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第四章
(五)
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その夜のうちに、氏勝は駿府に向けて馬を走らせていた。傍らには、同じく馬を駆る伝右衛門がいる。突然駿府まで同道することとなって、その顔はいまだ戸惑っているように見えた。
「山下どの、まことに……大御所さまにお会いできるのでござるか?」
「わかりませぬ」と、氏勝は正直に答える。「されど試してみる価値はございます。何事も、まずは動くことです」
おそらく氏勝たちにさほど遅れることもなく、清正と幸長も名古屋を発ったことであろう。ふたりとも此度の事故についてはやはり前田家に同情的で、赦免の口添えをしてくれることも快諾してくれた。ふたりの言葉は、この普請に関わる多くの者の言葉でもある。家康とて無碍にはできまい。
「それよりも、慥かに作業はすぐ再開できるのでございましょうな?」
「それは大丈夫でござる。すでに代わりの人足たちもこちらに向かっているとのこと。あとひと月ほどいただければ、必ず終わらせてみせまする」
ならば、遅れはせいぜい半月ほどで済むであろう。被害は危惧していたほどの規模ではなかったらしい。それもまた好材料であった。
夜通し馬を走らせて、翌日の昼過ぎには駿府へと着いた。すぐに義利とお亀の方に挨拶を済ませ、家康への目通りを願い出る。お亀の方は「まったく、そなたはいつも急でございますね」と呆れながらも、その夜のうちの対面を都合してくれた。
そうして駿府城の会所にて、清正・幸長と大御所家康の会談がはじまった。脇に控える氏勝と並んで、いまだわけがわからぬといった顔で伝右衛門が畏まっている。
「さような次第にて、大御所さま……前田家に対するお怒りのほど、どうか鎮めていただきたく。我らからも、伏してお願い申し上げまする」
清正と幸長は、そう言ってともに深く頭を垂れた。ふたりの大大名に揃って平伏されて、家康も困ったようにしかめっ面を見せる。この家康とて、度重なる普請に無理があったことはわかっているであろう。それは諸侯の力を削ぐという目的あってのことではあるが、事故で多くの人死にを出すまで追い込んだことに、内心では呵責も覚えているはずだった。
そうしてどこか恨めしげな目で、脇に控える伝右衛門を見た。「おぬしが前田の普請役か」
伝右衛門は「は……ははっ!」っと、再び床に額を擦り付けんばかりにひれ伏した。
「おぬしごときがいったいどうやって、この肥後と紀州まで動かした?」
その答えは、家康とてすでにわかっているはずであった。伝右衛門が答えられずにいるのを見て取って、その目をじろりと氏勝に向ける。
「大和守……ここで前田に肩入れして、おぬしに何の得がある?」
「某はただ右兵衛督さまのため、名古屋の普請が滞りなく進むのを願うのみにございます」
「それはわしも同じよ……ゆえ、此度の前田の失態が許せぬのではないか」
「されど前田家とて、起こしたくて起こしたものではありますまい。痛手を蒙ったは前田も同じ。犠牲となった人足たちを悼みこそすれ、失態を恨む心持ちはありませぬ」
家康は氏勝のその答えが不満だったようで、また口をへの字に結んで腕を組む。そしてぽつりと、「……綺麗事よの」とつぶやいた。
「綺麗事で構わぬではございませぬか。名古屋の城は、天下静謐の礎。城とは戦のためなれど、かの城は戦を起こさぬための城にございます。それこそが、右兵衛督さまに相応しき城。ゆえにその普請においても、誰にも遺恨を残して欲しくはありませぬ」
むろん氏勝も、その裏には様々な思惑が渦巻いているのもわかっている。天下静謐の大義名分とて、所詮は徳川の世を守るためのお題目に過ぎない。されど我が主には、そうした汚れとは無縁であって欲しいのだ。そのためにはおのれがこの身を張って、綺麗事を掲げてみせようではないか。
