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第五章
二話
アイアンハンドの詰所へと足を踏み入れた瞬間、肌に纏わりついたのは重苦しい熱気と、男たちの獣じみた体臭と、安酒と鉄錆が混じり合った、噎せ返るような「闘争の匂い」だった。
広いロビーには、無造作に置かれた木製の椅子や酒樽が転がり、壁には無数の傷跡や血痕がそのまま放置されている。そこにたむろす荒くれ者たちは、新顔の登場を告げる扉の音に、一斉に獲物を探す獣のような視線を向けた。
「おや、綺麗な成りした兄ちゃんだな。外から来たのか?」
窓口の奥に座る、顔中に古傷を刻んだ男が、欠けた歯を見せて下卑た笑いを浮かべた。
「依頼ならこの紙に記入してくれ。護衛や用心棒は勿論、揉め事の仲介や、気に入らねえ相手との代理決闘なんかも請け負ってるぜ」
男が差し出してきた汚れた依頼書を、ウォルカは一瞥もせずに退けた。
「依頼ではない。……ここで傭兵として働きたい。手続きを」
ウォルカの低く、静かな声がロビーに響き渡った瞬間、周囲の喧騒がピタリと止んだ。
「……傭兵だと?」
「おい、聞いたかよ。あの澄まし顔の狼は、俺たちの『喧嘩』に混ざりたいんだとよ」
その中でも一際体格の良いイノシシの獣人が立ち上がり、ウォルカの前に立ち塞がった。男は脂ぎった指でウォルカの鋭い顎を強引に掴み、その整った顔を至近距離で覗き込む。そして、ウォルカの腰の剣を掴んで湿った鼻息を吹きかけた。
その剣はウォルカが唯一持ってきていた騎士の装備で、鞘にはシンプルながらも意匠の凝らされた装飾がついたものだった。
「ここは騎士様の来るところじゃねえんだぜ。大人しくお貴族様のちんぽでもしゃぶってな」
粗野な男達の笑い声が周囲から湧き起こる。
「……なるほど。この剣が気に食わんのか」
言葉が終わるか終わらないかの刹那。
ウォルカの右拳が、溜めも躊躇すらも無く男の顎を真下から突き上げた。
肉と骨が砕ける感触が、拳に確かに残る。
「安心しろ、ただの飾りだ」
男の巨体が冗談のように宙を舞い、白目を剥いたまま背後の酒樽を粉砕する。
崩れ落ちた男を見下ろし、ウォルカは汚れたものを払うように手を振り、再び窓口の男に視線を向けた。
「……さて。次は誰の相手をすれば、手続きが進む?」
静まり返ったロビーで、男たちの視線がウォルカに釘付けになっていた。
窓口の男は、口に咥えた煙草をポロリと落とし、粉砕された酒樽の残骸と、白目を剥いて転がっているイノシシの獣人を交互に見た。
「いいだろう、合格だ。丁度良い、このごろ港の方がどうにもきな臭くてな。腕の立つ人手が欲しかったところだ」
男は汚れた依頼書を引っ込め、代わりに使い古された真鍮のプレートをカウンターに叩きつけた。
「今日からお前はアイアンハンドの一員だ。後ろの虎はお前の目付か?一緒に働いてもらうからな。……早速だが、港の警備に回れ。現場の責任者にこれを渡せ」
窓口の男はそう言うと、背後の棚に無造作に置かれていた手のひらサイズの魔導具を手に取った。
男は親指で魔石をなぞり、その責任者の名を告げた。
微かな振動とともに、魔石が淡く光を帯びる。
――小型の通信魔導具だ。
ウォルカは一瞬だけ、その装置に視線を向けた。
大陸に普及している据え置きのものとは造りが違うが、用途は同じだと理解するには十分だった。
「……構わん」
ウォルカは短く応じ、プレートを手に取った。
―――
一方、ウォルカ達と別れたアリオス組。
アリオスとシグルド、そしてヒナタは港から街へと入ってすぐ、古めかしい木造の建物――まるで図書館のような造りの情報ギルド『ブラックシャドウ』の事務所へと足を踏み入れていた。
「……まずはリュゴニアの使者として、代表の器量を測ろう」
アリオスが自分に言い聞かせるように言う。一行は正門を抜け、磨き抜かれたカウンターの前に立った。
窓口に座るのは、事務的な態度で書類を裁く痩身の男だ。アリオスは精一杯、凛とした声で切り出した。
「失礼。俺たちは遠方より参ったリュゴニアの使者である。是非とも、こちらの代表にお会いしたい。急ぎの相談があるのだ」
「……」
男は羽ペンを走らせていた手を止めず、顔も上げないまま、淡々と唇を動かした。
「リュゴニア王国、第一王位継承者アリオス様。ならびに、その執事シグルド様。……そして、ホムラサキの次期大巫女、ヒナタ様ですね」
「なっ……!?」
アリオスが言葉を失い、隣でヒナタが小さく息を呑む。
素性を隠すどころか、名前も、身分も、その立ち位置さえも、男は名簿を確認することもなくスラスラと口にしたのだ。
「……我が代表シャルル様も、貴方様方の到着を心待ちにしておられました。どうぞこちらへ」
