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明治維新編4 運命のひと
運命のひと(3)
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聞多は気晴らしにと浅草の方に向かった。芝居を見ればなにか変わるかもしれないと思った。しかし、どの小屋にも足が向かなかった。もう帰ろうと思い船乗り場についた時、声をかけられた。
「井上様」
「えっ、武さんじゃ」
「お帰りですか。偶然ですね」
笑いかけられて、聞多は思わず目をそらした。昨夜うなされた姿を見られているのも、少しやりきれなかった。
「あぁそうじゃ。なんとなく回り道をしてこちらに来てしもうた」
「浅草でなにか面白いものでもと思いましたが、なさそうだったので」
「わしもそうじゃ。なにかうまいものでも一緒に食わんか」
聞多の申し出に武子はキョトンとして、聞多の顔を見つめていた。朝のキリッとした凛々しい姿とのギャップが聞多にはおかしかった。おもわず笑みがこぼれると、今度は武子が睨んでいた。そして、武子はニコっと笑っていた。
「よろしいのですか。ぜひ、ご一緒させてください」
賑やかな街の方に少し歩いていくと、少し珍しいものという感じで、どじょう料理の店に入った。
「武さんは薙刀をやられるのか」
「朝のあれですね。まぁ一応です。なんなら一度お手合わせでも」
「いや、わしは遠慮させてもらおう」
聞多がそう言うと、武子は笑った。その笑顔につられて、聞多も笑った。
「どうせ、伊藤あたりからわしの剣の腕前は、大したことないと聞かされておるんじゃないか」
「そのようなことは。井上様と伊藤様は尊皇の志士としてご活躍されたと、書生の方にとっても憧れでございますよ」
「わしを持ち上げてもなぁ」
「美味しいお食事いただいてます。それにお話も楽しゅうございます」
どじょうの柳川鍋を食べながら、聞多は武子の質問に答える形でイギリスでの生活などを話していた。
「そうか、それはよかった」
「異国のお話など、もっと詳しくお聞きしたいくらいです」
「そねなことならいつでもお受けする」
「あまり遅くならないうちに帰りましょうか」
もう日が暮れて、暗くなり始めていた。時間が経つのは早いものだと、聞多は実感していた。こんなに楽しく誰かと話をしたのなどどれくらい振りだろう。
「そうするか」
店を出て、船に乗り築地へと向かった。船着き場から屋敷までの間、少し下がって歩こうとする武子を隣に並ばせて、話をしながら歩いた。
大隈屋敷の門の前で二人は一旦止まると、先に武子が入っていった。
「今日は本当にありがとうございました」
その笑顔は聞多の心を明るくしていた。駆け引きでなく素直に武子に惹かれていることを意識していた。ただそれをどう伝えたらよいか測りかねている自分がいた。
聞多が屋敷に入ろうとすると、待っていた博文が声をかけた。
「聞多、まっちょったよ」
「あぁ俊輔か、すまんの」
「あぁ俊輔か、じゃない。ここではなんだから、君の長屋で話をしたい」
「随分怖い顔じゃ。わしは俊輔を怒らせるようなことをしたかの」
博文に連れて行かれた聞多を武子は眺めていた。
「木戸さんから聞かされたよ。聞多は造幣寮が一段落したら、兵庫知事に転任したいと言ったのはどういうことじゃ」
「そのことなら、岩倉さんにも話をつけちょるよ」
何を勝手なことをと、博文は大声で言いたくなった。いや、勝手に決めて行動するのがこの男だと、冷静に話をすることを心がけようとした。
「逃げるのか。民部省の分離や廃藩が進みそうもないからか」
「そねぇなんじゃない。己の目の届く範囲での仕事がしたいだけじゃ」
「中央での仕事には興味が無いということか。山口での騒動が気になっているのか」
「山口でのことはわしの失敗じゃ。でもそれとは別のことじゃ」
「だったら、僕がアメリカに行ったら、その代わりに東京に来て欲しい」
