悪女の条件

瑞野明青

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第1章 ひび割れた心

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 ホフマン公爵邸でのお茶会に母親と呼ばれたテレサは、まずホフマン公爵夫人に挨拶をした。
「テレジア・マルガレーテ・アインホルンでございます。この度はご招待ありがとうございます」
 テレサは足を引いて少し膝を折り、ドレスを広げるきれいな挨拶をしてみせた。公爵夫人はにこやかに挨拶を受けると、母親のアインホルン伯爵夫人にも話しかけた。
「立派な淑女とおなりになって。カタリーナにも少しは見習ってほしいところですわ」
「いえいえ、カタリーナ嬢にはとても。もともとテレサは気が強いので、作法だけでもと思っているとこですの」
 ため息をついて見つめられても、テレサはそんなに普段の自分は行儀が悪かったのかとは思えなかった。この場から逃げ出したくなったテレサは、少し離れたところにあるテーブルの方へ行こうと思った。数歩ゆっくりと離れると、母親同士のおしゃべりに夢中になっている隙をついて、一人離れていった。

 通り過ぎようとするテーブルでの会話に、自分の名前を聞いてテレサは足を止めていた。
「確かシュルツ侯爵のご次男のハインリッヒ様はアインホルン伯爵令嬢とご婚約されていらしたのよね」
「ええ、もう3年ぐらい前ですわね。早いですね。もうご令息は19歳、ご令嬢は14歳ですね」
「やはり、5歳の差は大きいようですわ。見てしまったの、街の宝飾店で指輪を見ているのを」
「ご令息が婚約者へお贈りになるためではなくて」
「ええ、少し地味めなご令嬢とご一緒でしたよ。そのご令嬢に指輪をはめさせて選んでらっしゃったの」
「まぁ、そのようなことが……」
 声の聞こえるギリギリのところで聞き耳を立てていたが、心が苦しくなって立ち去ることにした。その後ろをついてくる人影には気が付かなかった。

「ねぇ、テレジア様。そちらでご一緒してもよろしいですか」
「ええ、誰もいらっしゃらないようですから。よろしいですよね、カタリーナ様」
 席につくとすぐに侍女が寄ってきて、二人にお茶を淹れてくれた。温かく香り高い紅茶が、心をほどいてくれた。甘いビスコッティで気分もほぐれると不思議と笑顔が作れた。
「もう、お嬢様ぶるの止めない?」
 カタリーナ嬢がそう言い出したところで、テレサも笑って猫をかぶるのを辞めることにした。
「確かに」
「ハンス様とはお会いになれてるの」
「それが、先週は土壇場でキャンセルに。先程の話は先週のことかもしれない」
「そういえば、よくハンス様からのプレゼントが実用的ってお話聞いたような」
「あの宝飾店目撃話。ここ最近は花束と万年筆やガラスペン、小刀の守り刀だったかしら」
「宝飾品って本当にいただいていないの」
「婚約記念のお品ぐらいかしら」
 カタリーナとテレサは2人で大きなため息をついた。しばらく考えなから、お茶を飲んだ後でカタリーナがなにかひらめいたようだった。
「ねぇ、テレサ。逃げられないようにして、ハンス様に聞いてみるのはいかがかしら」
「どうやって、お会いできるように?」
「王太子様にお願いしてみる。王太子様に連れ出していただいて、4人で合うように取り計らって。それから」
「私とハンス様で。ということなのね」
「そう、それでしたらお話できるのでは」
「でも、お気持ちの変化がハッキリしたわけではないので」
 テレサはハンスの浮気がただの勘違いではとの気持ちも強く、決定的なことが欲しかった。カタリーナは慎重に考えていそうなテレサの邪魔をしたくなかったが、もう1つ提案をしてみようと思った。
「でしたら、家の従僕をお使いになったらいかが」
「それって、見張りを」
「アインホルン家だと気づかれそうだから。ホフマン家で。お父様のお付きにも協力いただけば、宮廷の中だっていけるわ」

 一月も経つと、いろいろと証言が上がってきた。ハインリッヒのお相手と目されるご令嬢は、辺境伯令嬢のエカテリーナ・ヒッテンベルグ嬢で遠縁の親戚だった。年齢も1歳年下で幼馴染なのだろうと思えた。評判は才色兼備で剣術も嗜む凛々しい女性で、社交界にも顔を出して人気があるらしかった。
「こんな令嬢が身近にいたとは」
 テレサはまだ子供の自分では太刀打ちできないと感じた。落ち込んでいると、カタリーナが突拍子もない事を言いだした。
「そうよ、テレサ。貴女、私の補佐官になるのよ。お勉強ができるのだから生かさないと」
「でも、普通は侍女じゃないの」
「侍女なんてお作法重視でしょ。私が后教育を受けるのだから、貴女も勉強するのよ。政務学院に進んで政務に就く殿方と同じにするの」
 そうだ政務学院に進む最初の女性にテレサがなればいいと、カタリーナは話しながら気がついた。
「無理ではないわ。政務学院は学園の成績優秀者としか条件がないもの。王太子殿下にも協力していただくし」
「確かに婚約破棄になると私の結婚は難しくなるのでしょうね。そうするとケティの側付きは魅力的だわ」
「そうよ、お互いに頑張りましょう」
「頑張るわ」
 宰相伯爵令嬢と王太子の婚約者公爵令嬢の不思議なバディが出来上がった瞬間だった。貴族令息ならば普通にある光景だっただろう。
「そうと決まったら、お茶会のセッテングね」
「殿下のお力をこんな形でお借りするのは心苦しいのだけれど」
「大丈夫。殿下のご友人のことでもあるのよ」
「よろしくお願いします」
 
 テレサは自分が婚約破棄になるとは今まで思ったこともなかった。今まで立っていた貴族令嬢というものが、父や家柄と言ったものに守られていたことに気がついた。花壇の花は世話をしてくれる人が必要だった。
 もし、婚約破棄で父や家が守ってくれないとなれば、自分で生きていくことを考える必要があった。少なくとも王太子妃付きになれるのは、安心できる1つのことになりそうだった。
 そして政務学院に進学することは、王宮勤めの予備官として寮と学費だけでなく、俸給も多くはないが保証されていた。勉強ならば兄のカールのために揃えたものが図書室にあり、自由に使えるので助けになるはずだ。
 さっきまでしおれて見えたテレサの青い瞳が光を取り戻したのを見て、カタリーナはにこやかに微笑んでいた。
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