『チート作家の異世界執筆録 〜今日も原稿と畑で世界を綴る〜』

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第11話 そして、耳長は家に住む

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 ふわりと羽毛のような夢から覚めたリュウが見たのは、見慣れたはずのログハウスの寝室だった。だが、そこには明らかな「何か」が違っていた。
 
 白い天井は以前より遥かに高く、壁には繊細な蔦模様のレリーフが浮き彫りにされている。窓には、まるで妖精の羽のように透き通る薄絹のカーテンが風に揺れ、窓の外からは小川のせせらぎと、聴き慣れない鳥たちの美しいさえずりが遠くから響いてくる。ここは本当に、俺の家なのか?
 
「……なあ。なんか天井、高くなってないか?」
 
 枕元でまどろんでいたリュウは、ぼんやりと片目を開け、信じられないものを見るように天井を見上げた。まだ夢の続きを見ているような、現実離れした光景に、思考が追いつかない。
 
「やっと目ぇ覚めたばい、リュウ」
 
 待っていたとばかりに、ルナがいつもの気怠そうな笑顔を浮かべ、リュウの顔を覗き込む。その表情は、この異常事態をどこか楽しんでいるようにも見えた。
 
「……えっと……俺、何日寝てた?」
 
 リュウは、まだ昨日の記憶と夢の境い目を探るように、混乱しながら頭を掻いた。最後に意識を失ったのはいつだったか、もはや定かではない。
 
「ぴったり二週間。寝っぱなしで、最後はちょっと心配したばい。でも……ほら、生きとるし、まずは食べんね」
 
 ルナは淡々と言い放ち、隣のテーブルに並べられた朝食を指差した。黄金色の焼きたてパンと、香ばしいスープの匂いが、ようやくリュウの現実感覚を呼び戻す。どうやら俺は、チート能力の代償で二週間も昏睡状態だったらしい。
 
「で、この天井は?」
 
「新築? リフォームかもしれんね」
 
「新築!?!?!」
 
 リュウは飛び起き、その場の勢いのまま部屋中を駆け回った。目を凝らせば、木製の梁と壁面が、見事なエルフ様式――透き通るような魔法木材で、これまでのログハウスを包み込むように増築されているのがわかる。天井だけでなく、壁も床も、全てが以前とは別物だ。
 
「俺のログハウス、世界遺産になってたのかよ!」
 
「うむ。許可は取っておらん。が、合理的判断だった」
 
 例によってティアが、いつの間にか扉から静かに現れ、ハーブティーの入った銀製の杯を差し出す。その所作には一点の迷いもなく、まるで全てを予期していたかのような落ち着きがあった。
 
「寝起きにはこれだ。血の巡りが整うぞ」
 
「血の巡りも大事だけど……俺の家の様子がこんなに変わってるのはどういうことだってばよ!?」
 
 リュウは、目の前の信じられない光景と、マイペースなティアの言動に、もはやツッコミも追いつかない。
 
 ティアは薄く微笑みながら、窓の外に広がる、以前よりもさらに深みを増した緑を見渡した。
 
「世界樹を救ったことで精霊たちがこの地を気に入り、ここを“第二の世界樹の地”と認めたのです。よって、森の加護魔法により建築が進行しました」
 
 ティアの説明に、リュウはただ呆然と立ち尽くす。精霊たちの力によって、意思を持ったかのように家が増築されたというのか。
 
「チートなしで家も増築するとか……俺、完全に負けとるやん!」
 
 エルドが書斎の一角――いつの間にか、まるで最初からそこにあったかのように増設された、木製の重厚な棚が並ぶ空間――から飛び出し、嬉々として魔導具を抱え込む。その眼鏡の奥の目は、新たな発見に輝いていた。
 
「ちなみに、私の研究資料置き場に加えて、ティア様の寝室と、露天風呂も設置済みですぅ!!」
 
「エルド、お前の口が一番スムーズに裏切るな!」
 
 リュウの叫びに、ルナがくすりと笑う。エルドは得意げに胸を張り、彼の研究室と思しき場所からは、かすかに魔力の波動が感じられた。
 
 こうして、世界樹を救った証として突如現れた魔法建築は、あっという間にログハウスを、精巧なエルフ様式の大型ログハウスへと変貌させたのだった。
 
 しばし呆然とし、ようやく状況を呑み込んだリュウは、縁側に腰掛け、ティアの淹れたハーブティーを一口含んだ。甘く爽やかな香りが、昨夜……いや、二週間前の疲れと、これまでの全ての緊張をそっとほどいていく。口の中に広がる清涼感は、まるで森の息吹そのもののようだった。
 
