異世界転生 剣と魔術の世界

小沢アキラ

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第一部・四章 最悪なる刺客

第二十五話

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 ──話は、五分前に遡る。
 街の衛士隊長である男にとって、異例の事態への対処は冷静沈着だった。
 アースリア内での火災など一年間で一度有れば珍しいほど希少な災害だ。一般の衛士や住人が動揺するのも仕方がない。
 だが彼は違う。昔から物事に動揺しない性格をしているため、この非常事態の中で唯一魔術を通常通り使用していた。
 何事にも動じるな。街を守る俺が動揺してしまっては、市民を不安にさせるだけだ。衛士として、市民の平穏と笑顔を絶やしてはいけない。
 その一心を背負い続けたから、彼は衛士長にまで上り詰めた。
 そんな彼にも、動揺を見せるような出来事が起きた。
 避難する住民に東地区に逃げるよう勧告してる最中、それは突然、上空から姿を現した。
 全体の形は人族に近いが、首と両腕がゴブリンのようにやたらと長く、ある種の魚介のような頭の先では内向きに無数の牙が生えた円形の口がせわしなく収縮している。
 先細りの頭部には、不気味に赤黒く輝く八つの眼が並び、背中には巨大で鋭利な翼、腰からは先端が三本の槍を合わせたようになった尻尾がだらりと下がっている。
 直感で分かる。目の前に存在するのは、人界内で生まれた生物なんかじゃない。
 こいつは、魔界の生物だと。
 降り立った化物は翼を折り畳むと、腰に生えた尻尾を、逃げ惑う住人の背中に向けて伸ばした。
 尻尾は一人の女性を貫くと、それを引き戻し、円形の口に咥えた。何度も収縮を繰り返すと、口に咥えた女性を燃え盛る家に向けて吐き捨てた。
 そこで衛士長は正気を取り戻し、化物に向けて炎素を放った。
 魔道具なしとは思えない早さで放たれた炎素は、化物の全身を覆い尽くす。
 だが──化物は、燃えているにも関わらず、円形の口から粘着性のある唾液を垂らし、低い唸り声を出している。
 衛士長は冷静に現状を把握しようとした。だがこみ上げる恐怖が、それを妨げる。
 逃げなければ殺される。頭はそれで一杯だった。
 しかし足が動かない。恐怖で力が入らず、尻餅をついてしまい、立ち上がることが出来ない。
 燃え盛る化物が眼前に迫ると、円形の口をこちらに近づけてきた。収縮された口を力一杯開くと、深淵が徐々に接近してくる。
 飲み込まれたら二度と帰ってこれない。
 地に這いつくばり、必死に這い進む。冷静沈着を歌う長ですら、この状況では生き残ること以外考えず、無様に地を這いずるほど焦っていた。
 粘着性のある唾液が足に掛かると、粘着のせいで上手く進むことが出来なくなる。
 すぐさま振り返ると、口を開いた化物が、数セン先にいた。
 その後、上半身だけ噛み千切られてしまい、衛士長は死亡した。
 死亡すると同時に、化物を覆っていた炎素は消えてしまった。
 まるで、隊長の生命の灯火が消えるように……。

