尾張名古屋の夢をみる

神尾 宥人

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第四章

(六)

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 慶長十六年三月。氏勝は義利とともに京にあった。それまで幾度も延期されてきた御陽成帝から後水尾帝への譲位が決まり、その儀に臨席するため、元服して常陸介ひたちのすけ頼将よりまさと名乗ることとなった弟・長福丸とともに初の上洛を果たしたのである。そしてこの儀に合わせて、大御所家康と右大臣秀頼の会見が二条城にて行われることとなっていた。
 随行したのは加藤肥後守清正・浅野紀伊守幸長・池田武蔵守輝政・藤堂和泉守高虎といった、豊臣との橋渡しとなった諸侯たち、そして平岩主計頭・竹腰山城守・成瀬隼人正・安藤帯刀といった附家老たちである。それに対して秀頼は、織田有楽斎・片桐市正いちのかみ・大野修理しゅりら三十人を同行させ、さらに加藤・浅野の三百の兵に守られながら、淀川を楼船で遡上してきた。
 また義利と頼将のふたりには、徳川家の一員としてはじめての大役が与えられていた。秀頼の出迎え役である。京の片桐屋敷にて衣装を整えた秀頼を伏見上鳥羽にて迎えると、そのまま二条城まで随行し、そののちは加藤・浅野の兵たちとともに東寺にて待機するのだ。されど出迎えと言えば聞こえはいいが、その実は秀頼の身の安全を保障するための人質であった。
 この段取りに対しては、お亀の方も頼将の生母であるお万の方も強く反対した。万一のことあらば我が子の命がないのだから、当然といえば当然である。それを押し切ることができたのは、当の義利たちの強い言葉によってだった。
 これぞ武門に生まれた者の務めと、正面から毅然と言い放たれては、どちらの母親も渋々受け入れるしかなかったようだ。その後お亀は氏勝に、「あちらの母御前のお気持ちがわかりました」とぼやいていた。どうやらすっかり、悪母とも噂される淀の方にも肩入れしてしまったようだった。
 そうして義利と頼将は、東寺の書院にて会見の終わるのを待っていた。成瀬隼人と安藤帯刀は家康の護衛として二条城へと向かい、付き添ってきたのは氏勝と正信のみだ。義利はこのとき十歳、頼将に至ってはまだ九歳である。緊張に顔が強張り、血の気も引いて見えるのは致し方のないことだった。
「怖ろしいか、常陸介」
 長い長い沈黙を破って、義利が頼将に尋ねた。頼将はしばし迷いながらも、「……はい」と答える。
「兄上は怖ろしくないのでございますか」
「怖ろしいに決まっておろう」と、それでも威厳を漂わせた声で義利は答えた。「されど怖気を見せてはならぬ。わかっておるな?」
「わかっております」と、頼将も気丈に頷く。この若殿も立派なものだ。傅役である帯刀の薫陶もあるのだろう。
「これは戦と思え。つまり、我らの初陣よ。恥ずかしき様は見せられぬ」
 されど我らが殿も負けてはおらぬ。氏勝はその立派な姿に誇らしさを覚え、満足げに頷いて目を細めた。それは正信も同じだったようで、嬉しそうに顔を綻ばせて言った。
「戦であるならば、なおのことご安心なされませ。我らが盾となり、おふた方の前に立ち塞がってみせましょう。さようございますな、叔父上」
 氏勝も「……無論」と頷く。それで少しは勇気付けられたのか、頼将もほっと表情を和らげた。
 そのとき、静かに近付いてくる足音が聞こえた。やって来たのは紀伊守幸長であった。そうして幸長は書院に入ると、ふたりの若武者に深く頭を下げる。
「右兵衛督どの、常陸介どの。まことにご不便おかけ致します。されど、もう暫し堪えてくだされ」
「構いませぬ、紀伊守さま。それより、二条城におらずによいのでございますか?」
 慥かに予定では、幸長も清正とともに会見に同席し、警護に当たることとなっていた。されどそう尋ねても、幸長はどこか悪戯っぽく笑って答えてきた。