「すごい……このギルドには世界の情報が筒抜けなのか!」
「殿下、それはあまりに無邪気が過ぎます」
純粋に驚くアリオスにシグルドが珍しくも苦々しく窘める。門を叩く前から裸にされていたようなものだった。
案内された奥の間。そこは壁一面を埋め尽くす膨大な書物と、ぼんやりとそれを照らす魔導具に囲まれた書斎だった。
部屋の主であるシャルルは、陽だまりのような温和な微笑みを浮かべ、ゆったりとしたガウンに身を包んでいた。豊かに蓄えられた真っ白な髭と、優しげに細められた目尻のシワ。その風貌は、どこにでもいる穏やかな隠居老人のようだった。
だが、アリオスが言葉を発するたび、その長い眉の奥で、濁りのないガラス玉のような瞳が鋭く光る。それは、相手の言葉の真偽を瞬時に選別し、その価値を値踏みする瞳だった。
「……以上が、我々の掲げる理想です。教会を打倒し、女性を解放する。そして、男女が等しく共存する世界を再興したいのです」
アリオスが熱を込めて語り終えると、室内には再び、古い紙の匂いと魔導具が鳴らす微かな振動だけが残った。
シャルルはゆっくりと紅茶を一口飲み、そして白磁のカップを置いた。
その一連の動作には、一点の淀みも、迷いもない。
「よろしいのでは。素晴らしいお考えです」
「え……?」
あまりのあっけなさに、アリオスは思わず声を漏らした。
「そんな、あっさりと……! 良いの!? 既存の価値観を壊すことになるんですよ!?」
驚きを隠せないアリオスに、シャルルは白く長い眉の奥で、楽しげに目を細めた。
「アリオス様。この街カルテスは、常に『損得』で動く場所。……そして、新しい世の理が生まれるということは、それだけで莫大な利が動くということです」
シャルルは立ち上がり、静かな動作で手元のベルを鳴らした。
「他の各ギルドにも回ってみなされ。……おそらく、皆同じように賛同することでしょう。案内を一人つけましょう。これと各所を巡れば、話はスムーズに進むはずです」
「……恩に着る、シャルル殿!」
喜びを露わにするアリオス。一方で、シグルドとヒナタはあまりの物分かりの良さに、拭いきれない違和感を抱いて退室した。
応接室で案内人を待つ間、ヒナタが小さな声で言う。
「あのお爺様のお部屋の魔導具…全てが通信の術のかかったものでした。あれらを同時に聞き分けられるのなら相当な頭脳をお持ちです」
「なるほど、それはすごい。徳も能力もある方なんだな!」
どこまでも呑気なアリオスに、二人はため息をつくのだった。
広いロビーには、無造作に置かれた木製の椅子や酒樽が転がり、壁には無数の傷跡や血痕がそのまま放置されている。そこにたむろす荒くれ者たちは、新顔の登場を告げる扉の音に、一斉に獲物を探す獣のような視線を向けた。
「おや、綺麗な成りした兄ちゃんだな。外から来たのか?」
窓口の奥に座る、顔中に古傷を刻んだ男が、欠けた歯を見せて下卑た笑いを浮かべた。
「依頼ならこの紙に記入してくれ。護衛や用心棒は勿論、揉め事の仲介や、気に入らねえ相手との代理決闘なんかも請け負ってるぜ」
男が差し出してきた汚れた依頼書を、ウォルカは一瞥もせずに退けた。
「依頼ではない。……ここで傭兵として働きたい。手続きを」
ウォルカの低く、静かな声がロビーに響き渡った瞬間、周囲の喧騒がピタリと止んだ。
「……傭兵だと?」
「おい、聞いたかよ。あの澄まし顔の狼は、俺たちの『喧嘩』に混ざりたいんだとよ」
その中でも一際体格の良いイノシシの獣人が立ち上がり、ウォルカの前に立ち塞がった。男は脂ぎった指でウォルカの鋭い顎を強引に掴み、その整った顔を至近距離で覗き込む。そして、ウォルカの腰の剣を掴んで湿った鼻息を吹きかけた。
その剣はウォルカが唯一持ってきていた騎士の装備で、鞘にはシンプルながらも意匠の凝らされた装飾がついたものだった。
「ここは騎士様の来るところじゃねえんだぜ。大人しくお貴族様のちんぽでもしゃぶってな」
粗野な男達の笑い声が周囲から湧き起こる。
「……なるほど。この剣が気に食わんのか」
言葉が終わるか終わらないかの刹那。
ウォルカの右拳が、溜めも躊躇すらも無く男の顎を真下から突き上げた。
肉と骨が砕ける感触が、拳に確かに残る。
「安心しろ、ただの飾りだ」
男の巨体が冗談のように宙を舞い、白目を剥いたまま背後の酒樽を粉砕する。
崩れ落ちた男を見下ろし、ウォルカは汚れたものを払うように手を振り、再び窓口の男に視線を向けた。
「……さて。次は誰の相手をすれば、手続きが進む?」
静まり返ったロビーで、男たちの視線がウォルカに釘付けになっていた。
窓口の男は、口に咥えた煙草をポロリと落とし、粉砕された酒樽の残骸と、白目を剥いて転がっているイノシシの獣人を交互に見た。
