『見えざる相棒(バディ)』

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痕跡に刻まれた徽章

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 翌朝。捜査一課の会議室はいつになく張り詰めた空気に包まれていた。池内沙織(いけうち さおり)の殺害が他殺と断定され、さらに写真解析から得られた“バッジらしきもの”という手がかりが加わり、捜査は一気に熱を帯びている。
 しかし同時に、警察内部の圧力もまた強まっていた。再開発事業と政治の癒着を示唆する情報は、上層部から“慎重に扱え”というお決まりの指示で曖昧にされ、それ以上の追及は阻まれる。正面突破は難しい状況だった。

 「この部分を拡大すると、何か円形に見えるんですよ。模様のような線が幾つか走っていて……」
 写真解析チームの若い技術職員が、大型モニターに映し出された解析画像を指し示す。その一端が微かにブレているものの、確かに丸い形状の“プレート”のようなものが男の胸元辺りに装着されている。
 捜査主任は腕を組みながら唸った。
 「円形の徽章かバッジか……。警察の階級章とも違うし、民間のセキュリティ会社のものかもしれない。あるいは企業の記念バッジとか」
 「まだはっきり断定はできませんが、ベースの色が金属っぽいですね。周囲に文字が刻まれている可能性があります」
 技術職員の言葉に、刑事たちがざわめく。真犯人あるいは重要人物のトレードマークとなり得るそのバッジは、事件の核心を解く鍵になるかもしれない。

 日高光彦(ひだか みつひこ)は、会議室の隅でその説明を黙って聞いていた。視線の端で、半透明の平沢真梨子(ひらさわ まりこ)が佇んでいる。もちろん他の刑事たちには見えていないが、日高だけは彼女の表情を確認できる。
 (バッジ……。真梨子が生前に取材していた現場で見かけたと言っていた。それが何を意味するのか……)
 彼女は何かを思い出そうとしているのか、眉を寄せ、肩を小刻みに震わせていた。だが、声を出すことはない。
 ――記憶を呼び起こすたび、彼女は強い頭痛に苛まれる。下手をすれば霧散してしまう危うさを、日高はもう知っていた。

 会議がいったん散会すると、日高は主任のもとへ足早に向かう。
 「主任、俺がこのバッジの線を少し掘り下げてみます。警備会社や関連団体の可能性、企業のロゴ、何でも当たります」
 主任は渋い顔でうなずきつつ、声を潜める。
 「ただし、上にはくれぐれも慎重に動けと釘を刺された。お前もわかってると思うが、再開発絡みの政治案件に踏み込むと、色々と揉めるからな」
 「承知しています。大丈夫です」
 歯切れよく答えたものの、日高はその場で舌打ちしたくなる思いだった。捜査を妨げるかのような組織の態度は明白で、下手をすれば捜査情報自体が外部に漏れかねない。

 それでも、手がかりを放棄するわけにはいかない。バッジの正体を突き止めれば、写真に映る人物が誰なのか、そして池内沙織がなぜ殺されたのか――“再開発利権”の闇が少しずつ姿を見せるはず。

 昼下がり、日高はオフィスに戻り、端末で各種バッジの画像リストを当たり始めた。警備会社の社員証や工事作業員のヘルメットマーク、各種団体の徽章など、類似例は山ほどある。しかし、写真と完全に一致するものは見つからない。
 (もっと直接的なルートを探るしかないか……)
 唸りながら調べていると、背後で宮下が声をかけてきた。
 「日高さん、今ちょっとよろしいですか?」
 「なんだ?」
 「先日、地方紙の本社に問い合わせた件で“広報担当”が対応を渋っているそうです。上層部からストップがかかっているらしく、情報は出せないと。どうやら警察筋の誰かが圧力をかけた模様で……」
 宮下の表情は苛立ちに満ちている。捜査一課という立場でも、組織の都合に左右されることがこれほど多いとは。
 「このままやっても埒が明かない。ならば非公式に協力を仰ぐしかないかもしれない」
 日高がそう言葉を漏らしたとき、ふと脳裏にある人物の顔が浮かんだ。かつて新聞記者の不正を暴く際、内部告発者とのパイプ役を担った“ジャーナリスト”がいたはずだ。名前は……。
 (よし、一度あの人に当たってみよう)

 日高は自分のスマートフォンを取り出し、過去の通話履歴やアドレス帳を遡る。すると、該当人物の連絡先がまだ残っていた。
 「……まだ繋がればいいが」
 呟きつつ、発信ボタンを押す。数回のコール音の後、ようやく相手が出た。
 「もしもし、こちら日高と言いますが――」

 それから数時間後――。何とか時間を作ってくれたジャーナリストとの面会が夜に設定されたため、日高は日中の捜査をひととおり終え、署を出た。
 待ち合わせ場所は都内の小さな喫茶店。カウンター席だけのこぢんまりした店は、平日の夜ともなれば客足もまばらだ。ドアを開けると、左手奥の席に初老の男性が座っているのが見えた。
 「お久しぶりです。……古川さん」
 日高が遠慮がちに声をかけると、その男性――古川(ふるかわ)は苦笑を浮かべた。やや髪の薄い頭を軽く掻きながら、渋い表情で答える。
 「警察とはご縁がないはずだったんだけどな。まあいい、話だけは聞こう」

