尾張名古屋の夢をみる

神尾 宥人

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第五章

(二)

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 家康が軍を率いて駿府を発したのは、十月十一日のことであった。やがて将軍秀忠率いる六万の軍勢も江戸を出立し、呼応して伊達・上杉・前田といった諸将もそれぞれの所領をあとにする。その総数はおよそ二十万にも及んだという。
 家康の本隊には義利と頼将も随伴しており、名古屋を発った尾張の軍勢もこれに合流した。氏勝率いる一番組を先頭に、二番組津金つがね庄七、三番組市辺いちべ虎之助、四番組遠山掃部かもん、五番組成瀬内匠がそれぞれ続く。そして竹腰山城守・渡辺忠右衛門が指揮する馬廻・御弓衆・鉄砲衆を加えて、総勢一万五千という構成であった。
 義利にとっては、これがまことの初陣である。されどまた弟の前で無様は晒せないと思っているのか、毅然として落ち着いていた。無理をしているわけでもなさそうだ。ただし心ここにあらずといった風情で、何か物思いに耽っているようでもあった。
「何をお考えになられているのですか?」
 氏勝は義利の馬に並びかけ、尋ねた。義利ははっと我に返ったように顔を上げる。それでも馬だけは巧みに操っているのだから、ずいぶんと慣れたものであった。
「いや……何でもない。ただかような仕儀と相成って、紀伊守どのはご無念であろうなと考えていたのだ」
 どうやらやがては父とも仰ぐことになるはずだった将のことを思い出して、憂鬱になっていたようだった。それも無理なきことかと、氏勝も胸が痛む。
「あの方が生きておられたら、この戦は避けられたであろうか?」
「さて……それはわかりませぬ。もしかしたら、それでも避けようのないことであったのかも」
 避けようのないこと、か。義利はまだ釈然としない様子でそう、口の中で繰り返した。それからしばしの沈黙のあと、またぽつりと尋ねてくる。
「のう大和……我はまだわからぬのだ。これはいったい、何のための戦なのだ?」
 その問いに、氏勝はすぐには答えられなかった。おのれもまた、その答えをうまく見つけられずにいるからであった。
「勘違いするでないぞ。我は怖気づいているわけではない。もちろん怖ろしいという気持ちもあるが、武家に生まれた以上はやらねばならぬことよ。我は、そう……ただ得心したいのだ」
「……殿」
「どうやら民はこの戦、父上が仕掛けたと思っているらしい。されど父上は、かような戦などしたくはなかったと申される。その言葉は偽りなのか?」
 氏勝はそれに対しては、「いえ」と首を振ってみせた。「その通りにございましょう。大御所さまとて、かような戦を望んではおられなかったはず」
 その答えに、義利は少しだけ安堵したように険しい顔を緩めた。されどすぐにまた、憂鬱そうに顔を俯ける。
「では何ゆえ、かようなことになったのだ。父上でないとすれば、大坂方が戦を望んだのか。あの右府さまが……」
 三年前の二条城での会見ののち、義利は徳川の使者として大坂に赴き、秀頼とも対面を果たしている。顔を合わせたのはその一回きりであるが、ずいぶんと好印象を抱いたようであった。
「右府さまは穏やかでお優しい方であった。人質の役目を果たした我と常陸介に、労いの言葉もかけてくださった。あのお方がかような戦を望んだとは……とても思えぬのだ」
「某にも、慥としたことは申し上げられませぬ……されど」
 迷いながらそう口にした氏勝に、若き主は「……されど?」と問い返す。
「されど静謐を良しとするのは、今満たされている者のみなのではないでしょうか。不遇を託つ者、屈辱に甘んじる者……何かが変わることを望む者たちにとってはむしろ、唾棄すべきものなのでございましょう」
 おそらく右大臣秀頼自身は、今のおのが身を不遇とは思っておるまい。おのれが天下人の器ではないとわかっていると、以前幸長も言っていた。されどいまだ豊臣の夢の中にいる淀の方や家臣たち、そして大坂に集ってきた牢人たちに担がれて、もはや身動きも取れなくなってしまっているのか。あるいはその優しさゆえ、そうした者たちを放ってはおけなかったのであろうか。
「まずは戦でも起こさねば、何も変わらぬというわけか。されどかような形で兵を挙げたところで、勝ち目などないことはわかっておるであろうに……」
 痛々しげにそう続けた義利に、氏勝は「さて、それはいかがなものでしょうか」と首を振った。「この戦、そう簡単なものではありますまい」
「負けるとでも申すのか。我らは二十万からの兵がいるのだぞ?」
「戦は数ばかりではありませぬ。それを誰よりもわかっておられるのが、大御所さまにございましょう」
 かつて家康は数で勝りながら、武田の精鋭たちに幾度も苦杯を舐めさせられたものである。あるいは長久手の戦の際は、わずか二万の兵をもって十万の羽柴勢を翻弄し、一年以上も互角に渡り合った。兵の数さえ揃えればそれで勝てるなどと、決して考えてはいまい。
 その上関ヶ原のあとは、無理な普請を繰り返して諸将の力を削いできた。貯えも底を尽いた大名たちの中には、武具や玉薬まで処分して対応しているところもあると聞く。兵たちもおそらくは鍛錬も満足に積んではいまい。数こそは間に合わせたものの、そのうちどれだけが戦で役に立つであろうか。
「それに……いえ、これは言いますまい」
「何だ、気になるの……言いかけたことは言うがよい」
 そう急かされたものの、氏勝はまた首を振って口を噤んだ。頭を過ったのは、かつて聞いた藪内匠の言葉である。かの関ヶ原の折、かつての主は戦の行方を、「舞台に上げさせられた時点で治部の負けよ」と看破した。それが、此度は逆なのである。家康は何者かによって、上がりたくもない舞台に上げさせられてしまっている。