   ***

 前方にそびえ立つ化物──頭部を除けば、RPGによく出てくる《ガーゴイル》に似た怪物は、鉤爪のついた両手で建物の屋根を掴むと、大きく息を吸いのけ反った。
 円形の口を前方に突き出すと、ブシュッ! と唾液を吐き出した。
 粘着性のある唾液は散り散りになり、雨のように降り注いできた。
「きたねぇな!!」
 体を反転させ、建物の影に飛び込み、唾液飛ばしを回避する。
 壁に背を預け、今分かってることを大雑把にまとめる。
 まず奴は、多くの衛士を殺害している。
 衛士たちは動揺でまともな魔術は使えていなかったはずだが、最低限の抵抗はしていたはず。
 なのに奴の体には負傷した痕跡が見受けられない。中には動揺せずに勇猛果敢に挑んだ衛士もいただろうに。
 もしかしたら、あいつは魔術耐性があるのかもしれない。
 この推測が正しいとしたら、アースリアで一番の天敵と言ってもいい。
 魔術の街に於いて魔術耐性を持つ敵が現れてしまっては、なす術なく殺されるのは火を見るより明らかだ。
 しかし、魔術耐性を持つ生物など、人界に存在するのか……? 魔獣ならあり得るが、奴はどう見ても変異を起こした生物には思えない。
 それに──勝手な思い込みならいいのだが、あの化物からは生命の鼓動……覇気を感じない。命を持たない、操り人形のように思える。
「ブシャアッ!!」
 バルブから蒸気が抜けるような奇声が耳に届くと、考えを中断し身を低くする。その刹那──
 一瞬前まで頭のあった箇所に、化物の右手が鞭のように唸りながら飛んできた。
 こいつが何なのか──と考えてる余裕なんてない。今はこいつを倒すことの方が先決だ。
 自分に言い聞かせ、建物の影から飛び出す。即座に炎素を右手に宿し、《形状変化・アロー》の構文を書き加える。
「物は試しだ……喰らえ!」
 叫び、炎素を単眼に向けて投擲する。
 炎の矢は単眼に見事命中するも、化物は特に反応など示さず、何事もなかったように右手を引っ込めた。
 やはりこいつには、魔術耐性が備わっている可能性がある。
 最早こいつを生物としてではなく、完全に造られた存在にしか見えない。
 魔術が効かないとなれば、剣による攻撃が有効か……剣に魔術を宿すのは通用するのか、それとも魔術陣を展開した魔術ならば──などと考えている隙に、化物はバサバサッという羽ばたき音を鳴らし、宙に浮き始めた。
 宙に浮いた化物は意外にも大きく、頭からつま先まで三メートル近いだろう。
 地上とは対照的な青空を背景にホバリングする化物が、細長い頭の左右についている八つ──今は七つある真紅の眼で俺を睨んでいる。
「ブシャァッ──!!」
 再度奇声を放ち、反転急降下してくる化物を、俺は懸命に凝視した。
 自ら突進してくる辺り、遠隔攻撃の類は出来ないようだ。この攻撃を回避すれば、首を斬る隙が生まれる。
 攻撃を避ければ良い。動体視力と反射神経を極限まで研ぎ澄まし、迫りくる怪物を睨み続ける。
「──うわっ!?」
 ビュウ! と空気を引き裂きながら飛んできたのは、先端が三叉槍のように分かれた尻尾だった。
 四肢からの攻撃ばかり考えていたせいで、完全に虚を衝かれた。
 悲鳴を上げつつ首を捻る。鋭利な先端に頰を浅く切り裂かれたものの、どうにか直撃だけは回避した。
 しかし、奴はそのまま反転しホバリングを続けている。
 もしこのまま空中に居座られたら、こちらからの手の内ようがない。
 なんとかあいつを叩き落とさなければ勝ちの目はない。
 俺はもう一度右手に炎素を宿し、《形状変化・アロー》と《複数》を書き加える。
 炎素の矢を維持したまま、斜め四十五度の位置に魔術陣を展開する。
 魔術陣に鋼素と《加速》を書き留め待機。
 複合魔術《鋼炎の雨》。決闘の時は一発で見破られたが、あの男には長い戦闘で培った経験があったから防がれた。
 だがこいつにはそれがない。
 経験が豊富ならまず、俺を警戒して不用意に接近しない。
 だがこいつは俺を見るなり、好奇心に身を任せるように近づいていた。
 この魔術を選んだ理由は他にもある。
 魔術耐性のある生物に複合魔術は通用するのか、それを証明しなければならない。
 通じるなら複合魔術を主体に攻めに転ずる。通じないなら別の方法を考える。
 決断が決まった瞬間、炎素の矢を魔術陣目掛けて投擲する。矢は一瞬で五十本に分離し、鋼素を纏いながら加速していく。
「ブシイッ!」
 無数の矢が化物の腹部に突き刺さると、丸い口からどす黒い血の飛沫を散らし、翼を不規則に羽ばたかせた。
 仕留めるまでは行かなかったが、ダメージは与えられたようだ。
 どうやらこいつの魔術耐性は、複合魔術で崩せるようだ。
 それが分かれば十分だった。
 蜘蛛を思わせる真紅の単眼に怒りの気配を滲ませ、化物は俺を睨め付ける。
 再度魔術陣を展開し、《爆素》と《一点解放》《加速》に書き換える。
 右手に炎素を宿し、化物の頭部に狙いを定める。
「ブシュウウウーッ!!」
 新たに轟いた奇声が耳に届くと同時に、矢を投擲する。
 五十本の矢が魔術陣を追加。炎素と爆素、複数の構文の宿る矢の半分以上が頭部に、残りは腹部や四肢に突き刺さる。
 それを確認したカズヤは、剣を鞘に納め身を翻した。
「爆ぜろ……」
 冷ややかに言い、指を鳴らす。
 呼応するように、突き刺さった矢が爆発する。刺さった五十本の矢は全て一点にのみ爆発し続け、対象が消滅するまで鳴り止むことはない。
「ギャキャー!?」
 動物の喉から聞こえるとは思えないほどの醜い声を上げる化物に、視線を向ける。
 燃え上がる炎素が全身を包み、爆素は対象を内側から壊していく。
 爆発音が鳴り止むと、化物の姿は視認できないほど細かく砕けていた。
「結構、強かった……」 
 ひと段落つきながら、疲れ気味に呟く。
 何気に複合魔術を乱発してしまった。
 しかも使い回しじゃなく一から設定していたために、精神の負担が大きい。一日絶対安静を無視するかのような過剰浪費だ。
 それでも、この事故の原因でもある化物は倒したんだ。あとはこのまま、何ごともなく修復作業に集中出来る。

