悪女の条件

瑞野明青

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第9章 グラシアの少女

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 検問所を過ぎてしばらくすると、上り坂になっていた。一度坂を上ったところで、平らになるとそこに店がありロビンは馬車を停めてテレサとスーラに降りるように言った。
「ここから先は馬車の負担を軽くすため、馬に乗っていただきます。お二人とも大丈夫ですね」
「はい、山越えも大丈夫でございます」
 乗馬服を着ていたスーラも胸を張って言った。テレサはロビンをまっすぐに見つめて、力強く頷いた。
「それでは出発です。マルクさん、行きますよ」
 ロビンは馬車の御者のマルクにも声をかけて、先導していた。
 しばらくすると道は細くなり、急な坂とカーブが続いた。日も高くなった頃ようやく平らなところが広がった。
「ここで休憩です。そこの小屋で食事と用を足してください」
 スーラの手伝いをテレサはすることにした。とりあえず四人の携帯ボトルを受け取り、飲み水を詰めた。そして昨日買った温石を暖炉の火にかけて、温めることにした。その間にスーラは暖炉の火を使って、スープを作り、パンと干し肉をあぶって温めた。
「これは、うまそうだ。流石です」
 ロビンはスーラの手際の良さを褒めていた。
「当然です。これでも一応軍にいたのですから」
「えっ、スーラが軍にいたなんて、初めて聞いた」
「テリィの父上が危険なことにあったのを覚えてる?」
「すごく小さいときだから、あまり……」
「それで、俺とスーラがテリィの周りを守るようつけられたんだ。俺はまだ学園の騎士課程の中等科だったけど。スーラは軍の教育中だった」
「私はもともと貧乏な男爵家の出ですから。それでもしっかりと教育やマナーを詰め込まれましたので、こちらでお勤めを」
「そうだったのね。なかなか聞く機会もないもの。それにしても二人とも優秀なのね」
「俺はそれほどでもないですよ。親戚の中でよい年回りの騎士希望がいなかっただけで」
「でも、二人ともすごいのねぇ。いろいろと教えて欲しいわ」
「はい。思う存分しごかせていただきます」
 スーラが丁寧なお辞儀と一見怖い無表情なままテレサを見ながら言った。テレサが「お願いします」と殊勝な風情で答えたので、皆で噴出して笑っていた。
「俺の方も、しごきますよ。この旅で俺が合格点と認めたらきちんとした剣をお贈りしましょう」
「師匠、よろしくお願いします」
 テレサは思いっきり目を見開いて笑っていた。