「あちらは肥後守どのがおれば大丈夫にございましょう。そもそも大御所さまは、我らが同席することにもいい顔はしておられませんでした。ゆえ、体調を崩したことにして抜けてきた次第にございます」
 また大胆なことを、と氏勝は驚いていた。されど義利は何かを察したように、小さく頷いて言った。
「もしかしたら……万一のことあらば、我の介錯をするために来てくださったのでは?」
 幸長は参ったというような顔をちらりと見せ、そしてひと言答えた。「……ご迷惑ですかな?」
「有難きお申し出にございます。されどそのときは、この大和に頼むつもりでおりますゆえ」
 その答えに、頼将がまた顔を強張らせた。されど当の幸長はこともなげに、「さようでございましたか」と答えるのみであった。
「それに我は父を信じております。どうぞご心配なく」
「大御所さまともあろうお方が、卑怯な騙し討ちなどはしないと?」
「いえ……必要とあらばするでしょう。父はそういう人にございます。されど今ここで、右府さまを討つようなことはいたしますまい。さように愚かな人ではないと信じておるのです」
「愚か、ですかな……徳川にとっては、右府さまと豊臣家は目の上の瘤なのでは?」
 幸長とて、家康を信じていないわけではないのであろう。ただ今はこうして義利の考えを聞くのが楽しくて、あえて論を挑むような物言いをしているようであった。
「……で、あってもです。さように卑怯な手に出れば、今は仕方なく徳川に仕えている豊臣恩顧の諸侯たちを、完全に敵に回すことになります。肥後守さまも……紀伊守さまもそうでございましょう?」
 それは主君の弔い合戦である。大義は向こうにある。ことによっては、古くから徳川に仕えている者たちからも離反が出るかもしれない。しかも誰もが、まさに身を捨てて立ち向かってくるであろう。
 むろん今の徳川であれば、そのすべてを武力で押さえつけることも可能かもしれぬが、多大な犠牲を支払うことになるのは間違いない。それは愚かなことだ、と義利は考えているのであろう。
「ゆえ、父は右府さまを丁重に持て成すことでございましょう。何も心配はございません。豊臣の存在は、天下の静謐に不可欠なのです」
 いささかお目出度いと言えなくもないが、義利の言にも一理はあった。この紀伊守や肥後守も、豊臣を守るがために徳川の世を受け入れている。少なくとも太閤秀吉に直接恩義を受けた者たちが代を譲るまでは、徳川にとっても秀頼という存在が必要なのだ。
 兵たちの元に戻るという幸長とともに、氏勝は書院を出た。すると幸長は、嬉しそうに目を細めて話しかけてきた。
「まったく右兵衛督どのは、お会いするたびにどんどん立派になられるな。これも傅役どのの薫陶あってのことか」
「さて……」と、氏勝は耳の上を掻きながら言葉を濁す。「我などは、何も。やはり大御所さまの血でございましょう」
 幸長は義利の成長ぶりにすっかりご満悦のようであった。そんな様子を見ながらも、氏勝はどうしても気になっていたことを尋ねる。
「されど紀伊守さまは、まことにそれでよいのでございますか。此度の会見は表向きには、右府さまは徳川の求めに応じて上洛したことになります。それは則ち、豊臣が徳川の配下になることを認めたことになってしまいますが」
 これまでのところは実態はともかく、形の上では徳川は豊臣の臣というていを保ってきた。かの関ヶ原の大戦も、秀頼を奉じて奸賊石田治部を討つというのが大義名分であった。その立場もこの会見によって、ついに名実ともに逆転してしまったと言っていい。
「それも仕方なかろう……わかった上で、この話を持ち掛けたのだ。実際、豊臣は徳川に生かされておる。いい加減、認めねばなるまい」
 それは苦渋の決断であったのだろうが、幸長の顔に口惜しさや苦々しさは見て取れなかった。そうしたものは、すでに覚悟の上で飲み込んだのだ。
「何より大事は、豊臣を存続させることよ。そのためには、見栄や体面など邪魔でしかない。捨てるべきものは捨ててしまったほうがいい。そう思ったまでのこと」
「右府さまは、それもすべて承知で?」