 サヤから非常用に渡されていた霊薬を懐から取り出し、小瓶の栓を抜く。
 若干のとろみがある緑色の液体を口に含み、苦味に顔をしかめながら飲み干す。
 少しずつ疲れが抜けていくのを感じながら、現状を再確認する。
 まず、この火災の原因と思われる化物は駆除したから、これ以上の被害が出ないと思って良い。
 街への被害は今も増え続けているが、衛士や魔術師に原因を駆除したと伝えれば、少しは心に余裕が生まれるだろう。
 心の余裕──不安定な状態から安定すれば魔術の質も大幅に変化する。
 魔術師達の全面協力に学園の生徒達がいれば、火災の鎮静化など先程の化物退治に比べれば大分楽なものだ。
 とりあえず、アースリアの問題はこれで解決するはず。
 残るは、化物の発生原因。
 あの生物は明らかに人界に生息する生物じゃない。魔素の過剰摂取で生まれた魔獣の可能性もあるが、それは限りなく薄い線だ。
 魔獣は変異しても、元の生物の原型が最低限保たれている。だがあの生物は、元の痕跡など一切残していない。
 頭部が魚を思わせていたから魚が魔獣になった恐れもあるが、ならば東地区が一番被害が出ているはずだ。
 魔獣の可能性が無くなったとなれば、やはり魔界の生物という線が濃厚になる。魔界の生物が壁を横断した事例は、過去に数件ほど存在している。
 魔界の生態系は知られていないため、翼を生やして魔術耐性のある化物ぐらいいるだろう。
 勝手に結論付けるが、あるものにまだ懸念を抱いていた。
 化物からは感じられない、生命の鼓動。命を持たない人形のような、不気味な雰囲気。
 あれは本当に生物なのか。憶測の根本に対する疑惑を持ち始めた、次の瞬間──。
 ドゴ──ン!
 街の東側から、再び巨大な爆発音が鳴り響いた。
 耳を抑えながら顔を向けると、今までとは比べ物にならないほど巨大な炎が、港の方から立ち昇っている。
「次から次に……どうなってんだよ!」
 駆け出そうとするも、足が動かない……いや、動かせない?
 無意識に起きた異変に気付くも、体はいうことを聞かず、棒立ちする他なかった。
 視線を下に向けると、自分の足が小刻みに震えていた。
 足だけじゃない。腕も、手も、唇も、体のあらゆる部分が、勝手に震えている。
 これは……なんだ。
 声を出すことが出来ず、見えない恐怖に怯える事に疑問を抱く。
 この恐怖は、死に対するものじゃない。
 これは、生物が持つ根本的なもの、生存本能から来ている。
 ──行っては駄目だ。
 頭の中はそれで一杯だった。
 危険信号は脳から全身に伝達され、恐怖の感情から自律神経に乱れが生じ、四肢の制御が出来なくなる。
 体は魂の入れ物と言われている。その例えで今の状態を言い表すなら、魂が既に諦めていることになる。
 生物を根本から恐怖させる存在が、街の東側にいる……。そんなのと鉢合わせすれば、助かる可能性はゼロだ。
 それでも、行かなければならない理由がある。
 街の東側には、避難した人が大勢いる。衛士や魔術師は街の消火に奮闘しているから、避難民の護衛をしている衛士は限りなく少ない。
 これだけ離れているというのに、肌を刺すような存在感を持つ怪物相手に、一体何分保つ。
 三分……いや二分持てば上的。そう思えるほど、東にいる奴はやばい存在ということになる。
 俺一人が行ったところで、全員死ぬという未来は何も変わらない。
 それなのに俺は、恐怖で震える自分を鼓舞しながら、前へ進もうとした。
 理屈なんかじゃない。みんなを助けなければとか、そんな正義感溢れる主人公みたいな理由でもない。
 ただの、俺の勝手な願望だ。
 後悔したくないから、今の自分に出来ることをがむしゃらにやりたいだけの、下らない願望が、今の俺を突き動かしている。
 恐怖を押し退け、地に根でも張ったように硬直していた右足で、一歩前に出る。

