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別れ
4.ケジメ
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ボリスは乱雑に頭を掻きながら立ち上がる。
娘から離れたくはないけれど、来客を放っておくわけにはいかず、娘と同性であり、彼女の傷により深く寄り添うことのできているマリーを玄関にやるわけにもいかない。
選択肢を持たぬ彼は扉向こうにいる相手を確認する手間を省き、直接玄関を開放する。
軽い音と共に外の風景が目に入った。
「……は?」
彼よりも頭が数個分低い身長。柔らかな赤毛。ボリスを見上げる意志の強い緑色の瞳。
そこに立っていたのは、制服を来たままのエミリオであった。
「どういうつもりだ?」
「ケジメを、つけに」
目をすがめたボリスに怯えることなく、エミリオは言葉を詰まらせつつもしっかりと声を発する。
後ろ暗い様は微塵もなく、毅然とした態度で彼は立つ。
「オレはホーリーを幸せにするって言ったのにできなかった」
軽く唇を噛むその動作一つで、彼が心底後悔していることがわかる。
ホーリーとその家族へ向けた宣言に嘘はなかった。軽い気持ちで口にしていたのであれば、エミリオはここまで苦しい思いをすることはなかったはずだ。
「甘かった。オレも、ホーリーも」
生きる時間を軽く考えていた。
睡眠というものを正しく理解してきれていなかった。
片方だけの過ちではない。二人の過ちだ。そして、宣言はエミリオが立てたものだ。
「別れたのはオレとホーリーの問題です。
だけど、お二人に宣言した言葉に関しては、オレ達だけの問題じゃない」
一人を愛し、守り続けることができなかった男として、ケジメをつけなければならない。ホーリーが許そうとも、司法が問題として扱わずとも、エミリオの心はそれを良しとしないのだ。誓いを破った罪は決して軽くない。
「……いい度胸だ。
そこだけは評価してやろう」
「あなた?」
ゆっくりと、しかしハッキリとボリスが頷いたところに、マリーとホーリーがやってきた。
いつまで経っても帰ってこぬ彼に、何かあったのではないかと思い二人そろって様子を見にきたらしい。
「エミリオ君」
壁から顔を覗かせていたホーリーは、父の背の向こうに在る見慣れた姿に目を見開く。昨日と何ら変わらぬ姿だというのに、彼を見るのはずいぶんと久しぶりに思え、彼女の心はどのようにバランスをとればいいのか咄嗟の判断に迷ってしまう。
まだ会いたくない。しかし、好きな人の顔を見ることができなのは傷を負った心をわずかとはいえ癒してくれる。
名を口にした。次に、何か言わなければ。
ぐるりと思考が回るも、ホーリーの口は沈黙から逃れることができない。
「ホーリー」
同じ目だ。
別れを告げた時と同じ瞳にホーリーは息を詰まらせる。
「格好悪い姿を見せることになるぞ」
「いいんです。格好をつけたくてここに来たわけじゃないんで」
「そうか」
ボリスの大きな手が拳を作る。
そこで彼が何をしようとしているのか気づいたホーリーは、二人の間に身を投げようとし、止められる。
「お母さん!」
「ダメよ」
マリーは首を横に振り、事態の静観を促す。
詳しいことは何も聞いておらずとも、彼女は今からここで何が行われようとしているのか気づいたようだ。元より、男が二人、事の次第を認め合っているのだ。余計な口出しは無用。
ホーリーは母を見つめ、体から力を抜いた。
何故止められたのかを理解することはできなかったが、きっと、こうしておくべきなのだろう。
「歯を食いしばっておけ」
「ウッス」
硬い拳が振り上げられ、エミリオは気合を入れる。
足が一歩、踏み込み、腕が伸びる。その一挙手一投足を彼は視界に納め続けていた。
肉体同士がぶつかり合う鈍い音が響いたのは、数秒してからのことだ。
「エミリオ君!」
成熟しているとは言い難いエミリオの体が吹き飛び、地面へ崩れ落ちる。
ホーリーの位置からは確認することができなかったが、彼は口の端からわずかに血を流しており、相当のダメージが予想された。
「……これで勘弁してやる」
「アザァッス」
血をぬぐい、エミリオはふらつく足でどうにか立ち上がる。
「ホーリー」
「だ、大丈夫?」
仁王立ちしているボリスを押しのけ、ホーリーはエミリオのもとへと駆け寄っていく。目の前でわけもわからぬまま好きな男が殴り飛ばされる姿を見たのだ。一度は見届けるべきなのだろうと自分を納得させたが、その後まで冷静に眺めてはいられない。
心もとない立ち方をしているエミリオを支え、間近から彼の顔を覗き込む。
隠そうとしてる痛みの全てを知ろうとするホーリーへ、エミリオは穏やかな表情を返した。
「オレ達、友達に戻れるかな」
それは、ただの友人であった。
とても大切な、ただの友人。
ホーリーの恋人であったエミリオは、今、ボリスに殴られて消えてしまった。
「……うん」
頷く。
恋人は残らなかったけれど、自分の学校生活を変えてくれた友人が帰ってきた。それだけで充分だ。
「そっか」
エミリオは笑う。
真っ白な歯をきらめかせ、清々しげに。
「んじゃ、オレ帰るわ」
「平気なの?」
「こんくらい大丈夫だって」
支えていた手を離し、ホーリーとエミリオは互いに一歩分後ろへ下がる。
恋人としての距離ではない。友達としての距離がそこには在った。
「また明日」
「うん。また、明日ね」
ホーリーが手を振れば、エミリオもそれに返す。
また明日。恋人としての誓いは消え、明日への約束が新たに交わされる。