 食事を終えると、温石を腹のベルトで押さえるように挟んで身に着けた。しばらくすると体が何となく温かく感じてきた。これならこの先も頑張れる。テレサは馬に乗り手綱を握り馬を歩かせた。下りは馬の脚を傷めないよう道にも気を付けて、どうにかまだ日のあるうちに山を越えることができた。麓の交換所に着くと三人は馬を返却して馬車に乗り込んだ。
「テリィ様、初めての山道しっかり馬をコントロールできました。この先もしっかりお願いしますよ」
「はいっ」
 テレサは乗馬を褒められうれしくて、心から笑っていた。スーラの背中についていくのが精いっぱいだった山道を、肩を並べられるくらいになりたいと思っていた。
 グラシアの関所で入国審査では、叔母からの招待状が効いたのか特別なことも無く簡単に入れた。異国だからか建物もローゼンバーグとは違い、赤い瓦の目立つ家が多くみられた。一番の変化は荒涼とした荒れ地が続くことだった。
「スーラ、次の町までは遠いのかしら」
「いえ、そろそろグラシア側の国境の町に入るはずなのですが」
「そうなの。それにしては人家が少ないようだけれど」
 テレサはぼったくられたコックス侯爵領がかなりましだったと外を見ながら考えていた。この国は思ったよりも貧しいのかもしれない。そんな事を考えながら風景を楽しんでいると急に馬車が止まり、大きく揺れた。突然のことにどうにかこらえると、窓から乗り出してロビンに声をかけた。
「何があったの」
「それで。子どもが飛び出してきまして」
「大丈夫だったの」
「馬車は大丈夫ですが……」
 ロビンと会話では何が起きたのかよくわからないと、テレサは馬車から降りてうずくまっている子どものところに近寄った。御者が応急処置用の薬箱を手に子どもへ話しかけているところだった。ただ、どう見ても言葉が通じているようには見えなかった。
「大丈夫かな」
 テレサは勉強の一歩だとグラシア語で話しかけてみた。
「はい」
 とても小さな声で答えていて、とりあえず通じていそうで少し安心した。それでもテレサは心配で、子どもの目線に合わせるようにしゃがんで言った。
「立ってみてくれるかな」
「……」
 そのまま立ち上がると、馬が踏み潰しているりんごをボーッと見ていた。
「あのりんごはあなたの?」
 テレサが聞くと、子どもは頷いた。子どもの膝がころんだときに擦りむけたようで、敗れたズボンから血が滲んでいた。それに気がついた御者が「ちょっとしみるけど、すまんな」と言って水筒の水を傷口にかけて、洗い流すと薬を塗りガーゼを当てて、包帯で軽く縛った。子どもはなきもせずに、そのままずっとされるがままだった。
「これで大丈夫です」
 御者はテレサにそう言って、馬の様子を確認に行った。
「ねぇ、君。お家はどこかな」
 テレサが尋ねると首を横に振っていた。
「お家がわからないのかな」
「ママ、パパ、いない。お家ずっと遠い」
 テレサは子どものその言葉を聞いて、呆然としていた。そこに馬車の点検を終えたロビンとテレサの様子を見て心配になったスーラが寄ってきた。二人に説明をすると、ロビンが地図を見て言った。
「この道の先にある教会へ子どもを連れていきましょう。そこでなら事情がわかるはずです。本当にすぐですから」
「わかったわ。そうしましょう」
「ねぇきみ。教えてほしいことがあるから、一緒に来てくれるかな」
 テレサが子どもにそう言うと、わかったと言うように大きく頷いていた。スーラに手を取らせて馬車に乗せると、教会に急いだ。

