を宙に彷徨わせながら頬を掻く。失恋によって落ち込んでいる娘を励ましてやりたい気持ちはあれど、気の利いた言葉が思い浮かばない。
親しい人間の体温は安心感を与える効果があるとは聞くが、隣に座っているだけというは親としてあまりにも無力ではないか。ボリスは何かしてやりたい、言葉をかけてやりたいという一心で脳を回転させる。
俯いたままのホーリーと彼女に寄り添い、夫を慈愛の目で見つめているマリー。手と目を彷徨わせるボリス。彼らの意識へ割り込むようにして甲高い音が耳へに届いた。
玄関に設置されているチャイムの音だ。
「誰だ。こんな時に」
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