街灯や店、家の明かりの中へ消えていく彼の背中は、とても堂々としたものだった。
娘から離れたくはないけれど、来客を放っておくわけにはいかず、娘と同性であり、彼女の傷により深く寄り添うことのできているマリーを玄関にやるわけにもいかない。
選択肢を持たぬ彼は扉向こうにいる相手を確認する手間を省き、直接玄関を開放する。
軽い音と共に外の風景が目に入った。
「……は?」
彼よりも頭が数個分低い身長。柔らかな赤毛。ボリスを見上げる意志の強い緑色の瞳。
そこに立っていたのは、制服を来たままのエミリオであった。
「どういうつもりだ?」
「ケジメを、つけに」
目をすがめたボリスに怯えることなく、エミリオは言葉を詰まらせつつもしっかりと声を発する。
後ろ暗い様は微塵もなく、毅然とした態度で彼は立つ。
「オレはホーリーを幸せにするって言ったのにできなかった」
軽く唇を噛むその動作一つで、彼が心底後悔していることがわかる。
ホーリーとその家族へ向けた宣言に嘘はなかった。軽い気持ちで口にしていたのであれば、エミリオはここまで苦しい思いをすることはなかったはずだ。
「甘かった。オレも、ホーリーも」
生きる時間を軽く考えていた。
睡眠というものを正しく理解してきれていなかった。
片方だけの過ちではない。二人の過ちだ。そして、宣言はエミリオが立てたものだ。
「別れたのはオレとホーリーの問題です。
だけど、お二人に宣言した言葉に関しては、オレ達だけの問題じゃない」
一人を愛し、守り続けることができなかった男として、ケジメをつけなければならない。ホーリーが許そうとも、司法が問題として扱わずとも、エミリオの心はそれを良しとしないのだ。誓いを破った罪は決して軽くない。
「……いい度胸だ。
そこだけは評価してやろう」
「あなた?」
ゆっくりと、しかしハッキリとボリスが頷いたところに、マリーとホーリーがやってきた。
いつまで経っても帰ってこぬ彼に、何かあったのではないかと思い二人そろって様子を見にきたらしい。
「エミリオ君」
壁から顔を覗かせていたホーリーは、父の背の向こうに在る見慣れた姿に目を見開く。昨日と何ら変わらぬ姿だというのに、彼を見るのはずいぶんと久しぶりに思え、彼女の心はどのようにバランスをとればいいのか咄嗟の判断に迷ってしまう。
まだ会いたくない。しかし、好きな人の顔を見ることができなのは傷を負った心をわずかとはいえ癒してくれる。
名を口にした。次に、何か言わなければ。
ぐるりと思考が回るも、ホーリーの口は沈黙から逃れることができない。
「ホーリー」
同じ目だ。
別れを告げた時と同じ瞳にホーリーは息を詰まらせる。
「格好悪い姿を見せることになるぞ」
「いいんです。格好をつけたくてここに来たわけじゃないんで」
「そうか」
ボリスの大きな手が拳を作る。
そこで彼が何をしようとしているのか気づいたホーリーは、二人の間に身を投げようとし、止められる。
「お母さん!」
「ダメよ」
マリーは首を横に振り、事態の静観を促す。
詳しいことは何も聞いておらずとも、彼女は今からここで何が行われようとしているのか気づいたようだ。元より、男が二人、事の次第を認め合っているのだ。余計な口出しは無用。
ホーリーは母を見つめ、体から力を抜いた。
何故止められたのかを理解することはできなかったが、きっと、こうしておくべきなのだろう。
「歯を食いしばっておけ」
「ウッス」
硬い拳が振り上げられ、エミリオは気合を入れる。
足が一歩、踏み込み、腕が伸びる。その一挙手一投足を彼は視界に納め続けていた。
肉体同士がぶつかり合う鈍い音が響いたのは、数秒してからのことだ。
「エミリオ君!」
成熟しているとは言い難いエミリオの体が吹き飛び、地面へ崩れ落ちる。
ホーリーの位置からは確認することができなかったが、彼は口の端からわずかに血を流しており、相当のダメージが予想された。
「……これで勘弁してやる」
「アザァッス」
血をぬぐい、エミリオはふらつく足でどうにか立ち上がる。
「ホーリー」
「だ、大丈夫?」
仁王立ちしているボリスを押しのけ、ホーリーはエミリオのもとへと駆け寄っていく。目の前でわけもわからぬまま好きな男が殴り飛ばされる姿を見たのだ。一度は見届けるべきなのだろうと自分を納得させたが、その後まで冷静に眺めてはいられない。
心もとない立ち方をしているエミリオを支え、間近から彼の顔を覗き込む。
隠そうとしてる痛みの全てを知ろうとするホーリーへ、エミリオは穏やかな表情を返した。
「オレ達、友達に戻れるかな」
それは、ただの友人であった。
とても大切な、ただの友人。
ホーリーの恋人であったエミリオは、今、ボリスに殴られて消えてしまった。
「……うん」
頷く。
恋人は残らなかったけれど、自分の学校生活を変えてくれた友人が帰ってきた。それだけで充分だ。
「そっか」
エミリオは笑う。
真っ白な歯をきらめかせ、清々しげに。
「んじゃ、オレ帰るわ」
「平気なの?」
「こんくらい大丈夫だって」
支えていた手を離し、ホーリーとエミリオは互いに一歩分後ろへ下がる。
恋人としての距離ではない。友達としての距離がそこには在った。
「また明日」
「うん。また、明日ね」
ホーリーが手を振れば、エミリオもそれに返す。
また明日。恋人としての誓いは消え、明日への約束が新たに交わされる。
街灯や店、家の明かりの中へ消えていく彼の背中は、とても堂々としたものだった。
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