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1章 20年目の憂い

狩りが始まる

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「シャリア、大丈夫か?」

父が心配そうに尋ねてくる。

「大丈夫ですわお父様。いろいろと。」

私の語尾に父は不思議そうな顔をした。

「いろいろとはなんだ。」


言うべき、、、でしょうね。


「陛下は私を王太子殿下の婚約者にしようとしているのではないですか。」


私がそう言えば父は目を見開く。
そして陛下を視界の端で捉えると声を押さえた。


「そうだ。今回王家しかシャリアの参加を知らないことも陛下の希望故だ。」

「やはりそうだったのですね。」

「昔から兆候はあったが私がかわしてきていた。だが、今日で陛下はますますシャリアを婚約者にしたいと考えているに違いない。」

今日で、と言っても特段何かをした訳ではないのに。
そう思いながら私の考えを伝える。

「今まで王太子殿下との婚約をうやむやにしてきたのは、フォンゼル公爵としてでしょうか。それとも父としてですか。」

セネルはシャリアの問いに彼女が何を考えているのかが分かった。
自分の返答次第でシャリアが次に何を言うのかも。

「、、勿論どっちもだ。」


私はずるい人間だ、とセネルは心で呟く。

シャリアに判断を委ねるとは公爵としても父としても失格かもしれない。


娘にセシリア王女の面影を重ねる。


――それでも、私が決めてはいけないような気がするのだ。


シャリアはセネルの言葉を聞いて沈黙する。

「左様ですか。以前もお伝えした通り、私はフォンゼル公爵に生まれたのです。家のための婚姻も受け入れております。お父様も陛下に逆らうことはこの期に及んで出来ませんでしょう?」


私が公爵令嬢としての教養を身につけていることを陛下は知っている。
そして私は表舞台に出てしまった。

もう公爵家として婚約を断る理由がなくなったのだ。


「、、、それはつまり。」

「陛下から正式に婚約の打診があった際には、フォンゼル公爵令嬢として謹んでお受け致します。」

フォンゼル公爵に微笑んで後を続ける。

「これからも私を婚約者に望まれるか次第ですが。」

「というと?」

「私は引きこもりでしたので何かしでかすかもしれません。ねえお父様?」


今まで婚約を断ってきていてたのなら、父は公爵家から王妃を輩出することにこだわっていないのではないか。
そんな期待を込めて父を試す。


(許されるなら、、、もうあのような場所には戻りたくない。)