「前田のご家中の皆さまにも、この城の普請に関わったことを誇りに思っていただきたい。某は本気でそう願っておるのです。愚か者と笑うなら笑ってくださって結構」
気が付くとその場の一同が、揃って氏勝をまじまじと見つめていた。驚いているのか、呆れているのか、それぞれの内心まではわからなかったが。
やがて家康は観念したように、深く長いため息をついた。「わかった……わしの負けじゃ」
「では?」
「筑前守の失態、此度は叱責のみに留め置く。国許へ戻ることも認めよう……されど普請役は残り、すぐにも作業を再開させよ。これ以上の遅れは決して許さぬぞ」
その言葉に伝右衛門ははっと息を呑み、すぐに「忝うございまする!」と再び深く平伏した。氏勝も安堵に胸を撫で下ろし、同じように頭を下げる。
「よい。わしもさほどに前田を責める気もなかった。しばらくお灸を据えたら赦すつもりであったのよ。それをおぬしら……無駄に大事にしおって」
家康はそう言って、まるで犬を追い払うように扇子を振った。いいからもう出て行けということだった。氏勝と伝右衛門はもう一度頭を下げると、音を立てぬよう立ち上がり、会所をあとにした。
そうしてあとには、家康とふたりの大名だけが残った。
「……さて」と、家康は険しい目に戻ってふたりを睨め付けた。「おぬしらも、ただ前田の肩を持つためだけに来たわけではあるまい?」
「……おわかりでしたか」
「わからいでか。あの食わせ者にまんまと利用されたの」
「それは承知の上でござる」まるで負け惜しみのように憮然と、清正は答えた。「我らもまた、あの者を利用させてもらったまで。我らの本来の宛所のために」
家康は脇息にもたれて、なるほどと頷いた。「ではその本題を聞こうか。まあ、薄々察しはつくがの」
清正はまた幸長と顔を見合わせ、小さく頷いた。そして揃ってその場に拳をつき、頭を垂れながら切り出した。
「では大御所さま、率直に申し上げます。どうか右府さま(右大臣秀頼)とご対面いただけませぬか?」
察しがついていたという言葉の通り、家康の顔に驚きはなかった。ただいまだ迷いを覗かせるような表情で、「……ふむ」とつぶやいただけだった。その言がはたしてどこまで本気のものであるのか、測りかねているようにも思える表情であった。
「大坂には行けぬぞ。それはわかっておるの?」
「もちろん。会見場所はおそらく、伏見か二条となるでしょう」
「して、右府のほうはどうなのだ。京まで連れ出すことができるのか?」
家康がそう訝ったのも当然、前例があったからだ。遡ること五年、慶長十年の四月。秀忠の征夷大将軍宣下の折、家康は秀頼に上洛を促した。そうしてそのとき仲立をした高台院(太閤秀吉の正室・御寧の方)からは、ひとたびは了解の内諾を取り付けた。されどそれを、秀頼の生母である淀の方が引っ繰り返したのである。淀の方は強硬に反対し、もしも無理にでも上洛を強いるのであれば、秀頼を殺しておのれも命を絶つとまで言ったという。その頑なさを厄介と見て取った家康は、その後大坂への干渉を最小限に留めていた。
「おぬしらで……あの御母堂を説き伏せること能うのか?」
「それは必ずや」と、清正は断言する。「右府さまも間もなく齢十九、立派な若武者にございます。此度の話は何よりその右府さまのご意志なれば、お方さまもご無体は申しますまい」
「なるほど……あのときのお子が、もう十九か」
家康はそう感慨深げに目を細める。考えてみれば、太閤秀吉が没してはや十五年である。いつまでも母親の操り人形に甘んじている齢でもない。
「よかろう……であれば、わしも異存はない。されど準備は慎重に進めよ。いかなる邪魔が入るやもわからぬゆえな」
「……忝う存じまする」
堅く引き締まっていた清正の表情が、ようやく安堵したように緩んだ。されどその顔も、またすぐに険しくなる。この会見の実現まで、まだどれだけの障害が残っているか、わかっているゆえであった。
ここまでの強行軍を慮って、駿府にて寝んでゆくようにとの勧めを断って、伝右衛門は再び馬上の人となった。どうやら家康から賜った言葉を、一刻も早く主に伝えたいらしい。