 日高が横に座ると、カウンター越しのマスターがコーヒーを差し出す。古川が先に口を開いた。
 「“再開発利権”と“取材メモ”の話。あんたが興味を持ったからには、警視庁内部で相当ややこしい火種が燻ってるんだろう。俺はフリーの立場だから関係ないが……」
 「古川さん、もしご存じなら“平沢真梨子”という名前に心当たりはありませんか? 数年前、地方紙で大掛かりな不正を取材していた記者見習いがいたらしいんです」
 日高の問いかけに、古川は眉間に皺を寄せる。
 「聞いたことがあるような、ないような……。ただ、俺が知っているのは、地方紙の若い記者が“不審死”したという話だ。捜索願いも出なかったし、事故扱いだったが、周囲には“不審点が多い”って噂が流れていた」
 「詳しく教えてもらえませんか」
 古川は小さく息をつき、視線をテーブルに落とした。
 「断片的な話だが、その若い記者は“ある政治家”を追っていたと聞く。地方議会と不動産会社を繋ぐ金の流れ――そこに国政レベルの後ろ盾があったらしい。名前までは俺も掴めなかったが、実は何度か警察が動きかけた形跡もあるとか……」

 そこで古川は日高をちらりと見る。
 「しかし、その“動き”はすぐに潰された。内務省や警察上層部が絡んでいたかもしれない。結局、記者の死は闇に葬られ、残された取材メモも行方知れず――そんな話だ」
 古川が口を閉ざしたままカップを口に運ぶ。苦いコーヒーの香りが漂う沈黙の中、日高は確信を深める。
 (やはり真梨子の死には組織的な隠蔽があった。警察内部で圧力をかけられている今の状況とよく似ているじゃないか)

 古川との会話を一区切りして、今後の協力を取り付けた後、日高が店を出ようとした瞬間、入り口のドアが開いた。そこに立っていたのは、数日前に“監察に近い仕事”と名乗り、日高を恫喝めいた態度で諫めた男――グレーのスーツ姿の中年だった。
 「……あなたは」
 思わず身構える日高に、男はニヤリと笑う。
 「相変わらず奔走しているようだね。余計なことを嗅ぎ回らないようにと忠告したはずだが」
 「それはこちらの勝手です。あなたに従う義務はありません」
 男は日高を横目で睨みつつ、ちらりとカウンター席の古川を見る。古川も訝しんで睨み返した。
 「なるほど、ジャーナリストに頼るとはね。まったくもって危ない橋を渡る。組織からの支持を失ったら、あなたもただの一刑事に成り下がるんですよ」

 嫌味を含んだその低い声に、日高は怒りを抑えきれない。
 (やはりこの男は、内部の誰かと繋がっている……それも警察庁や政治家筋の大きな権力と。俺が動くたびに潰しにかかるつもりか)
 だが、ここで感情を爆発させても得られるものはない。日高は深く息を吐き、冷静さを保ったまま唇を開く。
 「あなたがどんな権力者の手先だとしても、俺は池内沙織の事件を捨てるつもりはありません。必要なら警察手帳を返上してでも、真実を追います」
 男は鼻で笑い、ポケットから名刺入れを取り出しかけたが、思い直したように手を引っ込めた。
 「そうですか。ならばご自由に。ただ、後悔しても知りませんよ」

 そのまま男は踵を返し、店を出て行く。外はにわか雨が降り始めていて、電灯の下を冷たい雫が照らしていた。

 やがて日高が夜の街を歩き出すと、しとしとと降り続く雨粒の中に揺らめくものがあった。半透明の人影――真梨子の姿だ。
 「大丈夫? あの人、また脅してきたみたいだけど……」
 彼女の声は弱々しいが、心配そうに日高を見つめる瞳がどこか凛としている。
 「平気だ。あんな脅しに屈するわけにはいかない。……それより、古川さんの話で確信した。君の死はやはり誰かに仕組まれた可能性が高い」
 真梨子の目がかすかに揺れる。
 「……わたしが何を掴んだのか、早く知りたい。池内さんにもあんな結末を迎えさせてしまって、本当に……」
 彼女の姿は雨の中でいっそう淡く、透けて見える。雨に濡れているわけではないはずなのに、その輪郭が滲むように揺れていた。
 「日高さん、もしわたしがいなくなったら……あなたは、最後まで真実を追ってくれる?」
 不意の問いに、日高は胸が締めつけられるような感覚に襲われた。
 「当たり前だ。――だけど、その時まで君も消えずにいてほしい。君が成仏するのは事件解決の先、そこからでも遅くはない」

 真梨子はうなずきかけたが、言葉にならない声をあげ、頭を押さえる。再び強い痛みが走ったのか、視界の端で彼女の輪郭が大きく歪む。
 「ごめん……急に、頭が……」
 「無理をするな!」
 思わず手を伸ばす日高だが、もちろん触れられるはずもない。彼女の身体はそのまま雨の闇に溶けるように消えていった。
 心臓の鼓動が激しくなる。まるで、自分までその闇の中に引きずり込まれそうだ。
 (早く、真相に辿り着かなければ。そうしないと――)

 雨粒がコートの襟足を濡らし、じわりと冷たい感覚が背中まで沁み渡る。日高は喉を鳴らし、空を仰いだ。
 果たしてこの先、どんな闇が待ち受けているのか。政治家と企業が絡む巨大な利権の構造。その背後を牛耳る権力者たち。警察内部ですら何かを隠そうとしている。
 だが、幽霊の相棒と共にここまで来た以上、あとには引けない。たとえ日高一人になってでも――いや、“一人”ではない。彼女がまだ、わずかながらにこの世に留まっているうちに、必ず真実を暴いてみせる。
 再び歩き出す足取りは、雨の夜のアスファルトを確かに踏みしめながら、闇の奥へと挑んでいく覚悟を刻んでいた。
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