婚約破棄された元聖女、魔王の息子に攫われて溺愛されています

百合川八千花

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30「決闘」

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 先に動いたのは、ヴェルグだった。

 瘴気が爆ぜる。
 視界が黒に染まる。

 重い一撃が、聖剣を叩いた。

 ――ギィン!!

 腕が痺れる。
 衝撃で足が地面を滑る。
 聖女の補助もない、ただの人間の体では、その一振りだけで骨が軋む。

「っ……!」
「やめて、アルティア」

 声は低い。
 怒りと、焦りと、恐怖が混ざっている。

「君が戦う必要はない」
「あるわよ!」

 もう一度、剣を振る。

 当然、届かない。
 ヴェルグは最小限の動きでそれを弾き、背後に回る。
 瘴気が刃のように頬を裂く。
 血がにじむ。

「こんなこと、望んでない!」

 私の血を見てヴェルグの声が震える。

「僕はただ、君を取り戻したかっただけだ!」
「だからって、世界を壊していい理由にはならない!」

 もう一撃。
 火花が散る。

 力の差は歴然だった。
 ヴェルグは本気を出していない。
 それでも、私は追い詰められていく。

 息が荒い。
 足がもつれる。
 視界が揺れる。

 それでも――退かない。

「どうしてわからないの!」

 ヴェルグの瘴気が荒れ狂う。

「君は弱ってる! 力もない! そんな体で僕の前に立つな!」
「弱いから立ってるのよ!」

 叫ぶ。

「強かったら、こんなことしない! 一撃で貴方なんか倒しちゃうんだから!」

 刃がぶつかる。
 腕が悲鳴を上げる。

「私は、あなたの隣に立ちたいだけなの!」

 一瞬。
 ヴェルグの動きが止まる。
 その隙をついて、私は踏み込む。
 聖剣の切っ先が、彼の胸元に触れた。

 深くは刺さらない。
 でも、確かに届いた。

 ヴェルグの瞳が揺れる。

「……やめて」

 彼が、手を伸ばす。

 私を制そうとして。
 傷つけないように。
 いつものように。

 けれど――

 その手が、止まった。
 触れられない。
 瘴気が、私を傷つけることを拒んでいる。
 いや、違う。
 ヴェルグ自身が、拒んでいる。

「……どうして」

 彼の声が、かすれる。

「どうして、僕は……君に、笑ってほしいだけなのに……」

 その瞳の奥にあるのは、怒りじゃない。
 恐怖。
 自分が壊れてしまうことへの、恐怖。

 私は、ゆっくりと剣を握り直す。
 震えは止まらない。
 でも、目は逸らさない。

「ヴェルグ」

 かつて、断崖で。
 魔王ヴィンセントと対峙したときと同じように。

 胸を張って、告げる。

「悔い改めなさい」

 風が止まる。
 瘴気が、揺らぐ。

「そうすれば、許してあげる」

 同じ言葉。
 同じ覚悟。

 でも今は、神の代行者としてじゃない。

 ただの女として。
 愛する人に向けて。
 ヴェルグの瞳が、大きく見開かれる。

 十年前。

 まだ少年だった彼が、光の中で聞いた言葉。
 胸の奥に刻まれた、救いの声。

「……アルティア」

 瘴気が、音を立てて崩れ始める。
 黒い柱が揺らぐ。
 銀の瞳に、わずかな光が戻る。
 魔王と呼ばれた男の中で、まだ消えていない“少年”が、静かに、息をしていた。

「ごめん……ごめんなさい……僕は……」
「いいの。あなたは瘴気に感情を狂わされているだけ。私が今、斬ってあげる」
「でも、君は……」

 ヴェルグが不安げに声をかける。
 私にはもう奇跡も魔法もない。ただの女に何ができるのか、そう言いたそうに。

「私はずっと、ただの女だったわ」

 でも私は知っていた。
 私に奇跡なんてない。私は特別なんかじゃない。

「でも、人の想いを信じ続けてここまで来た!」

 黒い心が瘴気を生むなら、その逆も然り。
 
「信じる心が、瘴気を斬る!」

 さらさらと、砂がこぼれるような音が響く。
 あたりに渦巻いていた瘴気は風となって、花となって、あたりに散っていく。

薔薇の舞ロズレ

 それは今の私が唯一仕える小さな魔法。
 あたりに薔薇の花を舞わせながら、私たちの戦いは終わった。
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