エスタシオン

野々峠ぽん

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一章

3,パクス

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 「パクス」とは、エスタシオンの人民になくてはならない秘薬である。
 太祖が大陸を制覇したころ、他種族との混血児たちが多く産まれた。
 巨人族、魔法使い族、鳥獣族、魚族、植物族、妖精族などの――ありとあらゆる種族と、エスタシオン人の祖である人間族との混血児は、あっという間に増え大陸全土を覆った。
 今日のエスタシオン人は混血種で構成され、純血種族は残っていない。
 ただ、多種族の混血であることには、障害を伴うこともあった。
 例えば、獣族や吸血鬼の狩りの本能、巨人族の巨躯などは、彼らを人間社会に溶け込むことを難しくさせた。
 そこで、人類平和の英知としてもたらされたのが、秘薬「パクス」だった。
 パクスには、異種族ゆえの精神的・肉体的衝動を抑制する効果がある。
 この秘薬を出生時から服用することで、エスタシオン人はどのような種族をルーツに持っていようと、「人間」になることが出来ると考えられていた。


 中王宮の控えの間で、メイランドは注射器を構えてほほ笑んだ。

「さ、腕をお出しくださいませ」
「はあい」

 ジューンは大人しく、肩にかけていたショールを肘まで下ろした。ノースリーブのドレスから細い腕が露わになる。
 その左の上腕には、花に似た紋様の水色の痣が広範囲に浮かんでいた。
 メイランドは、ジューンの左腕に注射針を刺し、手早く薬液を注入した。
 薬液が押し込まれるごとに、水色の痣が濃くなり、内側から妖しくきらめくように色味の鮮やかさが増す。

「お疲れさまでした、ジューン様」
「はい、ありがとうございましたっ」

 器具を片付けるメイランドにぺこりと頭を下げると、ジューンは背後を振り返った。

「大丈夫? ユリウス様」
「おええええ……」

 部屋の隅では、ユリウスが壺に取りついてゲロを吐いていた。
 先にパクスの投与を終えていたユリウスは、「パクス酔い」を起こしていた。
 エスタシオン人にとって、なくてはならないパクスではあるが、強い効果を持つため副作用を抱える者も多い。多くは、めまい・倦怠感・頭痛・吐き気といったところ。
 ユリウスは、もともと副作用が重いうえ、多量投与がきいたらしい。

「かわいそうに、よしよし」
「うえええ……すまぬ。だが、いかんともしがたい……」

 背中をさすってやると、ユリウスが申し訳なさそうに頭を垂れた。ジューンは、パクスの副作用が殆どないので、けろっとしている。
 副作用の重さに苦しむユリウスを、大変そうだとは思っても、面倒などとは思わない。

「いいから、吐けるだけ吐いちゃいなよ。そのほうが楽だよ」
「うむ……おえっ」

 どうせ「咎者」である自分たちの部屋に、挨拶に来ようなどという貴族はいない。だったら、憚ることなく休み、体調を戻した方が良い。ジューンは励ますように、ユリウスの手を握り、背をさすった。


「では、喉を傷めませんように、何かスっとする飲み物を持ってまいりますね」

 気を利かせたメイランドが、部屋の外に出ようと扉の取手に手をかけた。
 すると、開こうとする前に向こうからバン! と凄まじい勢いで扉が開く。メイランドは吹き飛ばされ、床に尻もちをついた。

「ぐふっ」
「何じゃ何じゃ。扉がやけに重いと思えば、そなたかメイランド」

 メイランドを居丈高に見下ろしたのは、燃えるような赤毛を高く結い上げた正装の女性だった。仁王立ちで腰に手を当てており、扉の取手に触れていた様子はない。

「こ、これは、アプリリス殿下であられましたか!」

 メイランドが、恐縮して後ずさる。女性――アプリリス・ジナファ王子はうむと鷹揚に頷いた。
 アプリリスはエスタシオンの第四王子であり、ユリウスの腹違いの姉にあたる。

「いかにも、妾がアプリリスじゃ。なぜ、そのように怪しげな顔をする?」
「は……そ、それは」

 奇妙なことに、アプリリスの顔は容貌もわからないほど白く塗りたくられていた。メイランドは、それに突っ込んでよいのかわからず、大汗をかく。

「ぷははははははっ!! やだ、お義姉さまったら! なあにその顔!」

 突如その場に、明るい笑い声が響いた。メイランドはぎょっと目を向いて、背後を振り返る。ジューンが、腹を抱えて笑っていた。

「ふ、不敬でございますぞ!」
「へえっ? だってお義姉さまってば、し、白すぎる! ぶふふっ」

 あまりにも素直すぎるジューンの反応を、メイランドは半泣きで窘める。しかし侍従の焦りをよそに、ツボに入ったらしいジューンは笑い続けていた。 
 助けを求めてユリウスを見れば、また壺に頭を突っ込んでいる。

「……ふっ」

 ふいに、低い吐息が扉の方から聞こえ、メイランドは恐る恐る振り返った。アプリリスが、俯いて肩を震わせていた。

「あ、アプリリス殿下! どうぞお許しを!」

 メイランドが、瞳いっぱいに涙を溜め床に平伏した。
 しかし、アプリリスは顔を上げると、予想に反して高らかに笑いだした。

「ほほほほほほほほっ!」

 メイランドは、あっけにとられた。アプリリスは、笑われて不機嫌どころかむしろ得意そうである。

「そうそう、その反応こそ見たかったのじゃ! 満足満足」

 アプリリスはにんまり笑うと、とん、と指先で自分の頬を突いた。すると、一瞬にして顔面の白塗りが消え去り、もとの可憐な面立ちが露わになる。

「あっ!」

 その早業に、メイランドが驚きの声を上げた。

「ああ、せいせいした。朝から侍女にさんざ塗りたくられてのう。ただ拭うではつまらぬ故、まずそなたらに見せて、面白がらせてやろうと思うたのじゃ」
「面白かったよ、お義姉さま!」
「そうであろう、そうであろう」

 拍手するジューンに、ふふんと胸を逸らせるアプリリス。メイランドは、眉を下げておろおろと二人を見比べる。
 アプリリスは、自らの右頬を手の甲で撫でた。そこには、無数の花の紋様に似た、漆黒の痣が浮かんでいる。

「ふん。いくら痣を化粧で隠そうとて、咎者は咎者よ。その奇異さは隠せるものではないというに。繕おうとすれば、かえって道化に見えるというものじゃ……そうであろう? ジューン、ユリウス」

 アプリリスは皮肉に笑い、ジューンの露わになった上腕にある痣――「咎者」である証を、愛おし気に見つめた。
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