 十月二十三日、家康は二条城に入ると、藤堂与右衛門高虎・片桐市正且元を呼び寄せて先鋒を命じた。そして諸将が続々と到着するのを確認すると、十一月十五日に大阪に向けて出立する。やがて大坂城を望む茶臼山に着陣し、秀忠の本軍と合流した。
 最初の軍議が開かれたのは、十一月の十八日であった。その場で家康は声を荒らげ、豊臣方の度重なる約定破りを糾弾し、逆賊となった秀頼を必ず討ち果たせと檄を飛ばした。されど帷幕に戻って正純とふたりになると、浮かない表情に戻ってその心情を吐露する。
「決してこちらから仕掛けてはならぬと、全軍に伝えよ。この戦は我慢比べじゃ」
 以前より豊臣征伐を強く主張し、ついにそのときが来たと逸っていた正純は、信じられぬ思いで詰め寄った。
「かような戦、長引かせたところで良いことなどありませぬ。一気に総攻めにて大坂城を落としましょうぞ!」
「莫迦を申せ。物事、そう都合良く運ぶものか」
 家康はなおも憂鬱そうに首を振る。この戦が一筋縄ではいかないことを、百戦錬磨のこの男は十分すぎるほどに理解していた。
「いかに豊臣といえど、十万の兵を抱えての籠城ともなればそうは堪え切れん。焦れてくるのを待つのじゃ、良いな?」
「何を弱気になっておられるのです。敵は十万といえど、所詮は烏合の衆ではありませぬか!」
「……烏合の衆は我らも同じよ。関が原から十四年、いったいどれだけ戦を知る者が残っておる」
 じろりと睨み付けられて、正純は反駁の言葉を飲み込んだ。この男とて関が原に参陣したとはいえ、常に家康の傍に控えて槍を握ることもなかった。まことの戦など知らぬのも同然なのだ。
 本多平八郎、榊原式部、井伊兵部。徳川を支えてきた猛将たちも今は亡く、その子らも戦でどれだけ役に立つかわからない。せいぜい頼りになりそうなのは、平八郎の子の内記ないき忠朝ただともくらいであろう。あとは官吏としては有能だが、いかんせん線が細い。となると伊達、上杉、佐竹といった外様に頼るしかないが、かの者らがはたしてどれだけ本気で戦おうとするであろう。
「されど……それで良い。そなたらはそれで良いのだ」
 家康はふっと表情を和らげ、慈愛すら滲ませた目で正純を見やると、小さくひとつ頷きかけた。そう、それで良い。この十四年の間、こうなるためにあらゆる手を尽くしてきたのである。
 今このとき恐ろしいことは、将たちの身の裡で眠らせてきた戦国の血を、再び目覚めさせてしまうことであった。そうなれば、これまでの苦労もすべて水の泡だ。今ならばまだ間に合う。この戦をどうにかして、全面的な衝突に至ることなく和議に持ち込む。そして今度こそまことに、戦乱と下克上の時代を終わらせるのだ。徳川の権威を絶対のものとして、千年の治世を築くためにも。
 