 東側に近づくにつれ、禍々しい気配は強さを増していき、一瞬の気の緩みで押し退けたはずの恐怖が戻ってきそうになる。
 一歩進むごとに、今ならまだ間に合う、引き返せ。死にに行くようなものだ、やめろ。と延々に脳内から命令される。
 だがカズヤは、脳からのメッセージに目もくれず、恐怖の感情を振り切るように進んだ。
 一心不乱に燃え盛る街道を駆け抜け、爆発した場所が見える場所にまで到着した。
 遠目からでも酷い有様だ。港に碇泊している漁船の殆どは破損しており、市場からはいくつも火の手が上がっている。
 だが、惨憺たる現状に驚愕している暇なんてない。早く避難した人達を安全な場所に誘導しなければ。
 再度駆け出そうとした途端、背筋に悪寒が走った。
 全身の鳥肌が立ち、嫌な冷や汗が滲み出る。発作に似た震えも再発し、呼吸が乱れる。
 ──いる……近くに、いる。
 直感的判断は、正しかった。
 恐怖の源である存在は、燃え盛る建物の中から、悠然と姿を現した。
 首を動かし、姿を現した諸悪の根源と思しき人物に顔を向け、驚愕する。
 人族としては図抜けた体軀。竜を象ったと思える兜。全身を包む漆黒の鎧には無数の傷が刻まれており、炎の輝きで鈍く光っている。
 天界の騎士!? いや、違う!!
 不意に浮かぶも、全力で否定する。
 確かに天界の騎士に似ているが、何かが違う。
 コモレヴィの森で出会った騎士は慈愛に満ちた優しい気配を漂わせていたが、こいつは違う。
 明確な殺意。隠そうとしない純粋な殺意を漂わせている。
 きっとこいつだ。こいつが、先程の爆発を起こし、街に化物を放った張本人。アースリアをめちゃくちゃにした犯人に間違いない。 
「……小僧。お前に聞きたいことがある」
 図太い声で尋ねられ、こちらの返答関係なく一方的に話してきた。
「マガツヒを倒したのは、お主か?」
 マガツヒ? さっきの化物のことか。
「……そうだ。俺が倒した」
 震える唇を無理矢理動かしながら肯定すると、漆黒の鎧を纏った騎士の殺意が一気に高まった。
「そうか……ならば我は、お主を殺さなくてはな」
 そう言い放つと、腰に下ろしていた剣に右手を添え、中腰に構えた。
「殺す前に名乗っておこう。我は魔界から来た暗黒騎士、邪教神様の忠実なる僕だ」
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