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1章 20年目の憂い

窓のあなたに

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「何を見てる。」


はね雲を映していた菫色の瞳が声の持ち主に振り返る。

「申し訳ございません国王陛下。」

会議はいつの間にか終わり、部屋にはカルティエ騎士団長とランゼル国王のみとなっていた。

頭を下げるカルティエに「気にするな。」と言葉をかけたランゼルは、彼の肩に手を置くと横を通り過ぎる。

「君らしくないと言うべきか。君らしいと言うべきか。」

窓の前に立ったランゼルは困ったように笑う。

「あれから色々あった……。セシリアは今の私達を見てどう思うのだろうな。」

十何年ぶりにランゼルはカルティエに妹について話を振った。


国王となったランゼル。
騎士団長となり伯爵位を得たカルティエ。

当時と変わった二人の間をセシリアの名が重く包む。

その名はもう歴史の一文に過ぎない。


「私には王女殿下について申し上げることはございません。」

「、、、そうか。」


ランゼルはカルティエの赤き腕章を見ながら間を置いて返事をする。
ランゼルの目には彼が当時と変わらずそこに立っているように思えた。

窓に視線を移したランゼルは短く声を上げた。

「はね雲か。イリージアに幸運をもたらしたと言われているが、、、。」

窓の外を見上げたまま「皮肉なものだ。」とランゼルは呟く。

「少し一人になりたい。」

「承知しました。」

国王の願いを受け、カルティエはその背中に一礼すると扉へと踵を返す。

ドアノブに伸ばす黒手袋をはめた手が止まる。

菫色の瞳が瞼に隠れると、ほんの一呼吸置いて再び現れた瞳とともに扉は開かれる。

左右に伸びる廊下の窓が彼の目に飛び込んだ。
扉に背を預けるように立ったカルティエは窓を眺める。


深い青を眩しがるように細められた菫色の瞳。


「……王女殿下。」


ぽつりと漏らした言葉に右手を口元の前までもってきたが、それも手前で止まる。

その手を見つめる瞳が青に染まると黒手袋がきつく握りしめられた。




――――――――――――




「シャリア。」


呼び掛けられた声で窓の雨粒をなぞった指先には何もないことに気付く。

「気分でも優れないか?」

「あ、いえ。少しぼーっとしていたようです。」

「疲れたか?」

「そうではありませんが、、、。自分の至らなさを実感しておりました。」

父は優しい目を向けるとそれ以上何も言うことはなかった。


耳にまだ残る雨音、鼻腔にまとわりつく雨の匂い。
手や足を見下ろしても汚れてなどいない。

ふっと目を閉じて濡れた黒に想いを馳せる。


(貴方の羽になれるのは―――。)


そこで想いとどめて目を開け視線を動かす。

窓の彼方あなたには青空にほんのりと滲み始めた赤い夕焼けが見える。



―――もうすぐ秋も深まりますね。



見えない不安の近づく足音が聞こえる。





――――――――――――




「先の内戦で戦地と化し、被害を被ったベルンの皆様。皆様の心の痛みは想像もはかりしれません。ですが、ひたむきに復興を遂げた皆様の努力と強さを称えることは出来ます。」


シャリアと時を同じくしてイリージア王国東の街ベルン。

隣国テスティアとの国境を兼ねるこの街である演説が行われていた。


広場の中央で聴衆に言葉をかけるのは白いドレスに身を包んだある女性。

腰まで伸びた白髪は彼女に花を添えるように輝き、深い青き瞳は聴衆の目を捉え離さない。

「今のイリージア王国があるのはひとえに皆様の強さ故です。どうかこれからも皆様の幸がイリージアとともにありますように。」

美しい笑みに優雅な礼を見せた少女。


「、、、セシリア王女。」


誰かがぽつりとその名を溢した。

「セシリア王女。」

「セシリア王女!」

次第にその名を呼ぶ声は幾重にも重なり、彼女へ賛美が贈られる。

彼女は何も言わずその名に微笑みを深めた。


「こちらへ。」


白き装束を身に付けた者達が彼女を人混みの中から馬車へと誘導する。

「今度の独立祭で是非追悼の言葉をお願いしたいとの手紙を国王陛下より頂戴しました。」

「まあ、ランゼルお兄様が?」

喜びを隠すことなく両手を前で合わせ微笑んだ彼女に同乗者は顔を緩めた。

「はい。皆様も大変喜んでいるとのことです。」

「そうですの?するのが待ち遠しいです。」


深い青が小窓を眺めると見覚えのある顔が映る。



「………カルティエにも。」



小さい呟きは揺れる馬車の音に掻き消された。





シャリアの耳にセシリア王女の生まれ変わりがいると伝わったのは、狩猟会から5日後のことであった。




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