エスタシオン

野々峠ぽん

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一章

12,惨劇③

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 オーガストの金の翼は、夜空に眩むように輝いた。
 普通の鳥獣族をルーツに持つエスタシオン人は、翼はすでに小さく退化し飛翔することはできない。いや、咎者であったとして、オーガストほど美しく雄大な翼を有する者は稀だった。
 それゆえ、彼が大きく高く飛翔する姿は、非常時においても人々の目を奪う。

「兄上! お気を確かにお持ちください!」

 タイロスの目前に降下したオーガストは、訴えるように叫んだ。
 彼の胸には、弟妹達とした「兄を傷つけない」という約束と、いつも優しかった兄の面影がある。
 どうにか正気を取り戻して欲しい、その一心でオーガストは武器を持たず、兄の前に両腕を広げた。
 しかし、タイロスは低い茫洋とした呻き声を上げながら、巨大な両の手を弟に伸ばした。
 まるで、幼子が小鳥を摑まえようとするように、無邪気で残酷な仕草。しかしその指先は、間一髪逃れたオーガストの上衣を無残に引き裂いた。
 逞しい両胸から双肩に浮かぶ、深紅の痣が衆目に露わになる。

「殿下っ! おのれ――」

 地上で、一人の若武者が声を上げた。赤い鎧を纏う彼は、眼を怒らせて朱の槍を構えると、タイロスに向き直る。

「待て、カンル―!」

 オーガストは、タイロスの手をかわしながら配下を厳しく制止した。
 タイロスの両手は凄まじい速さでオーガストを摑まえようとするが、全て空を掻く。オーガストの飛翔速度がずっと上回っているからだ。
 オーガストは叫ぶ。

「兄上は俺が引き付けている! この間に、皆を避難させてくれ!」
「しかし殿下、あんたが危険だ!」
「頼む、兄上を傷つけたくない!」

 頼むと言われては、配下の若武者――カンル―は不服そうにしながらも従うほかない。彼は、背後を振り返ると同じ赤い鎧をまとう兵士たちに、救助の指示を飛ばした。
 いつの間にか、庭園内には赤い鎧を纏う兵士たちが大勢詰め寄せていた。

「なんとなんと。あの赤い鎧の者ども、ルフス人だぞ。恐らく、エブル伯の私兵と言ったところだろうな、ノイマン?」
「御前のおっしゃる通りでしょう。それにしても、この統制のとれた動きは見事なものですね。段違いにスムーズに避難が進んでいる」
「ははは、ルフスの軍事力は有名だもの。あの婿殿が、ここまでご立派になられたのも、ひとえにルフスの後ろ盾の強さあってこそ――」
「ゲンマ殿」

 赤い兵士達の働きを、木陰から好き勝手に品評していたゲンマ氏に、穏やかな声がかけられる。
 声の主は、背の高い亜麻色の髪の青年だった。正装をしていることから、この会に参列していた貴族であると見受けられる。しかし、物腰に芯が通ったところは軍人的だった。

「配下の方とお話し中に失礼致しました。なれど、ここは危険でありますゆえ、安全な所へご案内致しましょう」
「いやいや、お気遣いなく、私は――」
「ご案内します。お前たち、お連れしろ」
「ははっ」
「ちょ、あっ。君たち、何を」

 青年が穏やかな口調で指示すると、彼の配下は有無を言わさずゲンマ氏を引き連れていく。主への無礼にノイマンがじろと目線を送るが、青年はにこにこと笑んだままだ。ノイマンは肩を竦めると、さっさと主の後を追った。

「おっ、五月蠅えオッサン追っ払ったのか。やるじゃねえか、クバート」
「カンル―。一応、殿下の義父君ですよ」

 穏やかな青年に声をかけたのは、赤い若武者、カンル―だ。彼に親し気に背をどつかれ、青年――クバートは苦笑した。真面目な物言いに、カンル―はへっと鼻で笑う。

「それよりその殿下がよ、まぁた無茶を言いやがるのさ! 避難があらかた終わったと思ったら、今度は王太子を傷つけず捕縛してえんだと! おめえもこっち来て手伝ってくれ!」
「わかりました。ならば急ぎましょう、長引くと殿下の身が危ない」

 二人は、オーガストの助けとなるべく並んで駆け出した。
 が、カンル―は何か感じたように、一瞬背後を振り返る。

「どうしました?」
「いや――気のせいみてえだ」



 二人が駆け去った後、水面に映る景色が揺らぐように、空間が歪んだ。

「危なかった……あの人、すっごい勘の良さね」
「ジューン、急ごう。兄上のお邪魔になるわけにいかぬ」
「うん、そうだね!」

 なにも無い場所から、忽然と姿を現したのはジューンとユリウスであった。
 ユリウスはジューンを背に負うており、五感で周囲の様子を注意深く窺っている。

「お守りは、やはりあっちにあるみたいだな――いいか、俺がついてるとはいえ、無理はするなよ!」
「了解!」

 威勢よく返事をすると、ジューンはユリウスの背にしがみ付き頭を下げた。
 ユリウスは姿勢を低くすると地面を鋭く蹴り、風を切って疾駆する。赤い兵士たちが陣を組む隙間を縫うようにして、あっという間に騒ぎの中心へと躍り出た。
 

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