「わしには荷が重いの」
「何を言っとる。聞多しか居らんだろう」
ふざけるな、今度こそ一緒に仕事をするんだと心の中に留めながら、博文は言っていた。
「それにわしは廃藩はまだまだだと思うちょる。廃藩には論の一致が必要なんじゃ。おぬしらの役には立たんじゃろ」
「役に立つかは僕や大隈さんが決める」
「アメリカで何をするんじゃ」
聞多のこの言葉で、気持ちが変わってきた事に気がついた博文はここで畳み掛けようと思った。きっとわかってくれている。
「エコノミーの現地を見たい。バンクとかストックだとか言葉だけじゃようわからん」
「それはええな。アメリカはまだ新しい国じゃ、新しい発見もあろうな」
「だからだ。僕の考えをわかる人が、おらねば何もならんのじゃ。大隈さんの参議就任の件もある。大蔵の席を大久保さんの一派に取られてもええんか」
「それは」
「決まりだ。東京の大蔵本省に出てくるんだ」
「負けた。俊輔の言う通りやるしかないの」
「武子さんともうまくやれるさ」
「なんでそねーなことになる」
「僕には聞多のことは、よく分かるということじゃ」
博文は意味ありげに微笑んでいた。聞多にはその笑みが意地悪げに見えた。
「大隈さんとも話をせねば。聞多も一緒じゃ」
聞多の手を引っ張り、博文は母屋に連れてきた。
「大隈さん、聞多を引っ張ってきた。話を詰めよう」
「やっと来たか。おぬしがこんば話にならん」
「わしはおぬしらの駒になるか。好きに動かしてくれ」
聞多はつまらなそうに言った。
「井上のその覚悟、吾輩も見習うべきか、伊藤」
「大隈さん、万難を排してきっとできますよ」
「井上の気持ちが決まったのなら進めていこう」
「これで終わりでええか。さすがに疲れた。眠い」
聞多はふらぁっと立ち、母屋を出て自分の長屋に向かった。
体が熱い、特に傷痕が熱を持っているようだった。だが寝込む訳にはいかない。とりあえず寝て明日に備えることにした。部屋に入ると、そうだ木戸さんから預かった条約集を確認しなくては、と布団に包まりランプを付けて読み出した。しかし英語はもちろん日本語も頭の中に入ってこなかった。そのまま気を失うように寝たらしく、朝を迎えた。
「井上様」
「えっ、武さんじゃ」
「お帰りですか。偶然ですね」
笑いかけられて、聞多は思わず目をそらした。昨夜うなされた姿を見られているのも、少しやりきれなかった。
「あぁそうじゃ。なんとなく回り道をしてこちらに来てしもうた」
「浅草でなにか面白いものでもと思いましたが、なさそうだったので」
「わしもそうじゃ。なにかうまいものでも一緒に食わんか」
聞多の申し出に武子はキョトンとして、聞多の顔を見つめていた。朝のキリッとした凛々しい姿とのギャップが聞多にはおかしかった。おもわず笑みがこぼれると、今度は武子が睨んでいた。そして、武子はニコっと笑っていた。
「よろしいのですか。ぜひ、ご一緒させてください」
賑やかな街の方に少し歩いていくと、少し珍しいものという感じで、どじょう料理の店に入った。
「武さんは薙刀をやられるのか」
「朝のあれですね。まぁ一応です。なんなら一度お手合わせでも」
「いや、わしは遠慮させてもらおう」
聞多がそう言うと、武子は笑った。その笑顔につられて、聞多も笑った。
「どうせ、伊藤あたりからわしの剣の腕前は、大したことないと聞かされておるんじゃないか」
「そのようなことは。井上様と伊藤様は尊皇の志士としてご活躍されたと、書生の方にとっても憧れでございますよ」
「わしを持ち上げてもなぁ」
「美味しいお食事いただいてます。それにお話も楽しゅうございます」
どじょうの柳川鍋を食べながら、聞多は武子の質問に答える形でイギリスでの生活などを話していた。
「そうか、それはよかった」
「異国のお話など、もっと詳しくお聞きしたいくらいです」
「そねなことならいつでもお受けする」
「あまり遅くならないうちに帰りましょうか」