「山下どのにはもう、何と礼を申したらよいかもわからぬ。この恩義、我は……いや前田家は、いかにして報いたらいい?」
馬上より、伝右衛門は真摯に見つめてくる。その目をまっすぐに受け止めて、氏勝は答えた。
「わが望みは、先ほど申し上げた通り。前田ご家中の皆々方にも、かの城の普請に関わったことを誇っていただきたい。それのみにて」
「……わかり申した」と、伝右衛門は頷いた。「では右兵衛督さまにお伝えくだされ。加賀前田百二十万石、もしも名古屋にことあらば、必ずや駆け付けましょうぞと」
そうして伝右衛門は勢いよく馬首を返し、駆け去って行った。その背中はみるみる遠ざかり、やがて夜闇に溶け入るように消える。氏勝はそれを見送ると、背後にそびえる駿府城の天守閣を見上げた。おそらく清正と幸長も、本題である秀頼との会見について家康へ切り出していることであろう。それが成れば、天下の静謐はいよいよ慥かなものとなる。世は本当に、新たな時代を迎えるのだ。
そして名古屋こそが、その新たな時代の象徴となる。江戸と大坂・京を繋ぐ扇の要、この日の本のまさに中心となる都。それに相応しき城と町並みを整え、我が殿の手に贈るのだ。
「……我もこうしてはおられぬな」
誰に言うでもなく、氏勝はひとりつぶやいた。おのれもすぐに名古屋に戻らねば。やらなければならないことは山ほどある。
「こんなところにおられましたか、叔父上」
されどそのとき、背後から声がした。振り返ると、にこやかに笑みを浮かべた山城守正信が歩み寄ってくるのが見えた。
「母上がご立腹にございましたよ。そちらの話は済んだであろうに、なぜ戻って来ぬのかと」
「お方さまがですか。はて、特に某にお話があるとも聞いておりませぬが……」
「宛所がなくとも、叔父上にお会いしたいのでございましょう。それに殿も、名古屋の様子をお聞きしたいようです。どうぞ城にお戻りくださいませ。それともせっかく帰って来られたのに、またすぐ名古屋へ向かわれるおつもりですか?」
やれやれ、と氏勝は悟られぬよう小さく肩をすくめた。お亀の方はともかく、主に呼ばれたら応えぬわけにはゆかぬ。そう観念して、正信と並び城の中へと戻っていった。
「山下どの、まことに……大御所さまにお会いできるのでござるか?」
「わかりませぬ」と、氏勝は正直に答える。「されど試してみる価値はございます。何事も、まずは動くことです」
おそらく氏勝たちにさほど遅れることもなく、清正と幸長も名古屋を発ったことであろう。ふたりとも此度の事故についてはやはり前田家に同情的で、赦免の口添えをしてくれることも快諾してくれた。ふたりの言葉は、この普請に関わる多くの者の言葉でもある。家康とて無碍にはできまい。
「それよりも、慥かに作業はすぐ再開できるのでございましょうな?」
「それは大丈夫でござる。すでに代わりの人足たちもこちらに向かっているとのこと。あとひと月ほどいただければ、必ず終わらせてみせまする」
ならば、遅れはせいぜい半月ほどで済むであろう。被害は危惧していたほどの規模ではなかったらしい。それもまた好材料であった。
夜通し馬を走らせて、翌日の昼過ぎには駿府へと着いた。すぐに義利とお亀の方に挨拶を済ませ、家康への目通りを願い出る。お亀の方は「まったく、そなたはいつも急でございますね」と呆れながらも、その夜のうちの対面を都合してくれた。
そうして駿府城の会所にて、清正・幸長と大御所家康の会談がはじまった。脇に控える氏勝と並んで、いまだわけがわからぬといった顔で伝右衛門が畏まっている。
「さような次第にて、大御所さま……前田家に対するお怒りのほど、どうか鎮めていただきたく。我らからも、伏してお願い申し上げまする」
清正と幸長は、そう言ってともに深く頭を垂れた。ふたりの大大名に揃って平伏されて、家康も困ったようにしかめっ面を見せる。この家康とて、度重なる普請に無理があったことはわかっているであろう。それは諸侯の力を削ぐという目的あってのことではあるが、事故で多くの人死にを出すまで追い込んだことに、内心では呵責も覚えているはずだった。