「いいだろう、合格だ。丁度良い、このごろ港の方がどうにもきな臭くてな。腕の立つ人手が欲しかったところだ」
男は汚れた依頼書を引っ込め、代わりに使い古された真鍮のプレートをカウンターに叩きつけた。
「今日からお前はアイアンハンドの一員だ。後ろの虎はお前の目付か?一緒に働いてもらうからな。……早速だが、港の警備に回れ。現場の責任者にこれを渡せ」
窓口の男はそう言うと、背後の棚に無造作に置かれていた手のひらサイズの魔導具を手に取った。
男は親指で魔石をなぞり、その責任者の名を告げた。
微かな振動とともに、魔石が淡く光を帯びる。
――小型の通信魔導具だ。
ウォルカは一瞬だけ、その装置に視線を向けた。
大陸に普及している据え置きのものとは造りが違うが、用途は同じだと理解するには十分だった。
「……構わん」
ウォルカは短く応じ、プレートを手に取った。
―――
一方、ウォルカ達と別れたアリオス組。
アリオスとシグルド、そしてヒナタは港から街へと入ってすぐ、古めかしい木造の建物――まるで図書館のような造りの情報ギルド『ブラックシャドウ』の事務所へと足を踏み入れていた。
「……まずはリュゴニアの使者として、代表の器量を測ろう」
アリオスが自分に言い聞かせるように言う。一行は正門を抜け、磨き抜かれたカウンターの前に立った。
窓口に座るのは、事務的な態度で書類を裁く痩身の男だ。アリオスは精一杯、凛とした声で切り出した。
「失礼。俺たちは遠方より参ったリュゴニアの使者である。是非とも、こちらの代表にお会いしたい。急ぎの相談があるのだ」
「……」
男は羽ペンを走らせていた手を止めず、顔も上げないまま、淡々と唇を動かした。
「リュゴニア王国、第一王位継承者アリオス様。ならびに、その執事シグルド様。……そして、ホムラサキの次期大巫女、ヒナタ様ですね」
「なっ……!?」
アリオスが言葉を失い、隣でヒナタが小さく息を呑む。
素性を隠すどころか、名前も、身分も、その立ち位置さえも、男は名簿を確認することもなくスラスラと口にしたのだ。
「……我が代表シャルル様も、貴方様方の到着を心待ちにしておられました。どうぞこちらへ」
「すごい……このギルドには世界の情報が筒抜けなのか!」
「殿下、それはあまりに無邪気が過ぎます」
純粋に驚くアリオスにシグルドが珍しくも苦々しく窘める。門を叩く前から裸にされていたようなものだった。
案内された奥の間。そこは壁一面を埋め尽くす膨大な書物と、ぼんやりとそれを照らす魔導具に囲まれた書斎だった。
部屋の主であるシャルルは、陽だまりのような温和な微笑みを浮かべ、ゆったりとしたガウンに身を包んでいた。豊かに蓄えられた真っ白な髭と、優しげに細められた目尻のシワ。その風貌は、どこにでもいる穏やかな隠居老人のようだった。
だが、アリオスが言葉を発するたび、その長い眉の奥で、濁りのないガラス玉のような瞳が鋭く光る。それは、相手の言葉の真偽を瞬時に選別し、その価値を値踏みする瞳だった。
「……以上が、我々の掲げる理想です。教会を打倒し、女性を解放する。そして、男女が等しく共存する世界を再興したいのです」
アリオスが熱を込めて語り終えると、室内には再び、古い紙の匂いと魔導具が鳴らす微かな振動だけが残った。
シャルルはゆっくりと紅茶を一口飲み、そして白磁のカップを置いた。
その一連の動作には、一点の淀みも、迷いもない。
「よろしいのでは。素晴らしいお考えです」
「え……?」
あまりのあっけなさに、アリオスは思わず声を漏らした。
「そんな、あっさりと……! 良いの!? 既存の価値観を壊すことになるんですよ!?」
驚きを隠せないアリオスに、シャルルは白く長い眉の奥で、楽しげに目を細めた。
「アリオス様。この街カルテスは、常に『損得』で動く場所。……そして、新しい世の理が生まれるということは、それだけで莫大な利が動くということです」
シャルルは立ち上がり、静かな動作で手元のベルを鳴らした。
「他の各ギルドにも回ってみなされ。……おそらく、皆同じように賛同することでしょう。案内を一人つけましょう。これと各所を巡れば、話はスムーズに進むはずです」
「……恩に着る、シャルル殿!」
喜びを露わにするアリオス。一方で、シグルドとヒナタはあまりの物分かりの良さに、拭いきれない違和感を抱いて退室した。
応接室で案内人を待つ間、ヒナタが小さな声で言う。
「あのお爺様のお部屋の魔導具…全てが通信の術のかかったものでした。あれらを同時に聞き分けられるのなら相当な頭脳をお持ちです」
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