尾張名古屋の夢をみる

神尾 宥人

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第四章

(八)

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 義理の父となるはずであった幸長のことは、義利もずいぶんと心を許している様子であったことは先にも書いた。だけに、その突然の死にはひどく心を痛めていた。報を耳にしてからというものは足繁く城下の龍泉寺に通いつめ、一心にその冥福を祈っていたものであった。龍泉寺は駿府城下でも最大の大伽藍を持つ徳川の菩提寺であり、将軍秀忠の生母である宝台院(お愛の方)が弔われている場所でもあった。
 そして高野山にて行われる幸長の法要には、弔問の使者として隼人正正成、山城守正信とともに、氏勝もまた同行することとなった。そして法要が終わると、氏勝らは別院へと案内された。そこには四十前後とみられる小柄で痩身の男と、まだ二十代半ばと思われる大柄な若侍のふたりが待っていた。
「此の度は遠方よりわざわざのお越し、まこと忝く存じまする」
 痩身の男はそう言って、深く平伏してきた。氏勝も幾度か顔を合わせたことのある男であった。慥か浅野家の附家老で、木村石見守いわみのかみといった名だったか。されど若侍のほうは初対面である。ごつごつとした厳つい顔立ちの中に、どこか朴訥とした雰囲気を漂わせる風貌であった。
「浅野但馬たじまにござる」
 と、若侍は顔を上げてそう名乗った。幸長の弟である、但馬守長晟ながあきらであった。浅野弾正長政には三人の男子があり、その二男がこの者である。三男の采女正うねめのしょう長重ながしげとともに長く秀忠の小姓を務め、今は備中足守あしもりに陣屋を構えて二万四千石を領しているという。
 正成と正信もそれぞれに名乗り、悔やみの言葉を伝えた。それを静かに聞いていた石見守の顔にはありありと憔悴の色が見て取れ、突然の凶事がどれほど家中の者たちに衝撃を与えているかが窺えた。
「して、紀伊守さまのお最期の様子はいかがなものであったのでしょう」
 追い討ちのようになるのも承知で、正信はそう尋ねた。死因は急な病としか聞かされておらず、子細まではまったく知らぬままであったのだ。
「医師の話では、ついに何の病であったのかもわからなかったのでございます。おそらくは大陸の熱病ではないかとのことでありましたが、殿が朝鮮へ渡ったのはもう十と五年も前のこと、いったいどうして今頃との思いにございました。まさに突然に高熱を発し、一日と経たずに前後不覚に陥りまして……それからは、ほとんど目を覚ますこともないままに」
 慥かにさような病など、寡聞にして知らなかった。疱瘡とも似ているのかもしれなかったが、その場合ははっきりとわかる徴が顔や手足に顕れるはずである。それがなかったということは、また別の病であったのだろう。あるいは、何かの毒物によるものだったのか。民たちの間ではまことしやかに、肥後守と同じく徳川による仕物であるとの風説も流れているとも聞く。
「して、浅野家は今後どうされるのか?」
 正成は石見守に尋ねた。紀伊守幸長には春姫を含め娘がふたりいたが、いまだ嫡男となる男子がいなかった。
「すでにお聞きかもしれませぬが、こちらの但馬守に紀州を相続させるつもりにございます。それが亡き主君の遺志でもございました。つきましては尾張どのにも、そのお口添えをいただきたく存じまする」
「それは構わぬが……」と、正成は言葉を濁す。眉根を寄せて渋面を作り、何やら言い難げに何かを切り出そうとしている。
 すると正信が氏勝を振り返り、小さく頷きかけてきた。それから石見守に向き直り、正成の機先を制するような形できっぱりと言った。
「春姫さまとの婚儀の件は、このまま予定通りに進めさせていただきたく思います。姫さまにも、どうかご案じ召されませぬようお伝えくだされ」