そうしてどこか恨めしげな目で、脇に控える伝右衛門を見た。「おぬしが前田の普請役か」
伝右衛門は「は……ははっ!」っと、再び床に額を擦り付けんばかりにひれ伏した。
「おぬしごときがいったいどうやって、この肥後と紀州まで動かした?」
その答えは、家康とてすでにわかっているはずであった。伝右衛門が答えられずにいるのを見て取って、その目をじろりと氏勝に向ける。
「大和守……ここで前田に肩入れして、おぬしに何の得がある?」
「某はただ右兵衛督さまのため、名古屋の普請が滞りなく進むのを願うのみにございます」
「それはわしも同じよ……ゆえ、此度の前田の失態が許せぬのではないか」
「されど前田家とて、起こしたくて起こしたものではありますまい。痛手を蒙ったは前田も同じ。犠牲となった人足たちを悼みこそすれ、失態を恨む心持ちはありませぬ」
家康は氏勝のその答えが不満だったようで、また口をへの字に結んで腕を組む。そしてぽつりと、「……綺麗事よの」とつぶやいた。
「綺麗事で構わぬではございませぬか。名古屋の城は、天下静謐の礎。城とは戦のためなれど、かの城は戦を起こさぬための城にございます。それこそが、右兵衛督さまに相応しき城。ゆえにその普請においても、誰にも遺恨を残して欲しくはありませぬ」
むろん氏勝も、その裏には様々な思惑が渦巻いているのもわかっている。天下静謐の大義名分とて、所詮は徳川の世を守るためのお題目に過ぎない。されど我が主には、そうした汚れとは無縁であって欲しいのだ。そのためにはおのれがこの身を張って、綺麗事を掲げてみせようではないか。
「前田のご家中の皆さまにも、この城の普請に関わったことを誇りに思っていただきたい。某は本気でそう願っておるのです。愚か者と笑うなら笑ってくださって結構」
気が付くとその場の一同が、揃って氏勝をまじまじと見つめていた。驚いているのか、呆れているのか、それぞれの内心まではわからなかったが。
やがて家康は観念したように、深く長いため息をついた。「わかった……わしの負けじゃ」
「では?」
「筑前守の失態、此度は叱責のみに留め置く。国許へ戻ることも認めよう……されど普請役は残り、すぐにも作業を再開させよ。これ以上の遅れは決して許さぬぞ」
その言葉に伝右衛門ははっと息を呑み、すぐに「忝うございまする!」と再び深く平伏した。氏勝も安堵に胸を撫で下ろし、同じように頭を下げる。
「よい。わしもさほどに前田を責める気もなかった。しばらくお灸を据えたら赦すつもりであったのよ。それをおぬしら……無駄に大事にしおって」
家康はそう言って、まるで犬を追い払うように扇子を振った。いいからもう出て行けということだった。氏勝と伝右衛門はもう一度頭を下げると、音を立てぬよう立ち上がり、会所をあとにした。
そうしてあとには、家康とふたりの大名だけが残った。
「……さて」と、家康は険しい目に戻ってふたりを睨め付けた。「おぬしらも、ただ前田の肩を持つためだけに来たわけではあるまい?」
「……おわかりでしたか」
「わからいでか。あの食わせ者にまんまと利用されたの」
「それは承知の上でござる」まるで負け惜しみのように憮然と、清正は答えた。「我らもまた、あの者を利用させてもらったまで。我らの本来の宛所のために」
家康は脇息にもたれて、なるほどと頷いた。「ではその本題を聞こうか。まあ、薄々察しはつくがの」
清正はまた幸長と顔を見合わせ、小さく頷いた。そして揃ってその場に拳をつき、頭を垂れながら切り出した。
「では大御所さま、率直に申し上げます。どうか右府さま(右大臣秀頼)とご対面いただけませぬか?」
察しがついていたという言葉の通り、家康の顔に驚きはなかった。ただいまだ迷いを覗かせるような表情で、「……ふむ」とつぶやいただけだった。その言がはたしてどこまで本気のものであるのか、測りかねているようにも思える表情であった。
「大坂には行けぬぞ。それはわかっておるの?」
「もちろん。会見場所はおそらく、伏見か二条となるでしょう」