 
 戦端が開かれたのは翌十一月十九日、大坂城の西に位置する木津川口きづかわぐち砦においてであった。攻撃は幕府方の蜂須賀阿波守によるもので、但馬守長晟の軍勢も援軍に加わっていた。守勢の明石掃部全登てるずみもこの小さな砦を死守しようとはせず、小競り合いの末にあっさりと城内へと引き上げた。
 勢いに乗った幕府方は、続けて鴫野しぎの・今福といった出城を次々に包囲し、落としていった。それを見た大坂方は残る砦を放棄し、すべての兵を城内へと下がらせる。かくして戦は本格的な攻城戦へと移行することとなった。
 周辺の砦は大坂方とて本気で守る気はなく、あくまでもこちらを誘い込むための餌であったことは家康も勘付いていた。このまま調子に乗って攻め込めば、今度こそ手痛い反撃が待っているのであろう。それゆえそこでいったん進撃の手を止め、大坂湾に展開させた水軍によって補給路を断ち、仕寄せによってじわじわと包囲を狭めてゆく戦術へと転換する。
 されど中にはそうした家康の慎重さに、不満を募らせてゆく兵も少なくなかった。ひとたび戦に出た以上、華々しく槍を振るって武功を挙げんと思うのは誰しもであって、それを自重せよと言われても、いつまでも従えるものでもなかったのだ。
 かくして十二月四日、その不満は最悪の形で爆発する。城の南、真田左衛門佐幸村が築いた出丸に向けて仕寄せていた前田勢一万二千、さらに井伊勢四千が、度重なる挑発に耐えかねて、堰を切ったように攻め掛けたのである。
 されどこれはまさに、幸村の思う壺であった。誘い出された前田勢・井伊勢は、幸村の率いる鉄砲隊の集中砲火と、後藤又兵衛基次もとつぐらによる側面攻撃を受けてあえなく壊走する。徳川方はほとんど城に損害を与えることもできず、逆に三千を超す死者を出すありさまで、特に前田勢はこれによって戦線から後退せざるを得なくなった。
 されどそれによって兵たちも、家康が慎重の上に慎重を期していた理由も理解した。戦況は再び膠着状態に陥り、徳川方も包囲をそれ以上狭めようとはせず、大砲による威嚇と夜毎鬨を上げ続ける心理作戦に終始し、日々だけが過ぎていった。
 そして十二月十七日、家康は朝廷を動かし、後陽成天皇より和議の勧告を引き出した。ただちに側室・阿茶の局と淀の方の妹・常高院じょうこういん(京極高次正室・お初の方)の間で交渉が行われ、翌日には和議が成立した。秀頼の身の安全と本領は安堵され、ここに戦はひとまずの幕を下ろしたのであった。
 この和議には幸村をはじめ、大坂方に参じていた牢人衆から強い反発があったという。されど一方で、庇を貸して母屋を取られたも同然な豊臣の旧臣たちには、かの者らに対する不信も募っていた。家康はそうした機微を見抜き、幸村の頭越しに電光石火で事を進めたのだ。こうしてどうにか思惑通りに、出丸の一戦を除けば大きな戦闘もなく、戦を畳むことに成功したのだった。
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