 その言葉に、正成がむっとしたように眉を顰めた。訝しく思うのも無理はない。この件について、義利は一切の指示はおろか、意思すら露わにしてはいないからだった。ただし氏勝と正信は、その無言を「おのが意を察してみよ」という問いかけと捉えていた。若さゆえおのれの意を口にする資格がないと思っている主の、その内心を推し量らねばならぬと。
「それが、紀伊守さまとの約定にございますれば」
「忝のうございます」長晟もそう言って、わずかに表情を緩めた。「お春は我にとってもかわいい姪。兄もきっと安堵しておることでしょう」
「豊臣の安泰と天下の静謐。それが紀伊守さまの悲願にございました。そのためにも但馬守さまには今後も浅野家の主として、徳川との橋渡しとなっていただきたく存じます」
 正信も満足げにそう続ける。されど長晟はすぐに顔を険しく引き締め、こちらの心の深淵を覗き込むような視線を注いでくる。それはとても二万四千石の小領主のものではなかった。すでに三十七万石の大大名としての風格さえ漂っている。
「さて……皆さまが望むような大役、はたして我に務まりましょうや」
「何を仰いますか。但馬守さまのご器量は、紀伊守さまもお認めになっていたはず。それゆえ、おのが跡を託されたのでございましょう」
 長晟は曖昧に頷くと、しばしの間ののち、ぽつりと低い声で尋ねてくる。口調とは裏腹に、その両目には鋭い光が宿っているのが見て取れた。
「兄の紀伊守は、我らが光にございました……よもやその兄の死に、大御所さまや上さまが関わっているようなことはありますまいな?」
「……何を申される」と、正成はすぐさま首を振った。「愚かな民の風説は耳にしておりますが、但馬守さまともあろうお方がさようなものに惑わされまするか?」
 しかしその反駁は、長晟の耳には入っていなかったようだった。巨漢の若侍の目は、じっと氏勝へと注がれていた。ただこの男の言葉をのみ、聞こうとしているようであった。
 はたしておのれがここで発言することが許されるのかどうか。そう思いながらも、氏勝は意を決して口を開いた。
「あり得ぬ話にございます。徳川には、紀伊守さまを手に掛ける理由がございませぬ」
「はたしてさようにございましょうか。肥後守さま亡き今、豊臣を守る最大の力である紀州浅野家、そして兄紀伊守の存在は、徳川にとって邪魔で仕方がなかったのでは」
「それは誤解にございます。徳川に、豊臣を滅ぼす気はございませぬ」
「その言葉を、丸のまま信じよと言うのか?」
「信じられぬのも無理はございません。されど、それがまことにございます。豊臣家が現在のまま存続してゆくことは、徳川にとっても利があること」
 肥後守清正、武蔵守輝政、そして紀伊守幸長亡き今も、豊臣の盾とならんという恩顧の将たちはいまだ数多い。関が原の際は、そうした将たちも味方に付けていたからこそ戦に踏み切れたのである。いざ再び戦ともなれば、此度こそ天下を二分する大戦ともなりかねない。
 かの者たちが刀を収めているのも、現在もなお豊臣が存続しているからだ。つまり豊臣ある限り、天下の静謐は続くということでもある。時が経ればいずれは代が替わり、太閤への恩義も乱世の記憶とともに過去のものとなる。そのときはきっと豊臣とて取るに足らぬ、ただの大名家のひとつとなるであろう。家康はきっとそう考えている。
 長晟はようやく、ふっと笑みを浮かべた。そうしてまた目を閉じ、小さく頷く。
「兄は貴殿のことを不思議と信じておりました。我にも、苦しいときは山下大和守を頼れと申すほどに……ゆえ、我も信じるといたしましょう。お春の婚儀の件、どうぞ宜しくお願いいたす」
 必ずや、と答えて氏勝は平伏する。されど長晟はすぐに両目に鋭利な光をたたえ、言った。
「されどもし兄の死が、徳川の手によるものであったときは……浅野家は決して徳川にまつろうことはありませぬ。それはわかっておられますな?」
 そしてその逆であった場合も同じ。長晟が橋渡しの役は果たせぬと言ったのはそういうことだ。氏勝は言外の意味も理解して、「致し方ありますまい」とのみ答えた。
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