 窓の外では、精霊によって植樹された小さな世界樹の葉がそよぎ、再び返り咲いた色とりどりの小花がひそやかに顔をのぞかせている。森全体が、まるで深い眠りから覚めたかのように、生命の息吹を取り戻し、鳥たちのさえずりが遠くまで響き渡っていた。
 
「……それで、ティアはこれからどうするんだ?」
 
 リュウが静かに尋ねると、ティアは足元の花畑を見つめ、ゆっくりと頷いた。その瞳には、穏やかながらも確固たる決意が宿っている。
 
「ここにいる。そなたの筆を学び、この森を共に守りたいと思ったから」
 
「……正式に、ここに住むってことか」
 
「うむ。文句はあるまい?」
 
 ティアの問いに、リュウはため息混じりに苦笑し、やがて肩をすくめた。抵抗しても無駄だという諦念と、どこか安堵の入り混じった表情で。
 
「……いや、もう諦めた。寝室もできちゃってんだもんな」
 
 そう呟きながら、リュウはいつものようにノートを開き、ペンを走らせる。彼の指先からは、この奇妙な、しかし温かい日常が綴られていく。
 
《こうして、ちび耳長エルフは、森とともに生きる筆の家に住まうことになった。山紫水明の地に魔法で増築されたロッジには、小さな笑い声と、尽きることのない夢があふれている。物語はまた一章、賑やかにめくられていく》
 
 リュウがペンを置くと、ティアはそっと目を細めた。その表情は、彼の綴った言葉に深く心を動かされたかのように見えた。
 
「……その書き出し、気に入った」
「幼女エルフ大好き!」とばかりに、エルドは興奮冷めやらぬ様子で研究室へと戻っていく。その背中をルナは指差して、くすりと笑った。
 
「ねえリュウ、この家、もう“逃げ場”じゃなくなったとやろ?」
 
 ルナが優しい声で問いかける。リュウはペンを握り直し、その先の未来を見据えるように頷いた。
 
「そうだな。これからは、ここが俺たちの“拠点”だ」
 
 精霊たちが深く見守る中、ログハウスは新たな加護と、一つ屋根の下で生活する「家族」を得た。
 
 そして、“耳長少女と筆の家族”の物語は、ここから、さらに続いていく。
 
 朝靄が立ち込める中、ログハウスの台所には、バターの焦げる甘く香ばしい匂いが満ちていた。木製の薪ストーブの炉口では、とろけるチーズとバターをたっぷり染み込ませた黄金色のジャガイモが、じゅうじゅうと食欲をそそる音を立て、白い湯気をくゆらせている。
 
「ん~~~っ! やっぱこの香り、たまらんばい!」
 
 ルナが夢中でフォークを突き立て、ほくほくのじゃがバターを口に運ぶ。その顔は至福に満ちており、普段の気だるげな雰囲気はどこへやら、完全に芋に魅了されている。
 
「朝から芋でテンションMAXなのは、お前くらいだぞ……いや、エルドもか」
 
 リュウはポケットからクリップボードを取り出し、商人との取引書類の到着を確認しつつ、呆れたように笑う。だが、その口元にも笑みが浮かんでいる。
 
「芋は正義です! 芋こそ至高です!!」
 
 エルドはすでにフライパン一杯分の刻みチーズをじゃがバターに重ね、「さらなる美味を追求せよ」とばかりに、目を輝かせながら頬張っていた。彼の眼鏡が、湯気で少し曇っている。
 
 だが、その平穏な朝の食卓を破るように、外から軽やかな足音と、お馴染みの底抜けに明るい声が聞こえてきた。
 
「リュウさん、いらっしゃいますかなー?」
 
 玄関の扉のノブがゆっくりと回され、にこやかなロブ・ロイがぴょこんと頭を覗かせた。その手には分厚い書類と、カラフルなパンフレットを小脇に抱えている。いつものことながら、彼は時間を選ばない。
 