それに―――。

あの王太子へ抱いたしこりに不安を覚えるのだ。


父は押さえ気味に笑うと悪い顔をする。

「随分と挑戦的だな。私は前からシャリアを王妃にするつもりはなかった。なにせ私の娘は引きこもり令嬢だったのでな。」

「ご迷惑をお掛けするかもしれませんよ?」

私の言動が家名や父の職務にも関わってこないとは言い切れない。

「そうかもしれんが約束したのだよ。娘を大事にするとね。」


約束は母とのものでしょう。
本当に父は娘に甘いです。


「一つだけお願いがあります。万が一独立祭までに陛下から婚約の打診があった場合、独立祭が終わるまで猶予はいただきたいのです。」


お願いというよりも我が儘かもしれない。
あそこへ行くまではまだこのままでありたい。


父は遠い目をして私を見た。

「それぐらいのことは出来る。」

そこで言葉を区切ると父は再び口を開いた。

「それを―――――。」


ラッパの音が鳴り響く。

父の言葉はかきけされたので聞き返してみたが「気にするな。」と言った。


セネルはそう返事をしておきながらシャリアへ心で言い直す。

「それをシャリア貴方が望んでいるなら。」と。



「そろそろ狩猟開始だな。セネル行こうか。」

陛下は私達の近くまで来ると父を呼ぶ。

「はい。」

父は私を気にするような素振りをしたものの、陛下の隣に行く。

「シャリア嬢。今日は大いに楽しんでいってくれ。」

「はい。皆様に幸あらんことを。」

狩猟は生命を頂くことから幸に恵まれるようにと言うことが一般的になっている。
陛下はその言葉に満足そうに笑う。


「シャリア嬢に言われると今日はそうなる気がするな。」


陛下に返事代わりの笑みを返す。

「腕が鳴るな。セネルは調子はどうだ?」

「まずまずです。」

そんな会話をしながら父は陛下と馬の元へ歩いていく。

「私の活躍を祈っていて下さいね。」

ノルア殿下は私に微笑むと、ウィルヘム殿下に「私が仕留めますから。」と言い残していった。


険悪な空気にしていかないでください。


この場に留まっているウィルヘム殿下に何か声を掛けるべきなのかと考える。


「ウィルヘム殿下。相棒を連れてきました。」


陽気な男の声で空気感が変わる。
男が連れて来たのは、黒い馬と灰色の犬。

艶やかな毛並みの馬は額に白色の曲星模様を持っている。
灰色の犬はマグナーという犬で別名「灰の死神」。
灰色の毛並みは目立ちにくく、狩りに秀でていることからそう呼ばれている。

この犬は王族や貴族だけが飼育できる希少な犬。
とある国が管理していて手に入れるのは容易ではない。


「ああ。助かる。」


馬と犬は殿下を見つけ、嬉しそうに尻尾を動かす。
殿下が馬の額を撫でると犬はその足元で撫でてとアピールしている。


「相変わらず甘えん坊だな。」

殿下に撫でられ満足そうにしている。


動物にはそのようなお顔をするのですね。


先程までの鋭い目つきも和らぎ、口角も心なしか上がっている。

「何をそんなに見ている。」

元の表情に戻った殿下が冷たく聞いてきた。

「珍しい犬でしたのでつい見惚れてしまいました。」

殿下のことを見ていたなど口が裂けても言えない。

「知っているのか。」

「はい。その瞳が好きなのです。」

特徴的なブルーグレーの瞳は吸い込まれる綺麗さ。
一度セシリアの頃に見たことがあった。

「瞳か。私も目を奪われた。」

殿下が私を真っ直ぐに見てくる。


「わん。」


その声で視線を動かす。
私の足元でいつの間にかお座りをしているマグナー犬。
立てた耳は私の方へ向けており、尻尾はゆっくりと左右に振っている。

「はじめまして賢い方。私はシャリアと申します。」

静かに腰を屈めて笑顔で自己紹介をする。

「わん!」

「まあ、ありがとうございます。」

「名前はグラオだ。」

名前を教えてくれたことが意外に思える。

「グラオ様でしたか。撫でても構いませんか。」

「別に構わんが。」

殿下が直ぐに答えたので少し可笑しくなる。

「何が可笑しい。」


今、私笑ったのでしょうか。
そんなつもりはなかったのですけれど。

「いえ、何でもございません。」

そっとグラオに手を向けると匂いを嗅いだ。

拒絶はされていなさそう。

一度優しく頭に触れる。
ヴェルヴェットのような触り心地が気持ちいい。

手を離すと頭を摺り寄せて来た。

「ふふ。まだ撫でてもよろしいのですか。」

愛らしい仕草になされるがまま頭を撫でる。

「気に入られたようだな。」

手綱を持ち、馬の隣に立っている殿下を見て冷静に戻る。


何を親睦を深めているのだろう。
別にウィルヘム殿下とどうこうなりたいという願望はない。
この方と婚約することもある、それだけなのだから。

「そうであれば光栄です。殿下もご準備があるでしょうから私は失礼いたします。」

「リゲルにも挨拶していってくれ。」


リゲル?
状況的に殿下の愛馬の名前でしょうか。
ここで断るのは変な気がしますし、挨拶だけというなら。


殿下の隣にいるリゲルの元へ近づく。

「はじめましてリゲル様。私はシャリアと申します。とても素敵な曲星ですね。」

勇猛な姿に反して大人しいリゲルに微笑みかける。

「撫でると喜ぶ。」

殿下がそう言うので額を撫でる。
頭を下げて私に挨拶したように思えた。

「殿下の相棒方は聡明であられるのですね。」

「ああ。」

短い返事だったがそれでいい。

「ではお気を付けて。」

そう言って殿下に背中を向けて歩き出す。


「シャリア嬢。」


呼び止められたことに少し驚きつつも振り返る。


「、、、いや、呼び止めてすまない。」


冷たさはなく、かと言って笑ってもいない。
既視感のある表情に返事をするのを忘れる。


リゲルに跨ると手綱を引いて私とは反対の方へ行く。
横をグラオが歩いて行っている。



立ちすくんだまま離れゆく黒の背広を眺めていた。





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