「一度お会いすればわかるであろうよ」幸長はそう言って振り返った。「あの方はお父上のような才気や、ましてや野心など持ち合わせておらぬ。されど十分に聡明なお方で、おのれが天下を統べる器ではないことをよく理解されておられる。そんな右府さまを、我はどうしても守って差し上げたいのよ」
 氏勝はさようですかと頷いた。おそらく幸長は純粋に、右大臣秀頼という若者の身を案じているだけなのだ。もしかしたらそのためには、豊臣という家さえ捨ててしまってもいいと思っているのかもしれない。
「山下どの……まことのところはどうなのだ。大御所さまは、豊臣をどうしようと思っておられるのか」
「さて……大御所さまの内心まで、某にはわかりませぬよ。されど巷間言われているように、近々大坂を攻め滅ぼそうと本気で思っておられるなら、このような会見はいたしますまい。したとしても江戸か駿府へと呼び付けて、応じぬのを征伐の口実にされていたことでしょう」
 そうは言ってみても、幸長はまだ得心したようには見えなかった。依然としてこちらの本心を探ろうとするように、じっと真剣な視線を向けてきている。
「ならば、山下どのはどう考えておる。豊臣は、残すべきか。あるいは滅すべきか。ただ徳川の臣としてのみの答えを聞きたい」
 氏勝はほっと安堵した。おのれについてならば、迷いなく答えることができる。
「以前にも申した通り、某の主はただ右兵衛督さまのみ。ゆえにその立場のみで答えるなら、豊臣には存続していてもらわねば困りまする。徳川と豊臣、江戸と大坂。そのふたつがあってこそ、尾張名古屋の繁栄がある。日の本という扇の要として」
 その答えに、幸長は可笑しげにくすりと笑った。「そなたの頭にあるのは、まこと右兵衛督どののことばかりなのだな」
 傅役ですゆえ。氏勝も精一杯の笑顔めいたものを作って答える。そうしてゆっくりと、幸長と並び歩き出した。
「豊臣が存続することは、今のところ徳川にも利がございます。そのうちは、大御所さまも豊臣を潰そうとは考えますまい。ゆえ、大事なのはその利を保ち続けること。さすれば永劫、徳川は豊臣を生かし続けることでしょう」
「利、でござるか。なるほどの……」
「紀伊守さま、肥後守さまのようなお方が、豊臣ある限りは徳川に牙を剥かない。それは徳川にとって大きな利なのです。ゆえにどうぞこれからも、変わらず豊臣を支え続けてくださいませ」
 そしてそれは、浅野家と徳川を繋ぐことになる尾張徳川家にとっても利となる。この春には頼将と肥後守の娘である八十姫との婚約も決まったが、それを推し進めた安藤帯刀も思うところは同じであろう。
「おふたりが刀を収めていれば、他の豊臣恩顧の皆さまも従いましょう。違いますか?」
「まあ、おそらくはな。あとはかの御仁さえ、大人しくしていてくれさえすれば……」
 そうぽつりとつぶやいた幸長に、氏勝は訝しげな目を向ける。「かの御仁、とは?」
 幸長は暫しの間迷ったのち、意を決したように口を開いた。
「ひとりだけ、どうしても気を許せぬ御仁がおるのよ。長き蟄居の身なれど、ひとたび動き出せばまったく先が読めぬ……ことによっては周囲のすべてを巻き込んで、混乱と破滅に引きずり込みかねない化け物がの。今はただ、あの御仁が静かにしていてくれるのを祈るばかりぞ」
 そう語る声音には、隠し切れない怖気のようなものさえ滲んでいた。まるでそれが乗り移ったように、氏勝もぶるりと身を震わせる。
「その御仁の名は?」
 そう尋ねると、幸長はひとつ静かに頷いて答えた。「真田……真田安房守あわのかみよ」
 
 
 幸長と別れて書院へ戻ろうとした氏勝に、具足姿の兵がひとり駆け寄ってきて、傍らに跪いた。幸長の手の者かとも思って足を止めたが、どうやら違ったらしい。
「少しよろしいですか、山下さま」
「……藤七か。紛れ込んでおったな」
「ええ、まあ……」と兵はちらりと顔を上げた。されど兜の下から覗いた顔は、常に飄々としたこの男にしては硬いものだった。「急ぎ、お耳に入れておきたき儀がござりましたゆえ」
 その様子に何かただならぬものを覚え、氏勝は声を落として「……何があった?」と尋ねる。