 教会に着くと、先に行こうとするテレサを抑えてロビンが扉を叩いた。出てきた教会の小間使いと話をしている様子を見て、テレサは驚いて不貞腐れていた。案内を受けながらつい文句を言ってしまった。
「ロビンもグラシア語がわかっているなら、先程のこと手伝ってくれればよかったのに」
「それではテリィの勉強になりませんから」
 こっそりとつぶやかれて、テレサはそれ以上言えなかった。騎士見習いらしくロビンの後ろについて行って、教会長への面会を願い出た。小間使いに案内された応接室は実に質素で、あまり大きくない聖母子像の絵が壁にかけられただけで装飾品はなかった。ローゼンバーグの教会ならありそうな銀の燭台すらなかった。代わりなのだろうろうそく立てと小さなランプが暖炉の上に置かれていた。
 すぐに教会長が入ってきたので、テレサとロビン、スーラが立ち上がり迎えた。
「そのようなことはいいですよ」と、笑いながら入ってきた人物はまだ若く見えた。
「私は教会長のリカルド・ティッシ・ゴメスと言います。どのようなご要件でしょうか。あぁ、どうぞお座りください」
 ひょろっとした背の高い濃いブラウンの髪の毛の男は、茫洋とした雰囲気でテレサたちに座るよう促した。
「ありがとうございます」
 軽くお辞儀をしてから三人は気を合わせて座った。そしてロビンから話を進めた。
「この子をご存知でしょうか」
「あぁ、この教区の家の子です。カミーラ・クルス・サンチェスですね」
「それは良かったです。家へ送り届けたいのですが、どこですか」
「それが、その子の親は行方不明になってまして。一人なのです」
「それでは、孤児院ですか」
「……。ここでは孤児院は機能していないのです。一人で家にいます。食事をここで渡しているのですが……」
 そこでこのカミーラが、りんごを追いかけていたことをテレサは思い出した。あれが配給された食べ物だったら、きっと少し危なくても追いかけるだろう。だからあんなにがっかりしていたのだ。
「まさか、今日の分がりんご一個ですか」
 テレサの言葉は怒りがこもって強くなっていた。
「それが精一杯なのです。ご領主様からの援助もなく、領民も貧しく教会の運営費からは満足なものを出すことが出来ないのです」
 呆れが頭の中を支配していたテレサは、頭の中に浮かんだことをそのまま言い出していた。
を私達で保護をします。この国の人間ではないですがいいですね」
「……。」
 しばらく考えていた教会長は、大きくため息を付くと天井を見上げた。そして、目線をテレサに合わせるとゆっくりと口を開いた。
「致し方ないことです。にはそのほうが生きることはできるでしょう。少しお待ち下さい。身分証明書と出国許可証をお渡しします」
 教会長はゆっくりと応接室を出ていった。部屋を出たのを見て、ロビンがテレサをたしなめるように話しかけた。
「テリィ様、このように子どもを引き取るなんて、本来は……」
「わかってる。でも、目の前の子ども一人助けられないなんて、お金持ってても意味ないじゃない。こうして拾ってもって言っても、この子には私に出会う運があるの。そういう運命を信じてもいいでしょ」
「当然そうおっしゃると思いました。いいでしょう。それは大丈夫です。ですが、テリィ様は思い違いをされています。それはおわかりですか」
「えっ。なに?」
「お嬢様は、まだお勉強が足りませんね」
 スーラまでがテレサに笑いながら迫ってきた。
「カミーラは男の子ですよ。この国では男性の名前です。教会長もとおっしゃっていたではありませんか」
「え~っ。男の子だったの。すっかり彼女って。訂正してくれればよかったのに。それにスーラもグラシア語がわかるの」
「はい。お屋敷で侍女や侍従・フットマン・メイドであっても、お客様とお話する必要のある者は帝国語とグラシア語の基本会話は身につけております。そのため学習もきちんとしております」
「あぁ、思い出した。グラシア語の先生がわたしの成績がBだったってがっかりしていたのは、皆を教えていたからね。そんな。ちょっと迂闊だっただけなのに、あんなにがっかりさせてしまったなんて」
「はい。洗濯係までご教授を受けてますから。肝心のお嬢様の成績にものすごく落ち込んでらっしゃいました。カール様がお慰めするの大変でしたよ。本当に自信をなくしていらっしゃいましたから」
「もう大丈夫。彼と彼女を間違えるのはもうないから」
 テレサはロビンとスーラに笑いかけていた。三人で笑うと、カミーラは少し驚いていたが、一緒に笑っていた。
「カミーラ、君に似合う服を買いに行きましょう。これから一緒に旅をするの」
 テレサはカミーラに笑いながら話しかけていた。カミーラもどこか安心しているように見えた。
 教会長が戻ってきて、書類を2枚テーブルに置いた。
「こちらが身分証明書と出国許可証です。一応領民に対する事務も請け負っていますから、本物です。ご安心ください」
 ロビンに説明をしたところで、教会長はカミーラに向き合った。
「カミーラ。ロミナとホセは夜逃げをしていなくなったんだ。これからはこちらの方々と暮らすんだ。いいね。会ったばかりだけれど、こうしてきちんと手順を取ってくださっているんだからきっと大丈夫だ。このこ゚縁を大事になさい」
「はい、わかりました」
 教会長の話を聞いてテレサは身分を明かすべきだと思った。しかし声をかけようとすると、遮られた。
「この国の方ではないとおっしゃられましたね。それ以上はお聞きしないほうがいいかと思います。お見かけしたところ、身分のあるきちんとした御家の方と思いました。カミーラを悪いようにはしないと信じます。ここで暮らすより、悪いところはそうないですから」
「ありがとうございます。きちんと教育も受けさせますから。ご安心ください」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「それでは、先を急ぎますので。これで失礼いたします」
 テレサとロビンが教会長にお辞儀をすると、スーラがカミーラを促して一緒に挨拶をした。
「教会長様、さようなら」
 カミーラがお辞儀をしながらはっきりと別れを言うと、教会長は寂しそうな顔をしてうなずくだけだった。
 4人に増えたテレサの旅の一行は、グラシアの王都を目指して先を急いだ。
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