「いるけど、朝のジャガイモの最中なんで、手短に頼むぞ?」
 
 リュウは慌ててエプロンの紐を直しながら呼びかける。じゃがバターを食べる手が、少しだけ止まる。
 
「そう仰ると思って、特製ジャガイモ味クッキーもご用意しました!」
 
 ロブ・ロイは得意げに袋を差し出す。その言葉に、リュウに続きルナとエルドも、思わず手を伸ばしてしまう。ロブ・ロイの商魂の逞しさは、もはや芸術の域だ。
 
「じゃあ今すぐ話を聞こう。で、用件は何だ?」
 
 リュウは、差し出されたクッキーを一つ掴みながら、改めてロブ・ロイに問いかけた。ジャガイモの魔力に抗えない自分が悔しい。
 
 ロブ・ロイは一呼吸おいて、満を持して大きな地図と、詳細なプランを広げた。その表情は、これまでの商談とは一線を画す、真剣な光を帯びている。
 
「ズバリ、王都に直営店を出しませんか?」
 
 ルナが思わず床に落としたじゃがバターのひと切れが、トントンと跳ねる。エルドはクッキーを口に詰めたまま、信じられないものを見るように目を見開いた。部屋の空気が、一瞬で凍り付いたかのように静まり返る。
 
「……なんだって?」
 
 リュウは一瞬、スプーンを空中で止め、事態を呑み込もうと必死で脳を働かせる。王都? 直営店? スローライフを夢見る自分には、あまりにも縁遠い響きだった。
 
「お店です! 野菜も果物も、エルドさんのスクロールも、今や“筆の家”ブランドで大人気! 王都中で話題沸騰です!『農作物に魔力が満ちている』だの『手書き巻物が安定爆発する』だの、お客様の嬉しい驚きの声が絶えません!」
 
 ロブ・ロイは畳みかけるように熱弁を振るう。
 
「その後半、完全に私のせいだけどな!? ティア様にも褒められたバーター・ボムだし!」
 
 エルドが得意げに胸を叩く。「バーター・ボム」とは、彼の魔法道具の一つで、魔力とバターを融合させた、ある種の爆弾だった。そのネーミングセンスはさておき、その効力は確かにティアに認められるほどだった。
 
「落ち着けエルド。最近“光るポテト”とか試作品を出しとるけん、評判ヤバかとよ?」
 
 ルナが呆れ顔でエルドを制し、ロブ・ロイは地図上の、王都の一等地を指差した。そこは、多くの人々が行き交う賑やかな場所に違いなかった。
 
「ここです! 城下町最大の市場前広場、空き物件が出たのは奇跡なんですよ! 直営店を構えれば、収益は今の三倍、いや四倍見込めます!」
 
「王都かぁ……人も多いし、騒がしい人も多そう……それに毎日通うの、面倒くさくないか?」
 
 リュウは眉間にしわを寄せ、いまだ地に足が着いてない様子で呟く。彼の頭の中には、静かな森での執筆活動と、のんびりとしたスローライフの光景が広がっている。
 
「うちが接客するけん、リュウは執筆に集中してよかよ!」
 
 ルナが満面の笑みでひと押しする。ティアも静かに頷き、その穏やかな目でリュウを励ましていた。彼女の視線は、「これもまた、この森とあなたの使命」と語りかけているようだった。
 
「つまり全会一致で出店賛成ってことですね!?」
 
 ロブ・ロイはその場でガッツポーズを決め、エルドは眼鏡をくいっと押し上げた。彼の目も、新たな研究対象を見つけたかのように輝いている。
 
「いや、俺だけ反対なんだけどなぁ……」
 
 リュウは申し訳なさそうに頭を掻く。しかし、その口元には、諦めと同時に、どこか決意の色も垣間見えていた。
 
「……でもな、芋で人が笑顔になるなら、やらんわけにはいかんな」
 
 ついにリュウは小さく呟いた。その言葉は、彼の心の奥底にある、誰かのためにという優しい気持ちから出たものだった。
 
 ルナとティアは同時に満面の笑みをこぼし、ロブ・ロイは感極まった様子で万歳三唱をする。台所は一気に賑やかになり、新たな物語の始まりを告げるかのようだった。
 
「よう言うたばい、リュウ」
「“筆の家”、王都進出、始動じゃ」
 
 こうして、新たな舞台は王都ルミアステラに移されることになった。
 
 直営店開業、顧客獲得、そして商品の魔力調整。
 だが、まさかこの直営店が、俺のスローライフを完全に亡き者にしてしまうことになろうとは……この時の俺は、まだ知る由もなかった。
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