「以前より名古屋であった嫌な気配……それをここでも感じましたもので、少々探っていたのでございます。それでとうとう、ちらと顔を合わせてしまいました。わたしと同じように兵に紛れ込んでいましたが、あれは間違いありませぬ」
「顔を合わせた……何者とだ?」
「名は何とも。以前は鹿右衛門しかえもんと名乗っておりましたが、この稼業で名などあってなきものですゆえ」
 ということは籐七の同業、つまり忍びというわけだ。それもこの様子だと、相当に警戒すべき相手らしい。
「いや、はたして同業と言っていいものか……わたしのような小物とは格が違います。しかも何より、仕物が本領。それも一度狙われたらもう、諦めるしかない凄腕なれば」
「さような者が兵に紛れて、いったい何をしておるのだ」
「そりゃあ、どなたかを狙っておるのでしょうな。大御所さまか右府さまか。はたまた、右兵衛さまか」
 氏勝は思わず「まさか……」と呻いた。もしもここが狙われているのだとすれば、警備が手薄に過ぎる。兵たちはいるといっても、その者や藤七に紛れ込まれて気付かない程度では当てにならないと言っていい。また秀頼に何かあっても、そのときは人質である義利たちが危うくなる。
「いるとわかっていて、おぬしは何もせぬのか?」
「あたしひとりでどうにかなる相手ではありませんや。それがわかっているから、向こうも放っておいてくれているのでしょうな」
 つまりそれほどに力の差があるということらしい。しかし今この京には、家康が引き連れてきた伊賀者たちもいるはずだった。その合力を得てもどうにもならぬと言うのであろうか。
「ここにいる伊賀者たちにも伝えましたけどね……余所者の言うことなぞ信じていないようで。それにあ奴のことも、おそらく知りもしないでしょう。あたしだから知っているわけで」
「ということは、おぬしはその者と以前にも関わりがあったということか」
「ま、そんなところです。申し訳ありませんが、詮索はそのくらいにしてくださいな」
 藤七はそう言って、氏勝の問いを遮った。そして立ち上がり、いっそう声を落として囁きかけてくる。
「ともあれ、お気を付けを。あたしもしばらくここに張り付きますんで、次に声を掛けたら右兵衛様を連れて、形振なりふり構わず一目散にお逃げください。逃げ切れるかはわかりませぬが……」
「わかった」と、氏勝は小さく頷いた。「おぬしがときを稼いでいる間に、出来るだけ遠くへ逃げるとしよう」
「嫌ですよ……当然、あたしも逃げますからね。山下さまのことは嫌いじゃありませんが、この身をなげうつほどじゃあありませんや」
 最後だけいつもの飄々とした口調に戻って、藤七は背を向けて戻って行った。そうして兵たちの中に紛れ込むと、すぐに見分けがつかなくなる。
 
 
 それからの数刻を、氏勝はじりじりと焼けつくような緊張の中で過ごした。もちろんそうした内心は決して顔には見せず、義利や正信に悟られることはなかったが。
 されど結果的にその日は何も起こらず、二条城における会見も無事に終わった。秀頼は室である千姫の祖父ということもあって家康に上座を譲り、互いに太刀と脇差を贈り合い、会見は終始和やかに進んだという。会見を終えると秀頼一行はすぐに京を発ち、再び楼船にてその日のうちに大坂へと帰り着いた。義利と頼将の主従も、それを船着き場まで見送った。
 会見の様子を息を詰めて見守っていたのは、京大坂の民たちも同じであった。そしてそれが無事に終わったことを見届けて、一斉に喜びの声を上げたともいう。誰もが今度こそ乱世の終わりを信じ、天下はまことの安寧を得たのだと疑わなかった。
 そして翌四月、義利と頼将は徳川よりの答礼の使者として大坂へと遣わされた。そして大坂城にて秀頼と淀の方に対面し、大刀と銀、紅花等を贈った。そしてこのとき秀頼より返礼として賜った高木貞宗の太刀は、長く尾張家に宝として伝わることとなった。
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