「して、右府のほうはどうなのだ。京まで連れ出すことができるのか?」
家康がそう訝ったのも当然、前例があったからだ。遡ること五年、慶長十年の四月。秀忠の征夷大将軍宣下の折、家康は秀頼に上洛を促した。そうしてそのとき仲立をした高台院(太閤秀吉の正室・御寧の方)からは、ひとたびは了解の内諾を取り付けた。されどそれを、秀頼の生母である淀の方が引っ繰り返したのである。淀の方は強硬に反対し、もしも無理にでも上洛を強いるのであれば、秀頼を殺しておのれも命を絶つとまで言ったという。その頑なさを厄介と見て取った家康は、その後大坂への干渉を最小限に留めていた。
「おぬしらで……あの御母堂を説き伏せること能うのか?」
「それは必ずや」と、清正は断言する。「右府さまも間もなく齢十九、立派な若武者にございます。此度の話は何よりその右府さまのご意志なれば、お方さまもご無体は申しますまい」
「なるほど……あのときのお子が、もう十九か」
家康はそう感慨深げに目を細める。考えてみれば、太閤秀吉が没してはや十五年である。いつまでも母親の操り人形に甘んじている齢でもない。
「よかろう……であれば、わしも異存はない。されど準備は慎重に進めよ。いかなる邪魔が入るやもわからぬゆえな」
「……忝う存じまする」
堅く引き締まっていた清正の表情が、ようやく安堵したように緩んだ。されどその顔も、またすぐに険しくなる。この会見の実現まで、まだどれだけの障害が残っているか、わかっているゆえであった。
ここまでの強行軍を慮って、駿府にて寝んでゆくようにとの勧めを断って、伝右衛門は再び馬上の人となった。どうやら家康から賜った言葉を、一刻も早く主に伝えたいらしい。
「山下どのにはもう、何と礼を申したらよいかもわからぬ。この恩義、我は……いや前田家は、いかにして報いたらいい?」
馬上より、伝右衛門は真摯に見つめてくる。その目をまっすぐに受け止めて、氏勝は答えた。
「わが望みは、先ほど申し上げた通り。前田ご家中の皆々方にも、かの城の普請に関わったことを誇っていただきたい。それのみにて」
「……わかり申した」と、伝右衛門は頷いた。「では右兵衛督さまにお伝えくだされ。加賀前田百二十万石、もしも名古屋にことあらば、必ずや駆け付けましょうぞと」
そうして伝右衛門は勢いよく馬首を返し、駆け去って行った。その背中はみるみる遠ざかり、やがて夜闇に溶け入るように消える。氏勝はそれを見送ると、背後にそびえる駿府城の天守閣を見上げた。おそらく清正と幸長も、本題である秀頼との会見について家康へ切り出していることであろう。それが成れば、天下の静謐はいよいよ慥かなものとなる。世は本当に、新たな時代を迎えるのだ。
そして名古屋こそが、その新たな時代の象徴となる。江戸と大坂・京を繋ぐ扇の要、この日の本のまさに中心となる都。それに相応しき城と町並みを整え、我が殿の手に贈るのだ。
「……我もこうしてはおられぬな」
誰に言うでもなく、氏勝はひとりつぶやいた。おのれもすぐに名古屋に戻らねば。やらなければならないことは山ほどある。
「こんなところにおられましたか、叔父上」
されどそのとき、背後から声がした。振り返ると、にこやかに笑みを浮かべた山城守正信が歩み寄ってくるのが見えた。
「母上がご立腹にございましたよ。そちらの話は済んだであろうに、なぜ戻って来ぬのかと」
「お方さまがですか。はて、特に某にお話があるとも聞いておりませぬが……」
「宛所がなくとも、叔父上にお会いしたいのでございましょう。それに殿も、名古屋の様子をお聞きしたいようです。どうぞ城にお戻りくださいませ。それともせっかく帰って来られたのに、またすぐ名古屋へ向かわれるおつもりですか?」
やれやれ、と氏勝は悟られぬよう小さく肩をすくめた。お亀の方はともかく、主に呼ばれたら応えぬわけにはゆかぬ。そう観念して、正信と並び城の中へと戻っていった。
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