もう日が暮れて、暗くなり始めていた。時間が経つのは早いものだと、聞多は実感していた。こんなに楽しく誰かと話をしたのなどどれくらい振りだろう。
「そうするか」
店を出て、船に乗り築地へと向かった。船着き場から屋敷までの間、少し下がって歩こうとする武子を隣に並ばせて、話をしながら歩いた。
大隈屋敷の門の前で二人は一旦止まると、先に武子が入っていった。
「今日は本当にありがとうございました」
その笑顔は聞多の心を明るくしていた。駆け引きでなく素直に武子に惹かれていることを意識していた。ただそれをどう伝えたらよいか測りかねている自分がいた。
聞多が屋敷に入ろうとすると、待っていた博文が声をかけた。
「聞多、まっちょったよ」
「あぁ俊輔か、すまんの」
「あぁ俊輔か、じゃない。ここではなんだから、君の長屋で話をしたい」
「随分怖い顔じゃ。わしは俊輔を怒らせるようなことをしたかの」
博文に連れて行かれた聞多を武子は眺めていた。
「木戸さんから聞かされたよ。聞多は造幣寮が一段落したら、兵庫知事に転任したいと言ったのはどういうことじゃ」
「そのことなら、岩倉さんにも話をつけちょるよ」
何を勝手なことをと、博文は大声で言いたくなった。いや、勝手に決めて行動するのがこの男だと、冷静に話をすることを心がけようとした。
「逃げるのか。民部省の分離や廃藩が進みそうもないからか」
「そねぇなんじゃない。己の目の届く範囲での仕事がしたいだけじゃ」
「中央での仕事には興味が無いということか。山口での騒動が気になっているのか」
「山口でのことはわしの失敗じゃ。でもそれとは別のことじゃ」
「だったら、僕がアメリカに行ったら、その代わりに東京に来て欲しい」
「わしには荷が重いの」
「何を言っとる。聞多しか居らんだろう」
ふざけるな、今度こそ一緒に仕事をするんだと心の中に留めながら、博文は言っていた。
「それにわしは廃藩はまだまだだと思うちょる。廃藩には論の一致が必要なんじゃ。おぬしらの役には立たんじゃろ」
「役に立つかは僕や大隈さんが決める」
「アメリカで何をするんじゃ」
聞多のこの言葉で、気持ちが変わってきた事に気がついた博文はここで畳み掛けようと思った。きっとわかってくれている。
「エコノミーの現地を見たい。バンクとかストックだとか言葉だけじゃようわからん」
「それはええな。アメリカはまだ新しい国じゃ、新しい発見もあろうな」
「だからだ。僕の考えをわかる人が、おらねば何もならんのじゃ。大隈さんの参議就任の件もある。大蔵の席を大久保さんの一派に取られてもええんか」
「それは」
「決まりだ。東京の大蔵本省に出てくるんだ」
「負けた。俊輔の言う通りやるしかないの」
「武子さんともうまくやれるさ」
「なんでそねーなことになる」
「僕には聞多のことは、よく分かるということじゃ」
博文は意味ありげに微笑んでいた。聞多にはその笑みが意地悪げに見えた。
「大隈さんとも話をせねば。聞多も一緒じゃ」
聞多の手を引っ張り、博文は母屋に連れてきた。
「大隈さん、聞多を引っ張ってきた。話を詰めよう」
「やっと来たか。おぬしがこんば話にならん」
「わしはおぬしらの駒になるか。好きに動かしてくれ」
聞多はつまらなそうに言った。
「井上のその覚悟、吾輩も見習うべきか、伊藤」
「大隈さん、万難を排してきっとできますよ」
「井上の気持ちが決まったのなら進めていこう」
「これで終わりでええか。さすがに疲れた。眠い」
聞多はふらぁっと立ち、母屋を出て自分の長屋に向かった。
体が熱い、特に傷痕が熱を持っているようだった。だが寝込む訳にはいかない。とりあえず寝て明日に備えることにした。部屋に入ると、そうだ木戸さんから預かった条約集を確認しなくては、と布団に包まりランプを付けて読み出した。しかし英語はもちろん日本語も頭の中に入ってこなかった。そのまま気を失うように寝たらしく、朝を迎えた。
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